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宍戸幸輔(ししどこうすけ) 1914年(大正3年)、山口市に生まれる。山口商専卒業後、岩井産業(株)に入社。1935年(昭和10年)から前後7年半、軍隊で応召生活を経験。その間、中支戦線で重傷後、さらに南方戦線(マライ・ジャワ・西部ニューギニア)で悪戦苦闘。再度の応召で広島司令部参謀部・総動員班長(陸軍大尉)として決戦体制に尽力中、「広島原爆」で九死に一生を得た時に、従来の「人生観」が一変する。 敗戦直後、広島県復興のため、原爆荒野の真只中に中国復興財団を設立し、数少ない生存ボランティアを掻き集めて、悲惨極まりない広島市民生活救済のために貢献した後、日本国民全体に蔓延した敗戦ムードを一掃するために、いち早く自らの私財を投げ出して「広島青年連盟」を主宰し大いに活躍した。 1947年(昭和23年)、創業間もない共栄火災保険会社で管理職として14年間、クスダ事務機会社に役員として招かれてから16年間。経営の体質改善、業績伸展のため並々ならぬ努力をした。65歳の役員定年で退社。その直後から、かねてから準備を重ねていた「意欲開発研究所」ならびに「生命エネルギー研究所」を主宰し、研究会、研修会、講演会、コンサルタントに専念するかたわら、著述活動に励む。 主な著書はすでに9冊。『広島が滅んだ日』、『広島軍司令部壊滅』(読売新聞社刊)、『マンネリ打破の力』、『マンネリに克つ』、『真理への道・転法輪経』、『広島原爆の疑問点』(マネジメント社)、『人間研究』(防長新聞社刊)、『摩訶不思議な男と女の関係』(文芸社刊)、『エンマの手帳』 (東明社刊) しかも、2002年8月、87歳の8月7日の炎天下に「世のため、人のため」をモットーとする「エンマの会」を設立し、自ら110歳までの生活の目標として、積極的なボランティア活動を開始し、着々と成果を収めつつある。 |
エンマ(Yama)について エンマとは、インド古代の神秘思想に登場する守護神であり、極楽・地獄の中間的世界である現世並びに煉獄を統轄している。是は是、非は非として、厳正な判決を下している。 インドではヤマ(Yama)と呼称していたが、中国に入って閻魔(エンマ)に変化した。 |
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