賢者のネジ(螺旋)
藤原肇
2004年6月30日発行 税込価格 \1,575
A6判 並製 270頁 ISBN4-88636-077-7 C001
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まえがき
文字の発明は官僚制度に伴う副産物だが、承伝は文字が生まれる前から存在しており、神話や歴史を伝える最も正統な手段として、文化や文明を育てる上での原動力だし、古代巨石文明は言葉が支える文明であった。コミュニケーションにおける最古のスタイルは、言葉を使って状況や思想を表現する口承であり、太古の文明は言葉の活用に習熟していたので、文字を使った記録を必要としなかった。
だから、螺旋や雷紋などの文明初期の絵模様は、シュメールの楔形文字やエジプトの神聖文字に先行したし、フェニキア人やインカ人は歴史を文字で記録せず、波動としての言葉を使って情報を伝えている。言葉は人間の意思疎通の基本であるから、議論が活況を呈す中で社会が生まれ育ったのであり、そこに文字や記号が残ったにしても、顕の裏側には常に密の世界が広がっていた。
情報の活用は関係の発見の歴史でもあり、人類が体験した数千年にわたる歴史を通じて、形にはなり得ない生命活動の渦の中から、量子言語に始まり文字や人工言語が誕生した。しかも、システムは根源的に開かれたものだし、文明の進化はシステムの発展を伴っているので、隠れたものと顕われたものの共立を認めて、顕在の背後に隠れているものを読み取り、暗黙知(Tacit Knowing)に精通する必要がある。
古代巨石文明の長大な時間の経過を通じて、対話の積み重ねの上に宗教や哲学が生まれ、一緒に飲みながら喋るシンポジウムの形で、プラトンの「饗宴」に見る共通話題を論じながら、人間が意思疎通する上での場が育った。また、プラトンが好んだ対話の展開による話法は、懐疑に根ざす応答の繰り返しを通じて、冴えた批判精神を常に研ぎ澄ますことで、対話のエトス(行動様式)の意味を知る限り、権威への盲従やドグマ軽信の回避に繋がった。
しかも、知的な関心に基づく対話の醍醐味は、見解の差や問題の正当性と客観性に対して、相互に認め合うことで高い次元での合意に至る。
だが、自分の頭を使って考えようとせずに、権威や体制に順応する生き方に馴れるならば、短期的には苦労がなくて安易にみえても、長期的には波間に漂う根無し草と同じで、主体性の放棄と同じ結果を生んでしまう。
社会活動のベースは情報を交換することにあって、自分の生き方を求めて意見を表明したり、相互確認に至るまでの理論的な展開を行い、知的なゲームを楽しむことは大きな喜びだ。また、自分の直観の正しさや判断力を確認して、不足なら鍛え上げるための機会を活用し、議論を使った座談会や討論会を経ることで、集会が学園やアカデミーに発展したのが、宗門や学校がたどった学びの歴史だった。
「仏典」、「論語」、「聖書」などのほとんどの章句は、語りと会話の集大成から出来ているし、プラトンの著作も対話で成り立っている。そして、古典の多くは修辞学の基準に従って、創案、配列、表現、発生、想起の手続きを踏み、スムーズに流れる語り口のリズムで、古人が生んだ叡智を後世に伝えている。これは泰西のギリシアやローマだけでなく、紀元前後のペルシアやシナでも同じだし、日本の空海が「三教指帰」を鼎談で試みたように、会話が生む閃きを楽しむ醍醐味は、古今東西を通じて真人が遊ぶ境地である。
「誰でもが一度は読んで置きたいと思いつつ、読まないまま人生を終わるのが古典の運命」であるが、古典との巡り合いは幸運に属す事柄だ。そんな気持ちになるのは人生の峠を越える頃であり、私も不惑の歳を迎えた頃に読書不足を痛感し、「良書を読むより愚書を読まない」生き方の秘訣が、対話する古典の妙味にあると気づいた。
こうした自覚が一つの契機をもたらしたお蔭で、それまでの論評や観察事項の執筆に対して、自己主張の延長だと感じるようになり、若い時代が一段落したという気分になった。そして、論文より対話形式を好ましく感じて、会話による智慧の味わいを探るために、興味深い体験や思索の軌跡を持つ人を訪れ、魂の深さに人生の薀蓄を感じ取る目的で、語られていない余韻の妙味を求め始めた。
最初の頃は中江兆民の「三酔人経綸問答」を手本に、「中国人・ロシア人・アメリカ人とつきあう法」や「教育の原点を考える」という鼎談を試み、それが「日本が斬られる」や「脱ニッポン型思考のすすめ」のような時事対談を経て、「間脳幻想」や「宇宙巡礼」の世界に踏み入ると共に、天命の意味が納得できる境地に至った。
「秘すれば花」という世阿弥の言葉の意味に、何となく共鳴する歳に近づいたことで、「野ざらしを心に風のしむ身かな」の心境に向けて、数歩ほど踏み出したということだろうか。
それからは評論と対談が組み合わさる形で、著書として軟硬が織り混じった本が生まれたが、実態としては対談の優位で還暦を迎えた。そして、最後の仕上げにホスト役を受け持つ立場で、これはという人と忌憚なく話したことが、「賢者の螺旋」と題した本の誕生に結びついたのである。
敬愛する老子が「知足安分」と言ったように、これからは「天爵を修める」ことが課題になるし、残った人生を会いたい人を訪ね歩いて、最後は「この道や行く人なしに秋の暮」という、芭蕉と同じ心境で大地に還るのだろう。
知的好奇心に満ちた若い頃に先ず本を読み、次の段階で自然観察から法則性を抽出し、最後に社会を教科書に真理に目覚めるのが、進歩の過程として人間がたどる正道だ。しかし、今という時点の上に置いてみるならば、現状は技術主義という時代精神に毒され、プロセスより結果だけを求めてしまうために、飽食の中でハングリー精神の喪失が目立つ。
現役時代には緊張の中で対話を試みたので、青年層に知的な刺激を与えていた人だのに、脳の研究をしていた先生が定年になり、読み終えた後で何も残らない本を出して、「バカの壁」と題した変なお説教をし始めた。しかし、それは「脳内革命」の亜流に過ぎないものであり、知識を切り張りした知恵のない漫談だから、学問の評価を貶めて気づかないために、幾ら大学生が本を読まなくなったとはいえ、低下した学生の知性に変化を及ぼすこともない。
このようなネジの緩んだ日本の現状を前にして、潰れたネジ山を加工して締め直すためには、インテリジェンスに基づく意識改革の導入で、賢者が伝える螺旋のピッチを教わる必要がある。しかも、同じ生命現象に生涯を賭けた学者でも、器質を扱えば「バカの壁」の前に佇むことで終わり、印税長者として浮かれ騒ぐだけだが、場の側面から挑戦し続けた清水博のように、日本には潜む竜人(Adept)は晩節を飾り、柳生石州斎の新陰流の神髄に迫って、対話を含む「生命知としての場の論理」(中公新書)の奥義書を著している。
週刊誌と同じように読み捨て用の新書なら、石炭と同じでトンの単位で計量するし、紙くず新書は何百万部でも目方の問題だが、新陰流の奥義書に似た特別誂えの新書は、同じ炭素でもダイヤモンドの輝きに満ち、金剛石の評価は三つのCとカラットで決まる。それと同じ価値基準に従う賢者のネジは、意思は石でもイシスの密儀に由来しており、「夜半に白く煌めき燃える太陽を見る」ことで、自ら輝いて光子(フォトン)を体現するのである。
人心が荒廃している国土の中を訪ね歩き、日本の賢人を探し求めるのは至難の業だが、世界に目を向ければ選択の幅が広がって、意志で貫かれた賢者の石を裡に秘めた人は、竹林で清談を楽しむだけの心得を持つし、「嚢中の錐」が賢者の螺旋だとは当意即妙である。
こうして宇宙巡礼はアジアの地に帰り着いたし、日本列島の外にまで広がる人材群の中に、古典に親しむ台湾の読書人が目立つのは、自ら鍛えた人が多いせいかも知れない。それにしても、日本の政治が人材枯渇で亡国の色を強め、閉塞感で意気が悄然としているの中にあって、「帰去来」派の隣人が際立つのは意味深長ではないか。
2004年春たけなわの砂漠の庵にて 藤原肇
目次
まえがき
第一章 世界の一流ホテルの条件と発展するホテル文化
謝森展(台湾日本研究学会理事長)
文化を体現するホテルの役割
首都にふさわしい近代ホテル建設の努力
欧米のノウハウを消化する日本人の卓越した能力
名門ホテルの文化と歴史の積み重ね
一国の顔としての一流ホテルの条件
皇族屋敷のプリンスとインフレの錬金術
アメリカとヨーロッパの文化の違い
第二章 地球(ガイア)の恵みと生命力の根源
佐藤法t(真言宗神道派住職)
常念必現の世界
カッパドキアでの神秘な読経
ダイナミックな古代人たちの行動半径
地球が焼いた白炭ゼオライトの不思議な作用
ゼオライトとアスベストの相関関係の謎
ミネラルの持つ偉大な効用
トルコの日没とミトラ教
宇宙波動とシンセサイザーの響き
陰と陽で動くエネルギーの場
第三章 高等教育と世界を舞台に活躍する人材の育て方
将基面貴巳(英国学士院研究員)
米国大学の知的水準は西欧に劣る
大学は政治権力と対峙すべき存在
米国式MBA教育の最大の欠陥
翻訳学者が横行する不思議な国
大学教授の英国留学事情
「どこの大学」より「誰に学ぶか」が問題
海外で学ぶことの真の意味は何か
第四章 低迷日本の悲劇とアジア経済の活路
黄天麟(台湾総統府・国策顧問)
台湾からアジアを見る視点
他力本願の資金に頼る世界の二つの覇権大国
極端なまでに切り下げられた人民元の威力
アメリカ市場を中国に明け渡した台湾の教訓
アジア金融危機の原因は人民元だった
日本は米国の先制攻略(イニシアチブ)で叩きのめされた
人質としての外貨準備と捨て金になる借款
中国が世界貿易機構(WTO)に参加した影響
崩壊寸前の中国の銀行が潰れない理由
日本の外交上手が日本を国家破滅から救う
第五章 明るい社会を築く不老長生の秘訣
赤木厚史(中国仙道健康研究会会長)
文化大革命で潰された中国の仙道
ポスト文化大革命版の気功と演出されたオカルトブーム
健康を支える食餌法としての地丹
長寿地域が物語る不老長生の秘訣
誤解されている房中術と人丹の陰陽原理
ニセモノを有難がる日本人の評価力の乏しさ
第六章 近代日本の基盤としての「フルベッキ山脈」
小島直記(伝記作家)
42歳の時の「申さんショック」の体験
人材を育てることへの強烈な自覚
日本が真に豊かな経済大国である条件
帰りなんいざ、田園まさに荒れんとす
幕末にアメリカに渡った日本人留学生
人材教育が導いた幕末の改革
フルベッキが育てた大隈重信の国際感覚と見識の成果
近代日本へのオランダの暗黙の影響
世界を舞台に彷徨えるオランダ人と無国籍だったフルベッキ
第七章 迷走する日本の高等教育と技術立国を損なう状況
山田久延彦(ベンチャービジネス経営者)
袋小路に入り込んだサイエンスの現状
巨大装置への投資と村興しへの功績
シカゴ大学とマンハッタン計画の隠れた遺産
平安京の持つ興味深い意味論
本当に優秀な研究者は冷遇に耐えて生きる日本の悲劇
息切れ状態を見せる日本の最先端科学
天下りの蔓延と税金の無駄遣い
産学協同の逸脱とオーバードクターの押し付け
会津大学物語と情報テクノロジー(IT)に見る惨状
日本の高等教育の没落と数理教育の急務
第八章 大杉栄と甘粕正彦を巡る不思議な因縁
小串正三(元フランス三井物産総支配人)
日蔭茶屋から日影茶屋への時代の変遷
特高の尾行付きの大杉栄に続く東郷元帥の散歩姿
パリに繋がる東京外語のフランス語科人脈
後藤新平内務大臣のスパイだった大杉栄
大杉栄の渡仏とパリに錯綜するスパイ人脈
甘粕大尉が大杉栄たちを虐殺したという歴史の虚構
無政府状態の擬態としての日本政府
政治家が隠蔽する不祥事を追及しないメディアの怠慢
権力者のしたい放題が罷り通る平成幕末の日本
大杉栄の虐殺を巡る甘粕大尉の謎と大杉のフランス探訪旅行
(基本参考資料)
A):中野正剛の「戦時宰相論」
B):藤原肇の「小泉純一郎の破廉恥事件における日本のメディアの腰抜け」
補説
「二つの亡国時代における日本版[離騒]の顕現」若月弦一郎(評論家)
第九章 明るい未来社会の建設と経済至上主義の克服
彭栄次(台湾輸送機械有限公司・董事長)
「カネ有りて山河なし」の時代に突入
金儲け主義と国内産業空洞化の悪循環
国民党の蒋経国路線を追従する中国の共産党政治
政治における指導者としての条件
会社なら課長止まりの人物が首相になる国の悲劇
人材が払底した日本の政界に救いはあるか
及び腰で隙だらけの日本の政治が曝け出した欠陥
狭い台湾で体験した多様な世界への開眼
良禽は木を見て棲むの教訓
老害の克服と国際感覚に富む人材が活躍する時代
註:(肩書きは対談が行われた時点のものを記しました)
編集子より(玉井禮一郎)
「螺旋(ネジ)を締めるドライバー」
初出一覧
[藤原肇の著作目録]
編集子より
螺旋(ネジ)を締めるドライバー
玉井禮一郎
本の題名ほど難しいものはない。
「一斑をもって全豹を推す」すなわちそのタイトルを見れば大概の内容が推察され、しかもおおかたの知的好奇心を刺激するものがよい。
ホストの藤原肇さんが提示した題は「理知の螺旋(らせん)」というものであった。しかし編集子はただちに反論して、「賢者の螺旋(ネジ)」を提示して、容れられた。
宇宙の構造は、星雲のかたちに見られるように、螺旋状(スパイラル)になっている。サザエのような小動物からDNAにいたるまでこの構造になっている。人間の世界もしかりで、陰陽二相一対となって、まんじともえとなって回っているところに妙味がある。
藤原肇のおびただしい著作物の大半は対談であるが、ただの対談ではない。各分野の専門家を引きずり出してきて、ぶっつけ本番で丁丁発止(ちょうちょうはっし)と語り合う真剣勝負である。
対談というと軽く見られがちだが、仏典も論語もプラトンも、基本的には対話で成り立っている。
仏典は弟子の質問に答えるかたちの対話であり、論語もプラトンも聖書も弟子たちとの対話を基本にした「言行録」なのである。
藤原肇の守備範囲は広い。
文字を操る著作者は、理数科に弱いが、フランスの大学の地質学博士号を持った藤原肇の発想の根元は、「石」に由来するという。そういえば、この大宇宙の始まりである「光」も、波動であると同時に、極微の「石」といえる「光子(フォトン)」である。
シャーマンが異次元を旅するためには、次元の壁にある螺旋状の穴を通過しなければならないが、藤原肇は「光子」となってやすやすと次元のジャンルの壁をのり超えて、21世紀に飛翔するための「最終(・・)戦略(・・)」を惜しみなく提示している。
万事、アタマのネジのゆるみっぱなしの時代にあって、この本はネジを締めるドライバーの役割りをはたしている。
著者 藤原肇(ふじわら・はじめ)1938(昭和13)年、東京生まれ。
グルノーブル(仏)大学理学部博士課程修了。構造地質学専攻、理学博士。現在はフリーランス・ジャーナリスト。アメリカのカンザス州、テキサス州で石油開発会社を創立して経営。40代初期にビジネスを引退し、ペパーダイン大学総長顧問として人材育成の計画を担当したのを始め、世界を舞台にコンサルタントとして活躍した後、国際問題のコメンテーターとして幅広い視野で発言を続ける。主要著書:『平成幕末のダイアグノシス』『オリンピアン幻想』『経世済民の新時代』『宇宙巡礼』(以上、東明社)、『間脳幻想』(東興書院)、『理は利よりも強し』(太陽企画出版)、『朝日と読売の火ダルマ時代』(国際評論社)、『夜明け前の朝日』(鹿砦社)他多数。
藤原肇のホームページ【宇宙巡礼】
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