大石寺の「罪と罰」
玉井禮一郎編
1997年12月15日発行 税込価格 \1,365
B6判 並製 2300頁 ISBN4-88636-073-4 C0015
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はじめに
「毎時作是念。以何令衆生。速成就仏身」(法華経)
これを訓読すれば、「毎に自ら是の念を作す、何を以てか衆生をして、無上道に入り、速かに仏身を成就することを得せしめんと」(たまいらぼ出版「訓読法華経」六二〇頁)
となるが、この文句は一切経の頂点に位置づけられる如来寿量品の結びの文句である。
真偽のほどは明かではないが、天皇がお代わりになるとき、即位式よりも重要な秘儀とされる大嘗祭で、新天皇がこの一節を読まれるしきたりがあるそうだ。
そのこころは、「天皇は、ほとけのごとく、常に万民の至福を祈念している」ということである。
秘儀として伝えられているだけではない。
かつては、中国においても、わが国においても、その国の宗教上の中心的施設においては、国家安穏万民泰平を祈る儀式がおおやけになされていた。
しかし、宗教が形骸化して、「百家争鳴」とたるにつれて、「国家鎮護」というような考え方がしだいに薄れていった。
わが国では、伊勢神宮への元首の参拝というかたちで国薦的行為が残っているだけであるが、大嘗祭での秘儀が、伝えられるようなかたちでいまも遺っているとしたら、仏教国家としては、まだ見棄てたものではないのではないか。
仏教徒の個々の信仰の目的は「成仏」にある。
法華経をよりどころにしている仏徒の人類史的な最大の目標は「広宣流布」にある。
「広宣流布」の厳密な定義はさておき、そのこころは、かつての「軍国日本」がスローガンとしてきた「八紘一宇」と同じである。
ちなみに、「八紘一宇」ということばは、田中智学という仏教者が神勅からひねりだした造語で、智学居士はもちろん「広宣流布」と同義に用いていた。
そして田中智学は、日蓮門下の特徴である「戒壇思想」にも「国立戒壇」という造語をあたえた。
この「国立戒壇」ということばは、昭和四十五年の言論抑圧事件で、世論に叩かれて引っ込めるまで、日蓮正宗および創価学会の合いコトバとなっていた。
国立戒壇とは、一国が総意をもって建てる戒壇堂であり、そこで国主はじめ為政者が祈ることが、一国安泰の秘法とされる考え方で、日蓮は『三大秘法抄』のなかで、そのことを明記し、門下に遺命している。
その「国立戒壇」に安置されるべき本尊を「本門の本尊」と称し、日蓮は、文永十一年十二月に身延山中で書示し、弘安二年十月に愛弟子日興に「時を待て」と託して三年に示寂した。
その「本門の本尊」こそ「万年救護」と通称される紙幅の本尊で、現在は、日蓮正宗から離脱した千葉県保田の妙本寺に格護されている。
この「万年救護」本尊をめぐっては、日興の門流である大石寺と西山本門寺と保田妙本寺が三つどもえの争いを続けた歴史があり、いまもその決着はついていない。
そんな歴史的背景があるため、この三つの本山およびそれに属する諸寺は、たえまなく統合や分裂をくりかえしてきたわけだが、もうこれ以上の猶予は許されない。
日蓮は「国の滅ぶことが第一の大事」と述べているが、いま日本はまさに亡国の瀬戸際に立っている。
こんなたいへんなときに、救国のカギたる「本門の本尊」を護持してきた日蓮門下、とくに富士門流が過去のわだかまりを捨てて、国主(天皇陛下)にこの大法をたもつことを全力で勧めるべきではないか。
この「本門の本尊」に関しては、この本のなかで日蓮正宗大石寺法主と不肖玉井日禮との紙上大法論によって、すでに決着ずみであるが、ここで念のために結論を述べる。
日蓮聖人は、文永十一年十二月に「本門の本尊」の下書きを遺した。
その大本尊の十六行七十五文字の讃文のたかに、この本尊を弘めるべき時と人を予告された。
その予告どおりに、昭和六十一年十月から翌年四月にかけて、「本門の本尊」が彫られた東京谷中の大宝塔から拓本のかたちで不肖玉井日禮が顕した七体の本尊をすべて「始拓大本尊」と称しているが、不肖私の信解によれば、これらの本尊は、その本尊義において真筆の「万年救護本尊」より勝れてはいるが、いまだ「本門戒壇」に安置すべき究極の本尊ではない。
この始拓大本尊は、「本門の本尊」を図顕すべき人(上行菩薩)を指定した本尊であり、指定された人すなわち不肖この玉井日禮が、上行菩薩の立場で讃文を読み直し、書写する本尊こそ、末法万年の一切衆生を救護する真の「本門の本尊」准のである。
私の信解がそこまで深まった以上、この書写は一日も早くたさねばならない。
その日は、おそらくこの本が読者の目にふれたころになると思われるが、仏語が実にして虚しからざれば、その日をさかいにして、世界は大きく変わるはずである。
北伝仏教史上最大のナゾである「後五百歳」の二重構造を始めて指摘し、私に大本尊讃文を読み解くカギをのこしてくれた石原莞爾師の遺著『日蓮聖人伝覚え書き』(たまいらぼ出版)にセイロン(スリランカ)の伝説として、次のような話を紹介している。
《仏滅二千五百年後になった時に世界の大王出現する云々。(中略)此の如き大王出現して世界を仏教に統一するなり。(その予言者)達磨巴羅師の遷化が昭和八年四月にて畏き事乍ら日本の皇太子殿下(今上天皇)ご降誕が同年十二月にてその間殆ど十ヵ月近きにより、師の再誕が皇太子様なりと云ひ、(中略)セイロン島民の大多数の者は正に的中せんとする予言を楽しみと致し、現在の日本皇太子殿下の肖像(御写真)をかかげて礼拝致居候。》
《星条旗(米対日占領軍機関紙)紙上に掲げられたる「占星術師の見た皇太子殿下の御運勢」
我国の皇太子殿下は一九三三年十二月二十三日午前六時三十五分に唯一度起こるといふ、新月、金星、土星及太陽が丁度並列した時点であった。摩羯宮は高い知性と深く慎重高度の知性を獲られるであろう。新月は復活と直観と同情表し、土星は確実性と忍耐と冷静を表示するもので、殿下は之等の美徳を兼具せられるわけである。(昭二一・一二・一……世界新聞第三号所載)》
救国救世界の秘訣は、今上陛下が三大秘法の「本門の本尊」の御宝前で受戒され、如来寿量品の最後の「毎自作是念。以何令衆生。得入無上道。速成就仏身」と唱えることにある。
平成九年(一九九七年)十月二十八日
玉井禮一郎(日禮)
目次
まえがき
国運を左右する日蓮正宗と創価学会
◆バチ論とゴリヤク論が彫ってある板マンダラ
◆「破門通告」によってためされる「大御本尊」
◆日蓮正宗本来の教義は創価学会に?
◆玉井日禮に噛みついた大石寺管長阿部日顕
◆現皇室と日蓮正宗
(聖教新聞の記事より)
「貞明皇后様へ正宗の御信仰を」
貞明皇后様の御信仰を鑑に「生活即信仰」と
貞明皇后の常住御本尊
貞明皇后と秩父宮両殿下、日恭上人から御本尊の御感得
日蓮正宗御信仰の秩父宮家
皇室御信仰の前貞明皇后より御早く入信
平成の大法論(阿部日顕VS玉井日穣)
阿部日顕師に答える(1) 玉井日禮
阿部日顕師に答える(2) 玉井日禮
「阿部日顕vs.玉井日禮」のあとがき
日蓮正宗と妙法蓮華宗の公場対決(頼日宣)
阿部日顕上人は一山を率いて始拓大御本尊に帰伏随順を(小牧久時)
阿部日顕師に答える(1) 目次
阿部日顕師に答える(2) 目次
「三災七難」到来の兆し
大石寺の《寺社奉行》的構造(菅田正昭)
日蓮正宗は《サイコ・パス》宗団なのか(大木道恵)
◆近親憎悪としての魔女狩りとアリバイ証明
◆求心力維持のためことさら外敵を求める
◆閉鎖空間に蠢く日蓮正宗に民主主義は大敵か
◆歴史を改ざんし抹殺する日蓮正宗
◆不祥事続発の日蓮正宗は錆びついた針金宗か
◆社会的に還元するものを何も持たない日蓮正宗
◆社会的貢献を忌避する日蓮正宗
◆日蓮正宗の反社会性と非宗教性
聖僧であることを放棄した日蓮正宗の本音と実態とたてまえ
◆宗教の公益性を否定する日蓮正宗の閉鎖的独善的マインドコントロール
◆日蓮正宗の「出世間」は敵前逃亡主義ではないか
◆支離滅裂な「言い訳読本」―『正しい宗教と信仰』にみる日蓮正宗が福祉活動に奉仕しない理由
◆成仏を説明できず言葉を弄ぶ日蓮正宗のテキスト
むすび
むすび
日蓮正宗というわが国最大のお寺の信徒数は一千万人以上とされる。その大部分は信徒団体のひとつである創価学会員のメソバーだが、組織としての創価学会は九一年に破門されている。しかし、学会員個々人が破門されたわけではなく、大部分のメンバーは学会員でありながら、大石寺の信徒でもあるというネジレ現象が続いていた。
九七年十月一日、このネジレ現象に終止符をうつためか、日蓮正宗宗務院は数百万人の学会員に対して、事実上の破門通告をおこなった。
それによれば「九七年十一月三十日までに創価学会を脱会しなければ、日蓮正宗の信徒資格が(自動的に)消滅する」というものである。
宗門側の数字によれば、創価学会にも籍を持っ信者の数は現在二百万人以上という。(実際は三、四百万世帯か?)
そして「そんなに多くの人が(創価学会から)ぬけることはないと思いますがあえてこの策をとりました」(正宗宗務院秋元渉外部長)といっているが、事実そのとおりになるだろう。
この一挙に数百万人の信徒を事実上破門にするという事件は、そのスケールにおいて古今東西に例をみない処分である。
かりに万一、現在の創価学会の憎悪のマトとなっている阿部日顕管長が退座して、学会が正宗に復帰するような奇跡が起きたとしても、この大量破門という処分を撤回し、以前の関係に修復することは、不可能であろう。
それは、日蓮正宗という宗門が本尊を絶対視する教義によって成り立っているからである。
その本尊は、正宗の歴代の法主が書写したものの写しで、しかも法主が開眼(魂を入れること)して「血脈」という「気」を入れたものでなければ有効ではない。
そして破門ということは、その「気の流れ」が元栓で止められることを意味するわけだから、本尊としては無効になる。
無効になるだけならまだよい。
「気」の脱けた本尊は逆に悪鬼魔神の棲家となるというのが、いわゆる「神天上の法門」で、日蓮はこの考え方にもとづいて『立正安国論』をあらわした。
いままで、正しい仏の魂魂がやどっているものと信じて、それなりのゴリヤクがあったかもしれない大石寺の本尊の血脈(気の流れ)を一方的に断ち切られ、タダの紙切れになるならまだしも、悪鬼魔神の棲処とたると脅されたら、だれしもいい気はしない。
もともと、この本尊は、大石寺から貸してもらうというたてまえにたっているから、大石寺に返却すればよいのであるが、そこまでケジメをつける学会員はきわめて少数であろう。
そこまで見越してか、創価学会では、すでに「自前」の本尊を造り、学会員が所持していた大石寺の本尊と交換をはじめている。
「自前」といっても、大石寺二十六世日寛の本尊で、誰かに授与したものの授与書きの部分を削ったものらしいが。大石寺の法主が開眼入魂したものでないから、大石寺では『ニセ本尊』といっている。
その『ニセ本尊』を、大石寺の本尊と交換するということは、創価学会が、大石寺の血脈の正統性を完全に否定したことを意味している。
ここまで本尊と血脈の意義がないがしろにされ錯綜してくると、どちらが正しくてどちらに非があるか、単純には論じられたい。
ただひとつ言えることは、正宗、学会のどちらにとっても宗祖である日蓮聖人が、
「仏法の正邪・優劣は、実人生実生活上にあらわれた結果や証拠によってきまる」(取意)
ということばに従えば、ことしの十一月三十日以降、双方の組織や個々入にどのような現証がみられるかによって判断するしかない。
わかりやすくいえば、どちらに罰の現象があるかということである。
罰といっても全体にあたる「総罰」、個人にあたる「別罰」、はっきりしない「冥罰」などいろいろあるが、誰の目にもそれと分かるような現証(象;なければ、日蓮仏法そのもののカナエの軽重を問われるであろう。
また、何事も起きなくてもそうである。
今回の大量処分について管長の阿部日顕氏は、
「けじめをつけさせることも慈悲である」
と、自分たちは裁かれないと思っているようだが、そんなことはない。
たとえ仏であったとしても、もしまちがったことをすれば
「ほとけも自ら地獄へ堕ちる」
というのが、宗祖の教えなのである。
もし何事も起きなければ、大石寺法門そのもののチカラが疑われて、いまどうにか従属している数十万人の信徒すら、大石寺を棄でる結築を招きかねない。
そういう一宗の死活存亡をかけた「勝負」として、今回の問題をとらえたければならない。
この本の成立の経緯についてふれておきたい。
私が、『立正安世論』第一巻を出したのは平成三年(一九九一)の夏で、私の主宰する宗門の総講頭小牧久時博士は、さっそくそれを日蓮正宗の阿部日顕管長に贈呈した。
阿部管長および大石寺の幹部僧侶は、その内容を読んでおどろいたようだ。ちょうどそのころ創価学会と池田大作名誉会長を宗門から追放する「C作戦」なるものが進行中だった。
そして、宗門から追放されたばあい池田創価学会がひょっとすると、私のあらわした「万年救護始拓大本尊」を担ぐのではないかという疑心暗鬼にとらえられたふしがある。
そこで、この際玉井禮一郎の本尊論を徹底的に叩いておこうというわけで、八月二十九日、大石寺大講堂に全国から教師僧侶約六百二十名を集めての講義となった。
その内容は『大日蓮』(平成三年十月号)に無慮五十四ページにわたって掲載された。
しかし、この雑誌は当事者である私のもとへは送られてこず、私は小牧博士からの通報で始めてそのことを知った。
この一事をもってしても、日蓮正宗という宗門が、いかに「夜郎自大」であり、礼儀をわきまえない集団であるかを証明してもあまりある。
そのなかで阿部日顕氏は、
「このような類書は多く来ることがあるので、そのまま歯牙にも掛けず放置した」
といいながら、歯牙にかけて下さったからには、それなりの理由があったにちがいない。
ともかく、私はその阿部講義を読むや、ただちに反撃を開始、その年の十二月に『立正安正論』の第二巻と第三巻を同時に発行、その中に反論を分割して掲載し、阿部管長へ送った。
「法論はどちらが負けてもシャカの恥」
ということわざがあるが、むかしの僧侶はよく法論をしたものらしく、負ければ、ケサやコロモとともに寺まで勝った方にあけ渡したことも珍しくなかったらしい。
いまやそんな殊勝さはツメの垢ほどもない時代だが、私は阿部日顕氏から私の反論に対する再批判は当然あるものと思っていた。
そうすれば、日蓮教の根幹にかかわる本尊義をいっそう深めることになると期待していたにもかかわらず、まる六年を経過した現在、まだ反応がない。
「唖法を受けたるバラモソの如し」
というが、まさに、そのたぐいである。
ことここに至れば、この平成の「大法論」は不肖この私が勝ったことになる。
日蓮仏教の世界の「王者」を誇号していた宗門を沈黙させた私は、王者の上位、つまり「法王さま」ということにたろうか。呵々!
ともかく、そういういきさつを踏まえて、平成三年に発表したものを一冊にまとめ、さらに創価学会員の一斉破門という事態とにらみ合わせて。大石寺の特異体質を糾すために発行した。
考えてみれば、皇室の御帰依まで得た大石寺と言う宗門は、いまのままでは、あまりにも惜しい。その大石寺を支えてきた創価学会もしかりである。
この本がそれらの反省と新生の一石となることを祈る。
平成九年十一月一日
玉井禮一郎
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