グース愚論を解剖する

ドツボには まった、
「東京裁判によるでっち上げ」説
                                2008.2.26 first upload

  
『南京大虐殺否定論13のウソ』の 中で藤原は、否定派が「東京裁判で南京大虐殺がでっちあげられた」と主張していることに反論している。グースは彼のHPでこれに再反論を加え た。だが、グースに東京裁判の事実経過に対する正確な知識が欠落しているため、とんでもない議論を展開している。それに加えて、否定派が共通して叫んでい る、「南京大虐殺とは30万人虐殺のことである」という妄説をベースとしているので、誤りをいちいち指摘すればきりのない愚論を展開している。
 
  『「東京裁判によるでっち上げ」説こそがでっちあげ』。というこの記事は藤原彰教授の論文で、『否定論13のウソ』の冒頭第一章に掲載されています。 この論文の問題点は(1)「南京で発生した事件」と、「南京 大屠殺30万」の区別を(おそらく意図的に)区別しないで論じている部分ですこのトリックは「否定論 13のウソ」全体で使用されています。

   そもそも藤原は『13のウソ』の中では30万人説は一回たりとも取り上げていません。一貫して「南京で発生した事 件」について論じ、その虐殺の実態が時代を追って次第に明らかになる過程を詳述しているのにすぎません。 『13のウソ』の中だけでなく、他の著書においても、30万人説を主張したことはありません。その藤原が『南京で発生した事件』と、『南京大屠殺30万』 の区別」をしていない 、と いう批判がどうして成り立つのか不思議です。どこでそういう趣旨の発言があったのか、是非示してほしいものです。

  まず最初に理解しておく事は、(2)中国側が今現在も主 張しているような「南京大屠殺30万」は、現在の日本では学術的に否定されているということです。日本の 虐殺派の研究者でも30万を主張する方は見当たりません。虐殺派筆頭の笠原教授でも、中国側主張の南京大屠殺の範囲、中国が30万を主張している範囲で は、10数万という推定しているにすぎません。(軍人8万、民間人5万〜6万程度で10数万=笠原説。ただし範囲を数十倍に広げ、時間を延長すれば20 万以上もありえるとしている。この説については別ページで検証)。

  現在の日本では被害者30万人と主張している学者はいません。しかし、被害者が30万人か、日本側主張の10数万人から20万人か、という議論は日中 の歴史家の間で、まだ本格的にされたことがないのが実状です。その ため、外国でも両論を併記する国は多くあります。日本の中では 30万人説を支持するものがないというだけで、国際的には両方の説が共存している状態というのが正しいでしょう。
  しかしながら、1937年に南京で多数の武器を捨てた兵士、無抵抗の市民が殺されたということは日中両国の歴史学者がともに認めています。
こ のことをしっかり記憶しておく必要があるでしょう。
 

 ですから、「南京で発生した事件」と「南京大虐殺」は分けて考えなければいけません。わかり易く言うと(3)「南京大虐殺は虚構であり、悪質なプロパガンダである」と認めたうえで、南京でどのような 事件が発生したのかを論じる必要があるという事です。

  南 京で無抵抗の軍民多数が虐殺されたということはすでに多数の歴史学者によって証明されており、虐殺はなかったというのはすでに学問的に否定されているので す。
 
 「虚構であり、プロパガ ンダである」とのことですが、これを主張するためには”南京で多数の無抵抗の軍民が殺された事実はなかった” ことの証明 を前提として、”なかったという事実を知った上で意図的にウソを振りまいた”というもう一つの証明が 必要です。グースのような素人が歴史学を研究して悪いということはない し、個人的な研究を元に従来の歴史学の常識に反したことを主張しても差し支えはないですが、まず順を追って「虐殺はなかった」ということを「証明」した上 で、「プロパガンダ」の「証明」をしなければなりません。「プロパガンダ」を認めた上で、何があったかを論じる、という ように証明の順序を逆にしますと、いかに熱心に研究されても意味のある結論は出ないことを保証しておきます。


 ここがポイントなんですが、(4)南京大虐殺否定論というのは、中国の主張するような数十万市民を大量に 殺戮したという事件は発生しなかった、という論なのです。 
言い換えると、虐殺否定論というのは、南京で日本軍兵士の犯罪が一件もなかったとか、中国兵の処刑が一件もなかったという主張ではなく、中国側主張の”軍事行動とは無関係に数十万市民を殺害した”という事件の存在を否定しているので す。 

  南京大虐殺否定論というものもグースの専売でない以上、いろいろな主張があります。上記の主張はグース個人の主張として承っておき ましょう。 しかし、南京大虐殺否定論を「数十万市民を殺戮しなかった」と規定するならば、偕行社、板倉はもちろんですが、秦郁彦、あるいは、いわゆる「大虐殺派」ま でも南京大虐殺否定論者ということになります。
  東京裁判の判決では虐殺総数を10数万から20数万としています。虐殺された兵士の数は南京防衛軍の規模からするといくら大目に見積もっても10万に 達しませんから、市民の虐殺数は精々数万から10数万と認定したということになります。 東京裁判の判決書はだれもが読むことができるものであり、議論の余地はありませんから、グースの「南京大虐殺否定論」の定義によれば、東京裁判は南京大虐 殺を否定したということになります。「東京裁判で南京大虐殺がでっちあげられた」というのが否定派の主張だったはずですが、これをひっくり返してグースさ んの方はご満足なのでしょうか。

 また、悪用かどうかは主観の問題なのですが、(5)「南京 大虐殺30万はなかった、だから南京大虐殺は虚構である」という主張が、論の立て方として間違っていない(虐 殺論に対する反論として有効)ということは笠原教授も認めているようです。つまり「学術的には30万虐殺は否定された」と理解して問題ないでしょう。
 

  論の立て方はまったくの間違いです。被虐殺数が10数万人から20万人か、30万人かで日中の歴史学者の議論は分かれますが、10数万人はおろか、数 千人であっても大虐殺とするのに問題のない数字です。 ですから、笠原も大虐殺を問題にしているのです。笠原がそのような「論の立て方」を認めた、という事実は一切ありません。顔 を洗って出直した方がいいでしょう。

南京で日本軍の犯罪があったことや、中国兵に対する処刑が行われたことについては事実ですから、否定派(まぼろし派〜中間派・4-5万説)でこれらをまっ たくなかった、と否定している研究者はいません。(6)東京 裁判での弁護側の主張も、犯罪がまったく無かったという主張ではなく、中国側の主張は過大であり、大部分の事件は中国側の敗残兵が行なったものではない か? という主張をしています。

  事実関係がまったく違います。検 察側の論告は組織的な殺害を松井大将が入城後に阻止しなかったという ことです。松井を無罪にするために弁護側に求められる反論は日本軍は殺害をまったくしなかった、ということであって、そんなにはなかった、もっと少なかっ たということではなかったのです。しかし、多数の殺害があったことに対して弁護側はまったく反論でき ませんでした。
  また、弁護側は確かに「殺害は中国側敗残兵が行ったものではないか」という尋問を検察側証人に対してしております。しかし、被告の無実は弁護側が弁護 側証人を立てて立証すべきものです。 ところが弁護側は証人を立てることすら出来ず、進退窮まった結果、無実の証明を検察側証人に求めるというドタバタ劇を演じざるをえませんでした。検察側証 人は 当然のことに「中国側敗残兵が行ったという事例は知らない」と答え 、万事休すという形になりました。

 否定派の中でも、まぼろし派と中間派の間で議論がありますが、それは「大規模な市民殺害はなかった」という前提で、ゲリラ狩りをした際の処刑手続きの問 題や、捕虜殺害に関する国際法の解釈によるものです。 大規模な市民の殺害はなかったが、中国兵の処刑はあった。それが「虐殺か、合法か」という議論が中心です。(7)大規模(5万規模)な市民殺戮がなかったと言う点では、中間派4-5万 説(秦教授など)も南京大虐殺否定派のほうに分類されるでしょう。

  大規模な市民殺害はなかったという「前提」をいったい何を根拠として言ったのかは不明ですが、5万人でなければ大規模でない、という議論はいささか説 得力に欠けるのではないでしょうか。もし、4万9000 人の市民を軍事行動と無関係に殺害したとして、それが大虐殺にはならない、というのはどういう理屈か首を傾げます。 

  一方でグースは「南京大虐殺否定論というのは、数十 万市民を大量に殺戮したという事件は発生しなかった、という論 」と書いています。数十万というのは日本語の語感から言いますと、通常30万人以上のことでしょうから、29万9000人から5万人の市民殺害を主張した ならば、それはいったい「南京大虐殺否定論」なのか、そうでないのか、いったいどっちでしょう。
 

   30万人虐殺がはじめて主張されたのは東京裁判に先立つ、南京軍事法廷においてです。東京裁判での認定では市民の虐殺は数万から10数万にとどまります。 「30万虐殺が主張された」、「市民だけで20数万人以上が虐殺された」 などが認定された事実はありません。

 「東京裁判で南京大虐殺がでっち あげられた」というのは東京裁判の基礎的な知識もなしに、適当に言っただけの戯れ言に過ぎません。

  また、グースの南京大虐殺の定義は、あちらでは数十万人市民と言い、こちらでは5万人と言い、否定論の展開を容易にするために数字を適当に操るという節操 のないものです。





   さて、後段のグースの議論はすべて次の言い古された妄説を基礎としています。したがって、以後の議論はほとんど救いようのない繰り言にしかなりません。

南京大虐殺とは30万人虐殺のことだ。30万人でなければ、南京大虐殺ではない。30万人の虐殺 は学問的に認められていない。したがって、南京大虐殺はなかった、虚構だ、プロパガンダだ。

  「南京大虐殺とは30万人虐殺のことだ」という出だしからして間違っています。南京大虐殺とは南京で無抵抗の大量の軍民が殺害された事件のことを指し ますが、大規模な虐殺、災害、空襲などは 被害者数に諸説があるのが通例です。
  発生直後は被害の規模を把握することが困難です。集中して大量の被害者が発生する場合、被害の記録を残す人がいなくなります。もともとその地にどれだけの人が生息していたかという資料さえも焼失・消失するこ とが多い。長い年月の後に研究を妨げる要因がなくなり、地道な研究の結果、あるいは、被害者数を決定する必要が高まったに後に新たな視点で研究が進み、被 害者数が書き改められるという事例は多いです。

  南京大虐殺の被害者数に諸説があるのはだれしもが認めるところです。したがって、○○万人にでなければ、南京大虐殺ではない、というようなことをいう のは特殊な意図を持った人の言うことだということが理解できるでしょう。

   調べて見ると面白いのですが、南京大虐殺とは30万人を必須の要素とするとして、定義したのは否定派の板倉由明なのです。中国で は「南京大虐殺」の定義なるものを被害人数を必須の要素として作成したことはありません。 ちょうどグースが否定論の定義を自分に都合がいいように、自己の否定論を展開しやすいように「南京大虐殺の定義」において被害 人数を適当に決めたものにすぎません。「中 国の定義は30万人虐殺」は議論の拒絶のため を参照のこと)

  この後の議論は当時において30万人虐殺とはスティール、ダーディン、ティンパリー、広田電文、ノースチャイナ・デイリーニューズ、石井猪太郎のだれ も報告していない、だから「南京大虐殺」が当時から知られていなかったのだ、藤原論文はトリックだ、という浅薄な論理であって論評に値しません。
ティ ンパリーが工作員だとかの陰謀論はすでに北村批判で行っていますので、参照して下さい。

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