東中野「反日攪乱工作」説のまぼろし(1) 『ニューヨークタイムズ』記事(1938年 1月 4日号)をどう読むか 2013.06.04 upload |
「『南京虐殺』の徹底検証」東中野修道 pp275 ところが、そのこと(註 強姦があったという デマが飛び交うこと)を裏付ける驚くべき記事があった。それが、一九三八年一月三日上海発の『ニューヨークタイムズ』の記事 (一月四日付 け)である。「元支那軍将校が難民の中に――大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに」と題する記事は、次のように言う。以下は全訳である。
南京安全地帯は中立地帯であった。そこに、ベイツやスマイスなどアメリカ人教授が支那軍将校を匿っていたのである。これは重大な中立違反であった。その 上、あろうことか、<市民に変装した現役の将校たち>が掠奪や強姦を重ねては、日本軍の犯行にしていた。 |
情報源を書かない記事
南京には当時、NYタイムズだけでなく、欧米の記者は
まったくいない。この記事は「・・・であった、・・・した」と書いてあるが、だれがそれを見たのか、書いていない。情報源として・・・によればという断り
も書いていない。新聞記事として問題がある書き方である。
当時の南京でこのような情報を持つものは日本軍しかいない。ただし、日本軍の情報であることを明らかになると、信憑性を疑われ、新聞に扱われない恐れが
ある。情報提供者は、日本軍から漏れ伝わったように印象づけながら記者に情報を伝えたのであろう。とすれば、この記事を「
日本軍が自己に有利な情報を流しているのではないか」という警戒なしに読むことはできない。
元中国軍将校の犯罪をどのように知ることができたのか
記事の中身にも不審なことが多い。
首謀者を逮捕しながらその姓名も記していない。記事の骨子は難民キャンプで働いていた元中国軍将校が、略奪、強姦をした、捕まったということである。通
常、犯罪事件の記事であれば、犯人があるきっかけで捕
まり、治安当局が追求した結果何々の犯罪を自白したという経過になる。この記事では犯人がなぜ捕まったのか、なぜ中国軍将校と判明したのか、犯罪事実は治
安当局自身が見つけたのか、そうではないのか、自白はいつどこで行なった
のか、すべて曖昧なのである。
日本軍によるいわゆる「便衣兵の摘出」(当時の資料では「敗残兵の掃討」)は行われていたから、その過程で将校が捕まるということはありえる。しかし、捕
まったものたちは安全区内の摘出現場で即時の判断が行われ、そのあとはすぐに処刑された。したがって、彼らは敗残兵の掃討で捕まったのではない。
もし、略奪、強姦の現行犯を日本軍憲兵が捕まえたら元中国兵であったという事件経過なら、元中国兵の犯罪を知ったことの説明は可能である。しかし、この当
時、憲兵が安全区内の一般的な治安
を担当していたという記録はない。また、現行犯で逮捕したのであればそのように発表したはずである。
残る可能性は元中国軍将校の隣人が彼の元の身分を知っており、かつその犯行に気づいて日本軍に告発したということである。これならば、元中国兵の犯罪を知
る過程の説明にはな
る。ただし、普通の南京市民が元中国兵を何の理由もなく日本軍に告発するとは考えられない。もし、怨恨から告発したとすれば、
そこには何らかの虚構が混じっている可能性がある。
外国人は正体を知って匿ったのか
外国人たちの前で犯罪を自白したとあるのは目を引く。日本軍憲兵に連行され、尋問された後に自白したというなら理解できる。連行前に、しかも強姦のような
恥ずべき犯罪を、「アメリカ人や他の外国人」の前でスラスラと告白するという
話をいったいだれが信用するだろうか。
また、外国人教授たちが「匿っていたことを発見した」というのは変な話である。匿うというのは意識して人を隠し続けることで、それを自分が発見して当惑す
るというのは矛盾している。
したがって、外国人教授たちが匿っていたというのは外国人を陥れるためにそういう言い方をしたのであり、外国人たちの前で自白したというのは外国人たちの
「責任」を際だたせるための作り話と見ることができる。
掠奪・強姦を日本軍のしたことに偽装することはできるのか
掠奪や強姦を日本兵がしたようにするとはいったいどういうことか。ひとつの方法は、犯行に際しては日本軍の軍服をあらかじめ用意し、中国語をひとことも話
さないで日本
語に似せた言葉を話さなくてはならない。日本軍の軍服を着用することは危険極まりないし、日本兵らしく振舞うのも非常に難しい演技である。
この記事自体の内部検証はこれで終わりである。次は他の資料との比較対照による検証である。
他の資料から真相を探る
そこで、文献を当たって見ると、この事件は国際委員会にも記録されている王新倫事件とよく符合する。その事件はこうである。国際委員会が身元を知らなかっ
た、王新倫という男が難民の世話の役についた。ところが、任という
上司との関係が悪化して、任が王は元日本兵であり、武器を隠し持っていたと日本軍に密告に及んだ。十二月三十日、日本軍憲兵隊が来て、王と他に4人が捕
まった。他の4人の身元は国際委員会が以前から知って
おり、兵士ではないとして、かれらの釈放を要求したが容れられなかった。一方、王は南京警察に勤めていたと聞いていたものがいたが、本当にそうであるか、
どうか国際委員会は知らなかった。したがって王については国際委員会も釈放要求を見送った。王はまた、強姦をしたと告発されたが、彼を知るひとはそれを否
定した。
(以上は史
料:「王新倫事件」と東中野氏の「反日攪乱」説)
『南京事件資料集 1アメリカ関係資料編』p.291 十二月三十日 木曜日 |
「愚かな中国人」がいさかいから、難民キャンプで働いている、ある男を元中国軍将校だと日本軍に訴え出た、という話が記載されていま す。
『南京事件資料集 1アメリカ関係資料編』P.148 南京、金陵大学 一九三七年十二月三十
日 |
出てくる中国人名は元は英語表記な
ので、訳者により推定の当て字が使われています。ワン・シンロウまたはワン・シンリンには王興龍または王新倫が当てられます。東中野は王信労と当てていま
すが、労は中国語の発音ではラオとなるので適切でない当て字です。
陳嵋(または王興龍)は難民の世話に親身に働いていたが、元保安隊として捕らえられた。(後で見るように王は元南京警察(保安隊とも言う)の刑事、ただ
し、日本軍は警察官も敵視して半数以上を連行して殺害している)。また、
王興龍の仲間だとして、他に三人が武器を隠匿していたという容疑で捕まった。おそらく敗残兵が捨てた武器が日本軍にみつかると危険だからということで人々
が埋めたり池に投じていたものだと思われる、ということです。
『日中戦争史資料 9』p.176-177 第二十八号文書 王新倫事件にかんする会談の覚書 一九三七年十二月三十一日午後二時三十分 出席者 C・Y・徐(訳音)博士 収容委員長 呉国珍(訳音)第六収容区長 M・S・ベイツ博士 金陵大学緊急委員会委員長 ルイス・S・C・スミス博士 国際委員会書記 1 徐博士は自分は収容区長にたいしては何ら責任をもつものではないと指摘したので、区長らは自ら下部の人々を任命した。 2 第六収容区長は呉氏で、この男、王新倫(訳音)をよく知らなかった。しかし、両者は同郷人で王が収容委員会の職員になってから近づきになった。養蚕 所の元責任者は呉氏の父親が任命したもので任則賢(訳音)という。この人はさして有能ではなかったので、この王新倫に手助けをたのんだ。 3 呉氏は王氏が南京警察の刑事であったことを知っている。 4 この任という男は王氏をねたんだので、この件を憲兵に報告した。任はいまだに養蚕所にいる。 5 呉のいうには、ほかの四人の男が銃を埋めたそうである。王は銃を埋めたのはこれらの四人であると兵隊にいった。 6 ベイツは、中国語の書類に署名した男はこれ以前は「リエン・チャン(大尉のこと)」だったというが(呉はそれを「ルー・チャン(大佐)」だと主張し た)、金銭上のことでこの元「リエン・チャン」と王はごたごたをおこした。後には彼「リェン・チャン」は日本兵と一緒になり、昨日、妻を養蚕所からつれ 去った。「田中氏が昨日、私にいったところでは、この王という男はそこでも女を強姦したそうだ。」呉は王が強姦をおこなったことはないといって否定した。 7 徐博士はわれわれの態度はどうかと尋ねた。ベイツは、もしこの王が元兵士だったならば、われわれの手出しはできないといった。それは軍事上の問題だ からである。王は未知の人間としてわれわれのとこ ろへ来た。しかし、二人の召使いについてはわれわれ大学委員会は身元を保証するだろうし、難民を含めて他のものも保証をするであろう。 8 徐博士は日本大使館に報告にいった。 L・スミス |
前のふたつの文書は国際委員会側の認
識を記録したものであるのに対して、この
会談の記録は日本側との交渉に際してどう対処するか話し合った内容のメモ書でいある。1-5までは国際委員会側の認識であり、前のふたつの文書とほぼ同じ
内容で、まとまりがある。6の中で見られる日本側主張は国際委員会の認識とかなりズレがあるばかりでなく、混乱している。
「署名した男」はなにものでどこから 出てきたのか、彼と王氏の関係はどうなのか不明である。王氏が署名した男=大尉または大佐氏とはいさかいをしたというからには別 人のはずだが、途中からこの二人の行動は入り混じってまるで一人の人物であるかのように見える。実際、王氏はその後日本軍によって「大佐」とされた。
国際委員
会の文書にある、王新倫の経過は複数の外国人たちが女子大の難民介護の職員の証言を元に事件を記述された。情報の入手経路が明確で、不審な記述がないので、
国際委員会の文書に
ある事実経過を否定するのは困難である。
一方、日本軍の判断は任氏の申し立てだけで王氏を中国軍「大佐」と断定し、国際委員会からの
事情聴取は一切考慮されなかった。憲
兵の過剰な警戒意識から王氏の罪状は膨らむ一方で武器の隠匿、強姦にまで及んだ。しかし、中国兵が武器を隠し、難民区に逃げ込んでいるというのは当初から
の日本軍の予測通りであり、特に目新しい事態ではなかった。そのため、王の逮捕の時点では特に報道の対象とはならなかった。
NY記事が出たのは南京における暴行
の事実が外部に漏れ、欧米各国から非難されるようになった時期に一致する。王に付け加えられた、強姦をしただけでなく、それを日本軍のせい
にした、という新たな罪状と、外国人に向けられた、王を故意に住まわせていたという非難は南京における暴行をもみ消したり、そ
の反対報道としてのためと思われる。