死者・行方不明者数聴き取り方法の 問題点

                スマイス報告を検証する(2)
                                                     2013.6.1 firstupload

スマイス調査で被害者数が過小である原因として、前ページで「B)1家族当たりの家族数を誤って低めに聞き取った」可能性を指摘した。
な ぜ被調査者が自分の家族の被害を言おうとしなかったのか。否定派はおそらく復興委員会の調査においては救援資金を得るためにありもしない働き手の喪失を訴 えたのだ、と指摘するだろう。しかし、自分の家族の被害について言おうとしなかったのは働き手だけではない。スマイスは以下の例を挙げている。

1.暴行による幼児死亡の申告が少なかった。
2.負傷者の報告も強姦時の負傷の報告も出来るだけ言おうとしなかった。
3.拉致の事実を報告していない例が確かに存在する。
4.女性の拉致が1件も報告されていない。
5.復興委員会調査では、拉致は少なくとも10,860人はいる。

こ れらの事実は被害を受けた家族とは別の家族からの聴き取りによって被害者家族が実際には上記の被害を受けていたことがわかったのである。これは現代では犯 罪被害者家族の精神的なトラウマとして広く知られた現象である。スマイスらはこの現象を知らなかったので非常に奇異な事実として受け取った。文面には被害 を口にしないことに対する驚きといぶかしみがにじみ出ている。このことはもっと深く追求すべきであったし、それが活かされていればスマイスの本調査が過誤 を犯すこともなかったであろう。

家族の被害を口にすることが残された家族にとって耐えられない苦痛を伴うことだったことを示している。一般に犯罪被害者の家族は被害を口にすることを嫌が る。
それは

1.ひどい被害を受けたときほど
2.予測されなかった被害であるほど
3.理由のない被害であるほど
4.加害者が処罰される可能性が少ないほど
5.被害者家族が社会的・心理的・経済的に救済される可能性が少ないほど


調 査が始まって、しばらくして、アンケートの項目には拉致の項目が付け加えられたことをスマイスは述べられている。現在、不在の家族構成員について、不在で ある事実を明らかにしていないケースがあまりにも多いことが学生調査員からの報告で気づかれたからであろう。スマイスは再び、調査方法の見直しをすべきで あったが、拉致の項目を付け加えるだけに終わった。しかし、拉致でさえ死亡とほぼ同じ意味を持っている以上、拉致もまた口にすることを避けるはずだという ところまでは思いが及ばなかったようだ。


ところで、市部の被害と農村部の被害を較べると、市部の被害が予想より低く、農村部の被 害は市部に対して多いことに多くの読者は驚きを隠せないだろう。市部での被害者数6600人に対して農村部は26870人であり、スマイス調査を額面通り に受け取れば南京事件とはまるで農村部の虐殺事件であったかのようである。

この原因は聞き取り方法の違いにある。

まず、家族は調査員からます、次のことを告げられる。

「調査員は、ただ事実を質問するために来たこと、委員会の通常業務の仕事を目的とする家族救済調査員として来たのではないことを注意深く説明した。」   pp217 −1.実地調査の手続き−より

付録Cの
1.家族調査表
(市部調査)pp247
1 所帯主名 
2〜5 <略>
6 家族人員 (同一の経済的援助を共にするもの全員を含む)

世帯主との続柄 年齢 以前の職業 以前の日収 現在の職業 現在の日収

殺害あるいは負傷

月 日 殺 害 負 傷 状 況 原 因
事故 戦争
1.
2.
3.その他
                     

南京市民には文盲のものも多く、多くは口頭で次々と質問を聞くことになる。
1. 救済のためではないと釘を指したことは、救済金を受け取るための虚偽を防ぐというよりは 5.に見るように家族の死亡を口にすることに対する心理的障 壁を高くする方向に働くだろう。
2.< 1.所帯主名>が問われる。元々の所帯主を失い、本来なら新たに所帯主として名乗るべき家族(多くは妻)は不在の夫の名前を言うであろう。
3. 次に<家族人員>を問われる。このとき、ひとびとは現在同居している家族の数を答えるだろうか。そうではなく、精神的な結び つきを感じている家族の人員を 答えるであろう。家を出て今はいないが、帰ってくることを祈っている家族を勘定に入れるはずである。
4. 家族人員については「同一の経済的援助を共にするもの全 員を含む」という断り書きを聞かされる。1932年におけるスマイスの家族調査手法では血縁の家族 とその他の同居人を厳密に分けていたのに対してここでは同一の生計が重視されることになる。調査手法の変更が家族構成員の調査結果に大きく影響する。この ことは後に詳述するが、ここでは結果的に家族構成員数を多くしているということだけを指摘しておく。

この聞き取り方法では、拉致された家 族、家を出ていまだ帰ってきていない家族、家族人員について戸主である家族構成員が心理的に回答を回避し、調査者が求めている答えは得られない。現在住ん でいない家族について、家を出たまま帰ってこない場合、あるいは拉致された場合はあえて死亡したと答えることはほとんどないだろう。死んだと認識されてい る場合においてさえ、そのように答えることに堪えられなくて、元の家族人員を答える場合もあるだろう。死んだ可能性が高いと感じられる場合も同様である。

3. 農業調査表    No.
1. ___村___巷 ___地区____県____ 2.調査月日  __年 __月 __日
3. 調査員:名前      住所:_____________
4. 家族の人数(赤ん坊を含む。現在家族とともに居住していないものは含めてはならない。)
5.〜11.<略>
12.交戦中の死亡者
 世帯主との続柄     年 齢           死   亡  原  因
     暴行      病死  その他(説 明をつける)
1.
2.
3.
4.
       

13.戦闘中に移動してまだ帰宅していないもの数______
14.働き手:  (1) 昨春の働き手の数           (2)現在の働き手の数_______
          (3) 春耕には帰宅すると予想される働き手の数 ______           
<後略>


被調査者は文盲が多いと想像されるから、調査員が順に読み上げて書き込むと思われる。

1.家族の人数については現住家族とのみ伝えられるから、家を出たきり帰らない人員、拉致されたという人員は家族の人員に含まれない。
2.交戦中の死亡者として家族が現認しているものについてはほぼ正確に答えるだろう。ただし、あえて死亡の事実を伏せることも皆無ではない。
3.戦闘中に移動してまだ帰宅していないものという聞き方は家族にとって生存への希望をつなぐ問い方であるから、実態通りに答えられるであろう。もちろん この中には実際には死亡したものが含まれる可能性は比較的に高い。
4.働き手の数も実態通りなので答えやすいだろう。

南京市部(城内とほぼ同義)では集団で拉致した後に家族の目につかない城外で殺害された。農村部では現場であるいは拉致した場合でも殺害の多くは目撃者が いる状況でり、家族が目撃する場合もあった。家族は死亡を現認していない以 上、どれほど生存の確率が低かろうとも、一縷の希望を抱いているから家族の一員が死亡した、と言明することはない。これに対して、働き手が現在いなくなっ ているか(復興委員会調査)のような質問であれば、不在であるという事実は非認しがたいから、いないと答えることができる。また、農村部調査のように戦闘 中に移動、働き手が現在いないか、という問いにはその通りに答えることができる。

このように見て行くと農村調査は市部調査に較べて被害を口にすることに対する心理的障壁が非常に低い。おそらく農村部における被害は実態にかなり近いであ ろうが、市部における被害は実態をほとんど反映していない。


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