「プロパガンダ写真研究家」松尾一郎の目の節穴度 写真判定の杜撰−総集編 2004.1.22 first upload |
1.集団銃剣殺の写真 タラリ 夏服を着ているから、夏だと言うが、南京攻略軍のなかには補給が間に合わず、十二月になっても、夏服を着ていた部隊がいると聞く。夏服だけでは、夏と断定出来ないのではないですか。 私は大きな写真でも見てみましたが、夏服と冬服が区別出来るほどの解像度はありませんでした。というわけで、松尾さんは「夏服が多い(冬服は少数)」と言ってみたり、「全部夏服」と言ってみたり、私の突っ込み方次第で自在に主張を変えていたのです。みなさん、松尾さんはこういう写真判定をしているのです。 ただし、大きな写真でみると影の短さから夏であることは判断できました。松尾氏は、記事からいつ撮影されたかを読んで、南京陥落時の撮影ではない、ということを強調しているわけだが、それがどうしたというのか。南京虐殺をした後になっても、まだ、捕虜の集団虐殺を続けていた、ということを示しているわけだが、それはいいのか。
この写真は松尾本pp86(写真27)、松尾サイト「反日映画『バトルオブチャイナ』と『中国之怒吼』」の章にある(写真3−3)である。松尾氏によると、この写真は、米国写真雑誌1938(昭和十三)年11月22日号『ルック』ではじめて紹介されたとする。しかし、「チャイナ・ウイークリー・レビュー」1938年8月13日号の方が早い(渡辺さんに教えて頂きました)。
松尾HPではこう説明されている。
写真3-3の刺殺シーンの見物人の中には白色夏服を着ています。 ちょっと隠れてますが夏服を着た人が写っているのですから「南京事件」の有ったとされる昭和12年12月から翌年2月上旬までは時期として真冬です。
写真1
南京の平均気温は12月(4.4度)1月(2.2度)2月(3.9度)ダイアモンド社『地球の歩き方−中国−』。
むちゃくちゃ寒いと言われる南京でシャツ1枚でいるなんてよっぽど、特殊な趣味の方なんでしょうか?(笑)
それから、私がこの写真に興味を持つのは電脳板において、2002年冬に松尾氏との間において、下のやりとりがあったからだ。
松尾 そうです。しかし、夏服が多いですから、夏ですよ。
タラリ どれが夏服ですか。まっ白いのは上着を脱いだわけですから、夏も冬もありません。
松尾 黒い服にちょっと隠れていますが、夏服のがいます。
タラリ えっ。夏服と冬服がいるんですか。どれが夏服か、冬服か、この写真ではわかりません。大きい写真をアップして下さい。
松尾 いや、全部夏服です。
2.生き埋めの写真
写真2.中程の白い線は雑誌からの再コピーのために生じたことがわかる。
写真3.Pictorial
Review誌1943年10月1日号の写真は切れてはいない。
松尾本pp86(写真27)であり、松尾サイト「反日映画『バトルオブチャイナ』と『中国之怒吼』」の章にある(写真3−1)である。
1.写真3-1は「生き埋めの現場」との解説ですが、見守っている日本兵らしき人達の後ろに校舎らしき建物が写っています。南京の中に学校の校舎らしき建物は「安全区」以外ありません。
「校舎らしき建物」という言葉は非常に広い範囲になる。いろんな官公庁や、寄宿舎なども校舎らしく見えることもあるだろう。安全区以外に校舎らしき建物がないなどと、何を根拠に言うのた゜ろうか。第一、安全区以外にだって学校そのものが多数あるのだが。地図で見ると金陵大学、第四師範、鐘英中学、・・・。
2.安全区は無用の日本兵は入れませんでしたし、わざわざ入って生き埋めを行う訳がありません。
上述のようにこの写真が安全区という証明はない。ときに、「敗残兵掃討目的」ならば、安全区の中に日本軍は入ってよかったし、略奪、強姦のためにも入っていたというのが正しい事実関係である。
3.結論を言うとこれは完全な合成写真です。
見物人の視線が全く合っておらず、ばらばらです。
写真の構図のせいで、密集しているように見えるが、見物人の頭の大きさを見較べると相当奥行きがある。足の位置を見ても同一平面にはなく、後の兵の足は上方にある(遠近法)。後方の日本兵からは生き埋めの様子はよく見えない。また、斬首のようなスペクタクルではないので、熱心に見ているものも少ない。視線があわないのは当然である。そして、前方と後方の兵を合成するのは非常に困難である。
4.しかも被埋葬者が穴と一致していません。
そうは見えません(笑)。
5.左側の斬れたところに合成が失敗して出来たところがあります。(兵士は半分の体になってます)
この写真ではこれらをトリミングして誤魔化しています。
これは一番笑える。松尾氏はおそらくPictorial
Review誌とは別の写真雑誌に載っていた、ページにまたがった写真をまた撮りした写真を引用したのだ。右の図では切れていない写真が実在することがわかる。雑誌のコピーの際にできた切れ目も合成の失敗だと主張するお粗末な写真判定。
第一、そんなところをトリミングすることにどういう意味があるのか。視線が合っていない、と言うからには、写真の上下をつなぎ合わせていなければならないはずだが、つなぎ目は見えない。それほど上手に作ってあるのに、なぜ、左右だけ失敗するのか。
3.集団虐殺の写真
次の写真は松尾サイト「南京戦における戦死者の死体(当然、戦争なのだ)」中の写真2-3です。
松尾主張は
ちなみに写真2-3は単に南京城外・内での戦死者の死体を集めた場所で撮影。
となっています。
しかし、写真を見ると縛られた後手が見えるひとが一人と、後手に縛られたとしか見えないひとが二人います。この三人は座ったままでうなだれた姿勢で死んでいます。その他もほとんどが座ったままの姿勢から前のめりになって倒れた人が多く、一番手前に後に反っくり返って倒れている人がいます。
写真4.
倒れた向きを考えると死体は総て生前には画面左方向を向いていたものと考えられ、一人の例外もありません。最前列の一人と中央に一人が戦闘帽のようなものをかぶっています。また、服装の色がほとんど同じに見えることから、中国兵の一団である可能性が高いと思われます。
戦死体では座ったままの姿勢で前に倒れるような死に方はまず考えられません。戦死体を一カ所に集めたとすれば、乱雑な姿勢、乱雑な向きになるのが普通で一定の向きに並べることは考えられません。後手に縛られているということは捕虜として連行されたことを示しています。これらを総合すると捕虜として連行され、この場所で集団処刑されたと考えられます。
また、「戦死者の死体」(この表現自体も重複あり)と言うにとどまらず、根拠なしに「南京城外・内」という句を付け加えるのも松尾氏特有の「クセ」と言えます。
4.銃剣を持った写真
松尾サイト「反日映画『バトルオブチャイナ』と『中国之怒吼』」の章にある(写真3−6)です。
写真3-6も合成写真で、左右別々に撮られ合成しています。
簡単なトリックですよ。
だって左右の色が違うでしょ。
それを隠すために壁を使っていますけど光はごまかせませんね。
松尾さんのページの写真は日焼けしたような変色が見られます。また、右側の壁が暗く塗り替えられています。しかし、南京の資料館にある写真(下)では壁の色の変化はありません。二人の人物の顔、体の陰影からすると太陽は高い位置にあり、やや右から射しています。資料館の写真では壁の色は人物の陰影と合っています。
写真5. |
5.崖下の斬殺写真
松尾サイト「反日映画『バトルオブチャイナ』と『中国之怒吼』」の章にある(写真3−4)です。
この写真について、
写真3-4日本刀を持って死体らしきモノの真ん中に立っている写真ですが、日本兵のうしろは崖となっていますが、南京には崖はありません。
そして顔の陰と切り落としたとされる顔をつかむ手に合成のミスがあります。
そして決定的な事は斬られた首の口元がしっかり締まっている事です。人間は死亡すると筋肉が弛緩(ゆるみ)しあごがだらりと緩むはずなのです。
写真6.この写真でも日本兵は笑っている。 | 松尾氏は手の合成ミスを指摘する | 口は開いている。 |
1.南京には崖がない。
南京には城内だけでも山と名前がつくものは、五台山、馬鞍山、馬家山、清涼山、獅子山、富貴山とあるのですが、これらの山にひとつも崖がないのでしょうか。また、南京の城外には紫金山、幕府山etcがあり、幕府山と揚子江の間は狭隘で絶壁も、石切場もあります。幕府山の収容所B(砲台下の収容所)のすぐ外も崖なのですが。
2.顔を掴む手に合成のミスがある。
この画像自体が不鮮明であり、どのように「顔」(頭部というべきでしょう)を掴んでいるかの情報は読みとれません。合成のミスを指摘ができる、ということは、手が頭部をどのように保持しているか、あるいは保持するのが適当であるかがわかった上で、無理な手の位置になっていることがわかって始めて指摘できることです。この写真ではその前提が成り立ちません。
3.口元がしっかり締まっているのがおかしい。死亡するとあごがだらりと緩むはずだ。
この説明はセーラー服のときとと同じで、間違いです。
また、写真をみてもしっかり、締まっているとは言えません。念のため、ネガ・ポジ反転して90度左回転してみました。下唇と上唇の間にかなりの隙間があり、半開きの中間位であることを示しています。
もうひとつ、「斬首されると完全に弛緩するから、大きく口を開けるはずだ」という主張であれば、水平より頭の上の方がさがっていますから、顎は重力にしたがって締まることになります。