20万人しかいなかったから30万人殺せない、というのはウソ2012.03.05 reviced
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南京市政府
書簡 11月23日 『調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約50余 万である。将来は、およそ20万と予想される難民のための食料送付が必要である』 出典 中国抗日戦争史学会編『南京大屠殺』 『南京事件』pp220 笠原十九司著 岩波新書 |
37
年11
月25日 今日は路線バスがない。全部漢口へ行ってしまったという。これで街はいくらか静かになるだろう。まだ二十万人をこす非戦闘員がいると言うけれども。 ここ らでもういい加減に安全区が作れるといいが。ヒトラー総統が力をお貸しくださるようにと、神に祈った。 『ラーベの日記』 |
39D南京
の状況 1937年11月27日 3 市民の脱出は続いているが、市長の話では30万から40万の市民がまだ南京に残っているとのこと。 『南京事件資料集』アメリカ関係資料編pp90 |
37年11
月28日 警察庁長王固盤は、南京には中国人がまだ二〇万人住んでいると繰り返した。ここにとどまるのかと尋ねると、予想通りの答えが返ってきた。「出来るだけ長 く」つまり、ずらかるということだな! 『ラーベの日記』 |
37年12
月6日 し かもこいつは(注 中国軍のある将校)蒋介石委員長側近の高官と来ている!ここに残った人は、家族を連れて逃げたくても金がなかったのだ。おまえら軍人が 犯した過ちを、こういう一 番気の毒な人民の命で償わせようと言うのか!なぜ、金持ちを、約八十万人という恵まれた市民を逃がしたんだ?首に縄を付けても残せばよかったじゃないか? どうしていつもいつも、一番貧しい人間だけが命を捧げなければならないんだ? 37年12月10日 それはそうと日本政府と蒋介石はなんといってくるだろう。一同、固唾をのんで待っている。何しろ、この街の運命と二十万の人の命がかかっているのだ。 『ラーベの日記』 |
「陥落時人口20万人」を示す統計調査はな く、事前の予想にすぎない |
郷 区人口と南京防衛軍の人員を計算 にいれない、「陥落時人口20万人」説はウソである。 |
虐 殺人口の推計は殺害数、死体数、埋葬数などの積み上げによって行なうべきである。 |
注)虐殺終了時の人口は、12月末の日本軍による安居証の発行数及び安全 区内の状況からラーベらが推測した25万人と、3月末における日本軍特務委員会調査な どによる26万6000人が基準となる。 |
確実な「陥落人口」の範囲は80 万人から41万人の間にあるとしか言えない。 |
『目撃者の南京事件』滝谷二郎(三交社)pp177 南京が陥落したとき、城内に四〇万人の人が住んでいました。難民区を設立してから、家賃が高くて住んでいた人は一五万人くらいですが、難民区外に住んで いた住民はほとんど敵に殺されました。 |
『目撃
者の南京事件』滝谷二郎(三交社)pp196 統計によると住民は一〇〇万人いますが、戦争が始まってから残った人は四〇万人くらいで、ほかの人はみんなよそへ逃げさりました。難民区が成立してから家 賃が高くて、入れる人が少なかったから、中華門、光華門、通済門に住んでいる庶民はみな日本軍に虐殺されました。 |