便衣兵なるものは存在しな
かった 2009.7.7 first upload |
便衣兵の議論というと素人には到底理解できない高尚な法律論義が延々と繰り返されるのが常です。
しかし、議論の前提となる南京に便
衣兵がいたのか、いなかったのかという点については比較的スルーされる場合が多いようです。私は安全区内で不法なゲリラ活動をしていた便衣兵というものの
史料を読んだことがありません。ただし、史料がないという証明は記録をすべてさらさなければならないので、ここでは便衣兵がいたという史料は多数あると
言っているグース氏のサイトの史料を検証してみます(色のついていないテーブルは史料に関するグース氏の発言です)。
『南
京大虐殺否定論13のウソ』P200 柏書房 南京事件調査研究会編 「なお潜伏二万五千 敗残兵狩り続く 外国権益を特別保護」 敗残兵にして便衣に着替えている市中に潜伏するもの二万五千名と推定されているので、我が軍は清掃(粛清)に努力し、一方敗残兵の嫌疑あるものは取り調 べ、老人婦女子に保護を加えている〜以下略〜」 (東京朝日新聞1937年12月16日) |
(南京
事件資料集・アメリカ関係資料編P415 青木書店) 昨日南京の日本軍司令部は、南京城内で一万五〇〇〇人以上の捕虜を得たと発表した。市内には、このほか軍服を捨て、武器を隠し、平服を着た兵士二万五〇 〇〇人がいると信じられている。 |
日本軍司令部の発表ですが、「南京城内で一万五〇〇〇人以上の捕虜」を得たとしているところが目
につきます。便衣兵は捕虜資格がないわけですから、軍司令部に正確な国際法の知識があったとすれば、「正規兵ないし敗残兵を捕
まえた」という認識を持っていたことを示します。残りの二万五〇〇〇人は前掲の東京朝日新聞記事にある通り、便衣兵ではなく敗残兵と認識してい
ました。
3.ラーベの日記、十二月十六日
『南
京の真実』P136 ジョン・ラーベ著 講談社文庫 たったいま聞いたところによると、武装解除した中国人兵士がまた数百人、安全区から連れ出されたという。銃殺されるのだ。そのうち五十人は安全区の警察 官だった。兵士を安全区に入れたというかどで処刑されるという。 |
「武装解除した」という表現ですが、だれが武装解除したのか
が問題です。可能性としては中国兵自身が武装解除した、安全区国際委員会が武装解除した、日本軍が捕まえる際に武装解除した、の三つがあります。そのいず
れでしょうか。言うまでもなく、最後のケー
スだけが便衣兵に該当します。十六日の日記の伏線となる部分を読んでみましょう。
ラーベの日記、十二月十三日
『南
京の真実』P122 ジョン・ラーベ著 講談社文庫 日本軍は北へ向かうので、われわれはあわててまわれ右をして追い越して、中国軍の三部隊を見つけて武装解除し、助けることができた。全部で六百人。武器を 投げ捨てよとの命令にすぐには従おうとしない兵士もいたが、日本軍が侵入してくるのをみて決心した。我々は、これらの人々を外交部と最高法院へ収容した。 私ともう一人の仲間はそのまま車に乗っていき、鉄道部のあたりでもう一部隊、四百人の中国軍部隊に出くわした。同じく武器を捨てるように指示した。 P124 元兵士を千人ほど収容しておいた最高法院の建物から、四百ないし五百人がしばられて連行された。機関銃の射撃音が幾度も聞こえたところをみると、銃殺され たにちがいない。あんまりだ。恐ろしさに身がすくむ。 |
武装解除はラーベらが行ったものでした。したがって、日記にあるのは中国人敗残兵です。
4.ラーベの日記、ヒットラー宛の上申書
『南京の真実』P358-359
しかしながら、またしても私は思い違いをしていたのです!
この部隊の兵士全員、それ
からさらに、この日武器を捨てて安全区に逃げ込んだ数千
人の兵たちも、日本軍によって難民のなかからよりわけられたのです。み
な、手を出すようにいわれました。銃の台尻を握ったことのある人なら、たこができることをご存知でしょう。
このパラグラフにある、「この部隊の兵士全員」というのはどの部隊を指すのか、上申書の直前の部分を読んでみましょう。
『南京の真実』P358 まず最初にここで完全武装した兵四百人を擁する部隊に出会いました。あくまでも彼らのためを思ってしたこととはいえ、このため、あとになって私は若干良心 の呵責を感じることになります。私は兵たちに、機関銃を装備した日本軍が遠くから進軍してくると伝え、危険を知らせました。そして、武器を捨てるよう、私 が安全区の収容所にいれてもらうようにとすすめたのです。しばらく考えた後でかれらは私の忠告に従いました。 |
「この部隊の兵士全員」というのもラーベ自身が武装解除させた部隊のこと
でした。同時に自ら武器を捨てた兵士のケースもあります。ともに敗残兵の範疇です。
こ
こまで
の四つの資料はすべて便衣兵の史料ではなく、敗残兵の史料でした。
U.便衣兵による武器の隠匿、扇動はあったのか
便 衣兵による大規模な反乱がなかったのは、反乱が起こる前に日本軍が早期に摘発したからです。南京陥落は12月13日です。16日には大規模な便衣兵摘 発が行われています。その後1月上旬まで摘発は継続されています。 |
日本軍が機先を制したので武装ゲリラの反乱はなかったが、反
乱の意思はあったはずという解釈です。しかし、敗残兵は憲兵隊の取り調べを受けることなく即時処刑されているので、反乱の具体的な計画があったという証明
はされていません。「反乱の意思があったはず」というのはグース氏の思い込みに過ぎません。
また、たとえ反乱を予定していたとしても、国際法違反の便衣兵というものは実行に及ばなければ違反を構成しません(日本軍の軍律違反にはなりますが、
国際法違反には相当しません)。
もし、武装ゲリラを企図して潜伏していたとすれば、摘発の際に武器をもって抵抗しないということはありえませんし、散発的な武器による抵抗があったとして
もその記録が残らないことはありえません。
中 国兵が潜伏中に反日撹乱工作を行ったという資料を探してみました。 |
武装反乱が証明されないので、「反日攪乱工作」というものを企図・実行したものを便衣兵と解釈しようとしているわけで す。「反日攪乱工作」なるものの具体内容は不明ですが、少なくとも武器を取って戦うことは含まれていないようです。こ れは国際法から定義される不法戦闘員には該当せず、便衣兵とは言えませんが、いちおう、示された資料を見てみましょう。
5.チャイナプレス 1938年1月 25日記事(1)
『再
審 南京大虐殺』 P151 明成社 日本会議国際広報委員会、 大原 康男、 竹本 忠雄著 ラーベ日記2月3日の部分にラーベが転載した『大陸報(チャイナプレス)1月25日』の記事。(但し、日本語版では該当部分は削除されている)
(『The Good man of nanking』 172-173 ラーベ日記の英語版) 馬宝山 (マーポーシャン) 王新蕘 (ワンシンロウ) 以上は、音訳を漢字に当てたものと思われる。 |
『南
京虐殺の徹底検証』P277 展転社 東中野修道著 ■馬中将は安全地帯で反日撹乱行為を扇動 また上海でアメリカ人が発行する『チャイナプレス』(1938年1月25日号)も同じ事を報じている。それによれば、12月28日現在で、外国大使館か ら、支那軍の将校23名と、下士官兵54名、兵卒1498名が摘発された。これは、12月24日からの住民登録の結果でもあった。つづけて「チャイナプレ ス」1月25日号は、その前日公表された南京日本軍憲兵隊の報告書を引用する 。
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上二つは同
じ記事かと思われますが、訳の妥当性を検証するために引用しました。 潜伏した中国兵が、略奪、強姦、(市民を脅迫しての)扇動を行ったという史料はあるじゃないですか、国際委員会委員長のラーベも日記に記録してますよ。 |
『南京
戦史資料集』P232 飯沼守(少将、上海派遣軍参謀課長)日記 1月4日(快晴) 憲兵は南京難民区区域或いは外国大使館に潜伏しある不逞徒を捕らえつつあり。八八師副師長など主なる者なり。 |
88師の副 師長ということで情報が一致していますから、事件があったのは間違いないと思います。 |
『南京
戦史資料集T』P475 南京ニ於ケル申シ送リ要点、 中沢三夫第十六師団参謀長 先日モ八十八師ノ大隊長ヲ捕縛セリ。 特ニ注意スベキハ各国外交機関内ニ隠匿シアル相当階級ノ人物アルコトナリトス。右八十八師ノ大隊長ノ自白ニヨレハ米大使館内ニ団長及営長尚隠レアリ。 |
南京事
件資料集・アメリカ関係資料編P444 青木書店 「本報告の報じる南京における査問会議は、難民キャンプおよび非軍事化されたはずの安全区に中国人将校23名下士官54名、兵士1498名が隠れていた、 その 内の一部は掠奪の件で処刑されたということを明らかにした。これらの高級将校の一部は、大使館、領事館、その他中立国旗を掲げた建物に避難している事が、 特に強調された。 これらの平服の中国軍将校及び副官は、明らかに多くの場合大量の軍需物資を隠匿していた。某国大使館近くと特に曖昧に言及された一防空壕の捜索では、軽 砲1、機関銃34、小銃弾42.000、手榴弾7000、砲弾500、迫撃砲2.000が発見された。 記者側から質問を浴びせられて、日本の報道官は中国軍は全大使館員が退去した後に構内に入ったものであることを認め、いずれかの非中立的な外国が紛糾を起 こしたと示唆しようというのではない、と言った。その大使館の国名を挙げるように強く求められたが、報道官はこう言って返答を避けた。「この問題について は皆さん自身の回答にお任せしましょう。」 |
何の
為にこんなに大量の武器を隠匿していたのでしょうかね? 観賞用ってことはないと思いますが… |
『南京
虐殺の徹底検証』P275 展転社 東中野修道著 それが、1938年1月3日上海発の『ニューヨーク・タイムズ』の記事(1月4日付)である。 「元支那軍将校が避難民のなかに---大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに」と題する記事は、次のように言う。以下は全訳である。
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以上のように、安全区に潜伏した便衣 兵が、強姦や略奪を行ったという史料はあります。安全区に潜伏した便衣兵の大部分は、早い時期に摘発されていますが、 摘発を逃れた便衣兵は、武装蜂起のタイミングを図りつつ、日本軍が強姦や略奪を行っ ているという偽情報を流していたのでしょう。 |