摩訶不思議な男と女の関係
1998年09月10日初版発行本体価格1800円+税
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プロローグ
わたしは、人間が好きです。大好きです。ものすごく好きです。
ある時、「なぜこんなに、人間が好きになったのか!」ということをとことんまで考えてみたことがあります。しかし、その前に、もう一人のわたしが現れてきて、「好きとか、嫌いとかいうことは、感情の世界であるのに、思考の世界で考えるべきではない」という若干の抵抗はありましたが、そんなものは問題ではありませんでした。
あれやこれやと、思いめぐらせているうちに、ようやく「結論らしいもの」に辿りつくことができたのです。その理由として、どうしても挙げなければならないのは、次の三つということになりました。‐Iそれを要約すると次のようになると思うのです。
〈一)そもそも、「人間という動物」は、極まりなく「不思議であり、神秘的である」ということです。
この「不思議・神秘的」という言葉で表現しようとしている真の意義は、世間一般の人々が簡単に言い表そうとしている単純なものではなく、かなり奥が深いものであるということなのです。
(1)「人間の知息と神の智慧との比較」は、人工衛星と太腸との比較のようなもので、あらゆる面でみて、「0.001パーセント」に対して「99.99パーセント」以上の天文学的な格差があるということです。この「神の智慧」というのは、世界的大科学者達が等しく述懐しているように、「科学が進めば進むほど神秘的世界はますます拡大増大していく」という意味と全く同じであります。
その意味で、「科学を否定する宗教」とか、「宗教を否定する科学」とかを、この地球上から即刻に追放しなければなりません。
(2)「ほんとうにわがらない」ということと、「何となくわからない」ということとを混同してはならない、ということです。前者は、「本当の科学・宗教」であり、後者は、「似非の科学・宗教」ということになりましょう。そもそも、「ほんとうにわからない世界」の中に、「神と人間との一心同体感」が潜んでいることに気づがねばならないのです。
(3)一体全体、「人間とは何か」という根本的哲学に、徹底的な「メス」を入れてみなければなりません。この根本哲学の追及には、古今東西の大哲人が真剣に取り組んでおりますが、末だに、われわれ几人達が意識化しているような「確固たる最大公約数」が定着していないことは誠に残念なことです。といって、われわれがいつまでも浮草のように何ら「確固たる信念」のないままにいるわけにもいかないのです。そこで、非常に生意気なことですが、『われわれ人間とは、大宇宙に直結している〈魂〉と、地球に直結している〈体〉と、その両者のバランスをとっている〈心〉との三位一体である』という、誠に大胆な割切り方をしてしまい、それが「絶対に正しい」と信念を持ってゆくことがすべての出発点であるということにしたいと思っているのです。
(4)昔から、「われわれ人間は、大宇宙の縮図だ」といわれています。ということになれば、大宇宙が神秘的なものであるように、われわれ人間も同様に神秘的なものであるはずです。その人間が「神秘的な智慧」(猿知恵にあらず)を直観的に感得した時、思わず「神のお告げ」であると信じ込むのは当然であります。
(5)その前に問題となるのは、「魂の本質」が如何なるものであるが、ということです。この「魂」は、地球上の〈DNA)とは全く無関係に、大宇宙の彼方と交流したものであると信ぜざるを得ないのです。そのことは、ユダヤやインドの古代哲学の中にしばしば出現してくる厳然たる事実であり、それと同時に、その交通機関としての〈UFO〉の存在とその活動とを、われわれ現代人は、大いに智慧を働かせて再認識しなければなりません。
そうすることによって、「われわれ人間は、大宇宙の縮図だ」ということ。「われわれ人間は、魂と体と心の三位一体である」ということ。「だからこそ、われわれ人間は、興味津津たる摩詞・不思議な動物だ」という単純明解な人間観に到着できるはずです。しかし、「人間が神秘的動物である」ということを心から信じ込むことを、いい加滅なことが常識化している日本人社会では、そう簡単なことではないというのが実情であります。
〈その二〉そもそも、「人間という動物」は、極まりなく、「複雑怪奇で、しかも片片自在性を持っている」とい一つことです。
(1)わたしは、このわたしの八四年間の人生経験を通して、つくづく考えさせられることは、われわれの人間社会には、昔も今も、国籍・民族の如何を問わず、驚くべき多種多様なタイプの人間がいるものだ、ということです。世界の歴史に登場する各種各様の人物、毎日の新聞テレビ・週刊紙などに登場する各種各様の人物、即ち、われわれの日常生活で何らかの関係を生じている各種各様の人物などなど思い起こしてみると、「どうして、同じ人間でありながら、よくまあこんなに数々の複雑怪奇な相違点を持っているものか」と、ただただ驚嘆するばかりです。
(2)その数々の「複雑怪奇な相違点」は、民族・国家の相違、宗教習慣の相違、気候・風土の相違等の総合的なものから、肉体の諸条件の相違、思考・感情の相違等の個人的なものまで複雑怪奇に組み合わされているところに、原因していると思われます。しかも、困ったことに、これらの数百数干の相違点の中の一つひとつに強弱の変化が生ずるというのですから、その実態を把握するだけで大変なことです。従って、これらの総合的結果においても、驚くべき種々雑多な特殊性が発揮されるのは当然のことであります。これらの結果によって、われわれのために全く予想もしないほどのプラス効果が出たり、マイナス効果が出たりするのです。
このように考えてくると、一つの家庭で育った兄弟が仇敵のような恐るべき関係になったり、その反対に、地球の端と端で生まれ育った異民族の一人と一人が兄弟同様の人間関係を結ぶこともあり得るのも、何となく理解することができるわけです。
(3)しかも、われわれ人間の一人ひとりの健康状態や生活環境が毎日の「お天気」のように、変化していることもさることながら、われわれ人間の一人ひとりの精神状態がまるで「猫の目」のように変化しているのですから、われわれ人間というものが、単に「複雑」であるばかりでなく、全く想像もつなかいほど「怪奇」であることを再認識しなければなりません。
いつの時代からかはわかりませんが、「われわれ人間は、大宇宙の縮図だ」といわれておりますので、わたしは、素人ながら、この二○年間にわたり、「天文学=日宇宙物理学」の教養書を手当たり次第読み漁っております。実際問題として、当初においては、「天体というのは、無限大に広く、無数の星が輝いている大空間だ」というようにごく簡単に考えておりましたところ読書が進んでゆくに従って、この宇宙物理学自体が日進月歩に躍進を繰り返し、全然予想もしなかった驚くべき新学説が続出してくるのです。従って、現在のわたしの貧弱な常識で誠に申し訳ないのですが、『われわれ人間は、大宇宙同様に限りなく複雑怪奇であり、限りなく神秘的なものだ』という見解に、徹底していると断言しなければならないのではないかという心境であります。
(4)仏教の教典に、「諸行無常」(つくられたるもの移りゆく変わりゆく)という言葉があります。この言葉の真意を十分に理解し、「座右の銘」としている人は、絶対に「マンネリ」に犯されないばかりか、常に時代の変化を先取りして、「幸運」にめぐまれることができるということです。要するに、この世の中のすべては、「片片自在に変化し続ける」というのが大自然の原理原則であるというのですから、われわれ人間も常にそれに即応するように、片片自在に変化し統けねばならないということであります。
(5)以上のことを考えますと、われわれ人間が、現代社会のような極めて難しい状況下において、「真に幸福な人生を送るためには、果たしで、どうすればよいか」ということは、極めて至難であり、まるで「神業」とも思われる超人的行法を修得しなければならないことになります。一般社会の多くの人々は、このような考えを最初からあっさり諦めて、邪道であるはずの「不真面目な要領・胡麻化し・はったり」の道に、恥も外聞もなく逃避してしまうのが普通ではないでしょうか。
しかし、よくよく考えねばならないことは、『神は愛であり、われわれ人間に対して、何らかの「救いの道」を与えてくれているに違いない。いや、必ず与えてくれでいるのだ』という「信仰の道」が、奥に控えていることに気づかねばならないと恩うのです。
〈その三〉そもそも「人間という動物」は、神との交流次第によって天国を造ることもできるし、またその正反対に、地獄を造ることもできるということです。
(1)われわれ人間そのものが、極まりなく不思議であり神秘的で興味津津たる存在であるうえに、われわれ人間達の生きぬかねばならぬ社会環境が、これまた複雑怪奇であり、しがも、片片自在性を持っているというのでありますから、そのような状況下で、うまく生きぬくことは、並大抵のことではないということになるわけです。
しかもそのうえに、このように重ね重ねの呈難事をうまく処理することを前提条件として、永い人生航路を通じて、うまく家庭を治め、うまく職業をやりぬき、しかもうまく国家社会に貢献してゆかねばならないのですから、並大抵のことではありません。
考えれば考えるほど頭が痛くなり、日夜厳しい「ストレス」に悩まされるばかりか、時には不安と恐怖に襲われて、「生きぬく勇気」さえ喪失してしまうこともしばしばです。
(2)このような苦悩の極点に追い込まれた時、自分の人生を真面目に生きぬこうとする人々は、一体どうすればよいのでしょうか。恐らく、静に脆いて両手を合わせて、心から「神の加護」を祈らずにはおれないはずだと思います。
世間一般でいわれている「困った時の神頼み」というような軽い気持ちであってはならないのであって、少なくとも、「人事を尽くして天命を待つ」という真剣さがなければ、いわゆる「神通力」というものは湧き出てこないのではないかと思います。有名なトルストイの言葉に、「人は弱い不幸な動物、彼の霊魂が神の火に燃ゆるまでは。されど、その火が燃ゆる時は、人は世界において最も力強い存在となる」と。
(3)それにつけても痛感させられることは、最も大切なことの一つに、「神に祈る」ということを絶対に忘れてはならないということです。このことは、何も宗教には全く関係ないのでありまして、99.99パーセントの生命力を持っているところの「大自然」に対して、0.001パーセント以下の生命力しか持っていない「人間」自体が、その正真正銘の「絶対的格差」を確認するということは、人間本来のあるべき「素直な人生態度」であって、このことを怠ることは絶対に許されないことです。
この「絶対的格差」をどの程度「素直に認めるか」ということが、とりもなおさず、その人自身の「信仰評価」のみならず、その人自身の「生活評価」に結びつくものと信じます。
(4)昔の人達がよく使った言葉に、「全身全霊を尽くす」とか、「天は自ら助くるものを助く」とが、「求めよ、さらば与えられん」とがいう貴重な教訓は、すべてわれわれ人間の潜在意識の中に潜んでいる「神通力」をわれわれ人間の「なり振りがまわずの体当たり」によって、爆発させることのできるという恐るべき可能性を力説しているものと思われます。
(5)しかも、われわれ人間が常々から「誠心誠意」を尽くし続けておかねば、「至誠神に通ずる」ほどの神通力を発揮することができないのであります。それだけの超能力を発揮するのでありますから、われわれ周囲の環境全体にも強い影響力を与えることは当然のことと信じます。神を雲の彼方に求むるなかれ。神はわれわれ人間の心の中にある」という信仰が強く達しく育っておれば、自分目身の心の中にある「神」と、相手方の心の中にある「神」とが、必ずすばらしい相乗効果を発揮することは間違いないのではないでしょうが。
(むすび〉以上のような心境で、毎日毎日真剣に生きぬいている「わたし」が『人間が好きです。大好きです。ものすごく好きです』ということを声を太にして叫びたい気持ちになるのは当然のことと思います。
(1)現代社会においては、むやみやたらに「人間関係」とか、「コミュニケーション」とか、「人権尊重」とかの必要性を騒ぎ立てていますが、わたしがすでに述べましたような、「自分の心の中にある神」と「相手方の心の中にある神」との双方の間で、相乗効果を発揮しながら奏でだされる「いとに妙なる共鳴音楽」によって、この世に「天国」を造り出したいものと心から念願しているのです。しかも、そのような場合には、その相互間の「魂と魂との波長」の関係がぴったりと合致していることが必須条件であることには間違いありません。
この相互間の「魂と魂との波動関係」については、わたし自身が過去八年間にわたり、神秘的とも思われる「測定方法」で約七万人以上の対象人物の協力を得て、すでにかなり自信あるデータができあがっており、そのデータを哲学化するための「信憑性のある方程式」の原案ができあがっているのです。その方程式作成のために種々研究を積み重ねた結果、「男と男との関係」または「女と女との関係」とは比較にならないほど、「男と女との関係」のほうが極めて強力であるばかりでなく、到底想像もつかなかったほど神秘的なものであることを、改めて驚嘆させられたわけです。
(2)では、実際問題として、この両者の「人間関係」によって生ずる「強力度・神秘度」についての格差が果たして、どの程度のものであるか、について考えてみることにいたしましょう。「男と男との関係」と「女と女との関係」との双方の人間関係にはかなりの質的相違点があるものの、所詮《心と心とのふれ合い》にすぎないと思われます。
しかし、「男と女との関係」という特殊な人間関係の場合には、《魂と魂とのふれ合い》ということになり、われわれの常識では到底計り知ることのできないような「摩詞・不思議な神秘性」が本質となっており、それ自体が「霊的世界」に深く根をおろしているものであることに間違いないのであります。従って、われわれの日常生活においては、「男と女との相違点」は単なる「生殖機能の相違」にすぎないと簡単に割切ってしまっている未熟人間があまりにも多すぎるのです。
昔から文学・芸術の面は勿論のこと、宗教の面においてもこの「男と女との相違点」が根底的原動力としての最重要な役割を完遂していることに、特に注目しなければならないと思います。
(3)ある物理学者の説によれば、「男と男との関係」または「女と女との関係」を「原子の世界」に当てはめてみると、「原子核」の周りを回っている「電子数」によって、「原子と原子」とがうまく化合するかしないかが、決定するようなものではないかというのです。
さらに、その双方の人間関係が本質的に吸引力が強力な場合には、「原子枠外の電子」のプラスーマイナスが「磁石」の陰陽同様に強力な吸引力を発揮するのに、論理的に一致するものがあるというのです。
しかし、「男と女との関係」がある枠内を乗り越えた場合には、この前記の二つの場合と全く異なり、比較にならないほど脅威的な強力なパワーを発揮することがあるばかりが、たまたま最悪な状態下においてはその両者の組み合わせに異常を生じてしまい、全く予想もできないような恐るべき危検が勃発することもあり得るというのです。
それを物理学の世界に尋ねてみると、「原子核内の中性子・陽子の双方間に生ずる核力関係」に相当する神秘的と思われる密接関係と危険関係とがあって、一歩その異常を生じた場合には、人間双方の「霊魂関係」においての核融合反応・核分裂反応が勃発し、本人双方は勿論のこと広い範囲にわたり大被害を与えてしまうということなのです。
(4)しかし、その反面において、この「核反応」の密接関係を平和文化方面に活用した場合には、地域社会どころが、国家社会・世界社会の莫大な数に及ぶ人々に対して、幸福と福祉を与えてくれる「小太腸」としてのすばらしい恩恵を与えてれるということになるというのです。
ということになると、「男の魂」と「女の魂」との相互関係が、その「核力」を平和利用同様のプラス活用に資するか、または戦争利用同様のマイナス悪用に資するかが世界平和か世界戦争かの〈両刃の剣)ということになるわけです。
それと同様に、「男の魂」と「女の魂」との双方の関係をうまく活用することができるかどうかの問題が、本人同士は勿論のこと、家庭全体のみならず広く地域社会・国家社会にも大なり小なり深刻な影響を与えているということになるのです。
(5)このように考えていくうちに、わたし自身の「男と女との関係」の基本的見解に関して大改革を生じたばかりでなく、わたしの過去八四年間の波瀾万丈の人間社会生活を通じて修得した莫大な数にのぼるケーススタディを整理してみるうちに、誠に憂慮すべきわが日本社会の「男と女との関係」をこのまま放置しておけば、一○年後、二○年後には、わが日本国社会は全く「収拾つかない大滅亡」が襲来する危険性があるという恐るべき危機感に達し、やむにやまれぬ気持ちがらこの拙著『(八四歳になってやっとわかった)摩詞・不思議な男と女との関係』を出版する決意をしたわけであります。
幸いなことに、過去一○年間にわたり親密な薫陶をいただいた、斯界の大権威である慶応大学名誉教授・渡辺格博士の遺伝学方面からの「男性と女性との関係」に関する基本原理から、貴重なヒントを与えられると同時に、大いに激励していただいたことを特に記述しておかねばならないと思い、心から感謝申し上げる次第であります。
最後に、どうしても、もう一つのことを記述しておかねばならないと思っているのです。それは、一応本論に直接関係がないと思われるかもしれませんが、「著者・宍戸幸輔」の私的経歴・私的生活等に関する事項にかなり多量の頁を充当しなければならない理由を簡単に述べて、読者のみなさんのご諒承を得たいと思っております。
(理由=1)わたしは、永い間の疑問であることですが、『釈迦・キリスト・孔子ソクラテスの四聖人すべてが、自らの教義を自らの文章で書き残していないのは、なぜだろうか』ということです。ところが、八四歳になってやっとわかったことの一つですが、それは、『自分が、不特定多数の多くの人々に対して「自分の信念」を訴えねばならない時には、言葉や文章に依存するだけではどうしても駄目である。それよりは、自分自身の「全生活・全人格」をそのまま赤裸々に表現することを前提条件とする以外にない』ということであります。現代社会においても、一般大衆が図書や活字からどんどん離脱してゆくのは、図書や活字には、たとえ世間一般の「知識」は入ってはいるが、「魂」は勿論のこと、「心」さえ全然入っていないからであります。
従って、著者は自分自身の「全生活・全人格」の基盤の上に、自分自身の生々しい「人生体験」をできるだけ正確に客観的に活字で表現しなければ、本当の意味での「説得力」がないと信じているからであります。
(理由=2)釈迦の教えにありますように、言葉ほど不便なものはない。しかも言葉は、人それぞれ解釈が異なるので、かえって意志表示の邪魔になるので、決して信頼することはできない』ということは、全く真実です。確かに、その通りだと信じます。
もし、われわれが、「どうにか言葉で自分の気持ちが通じた」と思う時は、その前提条件としてのお互いの「全生清・全人格」の面で十分に埋解し納得し、さらに信頼することができている場合のみであります。
(理由=3)この本の内容からすれば、著者自体の「全生活・全人格」を全く知らないうえに、「宍戸幸輔という人間」に対して不安や疑念が多少でもあれば、著者自身がどんなに立派な理屈を列べてみても、かえって逆効果となることは間違いありません。従って、著者の私的経歴・私的生活の赤裸々な告自を知っていただくことによっで、著者の「人格」のアウトラインがら多少でも著者に可する「信用度・信頼度」が読者のみなさんの心の琴線に触れ、「プラス思考」になるものだと心から念願しているからであります。
わたしの「自己紹介」
わたしは、何となく「宮沢賢治」という人物に、心の引かれるものがあるのです。なぜかその理由はわからない。あるいは、彼がわたしと正反対の「静かな社会運動家」であったためかもしれません。その彼が、明治二九年(一八九六年)に岩手県花巻で生まれたというのですから、一昨年の八月二七日に《生誕・一○○年の記念日》を迎えたことになります。
そこで、彼の有名な詩『雨ニモマケズ』の「焼きなおし」のスタイルで、わたし自身が「自分の姿」を鏡で見るような気持ちになって、《わたしの自己紹介》を書かせてもらうことにします。
雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けず、人並み以上の丈夫な体を持ち、
決して、身分不相応な欲望を持たず、絶えず謙虚な気持ちで、常に神に祈り、神から自分に与えられたと直感する便命に対しては、とことんまで食いさがってゆく。
毎日毎日の日常生活はできるだけ質素に、いつ如何なる最悪のことが突然やってきても、決して周章したり、困ったりしないですむように、自分なりに納得のいく人生を積み重ねることができるように、一日一日を大切に修練してゆきたい。
東に、ノイローゼで困っている人がいれば、根気よく相談相手になってやったり、何かスポーッでもやってみたらとすすめてやる。西に家庭内の不和で悩んだ人がいれば、「本人自身の心がけがまず大切だ」と説いてやったり、一緒に祈ってやる。南に、会社経営がうまくいかないと悩んでいる人がいれば、まず「経営の基本」を忘れないようにと注意してやったり、頼まれたことは一緒になって努力する。北に、空威張りして世間に大変な迷惑をかけでいる人がいれば、わざわざ出かけて行って厳しく忠告してやったり、それでも駄目な時は大声で叱る。このような「でしゃばりのこと」をするために、時には精根を使い果たしで持病の「喘息」が悪化してしまい、急いで病院に駆け込んで点滴を打ってもらう。しかも、周囲の者から「そんな無理をしてまでも」と親身に心配しでもらったり、「歯の浮くようなお世辞」でおだてられたりされる。
そんなことには全く意に介さず、八四歳という年齢も忘れて、講演に、研究会に、カウンセリングに、コンサルタントにと、性懲りもなく、自分勝手な一人よがりの「責任感」に追い立てられ続けてゆく。こんな状態での「わたしの人生」は一体いつ終わるのであろうか。
この調子だと、一○○歳はおろか、一一○歳まで生きぬき、最後の最後までこのぺ−スで、多少でも「世のため・人のため」にと頑張り通すことになるかもしれない。
このようなわたしに、たった一つの「わがまま」を許してもらいたいことがある。それは、わたしの「臨終の時」に、もし、わたしの手を握ってくれて、涙を流してわたしとの死別を心から悲しんでくれる人々がいるならば、その人々に対して、わたしは精一杯の明るい笑顔を見せるようにして、できるだけ大きい声で、次の言葉をゆっくりとはっきりと述べ終わってから、静かに死路に放立って行きたい。
『みなさん。大変お世語になりました。本当にありがとう。楽しい人生だった。面白かった』と。
わたしは、こんな人間になりたい。こんなすばらしい人生を送りたい。
では、失礼。
目次
プロローグ
私の自己紹介
第一章 天から与えられた男と女の「性欲」を、如何にしてうまく活用することができるか。
1. 愛する夫のために、「妻を抱く」という詩を作ったエリート婦人の話。
2. 「芸者遊び」の中で、女を知り、世の中を知ることのできた実業家の話。
3. 夫婦愛の「最高潮」の時に、「すばらしい発想」を生み出すことで第成功した話。
4. 人間形成のためには、まず「脳生理学」の研究が必要条件だという話。
第二章 「現実世界」は、絶えず「神秘世界」との間に、不思議な交流があるのではないか。
1. 宇宙の「四つの謎」に真剣に取り組んだ、三人の「世界的学者」の登場。
2. 宇宙から飛来した「異星人」と、思われている「トーマス・エジソン」の話。
3. 大物理学者「アイザック・ニュートン」が、晩年に「星占い」に専念した話。
4. 超能力、科学者といわれた「エマニエル・スウェデンボルグ」の神秘的な後半生の話。
5. さらに、重ねて「神秘世界」にチャレンジした二人の「すばらしい人物」の登場。
6. 宇宙飛行士のエドガー・D・ミッチェル海軍中佐が、驚くべき「変身」をした話。
7. 「フロイト」から離反した「アルフレッド・アドラー」が、すばらしい学説を発表した話。
8. 「宍戸幸輔」の神秘的な体験
いつ、如何なる時も、常にすばらしい守護神に守られているという不思議な話。
第三章 世界各国の新旧哲学の中に、「男と女の関係」の理想型が示されているのではないか。
1. 理想的な「男と女との関係」について、<古代・ユダヤ思想からみた見解>
2. 理想的な「男と女との関係」について、<古代・インド思想からみた見解>
3. 理想的な「男と女との関係」について、<古代・ギリシャ思想からみた見解>
4. 理想的な「男と女との関係」について、<最近の生命科学の面からみた見解>
第四章 男女間における「性欲」の蓄積が、美しい「愛のリズム」に乗って昇華される時、奇蹟が起こる。
1. <宍戸幸輔の奇蹟的成功(その1)>
不思議なことに、八四年間の人生の集大成として、「神と人間との関係を示す「マンダラ」の作成に成功した。
2. <宍戸幸輔の奇蹟的成功(その2)>
不思議なことに、母の八八歳の誕生祝いに、八代前からの「家系図」をわずか四週間で作成した。
3. <宍戸幸輔の奇蹟的成功(その3)>
不思議なことに、阿弥陀如来の導きによって、ついに「シシド式・振り子性格測定法」の開発に成功した。
4. <宍戸幸輔の奇蹟的成功(その4)>
すでに、七万件にも及ぶ実地検証を積み重ねていくうちに、「振り子測定法」の活性化に成功した。
5. <万田酵素・松浦社長の奇跡的成功>
万田酵素・松浦社長は、恋女房の愛と激励によって、あらゆる苦難を克服し、見事にすばらしい商品開発に成功した。
6. <(株)新栄商会・川口社長の奇跡的成功>
川口織社長夫妻ならびに後継者・川口哲生専務夫妻のすばらしいチーム・ワークによって、業界に画期的大活躍した「輝かしい創業五〇周年」を迎えることに成功した。
7. <(株)ムトウ・ユニパックの武藤庄一社長の奇跡的条件>
創業者・武藤庄一社長「理想的な伴侶」を与えられたように、後継者・武藤佳資副社長も「理想的な伴侶」を与えられたことが、立派な経営者となる必要条件となった。
8. <(株)ビアン・豊口澄江専務の奇跡的成功>
「男性主体・企業経営」より「女性主体・企業経営」のほうが無駄な政治性、不必要な人間関係、空回りするゼスュアーがない「経営の本質」に直結していたことになる。
第五章 結婚・五八年間、男性が外で「猛烈人間」になり得たのは、内に良妻賢母があったからこそ。
1. <宍戸幸輔の夫婦生活(その1)>
戦争中の形ばかりの結婚。その後のわれわれ夫妻は悪戦苦闘の連続
2. <宍戸幸輔の夫婦生活(その2)>
ふつう一般のサラリーマン家庭では、動物並みの満足した夫婦関係は絶対に望めない。
3. <宍戸幸輔の夫婦生活(その3)>
別に心配することはない。日本中のほとんどすべての夫婦はみんなうまくいっていないのだから。
4. <宍戸幸輔の苦悩・職歴(その1)>
「一匹狼」のような男をうまくリードするのは、親でも先輩でもなく、良妻なのである。
5. <宍戸幸輔の苦悩・職歴(その2)>
「人間関係」がピッタリいく上司と部下との間では、「夫婦愛」以上のものを感じさせる。
6. <宍戸幸輔の苦悩・職歴(その3)>
夫婦仲の悪い人間は、その職場においても、家庭同様に尋常一様な人間関係は持てない。
第六章 人間は、男女ともに「性欲求・不満」から、驚くほどの全くの「別人」になってしまう。
A. <日本大国の大悲劇の原動力>
神聖なる日本国土の尊厳性を、自分勝手な私利私欲の犠牲にしてしまった「田中角栄物語」
B. <英大国の大悲劇の原動力>
神聖なる英国王室の尊厳性を、自分勝手な私情私怨の犠牲にしてしまった「ダイアナ物語」
第七章 一人の男と一人の女とが、心から愛し霊肉ともに一体となれば、天使となって天国に入ることができる。
☆ 一人の男と一人の女が、心から愛し合い、霊肉ともに一体となって解け合えば、天使となって天国に入ることができる。
☆ 天使となって、天国に入るための「男と女とが霊肉ともに一体化する手法」に、概ね「10段階」があることを銘記すべきです。
☆ 「10段階」は、「男性・霊格」で決まる。その理由は、
☆ もし、あなた方「夫婦関係」に、多少でも不安を感じはじめた時には、この本は、必ずあなたの「善きアドバイザー」になってくれるでしょう。
エピローグ
エピローグ
《わたしが、この拙著出版に真剣に取り組んだこと》
★この三年間というものは、この拙著『摩訶・不思議な男と女との関係』をできるだけ良心的にまとまったものとして書きあげたいという執念に終始してきました。その必須条件として、このわたしの人生・八四年間にマンネリ化してしまっている「完入観念」のすべてを洗い流し捨て去ってしまい、改めて「人生の再出発点」に立ち戻り、あたかも〈幼児=おさなご)の如くに、自分の納得のいくまで、好寄心とチャレンジ精神に燃えて、《なり振りかまわず》に体当たりしながら、ようやく書きあげることができたというのが偽わらざる実態であります。
さて、このわたしにとっては大変な野心作をようやく書きあげた後で、つくづく考えさせられることは、『この本は、「宍戸幸輔自身」の意志と能力と努力とで書きあげることができたのではなく、何が「不思議な神秘力」が働きかけてきて、知らず知らずに、書かされてしまった』というのが、正真正銘の本音であります。
★それというのも、わたし自身が幼少の頃から、「おちこぼれ人間」とも思われる数々の悪条件下において、慈母の愛と祈りとで養育されたキリスト教信仰。少年時代から逞しく芽を出してきていた人並みはずれた生来の使命感。二○歳代をほとんど毎日のように生死の境をくぐりぬけ続けねばならなかった戦場生活。そして、その最後が「広島原爆」の直撃を受けながら全く奇跡的に九死に一生を得た時の忘れることのできない大感動。さらに、敗戦国・日本の精神復興・経済復興のために、非力をふり絞って、献身的に努力し続けた戦後五三年間の波瀾万支の生涯。これらのすべてによって、このような「わたし独自の信仰」が完全に身についたのかもしれません。
《最初に、感謝しなければならないこと》
★この拙著をお読みいただいた方には、概ねご理解できたと思いますが、「男と女との関係」が原動力となって大昔の「アダムとイヴ」の事件から最近の「チャールズ英国皇太子とダイアナ元皇太子妃」の事件との間の数干年数万年の永い人類史の中での数多くの各種各様の「男と女とのトラブル」の代表的ないくつがが、われわれのための貴重なケーススタディの教材となっているのです。そればかりではありません。全く表面的には、名前は勿論のこと、わたしの本の中では姿も形も現しておりませんが、その百借も千倍も多くの人々に意識的か無意識的かは問わず、いろいろな角度から効果的な応援と協力をしていただいていることに対して、この紙面を通じて心から感謝しなければなりません。
★わたしのようなタイプの男性が「八○歳の峠」を越すと面白いことに、中年婦人が何となくわたしに対して「父性愛」を感じてくれるのかもしれないのです。その父性愛によって感知させられたこの現代社会には「夫婦関係」に悩む中年婦人がこんなにも多いのかと思われるのです。それほど次がら次へと「身上相談」を持ちかけてくるのには全くの驚きで、日本国内に限ってみれば、その程度の差こそあれうまくいっていない夫婦」が恐らく全体の九九パーセントもいるのではないかと推定できるほどなのです。
★ある婦人達の場合。主人は、いわゆるエリート族であるが、定年近くなると、重役候補から外れたせいか、急に希望がなくなったせいか元気もなくなり、明るさがなくなってしまったので困っている。お互いの会話もないし、勿論夫婦関係もうまくいっていない。
幸いに、子供達も一人前となってくれており、そのほうの心配はなくなってしまっているが、これから数年後に必ずやってくると思われる「定年後の夫婦生活」を考えると、不安感どころか恐怖感のほうが先にきて、どうしようもない気持ちでいっぱいだという話なのです。
このような悪条件にあって、特に激しく苦悩している婦人の語を聞かされると、『毎日、思い悩むことは「この辺で思いきって離婚するより他に道はない」ということばかりです。「わたしも、やるべきお役目もどうにが終了したので、これがら女性の平均年齢までの三○年間の生活か地獄の生活になると思うと、「やはり最後は可愛いのは自分だ」と考えさるを得ないのです」ということなんです。嗚呼、気の毒なことです。
★いよいよ「離婚」を決意しようとしている中年婦人に対しては、わたしの父性愛は次のようなたとえ話をすることにしています。
「あなたが、三〇年間も前に結婚を決意した当時のことを思い起こしてみてください。恋愛結婚か、見合い結婚かは別に問題ではありません。あなた自身が最終決意をする前に、自分ではどうすることもできなかったほどのかなりの多くの神秘的要素が働いたことは間違いないと思います。則ち、自分の意志以外の神様からの強力な働きかけがあったはずです。そこです。考えてみて下さい。例えば、あなたが新幹線の二人乗りの座席に座ったとします。隣の席に座っているのが現在のあなたの主人であると考えてみてはどうでしょう。
そのような全く予想もしなかっためぐり合わせになったのは、勿論あなたの意志は、0.001パーセント程度しかなく、その99.99パーセントのすべてはJRのコンピュータのせいです。あなたとしては、どうすることもできなかったのです。これが、神から与えられた自分の運命と諦めるより他に道はありません。
このような組み合わせになってしまったことは自分の意志では全くなく、神の意志による絶対的なものと信じ込まざるを得ないのです。あっさり頭の切り換えをして、折角隣に座ったのだから、むしろ感謝して多少でも二人一緒の楽しい旅行にすることのみを真剣に考えてみたらどうですか」と。
(注)=「諦める」という言葉は、インドのサンスクリット語の「サッチャ」「悟り」という意味のものを中国語に翻訳したもの。即ち、消極的な諦めではなく、積極的な悟りなのである。
《心から心配しなければならないこと》
★わたしは、この拙書の基盤に「振り子による性格判定法」をあえて取り上げたということが、読者のみなさんにはなかなか理解していただけないどころか、悪くすると大変な「誤解・侮辱」を受けるかもしれない、という非常な心配があるということです。
わたしのこの著作活動の当初から、この種の心配はかなりわたしの心の中で大きい悩みであり、大きな迷いでもありました。
古代から世界文化史の中にも「振り子測定法」とか「占い棒検出法」とかいうものが、極めて「権威あるもの」として、しばしば取り上げており、万人から「信頼される手法」であると、かねがね聞き及んではいました。しかし、なにぶんにもわが国においては、未だに「易学・姓名判断・四柱推命」の段階どころか、「血液判断・手相判断」の水準にまでも公認されていないという現状でありまので、非常に危険を伴うということであります。
従って、たかが「振り子」如きもので、人間様の性格を測定するとは不謹慎極まりないとお叱りを受ける心配が非常に強いということです。
★ところが、幸いなことに三年前に、たまたま大きい書店でG・キルヒナ署の『振り子と占い棒の謎を解く』(ビジネス社刊)という本を見つけることができ、その内容を精読してみますと、☆モーゼの杖、☆ガリレオの振り子、☆ゲーテの秘密法則、☆ローマ時代の振り子探知、等の文化史的事実が古代ヨーロッパにおいては、立派に定着していることを今さらの如く知ることができました。しかし残念ながら、わたしの「振り子測定法」とは根本的な相違点があり、そのうえ、その著書の内容については数多くの疑問を感ぜずにはおれませんでした。
★実は、次に述べる事実を、この拙著の中で何らかの形で記述するべきか否かについて、この一年間悩みに悩んだことです。その結果、あえてここにことさらこのような形で記載しなければならないという最終結論に達したのです。それというのも、わたしが自分自身のライフワークとしてこの「振り子潮定法」を自信を持って普及することによって、何とか世のため人のために尽くさねば、という使命感に燃えている時だけに、心を鬼にして、あえて公表することを決断した次第であることを何とぞご理解していただきたいのです。
実は、首述の『振り子と占い棒の謎を解く』という図書の推薦文の内容についてであります。かの有名な船井幸雄先生が『わたしは「振り子診断法」の一人のプロとして本書を推薦します』という大見出しで、いろいろな意味で自信ある見解を堂々と発表されているのです。しかも、その末文に、『わたしは、岡山の林原研究所の政木和三博士から「振り子診断法」の秘法を伝授されましたが、その政木博士は「今ではお使いになっていない」といわれていますが、「直観力」があるレベルまで開発しますと、「振り子診断法」は、単に補助手段になります』という意味のことを書かれておられます。
そこで、船井幸雄先生に是非ともご説明していただきたいことは、『あなたの「振り子診断法」とは如何なるものなのですか。また、その本質的な「直感力」とは如何なるものなのですか』ということです。現在社会には、辛辣な批判癖の人々が多く、船井幸雄先生は、「振り子診断法」を《金もうけの手段》に悪用しているのだ』と、悪い評判を振り撒いている事実が、しばしば耳に入ってくるのです。同学の者であるわたしとして実に残念でならないのです。できれば、この「振り子測定法」について是非ともこのわたしを相手に適当な場所で、「公開共演」をやっていただけることを切望しておる次第です。
《心から希望を達成したいと思うこと》
★広島市に、コンピュータ総合サービスを業とする「(株)ビアン」(電話:082-263-1822)という実にユニークな会社があります。広島駅からほど近い京橋町に六階建ての上品なビルを持ち、約一二○名ばかりの従業員が熱心に働いている甲斐あって、創業二七年間確固たる業績を積み童ねている由緒ある会社であります。
わたしが、この「(株)ビアン」という会社の顧問を引き受けてから、かれこれ八年という歳月が経過しております。確か五年前のある日のこと、全く予想もしながったことですが、わたしの全責任において、企業の経営者・管理職・中堅社員・新入社員の四段階に区分した「性格潮定システム」に関するコンピュータのプログラミングを担当する羽目になったわけです。 それというのも、わたしが前述の如く、「カール・ユングの深層心理学」並びに「釈迦哲学・転法輪経」(特に八正道)に特別に傾倒しております関係上、すでに一五年間もわたしの主幸する「人間研究会」を東京・広島で継続実施しております貴重な研究成果を鑑み、これらの諸学修の「集大成」になるということもあって、わたし自身が、これが完成のために精魂を打ち込んで頑張らざるを得なかったのは当然でありました。
幸いなことに、ノーベル賞科学者・利根川博土の恩師と讃えられている渡辺格悼士(慶応大学・名誉教授)並びに、日本超一流の「カール・ユング深層心理学・研究家」であると同時に東洋の代表的「気功学・研究家」である湯浅奉雄博士達から親密な指導を受けることができ、ようやくわたしの「振り子・性格測定法」も全国的に普及徹底を計ることができる水準に漕ぎつけることができたのであります。
(註)この「人間・性格測定システム」の名称については、いろいろと考えました結果、『ザ・人事(八正道)』ということとしました。それというのも、すでに出版しておりました拙書『真理への道・転法輪経』(マネジメント社)の中にかなり詳しく説明させていただいておりますが、東洋哲学の真髄ともいわれている「釈迦哲学」の中心課題は何といっても、「転法輪経」であり、しかも、その最大テーマは「八正道」であることは間違いありません。
そこで、この「八正道」の教義を基礎テーマとしてできるだけ活用して、そのうえにその具体的手引きとしてカール・ユングの深層心理学の基本理念を表裏一体の関係に組み合わすことによって、われわれ人間の「性格・測定システム」の骨組みにすることに成功することができました。
★その次に、具体的システムを組むために是非ともやらねばならない重要問題は、jが国1イガにアメリカなどですでに普及徹底している「これと同種同類のシステム」の徹底研究をしなければならないことでありました。−−このためには予想以上の歳月をかけねばなりませんでしjガ、そのことによって、多くのことを学ぶことができると同時に、自分のやっていることに自信を深めることができました。ゲれわれの競合システムに対して、大変失礼な表現で誠に申し訳ないのですが、『そのほとjどガポザ科学(哲学)面での裏づけが極めて乏しいばかりか、単純な「顕在意識」の面での実j心ザギのテクニックのこねまわしに止まり、深層心埋学の面まで掘り下げて研究されたものは、残念ながら一つも見当たりませんでした。』
★そこで、わが『ザ・人事(八正道こは、大いに自信を深めると同時に、改めて強い使命感に燃えて徹底完成を急がねばならなくなったわけですが、やはり確信のうえにも確信を深めるためには、少なくとも約三年間にわたり徴調整・徴修正を積み重ねながら、すでに三千名以上のテストを繰り返さねばならないことになりました。
特に、問題になった重大課題は、何といっても被測定者に対する「訊問表」の内容と言葉の選定であり、その思想の構成手法と文章の表現技術でありますが、これもかなりの水準で自信の持てる程度までクリアすることができたのです。
★次に重大謀題は、この『ザ・人事(八正道)』なるものを、どのようにして、それぞれの企業経営者のみなさんに十分に理解されたうえで上手に活用され、それぞれの「人材発掘・人材活用・人材登用」の諸方面に十分に利用していただくことができるかということです。そして、これによって、最終的に企業経営の面ですばらしい成果を収めていただくために優秀な人材開発の指導・教育をどうすればよいかということが今後の重大問題であります。
《最後、心から感謝しなければならないこと》
★実は、読者のみなさんも十分におわがりのことと思いいますが、この拙著『八四歳になってやっとわかった《摩詞・不思議な男と女との関係》』の内容は、あらゆる面で「摩詞・不思議な諸要素」が充満しております。従って、出版する企業側としては、いわゆる算盤に乗らない「非常な危険性」と「超現実的な魅力」とが表裏一体となっているだけに、世間一般の出版社は、そう簡単に手を出しかねるものであることは偽わらざる実態であります。
そのような時にね「文芸社・韮澤潤一郎社長と瓜谷網延氏」の二人が、一大決心をして下さったこと。そして、編集スタッフが、「わが子を産む」のと同様の並々ならぬ努力をして下さったことを、最後に、心から感謝しなければならぬことです。
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