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質問に入ります。先般、議会において政治倫理条例制定に向けての検討委員会が設置されました。政治倫理条例が制定されるのは不祥事が起きた証拠だという穿った見方もあるようですけれども、政治に携わる者が自らを律するということは必要であります。政治倫理条例は市長も対象に含まれると思いますので、政治倫理条例に対する市長の御所見を伺っておきたいと思います。もっとも、これから審議に入るわけですから、どのような内容になるか分かりませんので、私がこのような条例にすべきだと考える案を示させていただいた上でお答えをいただきたいと思います。
政治倫理条例について調べますと、助役、収入役、教育長をも対象とし、市民の責務についても明文化しているところがあります。私は、この様に対象を拡大することは、政治倫理が曖昧なものになってしまう恐れが強いと思います。市長と議員、即ち、選挙で選ばれた者の出処進退を明確にすることのみを対象としたものでよいと思います。助役等については、我々が監視すればよいのです。
政治倫理確立のためには一定の行為を規制する方法、資産公開により不当な蓄財を牽制する方法等が考えられます。しかし、これらは他方で優秀な人材を市民の代表として選出できなくなることにも繋がります。合法的な経済活動を政治倫理の名の下で規制することは、特に地方においては、企業活動を行う者の政治参加の道を閉ざし、結果として人材欠乏症に陥ることにもなります。また、資産公開は、プライバシーとの関係で問題があるだけでなく、政治への新規参入者に対する強い精神的プレッシャーにもなります。最近国会議員の資産公開がありました。国民は国会議員の資産が公開される度に強い政治不信に陥るのではないでしょうか。そんなはずはないだろうという数字が並びます。免れる方法はいくらでもあるでしょうから現実的な効果は乏しいと思われます。資産公開は健全な家計管理の考え方にも反します。ある時点で同じ資産状態の政治家がおり、一方は家族が堅実で貯金が貯まっており、他方は浪費家で貯金が貯まらなかったら、後者の方が清廉潔白ということになるのでしょうか。現在の資産公開制度は、逆に政治家の倫理を空洞化させるだけだと思います。過剰な倫理性を要求することは、結局のところ、現実離れした「聖人君子」を想定することになり、偽善を生むことにしかならないと思います。私共も、一般の方と同様の一市民であり、「閑居して不善を為す」こともあれば、一方で、ある程度のモラルも有している生身の人間であります。
それでは私共は一般の方と何が違うのでしょうか。ここが問題です。それは、市民の規範となるルールをつくり、税金のあり方を決定し、税金の使い方を審査し決める権限を市民の皆さんから与えられているということです。また、公共的財産の管理運営の権限ないしそれに対する審議権があるということです。そのこと故にその職域に置ける高い倫理性を要求されるのだと思います。これは医者が医療の分野で高い倫理性を要求されるのと同じです。その様な立場にある者として職責を全うしていないのではないかとの疑問が生じた場合には、これに対する説明責任があると考えます。公務との関連性の強い場合、例えば、贈収賄事件で起訴ないし強制処分を受けたケースが考えられます。その際、市民の前で説明会を開くということが考えられますが、これはともすると人民裁判ないしは吊し上げということにもなり、市民が冷静な判断を下せなくなる恐れもあります。私は公開の議場で説明を求めるべきであると思います。これが間接民主主義における妥当な結論であると考えます。
飲酒で逮捕されたというケースはどうでしょうか。公職との関連性は必ずしも強くないと思われます。しかし、高知県において、一定の場合、公務員に懲戒免職処分が加えられていることとの均衡、及び、生命に対する危険を内包する行為であることから考えて、厳しいルールが必要と考えます。それ以外の場合は社会通念により判断されるべきでしょう。本人および同僚議員の倫理観が問われる局面です。強制処分を受けた場合は議場での説明を求めるべきでしょう。疑惑はあるが強制処分は受けていないケースをルール化することは困難です。私は、全議員による議員間討議を制度化し相互の牽制により自浄作用が働く仕組みを創って行くべきであると考えます。それも定期的に行うべきです。ともすると議員は、議席の配置に影響されてか、理事者側対議会という枠組みでしかものを考えず、理事者に向かってものを言うことがすべての様な錯覚に陥っているのではないでしょうか。議員間の相互牽制による自浄作用ということが本来の姿であります。先般の港での不幸な事故を契機に問題となった議員の港湾関係のルール違反に対する態度をとっても、議会ないし議員の責任論が見失われている議論も見受けられました。議会の自浄能力を高めるための制度を政治倫理条例に盛り込みたいと願うところです。他の市町村では、不祥事の後、「猫に小判」というような政治倫理条例をつくるケースもあるようですが、我々は、コピーを取ってくるという態度ではなく、自分の頭で考えたルールを作るべきだと考えます。
以上を要約すると、第1に、公務との関連性の強い範疇における疑惑についての公開の議場での説明責任。第2に、飲酒事犯における厳しいルールづくり、第3に、それ以外の強制処分を受けた場合の説明責任、第4に、全議員による議員間討議の制度化による相互牽制の仕組みづくり、ということになります。
中村市長は「公僕市長」を旗印に当選され、任期半ばを迎えられました。私の見るところ、公約通りの態度を維持されていると思われます。市長には直接関係ないのかも分かりませんが、ある種の危機管理としてお考えいただきたい課題でもあり、また、議員としても大先輩であることから、お考えをお示しいただきたい。
政治倫理ということから、定年制についてもこの際考えてみたいと思います。国政レベルでは、何時になったら辞めるのかと言いたくなるような長老が実権を握り、このことが政治の閉塞感を助長しています。どの様な優秀な人材にも「耐用年数」というものがあります。耐用年数を超えて重要な地位に留まることは、その有用性よりも社会的弊害の方が大きくなります。それをわきまえないことは、ある意味で政治倫理の欠如であると思います。我が伊予市の政治倫理条例には是非定年制を導入して国や他の地域をリードしていくべきだと考えます。年齢については議論の余地があろうと思います。これからの時代、高齢者を保護の客体としてのみ位置付けるべきではないと9月議会で申し上げました。高齢者を社会の主人公と考える場合には定年の具体的年齢はかなり高くなります。私は75歳を考えております。敬老会の入会年齢が参考になります。敬老会の年齢を引き上げるのであればこれに連動することになります。政治に携わる者の最終的な引退時期を明示することには重要な政治的社会的意味があると思います。市長はこの点如何考えられるでしょうか。
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2番目の質問に移ります。労働時間が短縮され、その時間を活かし多種多様な趣味を満喫しておられる方もいらっしゃると思います。この不景気でそれどころではないと言われるかも知れません。しかし、早晩、仕事以外に人生の柱をもう一本持ちたいということが当たり前の時代になると思います。その時、政治に関心を持ち、参加の欲求を満足させたいということも当然の要求として出てくるものと思います。政治が特定の経歴の持ち主や二世といわれる人達に独占される傾向が続いた結果、利権まみれの状態となり、国の進路が国民の真意とかけ離れたものとなり、政治家自身もこれを制御できない事態になっているのではないでしょうか。自民党加藤紘一氏の乱からは、良心的な部類に属する自民党議員の苦悩がかいま見えます。結局のところ、落選の恐怖が政治家の決断を鈍らせているのが実態です。国会議員の顔ぶれを見ますと「この人は政治家を辞めたら誰も相手にしない人物だなあ」と思われる方も多数おられますが、こういう方ほど選挙に強いのです。結果として辞められないんだろうと思います。良い身分だから辞めないという以上に、辞めたときの落差が大きく、市民としての着地点を見いだせないということも大きいのではないでしょうか。落選しても、自分の生活があり、自分の人生があり、他人に侵害されない個人としての聖域を有する自負があれば、ここというときには国家国民のための決断ができるはずです。市町村議員の場合、その点では恵まれています。辞めた場合の落差が小さいからです。市町村議員が国会議員や県議会議員に媚びることなく本気を出せば、日本のあり方も変えることが出来ると思います。あとは、覚悟の問題だけだろうと思われます。大多数をしめる勤労者が勤労者のままで地方政治に参加することは、辞めても落差がない強みを活かせるし、生活に直結した政治を実現する上でも有意義だと考えます。地方自治は「民主主義の学校」と言われます。ちなみに、ある著名な憲法の教科書には「民主主義の小学校」と書かれていました。失敗も許される実験の場と言う意味なのでしょう。市町村の議員に勤労者がなれる仕組みづくりも是非検討されるべきだと考えます。
市長は、今議会冒頭、市町村合併は避けられないとの認識を示されました。昨日も市町村合併についての質問への回答として同様の議論を展開されました。私はこれには反対です。国の偏った政治宣伝に押され、「これしかない」と即断することは後世に禍根を残すものだと思います。合併論は、地方議員の総数の減少による議員の専業化に結びつくでしょう。当選に要する得票数が大きくなり、基礎自治体の議員と住民との距離が広がってくるでしょう。住民自治は阻害されます。私は、合併論者の考える自治体像と対極に位置する、参加しやすい自治体像を提示することにより、より良い地方自治、実り多い地方自治の可能性が開けてくるものと考えます。
民主主義の学校としての地方自治には無限の可能性があります。地方がどんどん提案し国をリードすることも充分可能です。様々な可能性を追求し住民が真に満足する自治のあり方を模索することは20世紀末から21世紀初頭にかけて市民から負託を受けた我々の責務であります。議員を常勤、非常勤とに分け、勤労者が非常勤議員となる制度を提案することもあって良いでしょう。地方自治はもっと夢があり、可能性のあるものです。「知的動脈硬化」を起こすことなく様々な可能性を追求すべきであります。
この様な見地から、勤労者の議員活動を前提として、行政はどの様な対応が出来るのかを伺いたい。このことは、勤労者が議会を傍聴することにより地方自治に参加する場合にも当てはまってくるだろうと思います。議会の夜間開催、休日開催を行う上での行政側の問題点があればお教え願いたい。
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次に移ります。昨年3月議会において図書館の開館時間について延長をお願いしましたところ、さっそく実施していただき感謝しております。私はやり直しのきく社会を実現する上で自学自習の場の確保が公の責任において為されるべきであると思いますし、また、ライフスタイルの変化に行政サービスが対応すべきであると考えて提言をさせていただきました。今回の開館時間延長は夜型のライフスタイルへの対応という点では今一つではないかとも思いますが、現在の伊予市の状況からすれば最大限の御努力をされたものと思います。
そこで、開館時間が延長された時間帯の利用状況についてお教えいただきたいと思います。さらに、尚一層の開館時間延長ということにはどの様な問題があるかについてもお示しいただきたい。
また、これまでもそうだったのですが、冬期と夏期とで終了時間が異なっております。これは、利用者に混乱を与えるのではないかと思われます。この点の理由についても御説明いただきたいと思います。
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最後の質問に移らせていただきます。伊予市のホームページに関しては、昨日小西議員より鋭い御質問がありましたが、重複を恐れず、私なりの視点で質問をさせていただきます。インターネットに関連いたしましては、昨年6月議会でUターンJターンIターン者向けの情報発信を提言させていただき、また、今年9月議会においては水源地情報をホームページに掲載していただきたい旨お願いいたしました。水源地情報については素早く対応していただきました。UJIターン者向けの欄も設けていただいております。ただ、今のところリンク先がなく、今後中心市街地活性化の基本計画がTMO設立を通して実現に向かう過程でTMOの情報とともに発信できるものと期待しております。
さて、今議会では、IT関連の予算案が目を引きます。情報通信技術の進展には目を見張るものがあり、公的資金をを投入して基盤を整備することに合理性が存するものと思われます。我が伊予市において考慮すべきは、そのホームページの充実の必要性であります。多くの方がインターネットに親しんでいただく機会を増やす以上、それに対応する情報提供を充実させる必要があります。現在のホームページは月1回しか更新されず、12月に入ってもしばらく11月のカレンダーが表示されていました。これでは見る気がしなくなるのではないでしょうか。テレビを買ったが静止画像というのでは困ったものです。
議案審議の中で今回の予算措置でホームページを充実させることが財政的に可能であることが分かりましたので、提言をさせていただきます。まず、何よりも、更新頻度を上げることです。このことにより新しい情報を求めてアクセス数が増してくると思われます。各課にパソコンを置き各課ごとの情報が発信されることが可能になってくるとのことですので、情報発信に磨きを掛けていただき、最低週1回、出来れば毎日、更新をお願いしたい。また、パソコン講習会等の機会を捉えて市民の皆さんのパソコンの「お気に入り」欄に伊予市のホームページを加えていただき、利用頻度を高めていただくよう努力していただきたい(念のため申し上げますと、「お気に入り」欄に登録すると簡単にホームページを見ることが出来ます)。伊予市のホームページをIT革命を推進するための有効な手段として位置付け、市民にとって生活の必需品として認識していただけるような取り組みを期待したいと思います。また、参考までに、更新頻度を上げるためにどの程度費用が余分にかかるかについてもお教えいただきたい。
インターネットは高齢者や身体に障害を持つ人の武器にもなりうる可能性を秘めたものであります。今後、21世紀に向かって夢のある議論を展開したいと考えます。理事者においても夢のある御回答を期待します。以上で私の質問を終了いたします。 |