転法輪経
1985年12月10日初版発行本体価格1200円+税
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プロローグ
「釈迦哲学」は、人間を生れ変らせる
釈迦は、『人生は苦悩の連続である』と、いうことを言っている。しかし、それにしても、なぜ、われわれは、こんなに次から次へと、頭の痛くなるような重大問題に苦しみ悩まされなければならないのであろうか。
特に、現代社会に生を受けているわれわれは、最近のように、急速度に進展し続けている技術革新と、目まぐるしく変化しつゝある社会情勢に、いやというほど振りまわされているのである。しかも、この次には、どのような危険な事態が、何時どのように勃発するかも知れないという極度の不安感に戦いているのであるが、その中で、われわれは、何としてでも逞ましく生き残らねばならないのである。そのためには、どのような「世界観」を持ち、どのような「人生観」を持っていなければならないのであろうか。
そればかりではない。われわれ自分自身の胸に手をあてて静かに考えみると、肝心「かなめ」ともいうべき「自分自身」が、何時の間にか、逞しい「意欲」もない、若々しい「生命力」もない、しかも輝かしい「希望」もない、全く「自主性」のなくなってしまった「駄目人間」に転落してしまっている。われわれの日常生活の実態は、何一つ思うようにならない哀れな家庭のなかで、亭主としての不愉快な「苦悩」のかずかず、更に、職場に於ては、不可能とも思われる過重な責任を押しつけられて、四苦八苦せざるを得ないほどの納得のいかない「苦悩」のかずかず、どれ一つをとってみても、われわれの「ものの考え方」のみならず、「うまく生きぬく方法」に対して、根底から不安と疑念を抱かずにはおれないものばかりである。
このょうな「苦悩症候群」に病んでいるわれわれが、常々考え続けていることは、『このように困った時に、心から信頼できる相談相手はいないであろうか。いざという時に、自分の骨を拾ってくれる有力な後援者はどこかにいないであろうか。確固たる信念と正確な状況判断のできるような立派な見識はどうすれば持てるであろうか。周囲の者達から尊敬されるような生活信条や自分自身の納得のいくようなすばらしい人生観は、どうすれば求めることができるであろうか。なすすべきもない八方塞りの時に、起死回生の妙法を想起できるような思考方法を、修得することはできるであろうか。しかも、そのような妙法を、上手に成功させることのできるような手段方法を、身につけることはできるであろうか』と、いうことであるに違いない。
しかしながら、これらの諸問題を如何にして解決の方向に推進することができるか、ということは、数々の当面の苦悩に追いかけられているわれわれの等しく頭を悩ましているところであるが、誠に残念なことながら、その秘術を伝授してくれるようなものを、「自分自身」以外のもののなかに、どんなに真剣に求めようとしても、それは所詮、虫のよい願望であり、しかをも絶対に求めてはならないことなのである。
その点について、臨終の近くなった釈迦は、非情とも思われるほどの冷厳な態度で、弟子に対して次のように教えている。
『お前達は、今まで、全てをわたしに依存し、わたしを崇拝し、わたしを絶対的なものとして追随してきた。しかし、これからのお前達はそれではいけない。お前違のひたすらに依存することのできるのは、「自分自身」以外には絶対にないのだから、如何なるときでも、「自分自身」を唯一無二の「よりどころ」として、「苦悩」多き人生を生きぬいて行かねばならない』と。
ところで、釈迦の教えている、『自分自身を唯一無二の「よりどころ」として「苦悩」多き人生を生きぬいて行く』ということは、一体どういうことを意味しているのであろうか。
現代社会に生きているわれわれが、すでに2400年ばかり前にインドの地で入滅した釈迦に対して、今更われわれの疑問を投げかけてみても、それは到底不可能のことであることは明かである。しかしながら、例え、それが可能であったとしても、その回答はやはり、『自分自身以外に「よりどころ」はない。自分の「苦悩」は自分自身で解決せよ』と、いう解答になることは間違いないのであるが、一体どうすればよいのであろうか。
実は、この拙書のなかで、いろいろな角度から究明しようとしている『転法輪経』こそは、われわれが真剣に求め続けていた「釈迦哲学」の真髄であり、われわれの「苦悩」を、どのようにして対処して行けばよいか、われわれの「矛盾」多き人生を、どのように逞しく生きぬいたらよいか、われわれの八方塞りの窮状を、どのようにして脱出したらよいか、更にまた、「やる気」を喪失した人間を、どのように生れ変らせることができるか、等の諸問題に対する見事な解決を与えてくれるものなのである。
従って、この『転法輪経』の「おしえ」を忠実に実践することによって、『常に、新しい「世界観」の誕生を考え、幅広い「人生観」を大局的に把握し、一切を包括した「思考方法」と貴重な経験の数々に裏付された「生活技法」とによって、われわれ人間の「潜在意識」の奥に秘んでいる「根源的霊魂」を創造的に目覚めさせる』という極めて高度の「秘法」を立派に修得でぎるものと心から信しているのである。
しかし、その前提条件として、われわれの頭のなかに、すでに、永い歴史を通じて根強く巣喰っている誤まった既成概念を、完全に一掃することによって、「釈迦」と「われわれ」との間に生じている歴史的間隙と民族的偏見をとび越えて、「一個の人間」としての「釈迦」を、われわれの心の中に再確認しなければならない。その上で、初めて、純粋な「釈迦哲学」をわれわれの心の奥までスムーズに導入することができるものと信じている。
☆「転法輪経」は、「択迦哲挙」の真髄である
今から三年ほど前のことである。「在家仏教」の宗教活動に、特別の情熱を燃やしておられた協和醗酵工業(株)の加藤幸三郎会長をお訪ねした時、わたしが広島原爆の真中で奇蹟的に九死に一生を得た経緯を克明に記述した拙著『広島が滅んだ日』(読売新聞社刊)を差上げて、お互に当時の想い出話をしているうちに時間を忘れるほどであった。
その後で、『わたしが戦争下の馬来のクアランプールに、駐屯中の余暇を利用して、ヒンドウ教の高僧から「インド哲学」の手解きを受けたことに端を発してから、このかた四三年間にわたり「インド哲学」の盧(とりこ)になり、素人ながら引続きず−っと熱心に研究を続けているうちに、釈迦の最初の説法として有名な『転法輪経』のなかに「インド哲学」のすべてのものの集大成を見出すことができ、最近になってようやくのこと、その構想を殆んどまとめ上げることができた』と、いう話を遠慮しながら報告した。
ところが、全く予想しなかったことに、加藤会長は、わたしのこの発言に対して非常な興味を示されて、膝を乗り出すようにして、『それは面白い。あなたのように青年時代のすべてを、戦争による苦悩に献身され、しばしば死線を乗越え、しかも最後に、広島原爆の地獄のなかから全く奇蹟的に這い出すことができたというような方が、四○年以上も「インド哲学」を勉強された結果、その集大成として「転法輪経」にとり組んでいられる、という話を聞かされて非常に感銘を受けました。
確かに、「転法輪経」は、「インド哲学」の集大成であると同時に「仏教」の出発点であり、「真髄」であることには間違いないのですが、従来からわが国では殆んど注目されていない。従って、残念ながら、適当な解説書が見当らない。この際ですから、勇気を出してこれまでのあなたの研究をとりまとめて出版してみませんか。
大いに期待して、あなたの出版を侍っています。その時は、初版の一冊を是非共員わしてもらいます』と、いう大変な力強い激励の言葉をいたゞいたのである。
実は、このような加藤会長の有難い激励の言葉で、百万人の味方を得たような気持になり、早速に、この拙書の著述にとり組んだのであるが、その加藤会長は、昭和五八年八月一五日(終戦記念日)に薬石の効なく急逝されたために、このわたしの拙書の出版に間に合わなかったことは、わたしにとっても、誠に残念でならない。
加藤会長の言葉にもあるように、釈迦が出家してから六年間難行苦行の修行のすえ、自分なりの最終段階の「瞑想」の道に入り、終に、すばらしい「さとり」の境地に到達したのである。そこで、釈迦自身は、五人の先輩の行者の前で、自分の「さとり」が、正覚であるかどうかをテストしてみようと思って、最初の説法を実施したものが、即ち『転法輪経』に書かれている内容なのである。
ところが、その説法を聞かされた五人の行者は、これこそ正しく「真理への道」であると深く感動して、早速釈迦に弟子にしてもらうことを願い出たというのである。この時点から釈迦一人の「さとり」であった「釈迦哲学」が、誕生したばかりの「仏教」の基本教義になったわけである。この歴史的経過からみれば、この『転法輪経』という経典は、「釈迦哲学」と「仏教」との接点であるように思われるので、このことを強調する意味で、この拙書の内容を、敢えて『釈迦哲学・転法輪経』としたのである。それと同時に、われわれ現代日本人が、この『転法輪経』の研究を進めて行くためには、まず、われわれの心の中に巣喰っている「仏教」に関する既成概念を完全に洗い流して、全くの白紙の状態から出発すべきであるという考えから、特に「仏教」という文字を避けて、「釈迦哲学」という文字を使用することにした。
それというのも、実は、わたし自身がこの『転法輪経』にとり組んだ当初の時点では、日本人学者が書かれた「仏教」に関するかずかずの図書を精読し続けた。しかし、それらの研究が進めば進むほどますます試行錯誤を繰返すばかりであり、たゞ無暗矢鱈に表面上の文字の解釈にとらわれざるを得なくなって、その「本賃」に何時までも近づくことができなかったのであるが、そのために、非常に長い苦悩の年月を無駄にしてしまった。
ところが、ふとしたことから、フランス人学者達のインド関係の研究図書にとり組むようになると、今まであんなに二進も三進も動きのとれなかった八方塞りの状態で苦悩していたのが、まるで嘘であったように、全く予想もしなかった方向から次第に、光明の道への血路を見出すことができるようになってきたのである。特に、インド人学者のアジッド・ムケルジー著の『タントラ・東洋の知恵』(新潮選書)を何十回何百回となく熟読玩味しているうちに、そのなかに懇切丁寧に説されている「タントラ哲学」こそが、「釈迦哲学」の神秘の正大門を開いてくれる極めて重要な「鍵」であることに気付いたのである。
この「タントラ哲学」の「鍵」によって開かれた「釈迦哲学」こそは、今までのわれわれ日本人の一般概念に強く刻み込まれている「仏教」という既成概念とは、全然異質のものではないか、と思われるような強烈な印象を持つようになったのであるが、そのことについては、この拙書のなかで、できるだけ具体釣に詳しく説明しておかねばならないと思っている。
いずれにせよ、このような時代こそ、「釈迦」の再来を心から期待しなければならないと思っているわれわれにとっては、民族的・歴史的なあらゆるすべての障害を乗り越えて、「人間・釈迦」の説く『転法輸経』の本質に向って、われわれの根源的な「直観力」がストレートに働くように、真剣に努力しなければならないと思うのである。
そのような真剣な努力の成果を十分に発揮することに成功した時には、それこそ、われわれが現在まで苦悩し続けているすべての悪条件を、見事に克服することができると間時に、「逆境からの飛躍」を成功させるとができることによって、「無限の可能性への挑戦」が許されるようになると深く信して疑わない次第である。
目次
推薦のことば 成蹊大学元学長 野田信夫
プロローグ
☆「釈迦哲学」は、人間を生れ変らせる
☆「転法輪経」は、「釈迦哲学」の真髄である
前編 「釈迦誕生」までの二五○○年間の『インド思想史』の概要
I. 神話の世界には、釈迦哲学はない
(1) 釈迦から神秘のヴェールをとり去れ
(2) 「択迦哲学」の源流は、五○○○年前にある
(3) 「インドの歴史」を書きかえねばならない
II. アーリヤ民族に対決する「釈迦哲学」
(4) アーリヤ民族は、如何にインドを制圧したか
(5) 「釈迦哲学」の基盤となる『ウパニシャッド』
(6) 「釈迦哲学」以前のインド民衆の思想
☆《魂と肉体》
☆《来世》
☆《カルマの理論》
☆《サンサーラ》
☆《解脱への道》
III. 釈迦の出現を待望する社会状勢
(7) 釈迦の出現直前の社会パニックの実態
(8) 「バラモン階級」に対抗する「出家集団」
(9) 「ヨーガ」を基調とする『タントラ哲学』
☆《タントラ哲学》
☆《ヨーガ》
IV. 釈迦は、なぜ出家したのであろうか
(10) 出家の決意をするまでの釈迦の生活
(11) なぜ、出家したのであろうか (1)
(12) なぜ、出家したのであろうか (2)
V. 「釈迦哲学」の根底となる二つの宗派
(13) 釈迦が指導した二人の聖者とは
(14) 「サーンキャ学派」という教団とは
(15) 「ジャイナ教」という宗教とは
VI. 「釈迦哲学」を究明できる「唯一の道」
(16) 現代日本人の手の届かない「釈迦哲学」
(17) 「真理への道」のみを説く「釈迦哲学」
後編 「釈迦哲学」の真髄『転法輪経』の研究
I. 『転法輪経』の概要
(1) 『転法輪経』と「タントラ哲学」との関係
II. 「世界観」を司る《四聖一諦》
★《四聖諦》
★《四聖諦》の概略
★ 《苦聖諦》−「苦悩」とは何か
(2) 「苦悩」を文字に表現することはできない
(3) 「苦悩」には、少くとも四つの段階がある
★ 《苦集聖諦》−「苦悩」は何によって起るか
(4) 「欲望」と「苦悩」と「成功」との閣係
(5) 「小我」(エゴ)と「大我」(セルフ)との関係
★《苦滅聖諦》〉−「苦悩の超克」とは何か
(6) 「苦悩」に対する誤った対応策
☆ 苦悩を逃避する
☆ 苦悩に恐慌する
☆ 苦悩に無関心となる
(7) 「苦悩」に対する正Lい対応策 (1)
☆ 苦悩を克服する
(8) 「苦悩」に対す正しい対応策 (2)
☆ 苦悩を超越する
(9) 「苦悩」に対する正しい対応策 (3)
☆ 苦悩を逆利用する
(10) 「大我」(セルフ)から働きかける不思議な夢
★《苦滅道聖諦》−「苦悩超克の道」とは何か
(11) 《四聖諦》と《八正道》とは表裏一体
(12) 「抗原抗体反応による免疫現象」と《四聖諦》
III 「人生観」を司る《中道》(両極端)
★ 《中道》(両極端)
(13) 《中道》(両極端)は、極めて難解である
(14) 《中道》とは、どのようなものか
(15) 《両極端》とは、どのようなものか (1)
〈その一〉、『敵と味方』という《両極端》について
(16) 《両極端》とは、どのようなものか (2)
(その二)、『理想と現実』という《両極端》について
(17) 《両極端》とは、どのようなものか (3)
〈その三〉、『矛盾』という名の《両極端》について
IV. 「実践原理」を司る《八正道》
★ 《八正道》
(18) 《八正道》の問題点と効用 (1)
(19) 《八正道》の問題点と効用 (2)
★ 《八正道・第一論理》
★ 《八正道・第二論理》
★ 《八正道・第三論理》
(20) 「見解」=(ひらめき・理想・天命)
(21) 「決意」=(やる気・情熱・使命感)
(22) 「言葉」=(段どり・計画・祈祷)
(23) 「行為」=(体当り・敢行・献身)
(24) 「生活」=(身につける・成果・修得)
(25) 「努力」=(頑張る・努力・精進)
(26) 「思念」=(思いめぐらす・反省・懺悔)
(27) 「瞑想」=(バカになる・虚無・禅定)
★ 《八正道・第四論理》
★ 《八正道・第五論理》
★ 《八正道・第六論理》
エピローグ
エピローグ
かねてからの長い間の念願であった『釈迦哲学・転法輪経』に関する拙著を、ようやく脱稿することができたのであるが、正直な話、わたし自身が真剣に取り組み、必死になって体当りしてきた七○年間の「人生」の集大成が、やっと出来あがったような気がしている。
わたしが、この『転法輪経』という「おしえ」のあることを初めて知ることができたのは、実は、昭和五二年秋のことで、渡辺照宏著「仏教」(岩波新書)の初版を手に入れ、その魅力にとりつかれてからのことである。早いもので、すでに、三○年という歳月が夢のように経過しているのであるが、その間、わたしの『転法輪経』の「研究ノート」は、何時如何なる時もわたしの身辺から離されたことはない。
その大切な研究ノートは、ある時は、わたしの通勤カバンの中に、ある時は出張の厳行力バンの中に入っていて、仕事の寸暇を裂いて思いつくままに走り書きしたり、新幹線の列車のなかで適当に揺れ動くリズムに合せての「瞑想」の後で、ゆっくりとメモを書き残したりしているうちに、不思議なもので、まるで童話に出てくる「豆の木」のように、わたしの「研究の木」はどんどんと天に向って螺旋状に延びて行き、終に、天にもとどくほどの大木に育ってぎたように思われるのである。
この三○年間というものは、わたし自身が携わっている事業に対する重大な責任を果すために、非常ともいうべき「苦悩」の連続であり、「希望」と「苦悩」との錯綜している日常業務に追いまくられた毎日でもあった。これらの数限りない多くの貴重な経験のなかで、「このわたし」と「もう}人のわたし」との真剣な会話を積み重ねている三○年間に、われわれ人間にとって、「瞑想力」とか「直感力」とかいうものが「理性」とか「知性」とかいうものとは問題にならないほど重妻なものであり、われわれの想像もつかないほどに、すばらしいものであるということが次第にはっきりしてききた。そのことは、わたしの『転法輪経』の研究のためのみならず、また、わたし自身の日常生活のなかで、一日また一日と、「新しい人間に生れ変らせる」ために、わたし自分の「無限の可能性への挑戦」という人生最大の宿題を完達することが、必須欠くべからざるものであることに気が付いたのである。
それからというものは、「このわたし」は、何時如何なるところに於ても、四六時中、わたしの「もう一人の自分」との『運命協同体』としての生活を続けているのであるが、九年前からカール・ユングの深層心理学に没頭してからというものは、わたしの「もう一人の自分」の存在が極めて巨大なものに急膨張することになり、終に「タントラ哲学」でいう「アートマン」にまで変身してきたのである。その「アートマン」の出現によって、わたしの「研究ノート」は急激に充実さを増大してきたことは、正に鷲くべきほどである。
いずれにせよ、わたし自身の一生涯の大事業ともいうべきこの拙著を、この程度までまとめあげることのできたのは、「このわたし」の力ではなく、「もう1人の自分」の不思議な働きかけによる「瞑想力」と「直観力」との以外の何ものでもないことを、重ね重ねではあるが、特に強調しておかねばならない。
最後に、是非共書き添えておかねばならないことは、この拙著は、わたし自身の「人間を生れ変らせた」という自己体験記であって、決して学問的な面での研究知識を公開したものでないということと、この数年来、親しい友人から熱心な激励があったことが、起爆剤となってわたしの決心を固めて筆をとったということである。
これらの親しい友人達のなかでも、多忙な仕事の時間を割愛してまでわざわざ原稿を閲読して、有益な意見を与えていただいた株式会社「シュアティ」の萩野昭子社長と中央公論の正慶孝君、それに絶えず親切な激励の言葉を送っていただいた渡会診療所の渡会浩博士とマネジメント社の小島編集長の四人に対して、心からの感謝を述べねばならない。
著書
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