ネット右翼の妄説批判 2003.10.21 初回上網 |
『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて 元兵士102人の証言』はニュースステーションでその内容が紹介され、証言ビデオも話題になった。ネット右翼があわてふためいて否定のための妄想をネット上に垂れ流し続けたのは記憶に新しい。
阿羅健一の批判もこれらと同質、同根なのを確認するために紹介する。
今まで私が認知したり、直接、反駁に関与しただけでもこんなにある。
1.「11才の兵士がいるから嘘」
−これは誰が読んでも誤植。誤植一つで本がすべて嘘と決めつけるのもどうかねー。この誤植はその後、訂正されたが、ネット右翼はこれだけでずいぶん騒いだ。
2.「腰だめという言葉はない」。
−あった。佐々木到一の『私記』にも出てくる。
3.「腰だめで撃つと銃口は天を向き、銃手は倒れる」。
−日本軍の射撃法のマニュアルに出てくる。
4.「腰だめで撃つのは不適当」。
−至近距離からの捕虜射殺であり、撃てば当たるという状況だから適切。逃げ出す捕虜には小銃で射殺するつもりだった。
5.「二時間も連続射撃は出来ない。連続して撃てばすぐ銃身が加熱して撃てなくなる」。
−証言の常識的、合理的な解釈というのを忘れているから、こんな揚げ足取りに走るのである。連続射撃と言っても、三点射、五点射の繰り返しでそれも適当な冷却期間を置いて撃つのが常識。そのような射撃法で二時間撃ったことを「二時間撃った」と言ったと見るのが至当。
たとえば、昨日は必死に試験勉強をして24時間ぶっ続けて勉強した、という証言をした場合、それはウソだ、24時間トイレにも行かず、飯も食わずに勉強できるわけはない、という、中学生なみのつっこみを入れるのと同じである。通常それは折り込み済みで言っているのが常識である。
6−10は第三艦隊第十一戦隊第二十四駆逐隊所属の兵士の証言についてである。
6.「駆逐艦隊とはいわない」。
−証言者の所属を表す部分でそういう表記がある。聞き取り者はこの証言集では海軍関係はこの一人だけだったので、海軍の知識はあまりない。だから誤記した。しかし、証言本文では駆逐隊と正しい表現であるので、まったく問題ない。
7.「第三艦隊というのはない」
−砲艦「比良」の艦長だった土井申二中佐が「『南京事件』日本人48人の証言」でそう書いている。
8.「海風は建艦したばかりで参加したかどうか」
−海風の建艦は5月であるから間に合う。
9.「第十一戦隊が参加したという証拠がない」
−海軍の戦闘詳報に出てくるし、土井申二中佐も書いている。
10.「海風が参加したという記事を見ていない」。
−「南京戦史」に書いてあった。
11.「処刑した捕虜の死体にガソリンをかけて燃やすのはおかしい。」「石油の一滴は血の一滴だから、そんなことに使うはずがない」
−射殺した生き残りを見つけるために焼いて動くのを銃剣で刺殺した。合理的。「石油の一滴・・」の標語は昭和18年から使われた。この時代、石油はアメリカから輸入に頼っていた。南京には徳士古(Texaco)石油などの石油貯蔵庫があった。スタンダード石油も進出していた。
13.「戦略物資だから、厳密に管理されたはずだ」
−各部隊で競争のように略奪して気ままに使っていた。
というわけで、否定派諸君は愚にもつかないことであーだ、こーだ、と責め立てて来るが、目下のところ、13勝0敗だ。
いや、まだあったぞ。証言ビデオを見て「80才にしては頭の髪の毛が真っ黒なのがおかしい」というのがあった。すっ、鋭い、鋭すぎる指摘だ、降参だ。
否定論者は都合が悪い証言が出てくると、「嘘だろう、そんなはずはなかろう」とあらぬ妄想をかき立てて事実関係の精査もすることなく「捏造だーー」と書いてしまうものらしい。
あとがき
私が、南京大虐殺に本格的に興味を持ち始めたのはこニュースステーションの放送がきっかけであった。それまで、今は閉鎖された、有田板でときどき南京大虐殺のことも話題になったが、どうやら小林よしのりのゴーマニズム宣言にころりとだまされたような書き込みがあるのを不快に思うだけだった。ところが、ニュースステーションの放送をきっかけにネット右翼が思いもかけないほど増殖しているのに驚き、いちいち反論をしていったわけである。
反論をして行く過程で気がついたことは、ちょっと調べると必ず、証言がウソだというのは誤りであることがわかるのである。私はまだ知識が乏しかったが、少し専門的な知識を要するときでさえ、それなりの努力を払えば必ず論破できるのである。否定派の議論は枝葉末節を捕らえては証言者をニセモノ呼ばわりし、証言全体を否定しようという、感情的な捉え方が大部分であった。「11才の兵士」がいた、と言って揶揄する姿勢にそれが見て取れる。
なぜ、知識が豊富でもなかった私が常に反論できたかと考えると、証言が事実であり、南京大虐殺が事実であるということに突き当たる。否定派は事実を丁寧に検証した結果、証言がウソであると結論したのではなく、南京大虐殺という事実が自らのイデオロギー的心情をおびやかされると感じ、これを否定し去ろうという感情に駆られて書いたのである。これはネットの世界の現象であったが、同時に、これは30年前から続いている、南京大虐殺の論争を通じた性格でもあった。