東中野「写真検証本」の批判総括

東中野が「証拠写真」の源流と称する、63枚の写真の検証を批判する
                                  2018.12.31 upload



何のための写真検証か

   東中野修道著『南京事件「証拠写真」を検証する』(以下、検証本と略す)は、今でも否定派にもてはやされている。東中野がこの著作を通じて広めたかった のは何か。「証拠として通用する写真は一枚もなかった」から南京事件はなかったというのだろうか。

  そ もそも歴史学は写真を歴史資料としていない。 文献資料、記録された証言資料をもって歴史資料とする。捏造写真があろうが、なかろうが、文書資料によって構成された歴史像は変わらない。しかし、一般の ひとびとは写真で歴史が証明されているという錯覚を抱きがちである。南京事件が写真で証明されているという誤解を持っている人々は多い。

  南京事件の写真がウソであれば、 南京事件を否定できると考えた否定論者は昔から存在した。しかし、否定論者の写真検証論の誤りが暴かれて以後、代表的な否定論者である東中野はより巧妙な 言い方をするようになった。

 東中野は143枚の写真検証をして証拠写真が一枚もないと断言したのちにこう言 う。「しかし、私たちはそこまでしか言えない。あとは写真を展示する人、それを見る人 の良識と、ウソはいけないという良心に待つほかない」。「証拠写真」がなかったから「南京事件がなかった」とは言わないのである。東中野は写真は歴史資料 ではないということは知っているのである。しかし、一般人が写真で歴史が証明しているという錯覚はそのまま利用するという立 場をとったのだ。つまり、彼の「写真検証」なるものは「南京事件なかった」という印象操作の道具なのである。

  しかし、南京事件の現場写真は数多く残されている。歴史の証明のために写真は必要条件ではないが、文書資料によってすでに証明されている歴史像のための参考資料としての価値はある。一般の人々にわかりやすく、説得 する資料としての価値は高い。その意味で「南京事件の暴行の写真」は一枚でも多いほうがいい。私はそれらの写真が確かに存在することで、東中野の印象操作、デマゴギー・アジテーションを粉砕しようと思う。また、
南京に限らず、中国での日本軍の暴行を示す写真も数多く存在する。それらの写真を通じて東中野の策謀を打ち破って行きたい。

また、東中野が強調する、演出、修正、合成写真、いわゆるニセ写真が一枚もなかったことを示すことができれば、写真による否定論の根を絶つことができるだ ろう。


南京の写真と表明されていない写真の検証はなんのため?

  東中野「検証本」を読んでどうしても理解できないことがある。本書は「南京事件の証拠写真が一枚もない」ということを 証明するために書かれたはずである。帯書きには確 かにそう書いてある。それならば、「南京の写真である」ことを付記た写真の否定だけを行えばすむはずである。ところが、「検証本」が対象とするのは南京の 写真でないもの、また、南京の写真ではあっても、南京事件の写真とことわっていないものが大半なのである。「検証本」が槍玉にあげる、『日冦暴行実録』に しても『外人目撃中の日軍暴行』にしても南京事件だけを扱っているのではない。前者は日中戦争初期(おおむね1年)に得 られた日本軍の暴行写真であり、後者は上海から南京にいたる江南一帯の日本軍の暴行写真である。


  それなのに、南京以外で撮られたことを明記してある写真についても縷々「検証」をするのは何のためなのか。「検証」の母数を水増しして、証拠写真が一 枚もなかったことを強調し、まだ、検証を受けていない写真 の中にもないであろう、という印象操作を図っているのではないか。

写真枚数の水増しは何のため?

その疑いは東中野が証拠写真の源流と称する、『日冦暴行実録』と『外人目撃中の日軍暴行』の「証拠写真」の数え方を見てもさらに強くなる。第二章の終わり (pp128)では
 

私たちは南京事件「証拠写真」の源流となっている七〇枚の写真の中に証拠写真として通用する写真は一枚もなかったという結論に達したが、読者はどう判断さ れたであろうか。

とある。しかし、『日冦暴行 実録』の写真は「二つの本に 共通して使われている写真」7枚、A群の写真(第2期以降も使われた写真)24枚、B群の写真(第2期以降は使われなかったた写真)8枚の計39枚、『外人目撃中の日軍暴行』の写真は「二つの本に共通して使われている写 真」7枚、A群の写真(第2期以降も使われた写真)10枚、B群の写真(第2期以降は使われなかったた写真)14枚の計31枚である。7枚が共通しているのだから、「南京事件 『証拠写真』の源流となっている」写真の数の総計は70枚では なくて63枚のはずである。こ のような見え透いた数字の水増しが読者に通用すると思っていたとすれば、読者を馬鹿にしているとしかいいようがない。

私が東中野「写真検証」を批判する目的は何か

東中野が南京事件の証拠写真の源流とする『日冦暴行実録』、
『外人目撃中の日本軍の暴行』 は中国国民党政府、またはそれに連なる組織による編集であり、いわゆる中国によるプロパガンダの一環としてニセ写真が作られたという。

したがって、この「源流」の写真群において、東中野の「写真検証」の結果に反駁すれば、南京事件は中国によって作られたプロパガンダである、という主張を 粉砕することができるわけである。
 



ここでは、まず
『日冦暴行実 録』を扱い、最初に総括表を 提示して、そののち各論に入る。

総括表の凡例
No : 「写真検証」本の写真説明の写真番号。番号の前にAとつくものは第2期以降も使われたもの。Bとつくものは第1期のみ使われたもの。太字は
『外人目撃中の日本軍の暴行』 でも共通して使われたものを示す。

1.「実録」の説明 :  「実録」が南京の写真であると説明するものはコラムの色をピンク、南京以外の都市・地域であると説明するものは白、地域の説明がないものは無地とした。

2.東中野主張 : 主張が誤り
→×、主張は正しい→、無効な主張→■、のように東中野主張に判断を下した。修正・合成、ヤラセなどのニセ写真との主張は 青字に した。

3.「南京か」 : 南京事件の写真であると私による判定で南京の写真であるものはコラムの色をピンク 、南京の可能性があるものをベージュ、南京以外の都市・地域であるものは無地にしている。

4.「冬か」 : 南京である、または可能性が少しでもある場合についてのみ、画像から冬
である可能性が高いか低いかを表示してい る。

5.「暴行か」 : 画像の上から暴行(殺戮、陵辱、略奪を含む)と見られるものはイエスとし た。
都市爆撃と強制労働につ いては南京事件の範疇からはずれるのでコラムを白で表示した。




日冦暴行実録』総括表

写真No  「実録」の説明
 

 

  東中野主張          タラリによる判定
南京か 冬か 暴行か
A1 南京爆撃 × 広東の写真 イエス 冬ではない 爆撃
A2 遭難後の父子 ×宣伝のための演出写真     爆撃
A3 パ ネー号 × パネー号でない     爆撃
A6
A7
日本兵の斬首 × 演出と合成の写真 CWR は南京の写真とする 可能性あり イエス
A8
(A9)
陸戦隊の斬首 × 日本兵ではない?修正写真? 南京で海軍兵士の斬首はあった 可能性あり イエス
A10
A11
生き埋め × 合成写真 南京で生き埋めはあった イエス イエス
A17 南京銃殺こども ■ 撮影者不明 イ エス。撮影者はシンバーグ イエス イエス
A18 南京爆撃三人幼児 記録にない 可能性あり 可能性あり 爆撃
A19 南京、刀、子ども ×修正した写真 イ エス イエス イエス
A20 南京城外の池 △半袖だから、草が枯れていないから、 南京城郊外ではない 撮影者はシンバーグと思われる。 可能性あり イエス
A21 南京近郊農民 日本軍という証拠がない 可能性あり 可能性あり イエス
A22 台児荘老婆 ■日本軍という証拠がない     イエス
A23 山西省 説明が変わる     イエス
A24 南京近郊農民 ■日本軍という証拠がない 可能性あり 可能性あり イエス
A26 南京輪姦少女 ウィルソン医師の説明がない イ エス イエス イエス
A27 南京で撃たれた ■戦闘によるものではないか も 画像からは南京の可能性あり 可能性あり イエス
A28 農夫火傷 ■日本軍という証拠がない 南京近郊農村 イエス イエス
A29 強姦された女性 遊郭ではないのか イエス
A30 輪姦された女性 ■エロ 写真ではないのか イエス
A32 輪姦された女性 エロ写真ではないのか イエス
A33 輪姦された女性 ■エロ写真ではないのか イエス
A35 江南の婦女 説明を改竄   12年10月14日撮影 ノー
A36 鶏の略奪 ■説明を改竄 12年12月5日号雑誌 なんとも言えない
A37 羊の略奪 ■説明を改竄 12年10月11日号雑誌 略奪である
A38 刑の前 詳細が不明 可能性高い
A39 孤児 反論なし   なんとも言えない
A40 老婆と若者 ○上海の写真である     なんとも言えない
A41 晋省、蹂躙 蹂躙された証拠がない     な んとも言えない
A42 晋省、蹂躙 蹂躙された証拠がない     なんとも言えない
B43 漢口       なんとも言えない
B44 上海 ○上海爆撃     爆撃
B52 山西省、農民 ■日本軍という証拠がない     可能性高い
B53 上海爆撃       爆撃
B54 徐州爆撃       爆撃
B55 山西省        
B61 占領地域で強制労働       強制労働
B62 強制労働       強制労働


日冦暴行実録』が南京の写真とするものは9件、9枚あり、すべて南京のものであった。その うち暴行(殺害、略奪、強姦など)の写真は7件7枚であり、3枚が南京の暴行と確定した。残り3枚は南京の暴行写真である可能性があり、否定されたものは 0枚であった。

また、『実録』が場所を特定しなかった暴虐の写真10枚の中で南京の写真で あることが判明した写真はA28の1枚、南京であることが強く疑われた写真はA6,A7の日本兵の斬首 とA8,A9の陸戦隊の斬首の2件4枚であった。南 京であるかどうかまったく不明のものは7枚であった。



東中野は南京の暴行の証拠写真は1枚もないと豪語したが、確実な写真が4枚あり、可能性が高い写真、可能性を否定できない写真
も 多数あった。

また、南京と南京以外を問わず、暴行の写真は写真は17件、19枚あった。 画像だけからは暴行の写真かどうか確定できないものは7枚あった。爆撃の写真は7枚あった。これらは中国全土に対して日本が侵略、暴行をした資料写真で あった。



『外人目撃中の日本軍の暴行』 はティンパリーの”What War Means”の漢訳本(漢口版)であって、楊明がティンパリーから版権を譲り受けて翻訳し、中国の左翼グループが写真を収集し編集 した著作である。こちらも1938年7月に発行された。著書の内容は主に江南地方の日本軍の戦争行為による市民、捕虜の被害を書いてある。しかし、民間グ ループによる写真収集のためか、写真データは乏しい。場所が書いてあるものも少なく、南京と明記されているものは『日冦暴行実録』と重なる7枚のみである。この7枚は除いて総括表を下記に示す。



『外人目撃中の日本軍の暴行』

ラー ベ日記初出写真No 『外 人・・・』説明 東 中野主張              タラリ判定
南京か 冬か 暴行か
A4 爆撃にあった市民住宅 可能性あり(ラー ベ日記初出) 不明
A5 爆撃 可能性あり(ラー ベ日記初出) 不明
A12 捕虜銃剣殺 他書で南京と説明 ノー イ エス
A13 捕虜銃剣殺 他書で南京と説明 ノー イ エス
A14 捕虜斬首 他書で南京と説明 可能性あり   イ エス
A15 捕虜斬首 他書で南京と説明 可能性あり   イ エス
A16 説明なし 他書で南京と説明   爆 撃?
A25 市民殺害 他書で南京と説明 不 明 イ エス
A31 婦女蹂躙 他書で南京と説明 不 明 イ エス
A34 日本兵が強姦 他書で南京と説明 不 明 イ エス
B45 爆撃
B46 寡婦・孤児流浪
B47 爆撃
B48 爆撃
B49 爆撃
B50 天津地方裁判所爆撃
B51 爆撃・教会        
B56 爆撃
B57 爆撃
B58 爆撃
B59 婦女蹂躙(南京以外) イ エス
B60 爆撃・市民住宅
B63 避難民列車
B64 逃亡・避難民

  東中野氏は"この24枚には南京とコメントされたものがないが、A12からA34の8枚について、「他書で南京と説明としているから捏造だ 」という説明をしている。他書において、誤った使用がされるのは『外人目撃中の日本軍の暴行』の編著者の責任ではない。同書の編著者がでっちあげを写真で行ったことにはならない。東中野の頭は どうなっているのか、気は確かなのか。


結論をもう一度提示する。

東中野主張

東中野主張

私たちは南京事件「証拠写真」の源流となっている七〇枚の写真の中に証拠写真として通用する写真は一枚もなかったという結論に達したが、読者はどう判断さ れたであろうか。

 

サイト結論
『日冦暴行実録』と
『外人目撃中の日本軍の暴行』 が南京の写真とするものは9件、9枚あり、すべて南京のものであった。
その9枚のうち暴行(殺害、略奪、強姦など)の写真は7件7枚であり、3枚が南京の暴行と確定した。(A17、19、26)
残り4枚は南京の暴行写真である可能性が排除できなかった。(A20、21、24、27)


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各論に続く