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1999年12月


 今年2月に任期が始まって以来10ヶ月余りが経過いたしました。議会内のルールなどで分からないことも多く、戸惑いを覚えることもありましたが、皆様のおかげで辛うじて議員の職責の一端を果たすことが出来ました。その点に尽き御礼申し上げます。また、議席を与えて下さった市民の皆様に感謝するとともに、議員となった原点に立ち返り、伊予市における問題点について私の考えを述べた後、理事者の御所見を承りたいと思います。 

 私は国立病院四国がんセンター誘致特別委員会に所属しておりますが、あえて、この一般質問において、がんセンター誘致の問題を取り上げたいと考えます。12月に入り、松山市の候補地が南梅本地区であると発表されました。先日、現地を見て参りました。重信町との境にあり、フジ重信店が近くにあります。梅本駅に近く、「まちづくり」ということを抜きに考えれば、梅本の方が良いと考える人も多いと思います。「松山がんセンター」ということならそれでも良いのでしょう。しかし、四国のがんセンターということになれば、JRの駅から遠いというのは患者やその御家族に対し気の毒と言わざるを得ません。松山市は利用者の40%以上が松山市の住民だと言いますが、愛媛県民の30%以上が松山市民であり、しかも地元であることを考えれば、松山市民の利用比率は高くないと思います。松山市が「県都であるからがんセンターを」いうのであれば、他市町村の利用者にとっての利便性に重点を置いて候補地の選定を行うべきだったと思います。そうでなければ、松山市民でなければ人ではないということにもなりますし、60%の利用者は切り捨てるということにもなってくると思います。私は、松山市長中村時広氏には県都の責任を自覚して欲しいと思います。 

 県都の責任とは何か。愛媛の首都として他の市町村およびその住民に対するサービス機能を充実せしめる責任です。しかし、その機能が行政区画としての松山市のどこかにあれば良いというのではありません。私は、県都松山市には魅力ある中心都市として繁栄していただきたい。松山市長が掲げる「日本一のまちづくり」には共感を覚えています。それ故、県都としてのサービス機能を強化し、県都らしい街の魅力づくりに資するのであれば、松山市ががんセンターを誘致することに賛成してもよいと思っています。しかし、その条件として、がんセンターの移転地を中心市街地ないしそれに準じる地域にすべきであると考えます。松山市の中心市街地の空洞化には深刻なものがあり、がんセンター移転地も中心市街地活性化の視点で選定されるべきだったと思います。中心市街地が困難で、郊外にもっていくのであれば、「松山市」という行政区画にこだわることなく、広域松山圏の中で何処が適地かという視点でものを考えるべきだと思います。その場合には、他の市町村のまちづくりにも配慮するゆとりが欲しいところです。今回の松山市の候補地選定は単なる地域エゴではないでしょうか。私は、松山市長は3番バッター4番バッターが務まる人物と期待していました。しかし、この間の行動を見ますと、「小判鮫政治」としか言い様がなく、残念に思っております。

 県都の首長と言えば、例えるならばクラスの級長です。級長が担任から答を教えてもらって良い点を取っているのだとしたら情けない話です。 

 がんセンターの移転先は松山市に決定することが確実になりました。知事がその意向だからです。知事は、厚生省が決定すると言われます。しかし、厚生省、がんセンター側は、県で一本化して欲しいと言っています。これは矛盾する話です。ここにはトリックがあります。 

 即ち、厚生省は四国四県を見渡して決定するのであって、その意味では、厚生省が決定するのです。しかし、愛媛県における候補地は愛媛県が調整することにならざるを得ません。しかも、現状では愛媛県の候補地からがんセンターの移転先が選ばれることが確実ですから、実質的には愛媛県知事にがんセンター移転地の決定権があることになります。その意味で、知事が「厚生省が決める」と言われるのは責任逃れの言辞であると思われます。がんセンター移転地は知事の考え一つということなのです。尚、知事が言われる「移転」か「誘致」かという区別が詭弁の類であることは論を待たないと思います。 

 がんセンターの問題をたどると、4月の伊予市選挙区における県議会議員選挙に行き当たります。10月5日、特別委員会の陳情で加戸知事に面会した際、知事が問題にされたのが伊予市における県議会議員選挙の結果でした。4月の選挙が10月になっても尾を引いていることに異常なものを感じたのは私だけでしょうか。官僚というものは江戸の敵を長崎で討ってくると言われます。官僚出身の加戸知事は、伊予市民が自分の推した林睦美候補を選ばなかったことに強い憤りを感じ、このことをがんセンター誘致問題に反映させていることが窺えます。しかし、これは筋違いというものではないでしょうか。がんセンター誘致の是非を問うた住民投票が行われたわけではありません。あくまで、伊予市選出の県議会議員として誰がふさわしいかを市民が選択した訳であり、市民の選択に対し「けしからん」と感じるのは、県民の目線に立つ県政のあり方とはほど遠いものだと思います。私は、10月5日の陳情の場ではこれに対する反論をしませんでした。陳情の場を汚してはいけないという常識に従ったのですが、これで良かったかどうかについては、自分自身の中で、今でも結論が出ておりません。 

 考えてみれば、この間、伊予市は、がんセンターを人質に取られ、ハッキリとものを言うことが出来なかったように思います。建設残土、汚泥問題でも、県の不誠実な態度に業を煮やしながら、我慢に我慢を重ねて参りました。しかし、これからは我慢する必要はないと思います。県立武道館が松山市市坪に建設される可能性が強いことが明らかになりました。これは、中村時広松山市長が、財政難を市民に訴えながら、がんセンター誘致を急きょ決めたことへの県からの見返りと見るのが常識的でしょう。とすると、松山市が名乗りを上げて以降のがんセンター誘致競争は、はじめから仕組まれたレースであり、がんセンター移転地についてはあらかじめ勝敗が決まっていると申し上げて良いでしょう。この期におよんで、まだ、「ハードルが高くなった」などと呑気なことを言うのは、「体温が11度だからまだ生きているんです」と言うのと何ら変わらない話です。伊予市は、この間、愚弄され、もてあそばれ、辱められました。私は、市長も、助役も、収入役も、教育長も、職員の皆さんも、議員の皆さんも、市民の皆さんも、皆怒るべきだと思います。私は、坊ちゃんが赤シャツと野太鼓を待ち構えて卵を投げ付けた気持ち、浅野内匠頭が松の廊下で吉良上野介に斬りかかった気持ちが分かる気がします。これは、自治体の尊厳の問題です。自治体の尊厳を傷つけられて黙る必要はないと思いますが如何でしょうか。 

 ここで、考慮すべきは、県議選における知事の言動についてです。何故このことを問題にするのかというと、「伊予市長が知事に頼まれたのに林睦美候補の後援会長を引き受けなかったことで、がんセンター誘致が伊予市に不利に傾いた。」という声が、議員の中からも出ているからです。県議選当時、林候補と加戸知事とが一緒に写っているビラをよく目にしました。ビラには、県政とのパイプ役となる林候補が当選した暁にはがんセンターが伊予市に来るという趣旨のことが書かれてありました。知事もことのほか力を入れておられる様子でした。力を入れたという以上の尋常一様でないものを感じた方も多いと思います。知事が選挙の応援をする場合には気を付けなければならないことがあります。公職選挙法136条の2は公務員の地位利用の選挙運動および選挙運動類似行為を禁じています。「地位利用」とは、公務員がその地位にあるがため特に選挙運動を効果的に行い得るような影響力又は便益を利用するという意味であり、その職務上の地位と選挙運動又は選挙運動類似行為が結びついて行われる場合をいうと解されています。例えば、知事が補助金等の交付、事業の実施、許可、認可等の職務権限に基づく影響力を利用して市町村、外郭団体、請負業者等に対し影響力を行使すること等は地位利用行為ということになります。もし、加戸知事が、実質上権限を有する愛媛県内でのがんセンター誘致先決定権をちらつかせながら林候補への支援を呼びかけていたとするならば、この規定(同条2項5号か?)に抵触するのではないでしょうか。 

 公職選挙法は民主主義の根幹となる選挙を規律する法律です。公職選挙法については、規制の範囲が広範に過ぎ、誰も守れない法律だとも言われるし、憲法の保障する表現の自由や政治活動の自由を制約する度合いが強すぎるとして、戸別訪問禁止規定については憲法違反だというのが憲法学会の支配的見解です。しかし、権力を有する者が、その権限を利用して選挙の結果を左右しようとする公務員の地位利用行為は、民主主義に対する敵対行為であり決して許されるものではありません。ともすると、我が国において、選ばれる側が選ぶ側をコントロールしようとする傾向があります。また、この様な非民主的行為をさも当然のこととして是認する風潮があります。しかし、それは民主主義の基礎を自ら掘り崩す行為です。公務員の地位利用行為については厳格な法の適用が必要です。 

 市長にお尋ねします。県議選で市長が後援会長にならなかったことは、これまで述べたことことから、当然そうあるべきだったと思われますし、場合によっては、市長の行為が犯罪への加担行為になる余地もあったと言えます。市長のお立場上、身の処し方にはくれぐれも御注意いただきたいと思います。今後も、各選挙で候補者の後援会長にはならないという態度を維持していただけるのでしょうか。その方が一貫すると思いますが、如何でしょうか。 

 選挙管理委員会にお尋ねしたいのは、公職選挙法136条の2の予定する行為類型とは如何なるものであるかということです。また、私の解釈に誤解がないかを検討していただきたい。その上で、県議選での知事の行為がどの様なものであった場合に同条に抵触することになるのかをお教えいただきたいと思います。 

 仮に、知事の行為が公職選挙法に抵触するものではなくても、伊予市で決まりと言われていたがんセンター移転問題が何故逆転することになったのか、その経緯は極めて不明朗であり、知事の言動からすると、県議選の意趣返しと見られても仕方ないと思います。知事には、そうでないことを県民に説明する義務があるのではないでしょうか。 

 私は、今こそ、伊予市が自治体としての尊厳を取り戻し、県との対等なパートナーシップを確立していくべきだと考えます。中村市長が公約に掲げられたように、市長も知事も「公僕」であります。公僕として、何が市民県民にとって必要かを真摯に話し合える関係づくりを行って行くべきです。県は、権力で市町村を屈服させるのではなく、市町村が地域づくりを行う上でコーディネーターとしての役割を果たすことこそが望まれています。ところが、これまでの愛媛県は、幕藩体制と同様の状態であったといってよいでしょう。市町村はひたすら知事の顔色を窺う、上下主従の関係でした。この関係を加戸県政も引き継いでいます。 

 加戸県政は、皆さん御存知のように、各地で選挙に介入して参りました。知事選で協力しなかった自治体首長や県議会議員がターゲットになりました。その成績が芳しくないことも御存知の通りです。砥部町長選の後、愛媛新聞で、今後は自民党県連が知事に選挙応援を依頼することを制限する旨の記事が出ました。この背景には、各地の住民の反発に知事周辺が危機感を持っていることがあると思います。ただし、今後も、より洗練された形で市町村の選挙への介入があると考えるべきでしょう。知事が、本気で愛媛を変えようとする気があるのならば、「幕藩体制」の打破を掲げるのが筋だと思います。市町村が知事の顔色を窺う政治からの訣別であります。むしろ、県が市町村の意向を恐れるというのが正しい民主政治のあり方です。県は市町村と比べ直接住民と接することが少ないので、ともすると抽象的思考に陥りがちだからです。住民の意向を直接受ける市町村は、県に対し住民の意向を伝え、県がそれを真摯に受け止めることにより民意に基づく政治を実現することができるのです。知事の方針に反対すると選挙で報復があるというのでは主体的な自治はあり得ないと思います。 

 伊予市と県との関係について言えば、県議選以降、県からいじめられるパターンにはまったと言えます。この様なときどうすれば良いのでしょうか。学校でのいじめが教育の分野で問題になって久しいものがあります。また、不条理なリストラに泣く中高年も多数存在します。日本の社会は、部落差別の問題を含め、「いじめ社会」であるとも言えます。私は、いじめの解決はいじめられる側が本気で怒り、いじめる側を気迫で圧倒することに尽きると思いますが、如何でしょうか。市長は、伊予市の代表者として、いじめられている子供に対し、この様にしていじめに対抗するのだという模範を示していただきたい。「ノー」と言える伊予市、それを目指していただきたい。小判鮫のような政治は軽蔑すべきであります。がんセンターの問題、汚泥の問題を含め、市長が今後どの様な態度で県との関係を築いて行かれるのかをお尋ねします。 

 尚、加戸知事に関してもう少し言わせていただければ、能力のある人であり、新しい方向も示されているのですから、県民の批判には謙虚に耳を傾けられ、感情に支配されることなく軌道修正を図られるべきだと思いますし、それが出来るのであれば、謹んでこれまで述べた所見を見直したいと思います。私は、がんセンターの問題は、加戸守行氏の器量が試される問題であると考えます。 

 次に、広域松山圏における伊予市の役割についての質問をいたします。昨今は、合併論ばやりであります。小さな自治体はそれ自体がいけないことであるかのように決めつけ、飴と鞭により合併させてしまおうとの思惑が自自公政権になって顕著です。確かに、伊予市の平成11年度予算現額は、9月末現在、一般会計において歳出が100億円であるのに対し、市税は28億円弱に過ぎません。3割自治という言葉がありますが、多くの自治体では自主財源が乏しく、自主独立の施策をしようにも財源がなく、中央や県の意向を抜きに自治を語れない現状があります。しかし、だからと言って、あっさりと合併論に与すべきではないと考えます。各市町村には、固有の歴史があり、文化があり、住民の帰属意識があります。そのことを軽視し、効果効率のみを重視して、地方自治とは何なのかの議論が為されないまま合併への流れが加速していくことは危険だと思います。合併により得られるものと失われるものとを慎重に比較すべきだと思います。我が伊予市について言えば、人口3万人の小都市の良さを追及し、住民満足度の高い行政サービスを目指し、特色ある自治体になることは十分可能であると思います。しかしながら、これからの地方自治が、広域の問題を常に視野に入れながら、狭い地域エゴに毒されることなく、自治体同士の連携を重視して遂行される必要があることも事実です。 

 そこで、お尋ねいたしますが、中予地区でまちづくりや地域づくりの企画においての連携はどの様になっているのでしょうか。事務組合や道路整備、治水、文教関係についてはこの際省略し、まちづくりや地域づくりの分野に重点を絞ってお尋ねします。知りたいのは、形式的な会合の類ではなく、実質的な討議が繰り広げられ、将来に繋がる討論の積み重ねがなされているかどうかです。もし、その様な連携があるのであれば、その様な場を積極的に活かす方向で考えればよいし、形式的なものしかないのであれば、実質的な討議がなされ、議論の積み重ねによって広域の地域づくりのプランを創って行くべきであると思います。 

 今日の地域づくり、まちづくりは、自治体の枠に限定されることなく広域にものを考えて初めて可能になります。例えば、中心市街地活性化策として伊予商工会議所から出された提案の中にパークアンドライド駐車場の建設があります。パークアンドライドとは、御存知のように、交通渋滞による都市機能の麻痺と排気ガスによる環境の悪化とを防止するため、最寄り駅に自動車を止めて通勤することを言います。伊予市でこれを行うことは松山市への通勤を考えてのことです。このことの是非は、松山市の意向を抜きに語れません。この様なことを臨機応変に提言し、討論を重ねられるような連携を模索して行くべきです。先に述べたがんセンターの問題も、地域づくりに結びつけて、広域松山圏の問題として取り組むことも可能ではなかったかという気がします。伊予市は、広域松山圏ないし伊予市・伊予郡の中での責任を自覚し、提案能力ないしは企画力を磨き、求心力を付けて行くべきだと思います。そのことが地域全体の発展に繋がってくると考えます。 

 市長のお考えと今後の取り組みに向けての姿勢をお示しいただきたい。前向きな御回答を期待します。 
  以上で質問を終わります。理事者の明快な御回答をお願いします。


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