立正安世論T
玉井禮一郎・小牧久時共著
1991年1月発行 税込価格 \1,575
B6判 並製 288頁 ISBN4-88636-055-6 C0015
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まえがき
いかなる御縁かは知りませんが、この本をこうして手にとられて開かれたあなたは、稀有に幸運な方です。
わが国で出版される書籍は、毎日百種類以上、年間数万点にのぼりますが、年間平均十冊か二十冊しか本を読まない人が、この本を手にする確率は、おそらく何千分の一でしょう。
山の上に立てられた一本の針の穴に糸を投げて通すようなものとか、ラクダが針の穴を通るようなものとか、遭い難き真理に遭い、しかもその真理をわがものとすることは、人生の最難事だといわれますが、あたたはすでに、その門の扉をあけ、いま真理の世界のなかへ一歩近づこうとされています。
仏教を多少でも噛った方ならば妙法蓮華経すなわち法華経が大乗経典の王様であることはご存じです。もちろん異論もありますが、すくなくとも中国仏教を集大成した天台大師智も、日本仏教の根本道場(迹門戒壇)をつくった伝教大師最澄も、法華経を中心にして仏教を宣べ弘めたことは、疑いようのない事実です。(●…豈+頁)
そして、この大乗仏教の頽勢は、鎌倉期に入って分裂を顕著にし、真言、念仏、禅等の各宗派を隆盛ならしめ、法華経に依る日蓮聖人の法華宗は、信教が自由化される明治期までは、勢力としては少数派で、本流であるにもかかわらず、傍流のようにも見倣されてきました。
しかし、明治に入ると、田中智学や本多日生等の活躍もあって、仏教革新運動は、日蓮法華を策源地として展開されるものがほとんどで、霊友会やそれから派生した立正佼成会、日蓮正宗の信徒団体である創価学会などの勃興によって、わが国の人口の三分の一くらいは、それぞれ本尊は異なれども唱える題目は「南無妙法蓮華経」という状況を現出しております。
「南無妙法蓮華経」と唱えることは、単に法華経(一部八巻二十八品)に南無(帰依)するということではありません。いや、始めて公式にこの題目を唱えられた日蓮聖人によれば、「末法に入りぬれば余経も法華経も詮なし」とされるように釈尊が説いたとされる法華経とは似て而も非なる「南無妙法蓮華経」ないしは五字の「妙法蓮華経」という日蓮聖人の法華経に帰依することであります。
ですから、「南無妙法蓮華経」と唱えながら釈迦像を本尊とすることは、実情に沿わないわけで、釈迦像を本尊とするならば、「南無釈迦牟尼仏」と称えなければなりません。
ところで、「南無妙法蓮華経」は、誰でも簡単に唱えられそうで、「南無阿弥陀仏」と称えさえすれば、誰でも極楽浄土へ往生できると説いた念仏宗と同じように、日本全国に爆発的にひろまりましたが、その勢力の上では、明治期までは、念仏宗にはるかに及ばなかったのには理由があります。日蓮聖人は「南無妙法蓮華経」という七文字ないし五文字の題目を唱えるだけで、能事畢れりとされているのでなく、この題目を唱え奉るべき対境たる本門の本尊と、その本尊をお祀りする国家の認める本門の戒壇(道場)の三拍子がそろわないと、この日蓮の法華経が真に弘まったとはいえないという制約を課されていたことにもよるものです。
それゆえ、国家権力に対して妙法への帰依を迫るという積極性と戦闘性を常におびる宗旨ゆえに、時の権力から危険視され、弾圧されてきたからでもあります。
しかし、逆にいえば「一天四海皆帰妙法」という大目的があったからこそ六百年の弾圧のなかで「飢餓栽培」された植物のように活力を温存しえたわけで、明治以降の題目の流布は、信教の自由化とともに、その活力が一斉に開花したとみることもできます。
しかし、この本門戒壇の建立は難事中の難事です。
『三大秘法抄』によれば、それは、本仏の本国土たる日本国が国立で建立する戒壇と解されますが、もし、近い将来世界連邦がほんとうに実現すれば、それは世界連邦立とならなければならない性質をもった聖壇であるべきだと、私は理解しております。もしそうでなければ日蓮仏教は世界宗教たりえません。この戒壇論については、「国立戒壇論」を最近まで主張してきた日蓮正宗と創価学会などでも意見が分かれ、創価学会が主張する「民衆立戒壇論」を一旦は認めながらも、正宗側では一転してその解釈を取り消したりしており、今回の宗門と創価の問題も、これに端を発しておりますが、ここでは省きます。ともかく、一国とか一宗門とか、民衆立とかいっているような時代でないことだけは明らかです。法華経自身が全世界への「三大秘法」の広宣流布(本門戒壇建立〕はすでに目前だと予言しているのです。そして、もしこの人類の思想信仰を真に統合できる唯一の正法が全世界に広宣流布しなければ、現地球文明は破滅するであろうというのが、大集経の予言です。
恫喝や煽動をするつもりはさらさらありませんが、これは冗談ではなく、いまわれわれは、この蘇生か破滅かの岐路に立っているのです。
そして肝心かなめのこの本門の戒壇に奉安置すべき「本門の本尊」が、ながいあいだ分からなかったのですが、一九八六年十月十一日、不肖この玉井禮一郎(法名・日禮)によって、拓本のかたちで始めてこの世にその相を顕現されたのです。(詳しくは本文で)
そして、この拓本の「本門の本尊」こそ、日蓮聖人が始めて唱え出された「本門の題目」も、近い将来に建立される「本門の戒壇」をも内包するもので、この「本門の本尊」たる「始拓大本尊」の流布こそ法華経を信じる人びとが過去二千五百年間、その実現を夢に見、うつつに移そうとした「広宣流布」そのものなのであります。
天台大師も妙楽大師も伝教大師も、またそれに連なる無数の人師、論師、大衆も、みなこの時代の到来を恋慕渇仰していたのです。
さて、一九八六年十月十一日に始めて「本門の本尊」を出現せしめ奉った私は、三年後の一九八九年十月十三日、「本門の本尊」の摺形木となった領玄寺の大宝塔の前で、同寺の中濃上人立ち合いの下に、三世十方の法華経の血脈付属塔中相承の儀をおこない、この人類史上、破天荒ともいえる宗教統合のための諫暁書である『立正安世論』の発表を誓願しました。
その直後、私の誓願に呼応するように突然私の前に湧出されたのが、小牧久時博士であります。
小牧久時博士は、ノーベル賞にノミネートされている世界的な碩学ですが、同時に「絶対平和への四段階」理論の創唱者として、海外でよく知られている学究であり、ニューヨーク・タイムズに何度も同理論をアピールされていることでも著名です。
法華経を讃え、そのたぐい稀な作品群のなかにその信仰を開花させた詩人・宮沢賢治は、「世界じゅうの入が幸せにならない限り、個人の幸福はありえない」(取意〕といっておりますが、これはまだ十全十分なる幸福論とはいえません。動物も植物も、鉱物も、この大宇宙に存在するありとあらゆるものが絶対的に平和でなければ、真の平和も人類の幸福もありえない、というのが小牧久時博士の「絶対平和」論の特徴で、これは凡百の平和論、幸福論のレベルを遥かに抜いて、教主釈尊や日蓮如来の大慈悲の高みにまで達しているといえるものです。
この小牧久時博士がふとした御縁で拙著『創価学会の悲劇』(たまいらぼ刊〕を手にされたのが一九八九年十二月十三日のことだそうです。
この日は、日蓮聖人が世界第一の大本尊を図顕された日か、少なくともその一週間以内にあたる日で、大本尊図顕の本地顕発の意をこめられた御書『顕立正意抄』御述作の前々日でもあります。
小牧久時博士のもとへは、国の内外から毎日のようにおびただしい出版物等が寄贈されてきますので、そのすべてに目を通すことは事実上不可能で、たいていは目次を一べつするていどでそのまま書庫行きとなるようです。ところが、前記の拙著は、比較的薄い本ですし、刺激的なタイトルでもあり、何気なく手にとられ、最初に目にとまったページが同博士に電撃的なショックを走らせました。
そのべージには、博士が仏教の最高峰である(あった?)と信奉してやまず、ニューヨーク・タイムズのアピールにもくりかえしくりかえし具体的にその名称をあげて、全宇宙の全存在の平和を実現する唯一無双の「大御本尊」とされていた日蓮正宗大石寺の板マンダラ(弘安二年十月十二日付)は、十界のマンダラですらなく、畜生界等の欠落した八界のマンダラでしかないことが、論証されていたからです。
もちろん大石寺の楠板の正本尊に対する疑問や批判は、昔からありました。しかし、その多くは、為にする疑難であって、客観性に欠けていました。しかし、拙著では、客観性を踏まえた論証となっており、いま一つの大石寺の金看板だった日蓮→日興→日目という嫡々と継承されたと自称する正統性をも一挙に覆す、おどろくべき事実が述べられているのです。(同著参照)
そして、そのときの衝撃と覚悟を小牧久時博士は次のように記されております。
《一九八九年十二月十三日は、私の新しい誕生日となりました。
一九八九年十二月十三日に、私は玉井日禮上人猊下の、日蓮如来に関しての非常に重要なる哲学上の御著書と御論文を拝読しおえました。
無限の喜びの涙で以て、私は叫びました。「遂に……おゝ遂に、この大宇宙およびあらゆる多宇宙のあらゆる存在(人間以上の存在たちをも含めて)――見える存在も見えない存在もーの非常に円滑なる、極めて迅速なる、永久の救済への唯一無双の道を、私は見出したのだ!」と。》(本書の序章第一節)
私は、一九九〇年七月に、小牧久時博士が琵琶湖畔に建立された「立正安世大宝塔」除幕式のおりに同博士の研究所をお訪ねしましたが、その正面玄関には、「そのような唯一無双の正法にめぐり会えますように」(取意)との博士の年来の誓願が大書されているのを見たことがあります。
ここでお断りしておきたいことがあります。日禮というのは、私(玉井禮一郎)が勝手につけた法名ですが私に猊下という一宗の管長に奉られる称号をつけられたのは、小牧博士をもって嚆矢とします。猊下などというもったいぶった称号を奉られることは、かけ値なしの荒凡夫たる私としては面映ゆくあり、苦痛でもあるのですが、あえて拒またいのは次の理由に依るものです。
現在の寺院仏教がいかに堕落しているかは、私がここで改めて指摘する必要もないほどで、法華経にもその時代相は予見されておりますが、一向に改善の気配がないのも実情です。
肉食妻帯をほしいままにして、頭を丸めていても、その中身はわれわれ凡夫と何ら変わらなくて、何が「猊下」で脅、何が「御僧侶」ですかと、私は言いたいのです。いわんや、大乗仏教の最大難問たる「大乗非仏説」と「五五百歳二重構造」について、未だ会通(解釈)できずして、何が求道者か、仏法者かと問いたい……。
末法は無戒とされていますから、肉食妻帯はやむをえないとしても、もっとも大事な正法正義を持たずして、何が寺ですか! 僧ですか! といいたい。
私にはかつて僧籍を取得できる機会もありましたが、あえて拒絶したのは、そういった理由にもよります。
したがって、法主とか猊下という称号を甘んじて受けるのは、一つには、堕落した現代仏教界を虚仮(道化にも)にせんがためであり、いま一つは、唯一無二の正法正義を立てる人こそ真の僧であり、またその所住の場所こそ真の寺であるという法華経の定義に基づくものです。
さてこの書を『立正安世論』と名づけた理由を述べましょう。
日蓮聖人は、諸経に説かれたとおりの三災七難が並び起り競い起っていた当時のわざわいの根源は、正法たる法華経を捨てたためであると看破されました。したがって、この災難を避けるためには、かつて正法たる法華経によって国家が安穏だった時代があったように、正法を立てなければならない、と主張され、『立正安国論』を著わされました。しかしこの正法が、一部八巻二十八品の『妙法蓮華経』であるとは断言されていないところに、聖人の真意を読みとらなければなりません。
聖人が立てようとされたのは、三大秘法の法華経で、釈尊の法華経とは異なるものです。なかんずく、本門の本尊こそその要です。しかし『立正安国論』奏進の時点では、聖人は未だ如来の本地(正体)を顕らかにされておらず、本門の本尊はまだ出現しておりません。もし北条幕府が聖人の諫暁を素直に受け入れて、聖人のいうところの正法を立てたいと言いだしたとしたら、はたしてどう対応される御つもりだったのでしょうか。
もちろん、幕府が受け入れるはずのないことは、御承知であったと思われます。それでも諫めなければならないのです。その方程式を「而強毒之」ともいいますが、そうすることによって、未だ残っていた二難(内訂と侵略)を誘発、惹起せしめられたのです。
末法の仏の本国である日本が滅びるかもしれないような二難をなぜ惹起せしめられたかという疑問をもつ方がいるかもしれませんが、出るべき膿は出しつくさなければ、真の治癒はありえないのです。人間というものはよほど手痛いメにあわなければ、超越した威力をもつ神仏の存在に気がつかないものなのです。
九州の沖合を埋めつくした元の軍船を二度にわたって覆滅されたのも、日蓮聖人が大白法末法弘宣の策源地である日本国を亡ぼしてしまっては、仏法のモトも子もなくなることを憂えられて、八大竜王を駆使してとられた非常手段であって、もちろん玄海灘の藻屑と化した元兵を、一切衆生に慈悲を垂れる本仏として哀悼されていることはいうまでもありません。
過ぐる大戦において、日本は敗戦の悲運に泣きましたが、これも仏法の眼から見れば、十二分に理由のあることですが、ここでは触れません。そして日蓮如来が今日のために隠し留められた、全地球はもとより全宇宙を救いきる万年救護始拓大本尊は、不思議な因縁によって無事出現されました。(本文参照〕
この三大秘法第一の大本尊の出現こそ、如来御在世の時とちがって、地球規模での三災七難が競い起るときたのです。それかあらぬか、この大本尊出現の一九八六年十月以降の地球世界の激動ぶりは凄まじい限りではありませんか。人災天災ともにいまや一斉に噴き出しているではありませんか。
ひとはこれを偶然とみるかもしれません。あるいは上っつらから見ての歴史的必然というかもしれません。これらはまさに歴史的必然であり、これらはすべて予定されたプログラムなのです。ですから大本尊による人智を越えた大救済力が必要なのです。
神仏のつくられたプログラムは宿命論的に決まりきっているわけではなく、つねに二者択一的な選択の余地がのこされているところに特徴があります。
たとえていえば、目的地は決まっていますが、そこへ到達するためにいくつかのバイパスが用意されていると考えて下さい。そしてあるバイパスには陥穽が仕掛けてあると思って下さい。そして無事に目的地にたどり着ける道は一つしかありません。そのひと筋の道を示唆するのが真の宗教というものではないでしょうか。
われらおよび地球の運命が決定論的に決まっていて、変更や改善の余地がまったくないとしたら、宗教や英知の出番はありません。なりゆきにすべてを任せるしかありません。
ところが、その運命を決めたのは、どこかに居られる神仏ではなく、その分身であるわれわれ自身だと自覚したとき、運命は自由自在にコントロールできるということを教えていたのが法華経なのです。
そしてその自覚と英知を得るための対境が大本尊であり、誰でもこの大本尊に対すれば、容易にそれを得ることができ、個人はもとより、人類も地球も救われるというのが神仏の託宣なのです。そのことを全世界の人びとにいち早く知らせるために、日蓮聖人の『立正安国論』のひそみにならって『立正安世論』と名づけました。
すなわち、この万年救護始拓大本尊を、全人類いな全宇宙の一切の存在の安全と幸福を保障するシンボルとして人類の総意にもとづく戒壇に御祀りするならば、日蓮如来が『如説修行抄』等で描かれた想像を絶する理想世界がたちどころに実現するのです。そういう凡慮を絶する不思議な仏加・法加・功加をもった大本尊を弘めない法はないと思うのですがいかがでしょうか。そのことを疑う人に対して日蓮如来は、「ものはためしであるから、試しに試みてご覧」とおっしゃっています。
そのいわば一切衆生救済のカギともいうべき大本尊という正法を立てて世を安んぜんとする『立正安世論』が世に出ることになったのは、小牧久時博士の「一心に仏を見たてまつらんと欲して、自らの身命をも惜しまず」の勇猛精進があずかって大いに力があったことをここに特記いたします。
法華経でもっとも重要な章は、第十六章の如来寿量品で、その冒頭で質問者の弥勒菩薩は、その前に大地から湧き出したおびただしい地涌の大菩薩群をみて、疑いを起します。
この世で始めて大覚をえたはずの釈尊が、これほどのおおぜいの大菩薩たちを教化できるはずがない。それにもかかわらず弥勒らの迹化の菩薩をさしおいてこれらの大菩薩たちに滅後の弘宣を付属(委託)するのはなぜかと疑い、「唯願わくば之を説きたまえ」とその因縁を問うのですが釈尊はたかなか口を開きません。
弥勒菩薩が三度願ってやまないのを見はからって釈尊は、三度「諦らかに聴け」と念をおされて、自分は実は五百塵点劫という限りない昔から常にこの娑婆世界にあって説法教化してきたが、これらの大菩薩たちは自分の初期の弟子たちである、と説きます。この章を詳しく語れば、それだけで一冊の本になりますから、ここでは省きますが、ともかく、弥勒は発起衆(質問者ないし発起人)として、法華経のなかで非常に重要な役割を演じます。しかし、本化(直参)の菩薩ではないために、兜卒の内院にこもり五十六億七千万年後に再び娑婆世界に下生(出現)して、仏滅後の衆生を救うとされている菩薩で、昔からよく知られている菩薩ですが、五十六億七千万年後というのは、あくまでも譬喩であり、如来寿量品の発起人であれば,、地涌の大菩薩群が出現する現在もまた発起人として登場していなければおかしいというのが私の解釈です。
私の『立正安世論』が世に出ることを「一日千秋の思いで」と何度もこい願われ、みずからもいちはやくその序章(一、二、三)を発表された小牧久時博士こそあえて言わせていただければ弥勒菩薩の御使者ではないかという気がします。
弥勒は「唯願説之」と三度請うて止まないのを知って釈尊はようやくその正体を明らかにするわけですが、小牧博士も奇しくも本書の序章を三度にわたって発表され、腰の重い私も腰をあげざるをえなくなりました。もちろん私は釈尊でもなければ日蓮如来の再現でもありません。しかし、私の始めて読み解いた大本尊こそ、寿量品の久遠の釈尊であることは断言できます。
仏教のことばに「久遠即末法」とか「久末一同」(久遠元初と末法には同じことが起きる)というのがありますが、いままさに法華経の二処三会のうちもっとも大事な虚空会の儀式が全世界規模で再現されようとしていることを実感せずにはいられません。
虚空のことをサンスクリットでは「アーカーシャ」といい、「一切衆生の集合的無意識」であり「原始的本質」であり、「神仏の御心」であり、見えないエネルギーとしての一種の波動によって一切衆生(人類も含め)の活動はすべて記録されており、それを「アカシック・レコード」といって、特殊な霊的能力をもつ人は、それを読むことができるるそうですが、日蓮聖人も、「虚空蔵求聞持法」の修行によって、二千二百余年のその昔の虚空会の情景や、一切経を知りえたものと思われます。
弥勒菩薩は、サンスクリットではマイトレーヤと言いますが、これが西へ行くにつれて転訛して、メッテイーヤ、メッシーヤ、メシアとなり、ギリシャ語ではキリストとなったという語原学がありますが、このメシア(弥勒)再臨こそ世界の三大宗教の共通の願いなのです。
イスラムのスーフィーとよばれる神秘主義者たちは、予言者としてはムハソマド(モハメット)が最後であるがこの世の終りに「マフディ」とよばれる救世主が降誕するという信仰をもっています。
私は世界の三大宗教は、二の一点によって神仏の超神通力によって統合することは可能だと信じております。
神仏の超神通力とは、法華経に説かれている大地から涌出し、虚空に静止する大宝塔であり、宇宙空間から瞬時にして来集する三世十方の諸仏諸菩薩であり、これらをUFOの母船とその先遣隊ととらえれば、あながち荒唐無稽なつくり話ではなく、明日にでもこの地上に再現して、アーサー・C・クラークの『地球幼年期の終り』のように、地球人の度胆を抜くかもしれません。
アーサー・C・クラークのSF小説では、それを悪魔になぞらえていますが、すくなくとも法華経の虚空会に馳せ参じた三世十方の諸仏諸菩薩は、地球人以上の文明をもつ大宇宙人に仲間入りができるように、そのきめ手となる大本尊を隠し留めて下さった久遠の本仏の眷属だと思うのですが、いかがでしょうか。
この書では、小牧久時博士の序章を除いては、もっぱら仏教徒へ向けられた内容となりましたが、もしこの続稿を出せるとしたら、こんどはキリスト教と仏教の接点を徹底して掘り下げてみたいと考えています。
しかしながら、「大乗非仏説」も「後五百歳多重構造」も、ともに仏教の前に横たわる大問題です。そして小牧博士と私の共著としてのこの書が、仏教蘇生となれば、今生人界の思い出として、これに過ぎるものはありません。
文中、敬称を略したり、求道心のあまり、非礼の文辞があるやも知れませんが、法のため仏のためにご寛恕願います。同時に私の信解に誤りがあれば、忌憚なく御指摘をいただき、法のための論難は、欣んで受けたいという意志を明らかにしたいと存じます。
平成三年六月九日の日に
(法名・日禮)玉井禮一郎
追記――付録として掲載しました石原莞爾の『最終戦争論』は、私が解明した「後五百歳多重構造」の信解の発端ともなる「五五百歳二重(構造)」をまず理解していただくためで、できれば本文に入る前に、この戦前の大ベストセラーの内容を把握していただければ幸いです。また、万年救護始拓大本尊の出現は、そのすぐ足もとの富士門流日蓮正宗と創価学会という一枚岩とみられていた組織にも修復しがたい亀裂を走らせましたが、これもすべて始拓大本尊の仏力・法力のしからしむるところであることを知る小牧博士は、過日、池田大作創価学会名誉会長に対して「歴史的提言」を発されましたが、後日のためにこれも併せて収録いたしました。
目次
まえがき
序章(第一部)
序章(第二部)
序章(第三部)
第一章 仏教は世界宗教たりうるか
●始拓大本尊は偶像ではない
●不思議の妙法を文字で図顕
●「五五百歳を期して之を演説す」
●中道一実の始拓大本尊
第二章 「後五百歳」の多重構造と大本尊
●超宗派超教派の大本尊
●御讃文に隠されていた大予言
●現代の法華経は一幅のマンダラ
●「大乗非仏説」と「五五百歳二重構造」
●仏教史上の謎を解く日蓮教
●石原莞爾の悩みと直観
●歴史の発展段階にはズレがある
●「後の五百歳」は多重構造
●世界宗教一体化の可能性
●祈りの「大発信器」はただ一つ
第三章 諸宗教・諸予言の不思議な一致
●ユダヤ教を信じていなかったユダヤ人アインシュタイン
●因果律を「神」と見たスピノザ
●仏教徒のように茶毘に付されたアインシュタイン
●宗教界の統合と世界連邦の実現は近い
●世界史的な転換点に関する諸予言の一致
●五百年後に出現する救世主とは?
第四章 「法華経も反古、釈尊もウソツキ」となるか
●等閑視されてきた「本尊論」と本尊の読み方
●仏法でいちばん重要なのは「時(時代)」
●日蓮聖人がとられた正・像・末の時代区分
●法華経流布の「時」は二度しかない
●「本門の本尊」は未だ流布せず
●「万年救護」大本尊の讃文こそ日蓮聖人の法華経
●三通りに読める「後五百歳之時」
●大集経のなかでも異説(両論)併記
●終末思想こそ宗教革命の契機
●日蓮仏教は「時主機従」(時の仏教)
●「五五百歳」と「後五百歳」は同じか?
●日蓮聖人の仏滅年代は「伝説」なのか?
●「ムニャムニャ」と「メチャクチャ」の仏滅年代説
●法華経も反古、釈尊もウソツキとなる
●「大乗非仏説」に対する田中智学の見解
●予言の的中こそ信仰の根底
●日蓮門下の「死活問題」
●「末法二重説」に対する山川智応の見解
●里見岸雄博士の所見
●高橋智遍の所見
●田中香浦の所見
第五章 仏法の大事は付属と相承
●学術的研究が日蓮聖人の智解を保証
●「後五百歳」と「大乗非仏説」は関連している
●仏教の目的は知ることよりも救われること
●根本法を所持する人が根本仏
●仏法の大事は付属と相承
●日蓮門下がひとしく讃仰すべき万年救護大本尊
●「依義判文」と「依文判義」のちがい
第六章 十六行七十五文字の正しい読み方
●本尊の重大性を喧伝した日蓮正宗
●大本尊の讃文の三通りの読み方
●仏は神通力で末法を二重構造にした
●讃文の再往の読み方こそ肝心かなめ
●堂々とは弘宣できない御直筆の複製
●題目を「商標登録」しようとした創価学会
●「始」の一文字こそ日蓮仏教のポイント
●「汝、只正理を以て前とすべし」
●「最終戦争」か「絶対平和」か
●原本と実印と印鑑証明の譬喩
あとがき
付録 創価学会の蘇生と世界宗教への真の出発のための歴史的提言(小牧久時)
付録 最終戦争論(石原莞爾)「最終戦争論」に関する質疑回答(石原莞爾)
編者のはしがき
石原莞爾の代表作を一つあげるとすれば,最終戦争論」であり、これは原題「世界最終戦論」としても広く知られている。
本書のテキストとしては、石原莞爾の実弟であり、実兄莞爾の全集発行を準備されていた故石原六郎氏が、用字用語法を現代的に改めて昭和四十七年経済往来社から上梓された「最終戦争論』を使わせていただいた。
そのおりに石原六郎氏が付け加えられた解説も本篇中に収録されているが、経済往来社版の冒頭に掲げられた六郎氏の「編者のことば」を次に掲げる。
《石原莞爾(いしわら・かんじ)は、戦争がなくなるという理論を打ち出したことで人類史上の、ただ一人の人間であろうと思います。
彼は十三歳で軍籍に入り、やがて日本の国防問題に心を砕き三十六歳になって、戦争絶滅の学説と、遠からず人類最後の戦争があるだろうという信念を発表しました。
その後の彼の仕事は、この最後の戦争に備えてアジアを一丸とする最強の軍備を建設することにあったのですが、昭和二十年八月十五日の敗戦を機に一転して武装放棄を唱え、「身に寸鉄を帯びず、生活そのものの力によって」勝利を得ようと訴え続け、昭和二十四年八月十五日、六十年の生涯を閉じました。
幾度か「雪どけ」や「東西の握手」が言われましたけれども、「戦争」が人類の前に次第に大きく立ちはだかって来ることは、誰も否定できないでしょう。同時に石原莞爾の戦争史観と政策を検討することが、いよいよ必要になって来ると考えます。》(石原六郎)
(玉井禮一郎)
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