平林証言の
検証その3 阿部輝郎聞き取り版
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阿部輝郎著『南京の氷雨』(1989年刊)における証言の検証を行う。
この証言は一番短い。内容は内発的な証言というより、既出の反対証言、肯定論者に対する反論を意識したものとなっている。反論のための
説明、注釈に類する部分を青字で示す。
『南京の氷雨』平林貞治(中尉)証言 pp108-109
「十七日夜の事件はね、連 行した捕虜を一万以上という人もいるが、実際にはそんなにいない。四千か五千か、そのぐらいが実数ですよ。私たちは『対岸に逃 がす』と言われていたので、そのつもりで揚子江岸へ、ざっと四キロほど連行したんです。途中、とても怖かった。これだけの人数が暴れ出したら、抑えきれな い。銃撃して鎮圧できるだろうという人もいるが、実際には心もとない。それは現場にい た人でないと、その怖さはわかってもらえないと思う。第一、暴れ出して混乱したことろで銃撃したら、仲間をも撃ってしまうことになるのだからね。」 「一部で捕虜が騒ぎ出し、威嚇射撃のため、空へ向けて発砲した。その一発が万波を呼び、さらに騒動を大きくしてしまう形に なったのです。結局、仲間が六人も死んでしまっているんですよ。あれは偶発であり、最 初から計画的に皆殺しにする気なら、銃座をつくっておき、兵も小銃をかまえて配置し、あのように仲間が死ぬヘマはしません。」 「乱射乱撃となって、その間に多数の捕虜が逃亡しています。結局はその場で死んだのは三千・・・・いくら多くても四千を超 えることはない。これが実相です。油をつけて焼いたとされますが、そんな大量の油を前 もって準備するとなると、駄馬隊を大量動員して運んでおかなければならず、実際、そんなゆとりなんかありませんでしたよ。死体 の処理は翌日に行きましたが、このとき焼いたように思います。死体が数千・・・・・こ れがどれだけの量か、あなたには想像できますか、とにかくものすごい死体の散乱状況となるものなのです。それにしても恐ろしい ことになってしまったと、思い出すたびに胸が締めつけられます。」 |
■いったん、青字で示した、反論、予測などのための文章を除いて文落ごとに再掲して、解析する。
十七日夜の事件はね、連行した捕虜は四千か五千です。私たちは『対岸に逃がす』と言われていたので、そのつもりで揚子江岸 へ、ざっと四キロほど連行したんです。途中、とても怖かった。 |
▲捕虜の連行数:(鈴)記載なし →(田)約四千 →(阿)四千か五千
▲距離・列:(鈴)数キロ(二キロぐらい?)を連行 →(田)列の長さ4キロ →(阿)連行距離が4キロ
▲「怖かった」という話者の感情は三つの証言ですべて出現する。しかし、
(鈴)江岸に集結したとき
(田)火災に乗じての捕虜の脱走の後
(阿)護送の途中
であって、すべて状況が違うのである。
▲明確に語られていないが、この証言だと江岸に集結した後に暴動が起こったように読める。(田)とは違う。
一部で捕虜が騒ぎ出し、威嚇射撃のため、空へ向けて発砲した。その一発が万波を呼び、さらに騒動を大きくしてしまう形に なったのです。結局、仲間が六人も死んでしまっているんですよ。 |
▲「捕虜が騒ぎ出し」た理由が書いていない。
■騒動の場面は始まりも、中身も終わりも明らかでない。本人が何をしたか、何を思ったかもまるで書かれていない。
乱射乱撃となって、その間に多数の捕虜が逃亡しています。結局はその場で死んだのは三千・・・・いくら多くても四千を超え ることはない。これが実相です。死体の処理は翌日に行きましたが、このとき焼いたように思います。死体が数千・・・・・とにかくものすごい死体の散乱状況 となるものなのです。それにしても恐ろしいことになってしまったと、思い出すたびに胸が締めつけられます。 |
▲殺害数:(鈴)千でなく三千 → (田)1000−3000と言われ → (阿)三千・・・・いくら多くても四千
■「連行した捕虜は四千か五千」のはずなのに、死体は「三千・・・・いくら多くても四千」という。これでは、多くが逃亡したという総括が成り立たない。
「乱射乱撃」と言うが、連行した捕虜の75%から
80%を殺戮しつくしたということになる。
■捕虜の警戒はしていたとしても『対岸に逃がす』ための用意をしたにすぎなかったはずなのに、夜間において三千もの捕虜を機銃で倒すことが出来たの不審で
ある。
■殺戮当日に油をかけて焼いたことを必死で否定している。他の証言によれば機銃で撃ってもかなりの生き残りがあるので、油をかけて焼 き、動く捕虜を銃剣で刺殺したといわれている。「油を運ぶ余裕などなかった」という理由まであげたのは、積極的な殺意を否定したかったことは理解できる。 ところが不審なのは翌日には「焼いたように思います」とあえて否定する意志をみせていないということである。ということは逆に言うと「駄馬隊を大量動員して」でも焼かな ければならなかったという事情があったことになる。
では、翌日に焼くことにどんな意味があるのだろう。翌日になればもはや生存者を見つけだして殺すという意味はなくなる。これは謎であ
る。
■死体処理の場面はまだしも実感がある。しかし、「とにかくものすごい死体の散乱状況となるものなのです。」と散乱状況に驚くのはなぜ
だろう。
死亡状況はもっと惨いものだった。その感慨はつとに表出されている。しかし、具体的な状況と結びつけての感慨にならないので、いつも上 滑りな言葉で表現されている。今回も「散乱状況」がものすごいなどと変なところに驚いている。
「怖い」という感情が共通して表出されているということは話者にとって重要な位置づけとなっている。しかし、この感情もそれに見合った 状況に応じて表出されていない。たま、表出された時点がすべて違う。これは何を物語るのか。実は怖いという気持ちはそのときに持ったのではないことを示し ている。
「怖い」という感情は対鈴木明証言ではなんと、捕虜の不安に転移し、その後暴動の実現となる。しかし、護送兵が怖いと思うことと捕虜が 不安を持つことの間には実は何の連関もないのである。これは単に暴動の理由付け、伏線が欲しいだけである。他の証言でも要するに、暴動への伏線にしたいわ けである。
捕虜が暴れ出したら怖いというのは他の証言にも頻出している。実は十二月十三、十四日の捕虜大量獲得のときの感情を転移させて証言して
いるのである。
「十七日夜のこと、『対岸に逃がす』という上官の指示で総数四千くらいの捕虜を数キロの距離ほど離れた揚子江岸へ連行し
た。これだけの人数が暴れ出したら、抑えきれないので怖かった。」 |
ある程度、意を汲んで書いてみたが、この程度に終わる。他の証言者で複数回証言された方がいるがその共通部分は
非常に多く、内容豊富であった。
次のような証言は偽造・捏造証言である。
1.読者に対してある判断への誘導をしきりに行う。
2.事件の目撃・体験証言において話者の位置が不明確である。
3.事件の開始、発展、終了が曖昧である。事件の生成・発展の内的連関が事実から経時的に説き起こされるのではなく、概念的、説明的かつ超時間的に語られ
る。
4.複数回の聞き取りにおいて事件の重要な骨子部分がわずかである。それでも証言から受ける印象も聞き取り毎に違う。
平林証言は単独でも、複数を総合しても捏造・偽造の疑いが濃い。
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