ス
マイスの市部における被害調査は誤りである −ス マイス報告を検証する(1) 2013/05/31 first upload |
なお、スマイス調査では「市部」と「農村部」にわけて調査を行なったが、「市部」=南京市ではない。「市部」には南京城内と下関地 区・中華門付近が含まれるが、南京市の郷区である南京城外の東部地区と西部地区が含まれていない。スマイス調査ではこの二つの地区は農村部に分けられてい る。「農村部」の調査において南京市内と市外の区別は立てられていないので、南京市の被害は不明である。ただし、郷区の人口はスマイス調査の「市部」人口 のおそらく数%に過ぎないので、「市部」の被害はほぼ南京市の被害として扱われている。
1.スマイス調査に対する史実派、否定派の態度
東京裁判は[スミス]博士の口供書は朗読したものの肝心の博士が心血を注いだ右の『一九三七年十二月より一九三八年三月に於ける南京 地区の戦禍及都市村落の調査』は却下し、記録にとどめることさえしなかった。なぜか。いうまでもなく、南京事件の中国側の被害者数があまりにも少なすぎた からであ る。この数字では西のアウシュヴィッツに比較する東の”大虐殺”にはならないからである。同じ理由で「大虐殺派」の人びとはこのスミス博士の統計をつねに 敬遠する。 (pp44) |
スマイスの力量に対するベイツの大きな信頼を、「虐殺派」の人々はどのように理解するのであろうか。『スマイス報告』の南 京市内の人的被害に関する調査結果 を無視しようとする「虐殺派」の態度は、自説に都合のよい資料だけを引用し都合の悪い資料は引用しないとの誹りをまぬがれないのではないか。 |
これに対して史実派の論客笠原はこう反論する。
・・・ 調査は一九三八年三月段階で南京市内の家屋に入居中の家族にたいしておこなわれている。しかも、調査は五○戸に一軒を抽出して調査し、得られた平均の数値 を五○倍して全体の犠牲者数を算出している。当時、南京には南京戦前の人口の三割程度しかいなかった。それに、離散してまだ戻っていない家族、家が焼失し てしまって戻れない家族、家族全員が犠牲になったもの、家族に犠牲があったゆえに恐ろしくて戻れない家族等々、犠牲者を出した家族ほど原住地に入居してい ない可能性が高かった。 「南京事件資料集1 アメリカ関係資料編」P17 笠原八十司氏による解説) |
もう一人の史実派の論客洞富雄も同意見である。
こ
うした抜き取り調査で犠牲者の総数を推定しようとしても、それはおおざっぱにすぎると思う。(中略)国際救済委員会による南京現住市民の特殊な統計的調査
にもとづく犠牲者数の推計や、その調査を指導したスマイス教授が同調査書の注記で記している別の推算は、あまり当てにならないものであることが知られたと
思う。[中略]この軍事裁判でも、検察側はこの調査書を証拠として提出していない、その資料価値を認めなかったからかもしれない。なお、この報告はむしろ
被告にとって有利な証拠とみなされなくもないのだが、弁護側もこれを書証として提出しなかった。この資料の示す数字の信憑性については、弁護側さえ疑問視
していたからであろう 。 |
まとめると、否定派は
1.統計学手法で行われたので正確である。
2.東京裁判では「大虐殺」を否定する資料になるので検察側は使わなかった。
史実派は
1.抜き取り調査はおおざっぱである。(洞氏)
2.南京に戻っていない家族に被害が多かったことと、家族全員が殺害されたことが反映されなかった。
3.検察側はこの資料価値を認めなかったので証拠として提出しなかった。弁護側も数字に信憑性がないので証拠として提出しなかった。
と主張している。
私は否定派の主張には全面的に反対であるが、史実派二人の論拠にも賛成できない部分がある。
まず、統計学的調査が正確であるためには、標本抽出(サンプリング)、標本測定、統計技術の三つが正しく行なわれなくてはならない。結論の詳細は後のペー
ジで論ずるが、統計技術についてはあまり問題がなかったが、前二者特に標本測定において欠陥があった。
1.検察側の立証目的は市民や捕虜が組織的が虐殺されたことの責任者を処罰することであり、犠牲者総数を決定することを直接の目的とは
しなかった。
2.弁護側にとって数千人の市民の殺害を統計的に立証するスマイス報告は弁護どころか、虐殺を自ら認めることであるから資料として使うことはありえなかっ
た。
よって検察、弁護側双方が証拠として提示しなかったのは、双方がスマイス報告の信頼性について疑いを持っていたからだ、というのは誤りである。
社会学者であるスマイスが統計学的手法で求めた被害者数が過小であることは確たる事実である。これは埋葬資料によっても明らかであるし、スマイスの実
感で
も明らかである。したがって、聞き取りを元にした統計調査であるスマイス調査に対する内在的な批判
が必要である。
スマイスが見抜けなかった標本誤差の原因とそのための報告の欠陥を正しく指摘することは、否定派の主張を退け、「中間派」の疑問を一掃するために重要であ
ろ
うと思うのである。以下にスマイス調査の不備について詳述する。
2.スマイス人口調査の問題点
スマイス調査は南京市民の受けた被害を網羅する調査であり、基礎的調査として人口調査を含んでいる。市部の人口調査は50戸に1戸の割で家族調査を
行っ
た。各地区の家族員数の平均に調査対象となった家族数を掛け合わせれば各地区の家族員数合計(=人口)が算出される。各地区の合計が市部地区全体の人口と
なる。ここまでは問題がない。このサンプル抽出の方法で算定されたのは221.150人であった。
ところがこの結果にスマイスはとまどった。まず、1月初旬の段階で日本軍の調査で人口がほぼ25万人という概算が出ていた。論文にまとめる寸前にはさらに5
月31日における、日本軍による(南京市による)調査結果27万人を知った。ただし、スマイスらはこの調査の婦人の統計は不完全であると見ており(実際はこの調査は
婦人を含む全数調査であり正確であった)、実数は40万人と考えて
いた。それはともかく、1月初旬と5月に行なわれた2回の日本軍調査に較べて自らの人口統計では過小と思われたので3月下旬
における推定をしたことが記してある。
12月末から1月末にかけて日本軍当局によっておこなわれた不完全な登録にもとづいて、国際委員会のメンバーが推定した
ところでは、当時の南京の人口は約
25万人であって、数週間前に彼らがとくに慎重に推定した数をはっきりと上回るものである。中国の半官半民筋はほぼ30万と推定していた。<中略>われわ
れが推定してみたところでは、3月下旬の人口は25万人ないし27万人であって、このうちには調査員の手のとどかぬ人びともあり、また移動の途中の人びと
もあった。調査した人員は22万1,150人である。
(『南京大残虐事件資料集 2』pp251、の第一表の注記)
しかし、この推定の具体的な方法は書かれていない。おそらくは感覚的に割 り出したというのが本当の ところであろう。ではスマイスらが推測した25-27万人という数字はどの程度あたっていたのであ ろうか。かれらの推測とほぼ同時期の1938年3月末に南京特務機関がほぼスマイスの「市部」とほとんど同一の地域における人口調査を行なっている。それ によれば南京市の人口は235,056人、これには難民収容所在住の27,500人が含まれていないので、南京の人 口は計263,000人となる。
特務機関による調査にはかつて警察官の生き残りが 再び警察官として採用され、元の警察庁が行っていた調査方式を踏襲した。これは保甲制度を元にした安定し、かつ精度の高い方式であった。調査は1月から連 続的に行われた。この結果からすると皮肉にも、ス マイスらが苦労して行ったサンプル調査よりも彼らが3月時点で感覚的に推定した人口の方が当たっていた。 南京の市部調査においては、家族調査員は入居中の家屋五〇戸に一戸の全家族(every family in
every 50th inhabited
house)を家族調査表に記入するように指示を受けた。「家屋」(House)は、若干の場合には一番号に数軒のアパートや建物(building)が
あったけれども、「家屋番号」(house number)に従うものと定められた。三月には多くの出入り口が封鎖され、どの家に人が
住んでいるのか知るのは少しばかり困難であった。その結果、若干の家を見過ごしてしまったかも知れない。脱落した地域を点検するのに
対照地図が訳に立った。各人は地図上で特定の地区を割当てられ、各自五〇戸ずつ人の住んでいる家を抽出して、住宅番号を数えてはそれに記入してうめてゆ
く。 (『南京大残虐事件資料集 2』pp217) |
人が住んでいるかどうかの判定をまず行って、それを五〇戸数え、そのうちの一戸から聞き取りをするという手順を示している。
この方
法では第一に人が住んでいるかどうかの確認の段階で間違うこともありえる。
事実、その可能性は報告の中で言及されている。第二に人が住んでいるかどうかの確認をして、聞き取りに入るまでの間に新たに住んでいなかった住宅に人が移
り住む可能
性がある。おそらくこ
のふたつが誤差の最大の原因ではないかと思われる。
ところで「人が住んでいるかどうかの判定をまず行い、住んでいる家の五〇 戸に一戸から聞き取りをする」という二段階方式はサンプル調査の方法として不適切である。通常は家屋番号の五〇軒に一軒とか一 〇〇軒に一軒の割で人が何人住んでいるのか(もちろん0人が住んでいるということを含む)、という調査方法をとるはずであ る。二段階方式とすれば、当然このような誤差が紛れ込むことは必至であって、現在では社会調査としてこのような方法を行なうことはまずないだろう。スマイ スのいた時代にはそのような錯誤がまかりとおっていたか、あるいはスマイス自身、その時代としてもあまり社会調査には習熟していない研究者であった可能性 がある。 |
スマイスの市部人口調査は調査計画の不備があり、標本誤差を持っていた。
B)の1家族当たりの家族数を誤って低めに聞き取った、
という可能性は次のページで検証する。
3.市部調査結果と実感との差
スマイス市民調査の人的被害の規模についてはスマイスはまったく意外であり、戸惑いを隠せなかったと言えるだろう。聞き取り調査で正しい報告をしな
かった
というスマイスの
判断は多数示されている。
■暴行による幼児死亡の申告が少なかった。
「占領軍の報復を恐れて日本軍による死傷の報告が実際より少ないと考えられる理由 がある。実際に、報告された数が少ないことは、暴行による幼児の死亡の例が少なか らず知られているのに、それが一例も記録されていないことによっても強調される。」 (『南京残虐事件資料集』pp222-223、以下同書) |
■負傷者の報告も強姦時の負傷の報告も出来るだけ言おうとしなかった。
「負傷しても何らかの形で回復したものは、負傷を無視するという傾向がはっきりと 見られる。」
pp223 「三月中の調査によれば、強姦による傷害は十六歳から五十歳に到る婦人の八パーセントを占めていた。・・・十二月・一月のように強姦がありふれたことに なっていた 間は、・・・遠慮なく認めた。しかし、三月になると家族たちは・・・もみ消そうと した。」 pp223 |
■拉致の事実を報告していない例が確かに存在する。
「以上に報告された死傷者に加えて、四二〇〇人が日本軍に拉致された。臨時の荷役 あるいはその他の日本軍の労役のために徴発されたものについては、ほとんどその事 実を報告していない。」(『南京大残虐事件資料集 2』pp223、以下すべて同書) |
「実際に は、多くの婦人が短期または長期の給仕婦・洗濯婦・売春婦として連行され た。しかし、彼女らのうちだれ一人としてリストされてはいない。」pp223 |
■復興委員会調査では、拉致は少なく
とも10,860人はいる。
「三月中に国際委員会の復興委員会によって調査をうけた一万三五三〇家族のうち、 拉致された男子は、十六歳から五十歳にいたる男子全部の二〇%にも達するものであ った。これは全市人口からすれば一万八六〇人となる。」pp223 |
『ドイツ外交官の見た南京事件』の資料74(作成者スマイス) 三月一五日には申請書の受付けが開始され、三万七〇〇〇件の援助申請が受理された。三月二〇日までには八七四〇家族に総額三万一四九六ドル、一家族につき 平均三・六ドルが給付された。(これは、二月七日に始まった。)もっと多くの労働支援の利用が望まれるが、現在までのところ一六〇〇ドルのプロジェクト一 件だけが着手された。pp232 |
3月20日までに、37000件の援助申請が提出されたが、この数は南京市の家族数56000家族の
66%に当たる。 委員会は援助申請の内容を検討してさらに調査を調査を行った。この対象となったのが13530家族であり、南京市の家族数56000家族の24%、援助申請件数の36%に当たる 。
スマイス調査 「三月中に国際委員会の復興委員会によって調査を受けた一万三五三〇家族のうち、拉致された男子は、十六歳から五十歳にいたる男子全部の20パーセントに も達するものであった。これは全市人口からすれば一万八百六十人となる。」pp223 |
調査は本来は援助申請を行った家族について、すべて行うことを目指したのであったと推測され
る。3月15日に受け付けを開始された援助申請は3月20日にはすでに8,740家族に援助が行われている。これは援助が急を要することであったため、調
査と並行して援助を行ったものであろう。調査はその後も続行されたが、問題は資金がどこまで続くかであった。援助業務のその後の進展が書かれていないこと
を見ると援助を求める難民があまりに多いため、援助資
金は
すぐに底
をついたと思われる。スマイス調査は難民援助のための多額の募金をアメリカ国内に求めるために開始されたものであった。調査を続行しつつ、並行して援助資
金の交付を行なうという方式はいったん中断され、包括的な被害調査→包括的援助をするに足る資金獲得へと方針転換をしたものと考えられる。とするならば、
援助の必要性は
3月中に調査済みとなった13530家族
も調査未施行のの家族もそれほど違わなかったのではないかと思われる。つまり37,000家族中は男子のほぼ20%近くが拉致されたと考えてよいのではな
かろう
か。
とすれば、
家族員数 −−男性比率−−
↓ ↓
37000×4.7×103.4/(103.4+100)×0.485×0.2=8575(人) 近くが拉致されたことになる
↑ ↑ ↑
援助申請家族 男女比 16−50歳比率
この数字はむろん、スマイス本調査で得られた拉致被害者4200人という数字より多い。
難民の中には広報に接しなかったひと、拉致をうち明ける気にならなかったひと、あるいは援助はいかほどの足しにもならないだろうとあまり期待していな
かったひと
もあるだろう。それは援助申請をしなかったひとのすべてではなかろうが、決して0ではないだろう。そこにスマイスが全市人口に敷衍した理由もあるだろう。
したがって、
56000×4.7×103.4/(103.4+
100)×0.485×0.2=12870(人)は
最大の見積もりということになる。
この10,860
人という結果がどのようにして得られたかについては説明がないので検算をかねて確認してみよ
う。問題は十六歳から五十歳にいたる男子の人数をどうやって計算したかである。復興委員会の調査では、年齢階級の区切りが十六歳、五十歳になっており、ス
マイス調査
では15歳〜19歳、・・・50歳〜54歳の区切りになっている。救済調査で使った年齢階級別の人口はこの調査において独自に統計をとったのか、スマイス
調査が出てその結果を利用してはじめて算出したのか不明である。
救済調査は人口や家族に対してはあくまでサンプル調査であるから、あえてその算出をしたとは思えず、おそらく後者であろう。 スマイス調査の 第二表をもとに「十六歳から五十歳にいたる男子」の男子全体に占める割合を計算すると48.5%になる。(十六歳と五十歳の階級は比例配分で算出) 男子人口は性別比より、 221,150人×103.4%/(103.4%+100%)=112,400人、 その48.5%は54,500人、 その20%は10,900人となる。 スマイスの算定の10860人とほぼ同じである。これに修正係数1.18を乗じて12, 870人 が拉致された人数となる。 結果がほぼ同じであるということから、上述の算定はスマイス調 査が出てその結果を利用してはじめて算出したのであり、わずかな誤差は十六歳と五十歳の人数について原資料から直接算定したための誤差であろう。 |
拉致被害を明らかに少なめに言っているとスマイスが評している復興委員会の調査(推定10860人、修正数値12,
870人)よりもスマイス本調査(統計数値
4200人、修正数4956人)
の方が明らかに少ない。
スマイス調査 (1)救済を希望した1万3500家族を当復興委員会が三月中に調査した結果によれば、十六歳以上の婦人全体の十四パーセントが未亡人であった。 pp224 |
したがって南京戦後に新たに発生した未亡人の比率は14%−7%=7%と見込まれる。
上記の拉致人数と同様の計算によって未亡人の人口は
援助申請家族を母集団にとれば、
援助申請家族数 平均家族員数 婦人の比率 16歳以上の比率 南京戦以後に新たに生じた
未亡人の比率
37000 × 4.7 × 100/(103.4+100)
× 0.661 × 0.07=3955(人)
全市家族を母集団にとれば、
221150 × 100/(103.4+100) × 0.661 × 0.07 × 1.18=5935(人)
復興委員会調査による推定死亡者数は最低3955人、最大5935人
であり、スマイス本調査の統計数値3250人、修正値3835人
より多い。これには独身男性の死亡の数字は含まれない。
C.死亡人数+拉致人数
援助申請家族を母集団にとった場合 8575+3955=12530(人)
全市家族を母集団にとった場合 12870
人+5935人=18805(人)
である。援助申請家族を母集団にとったときの死亡人数と拉致人数の合計は下限の見積もりにはなるだろう。しかし、全市家族を母集団に
とった場合の総計が上限の見積もりとなるかどうかは不
明である。なぜなら、死亡を未亡人の統計から取ったので独身男性の死亡は含まれていないという事情があることと、復
興委員会の調査においてさえ、死亡、拉致を公言することを憚ったという可能性は否定できないこと、家族全員の死亡はアンケート調査で
は出てこないこと、のためである。
復興委員会の調査の意義は被害者数が最小でも12,530人以上であり、スマイス報告が示す死亡2,400人、拉致4,200人、
併せて6,600人(2,830+4,
960=7,790人)という被害者数は過小であるということをはっきり示したことである。
参考) 年齢階級別人口比率 (1938
年はスマイス報告、1932年はよっによる)
年齢別区分
1938
年全地区
1932
年全地区
性
別比
男
女
男女
男
女
男女
1938年
1932年
0-4y
8.1
8.7
8.4
10.7
12.1
11.4
96.8
101.3
5-9y
12.5
12.5
12.5
9.4
9.8
9.5
102.3
109.3
10-14y
12.3
11.1
11.7
9.9
9.5
9.7
114.0
119.2
15-19y
8.6
8.2
8.4
9.0
8.4
8.7
108.4
123.4
20-24y
6.6
6.5
6.6
8.0
7.4
7.7
105.7
124.5
25-29y
6.1
6.4
6.2
9.7
8.7
9.3
100.0
128.1
30-34y
5.6
6.4
6.0
8.3
7.7
8.0
89.3
123.2
35-39y
6.1
6.0
6.1
8.0
7.4
7.8
105.3
123.4
40-44y
7.7
7.2
7.5
7.4
6.8
7.1
112.1
124.5
45-49y
8.4
5.3
6.9
6.1
5.7
5.9
163.5
121.0
50-54y
5.8
5.8
5.8
4.8
4.2
4.5
104.8
131.6
55-59y
3.9
4.2
4.0
3.7
4.9
4.3
95.6
85.3
60y-
8.2
11.7
9.9
5.0
7.4
6.1
72.2
77.7
計
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
100.0
103.4
114.5
【標本誤差】
標本調査は,母集団全体を調べるのでのはなく,その一部分だけを調べるのであるから,全部を調べる際には生じ得ない性質の誤差が介入してくる。標本調査
におけるこの種の誤差を 標本誤差 または抽出誤差という。
【非標本誤差】
なお,統計調査には標本誤差の他に,個々の調査単位の観察が正確に行われないために生ずる誤りがある。これを
非標本誤差という。非標本誤差は標本調査の場合にも悉皆調査の場合にもある。しかし,調査対象数の大きい悉皆調査の場合には非標本誤差は大きくなりがちで
ある。また,標本誤差は統計学的に計算可能であるが,非標本誤差の大きさを評価することは不可能である。
http://homepage1.nifty.com/nurse/ob/hyouhon2.htm
インデクスに戻る