深夜にたまたま毎日放送(TBS系)を見ていた。ふと(毎日放送主催の)イベントCMが流れ、こう聞こえた。「ホアキン・コルテス…。日本中をあっかんしたあのステージが帰ってくる…。」
「はあ? あっかんした?」 「これって、『席捲』(せっけん)を読み間違えてんにゃろか?」 「せやけど、まあ、『圧巻する』っていう動詞化した用法もあるんかも知れへんなあ。」
以後、何度かこのCMに出くわしたが、私の語感からすると、やはりしっくり来ない。私の語感なんてぇのが、所詮、大した代物でもないので、こういう用法もきっとあるのだろう。ようわからんけど。
そのまま忘れて過ごしていたのだが、先日、新聞に同じ催しの広告が出ているのを発見した。ダンス界のスーパースター、ついに大阪へ!!
ホアキン・コルテス
大観衆が更に臨場感を生む!!
今年2月、日本中を圧巻したあのセンセーショナルなステージがバージョンアップして再上陸!! 「大観衆が……臨場感を生む!!」――これもしっくり来ない。舞台芸術の臨場感の「場」を構成する要素の一つが「観衆」であることは確かだか、それにしても何か変だ。さらに言えば、今回のホアキン・コルテスのステージが「バージョンアップ」したというのも、私にとっては何となく不思議な言葉の感覚である。
まあ、言葉ジジイの私としては、今回は「圧巻」の語義と「圧巻する」という使い方があるかどうかを確認するにとどめておくとしよう。コピーライターの仕事が、大衆にインパクトを与えるために、適宜、既成の日本語の用法をはずしてみせるというのはよくあることだろうが、これはそうした範疇の問題でもなさそうである。
さて、『広辞苑』第四版(岩波書店)で《あっ・かん【圧巻】》の項を引くと,次のようになっている。(「巻」は、昔、中国で官吏登用試験の答案。最優等のものを一番上に乗せたのに基づく)書物の中で最もすぐれた部分。他にぬきんでた詩文。転じて、全体の中で最もすぐれた部分。「この作品が出品中の―だ」 私は、えらそうに『広辞苑』を引き合いに出してはいるが、それを権威と捉え、権威によって自分の発言を正当化したいわけではない。言葉は生きており、辞書というのは現象した言葉をあと追いするしかないのだから。あくまでも、ここで辞書を用いるのは、基本的な語義の確認といった意味合いでしかないことを申し添えておこう。「圧巻する」だって、みんながどんどん使用して定着すれば、辞書の言葉になるわけだ。
しかしながら、言葉の意味からすると、「センセーショナルなステージ」が「日本中を圧巻した」というのは、どうも成り立ちにくい気がする。
それでもなお、コピーライター氏を弁護する(?)意味で翻訳を試みてみよう。
「日本中を圧巻したあのセンセーショナルなステージ」とは、「日本中を《全体の中で最もすぐれた部分》としたあのセンセーショナルなステージ」だったのである。すなわち、今年2月に演じられたホアキン・コルテスのステージは、日本中を(地球)全体の中で最もすぐれた空間に変容させてしまうほどの、センセーショナル(人の耳目をそばだたせるよう)なものであったのだ。
うーむ、そんなすごいステージなのに、「当日券あり!!」ではホアキン・コルテスに失礼だとは思わないか、大観衆諸君。「大観衆」がいれば「更に臨場感が生」まれるらしいぞ!!
断るまでもないだろうが、私はホアキン・コルテスの舞台そのものについて述べているのではない。あくまでも、対象を広告の言語に限定しているので、そのつもりでお読みいただきたい。
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