最近、「えりピカそでピカ」というSH●RPの洗濯機のCMが頻繁に流れているが、そのたびに私は不愉快な気分になる。そのCMの内容は次の通りである。
洗濯機が画面中央にある。それをはさんで画面向かって右に女が、左に男が立っている。女は、男のものと思われるワイシャツを手に、彼に向かってこう言う。
女「えりの汚れって、落ちにくいのよねえ。」
(女の映像、男へ覆いかぶさるように大きくなる。)
男「……はい。」
(うなだれた男の映像、恐縮したように小さくなる。)
ここには、《洗濯(ひいては家事一般)は女の仕事》という決めつけ(CM制作者の意識の中にある旧態依然たる前提)が見え隠れしているような気がする。
共働き夫婦が増え、世代によっては家事の分担も当然となってきた昨今であるから、「男女平等」という今日的な観点から見ても問題はありそうだ。
しかしながら、私が不快を感じるのはむしろ、襟〔えり〕の汚れを咎〔とが〕めるような女の口調である。
人は生きている限り(新陳代謝があるのだから)、汚れるものなのである。彼女が男に襟を汚さない、つまり身体が汚れないことを求めているのだとすると、それは彼の生体活動(新陳代謝)を否定していることになる。
このCM、「死ねば?」と聞こえるのは私だけかも知れない。仮に、この男が極度の風呂嫌いで、襟汚れが通常の男よりひどいという設定であれば納得できぬこともない。しかし、だとすれば、洗濯機よりもむしろ風呂のCMにでもすべきだな、そりゃ。
結論は、普通に風呂にはいって清潔にしていてなお、襟が汚れるのを咎めだてされる謂われはないし、罪悪感を感じることもない、ということである。
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