ブルーム旅行記
<2006年8月19日〜21日>
家の名義変更のため、夫のサインがいるのでど短期ブルーム旅行を余儀なくされた私。でもそこは”転んでもただでは起きない女・ブリ代表”。しっかりと空き時間にブルーム観光をしてきました。(^-^)
ブルームは前に住んでいたダーウィンから西に離れること1500kmあまりの西豪州の小さな港町。ブルームの地を上空から見ると「カンガルー」に見えるおもしろい地形をしています。
ホント、カンガルーに見えるでしょう?(^^)
ここは今現在も『南洋真珠の主要基地』として、毎年5月ごろから9月ごろまで我が夫・シュレちゃんを始めたくさんの日本人真珠養殖技術者がいます。
ブルームの日本人移住の歴史は古く、オーストラリア建国(1904年)よりも以前の1800年後半ごろにはすでに500人以上の日本人が『真珠貝採取ダイバー』として入植していました。当時は真珠養殖のためではなく『貝ボタン』を作るために海底に多く眠る真珠貝を採取していました。
当時のダイバー。海から引き揚げられてるところ。
移住者のおもは 捕鯨で有名な和歌山県太地町を始め、九州や四国のあたりの若者が『大金が手に入る』ということで、潜水病で多くが命を落とす危険な仕事にも関わらず入植しました。
当時、18歳の見習いダイバーで小学校の校長以上の給料があったといい、当時の太地町では適齢期の男子がいない!という深刻な状態にもなっていたようです。
しかし潜水服や技術や医学も発達していなかった当時。ほとんどのダイバーは潜水病でなくなったり身障者になったそうです。
そして第二次世界大戦には、1942年3月3日ダーウィン(初爆撃は1942年2月19日)と同じく南方基地から10機のゼロ戦がブルームも攻撃。兵士・市民を含め100人以上の方が亡くなっています。
このころはさすがに敵国の人間である日本人はオーストラリア各地にあった『収容所』に入れられたり、帰国したりして日本人人口は少なくなりましたが、戦後は元と同じように日本人も少しずつ戻ってきました。
その後1950年代にアメリカで”プラスチック製ボタン”が開発されると真珠ダイバーの仕事は劇減しました。しかし1960年代。日本の真珠養殖技術を生かして作られるようになった『養殖南洋真珠』は、1970年代には世界の南洋真珠の70%を占めるほどの一大産業となりました。
シュレちゃんが真珠養殖の仕事に就いたのは1970年代後半。オーストラリアの真珠養殖の創世記を支えてきたメンバーの最後の生き残り?なのですわ。笑
今現在、稚貝繁殖の研究もすすんでいますが、やはり真珠貝取りダイバーによって採取される天然の母貝に勝るものはなく、いまもダイバーによって天然の真珠貝が採取されています。
これらの歴史は、博物館やパンフレットにくわしく記されていますが・・・英語学校時代、私のすべてのプレゼンテーションやレポートも南洋真珠の歴史やブルームやダーウィンの歴史が主だったので、とても得意な分野です。 (^^)
さてさてちょっと話はそれますが・・・日本人がたくさん昔から住んでいた!ということは、現地人との間に混血児もたくさん作っていたわけで・・・(^^;)・・・ブルームのアボリジナルの顔には日本人の特徴が見られます。
アボリジナルはアフリカの黒人とは違い『混血4代目にはアボリジナルの特性を持つ遺伝子はなくなる!』ということが昔から知られており、それゆえ白人によるのアボリジナル白人同化主義政策が行われることになったのです。
私の友達でアボリジナル混血2代目の人がいますが、彼の肌の色も顔も完全北欧系の白人です。彼の娘や孫も、金髪で青い目だったりして・・・もちろん白人そのもの!!ただひとつ彼がいうには
「孫の鼻にアボリジナルの特徴が残っている」
ということで・・・言われてみるとちょっとだんご鼻な感じがしますが、言われない限りまったくわからないほどでした。
このことから、ブルームでは肌の色が白いアボリジナルも多いことは英語学校の先生からも聞いていました。そして顔立ちも日本人を彷彿させる人たちが多いとも聞きました。
百聞は一見にしかず!日本人か?と思うようなアボリジナルや白人が多かったです。笑!
ブルームや真珠や日本人の歴史これくらいにして・・・これからは旅行記に行きます。(^0^)
ブルーム国際空港(爆)に降り立ったのは現地時間の12時。ブリスベンとは2時間の時差があります。2時間バックするので、得した気分になります。笑
まぁ〜〜〜想像はしてたけど、すげぇ〜〜〜空港。爆爆!ダーウィンでもちゃんとコンクリートのビルディングだったわよ!
なんとコレが木造平屋建てのターミナルビル?だす。(^^;)
リムジンバスに乗ろうと思ったら
「近いから歩け!」
といわれ・・・とぼとぼと歩いてシティーへ。たった5分でシティーに着いちゃった。(^0^) ホント当日宿泊するバックパッカーは空港のまん前。歩いて空港へ行けるってね〜〜〜笑ってしまった。
私の泊まったバックパッカーは8人の相部屋で1日20ドル。安い!でも・・・シャワー場が汚くて狭くてゲッソリ。部屋は8人部屋だけど私のほかに一人泊まっていた様子。でも彼女はツアーにでも出かけたのか、私が泊まった日には帰ってこず一人で寝ました。ちょっとラッキー。(^^)
部屋に荷物を置いて着替えて、シティーへGO!
ダーウィンを離れて2年。すっかりこの暑さと日差しと着る服を忘れてた私。(^^;) ついでに帽子もサングラスも忘れたのだよ!明智くん。爆
ダーウィンもブルームも南国のリゾート地。ビーチサンダルに袖なしの涼しい服がお似合い。ジーンズにスニーカーはちょっと不釣合いね。やっぱりココはアッパッパの似合う南国だわ。
服を買うほどではないけど、帽子は必需品。ということで帽子と、ついでに買う予定ではなかったけどおそろいのバックとサンダルを購入。笑!
そしてまずはこの旅の目的である『日曜日でもやってるJP探し』←JPについてや今回の旅の目的の詳しくはこちらでどうぞ。をまずせねば!
カフェに落ち着いてレモンラムビターを飲みながら・・・なんか普通より高い気がした。やっぱ僻地は物価高。(--;)
なんとか日曜日の夜遅くでも仕事をしてくれる奇特なJPを発見。ちょっとホッとする。その後シティーの中をブラブラして・・・
おそらく世界一古い映画館(今年90歳)けどいまだに現役で上映してます。客席は半分が外のよう。。。だから夜だけ上映ね。笑
シティーの中心地にある爆撃祈念碑。心が痛みますぅ・・・(--)
今は南洋真珠で世界1!?の『パスパレーパール社・ブルーム支店』。ここがシュレの勤める日本の会社と合弁してます。パスパレーの真珠は日本人技術者の手によってのみ作られており、他とは品質が全然違います。(自慢よ!さすがは器用な日本人ね!)
それは昨年『ティファニー』にも認められ、ティファニーにある南洋真珠製品はすべてこのパスパレーパール社から出荷されてます。ということで・・・ティファニーで真珠製品を買ったあなた!もしかしたらうちのシュレちゃん作かも・・・笑
『ブルームの真珠養殖に貢献した人たちの銅像。』
栗林<Kuribayashi>さんから名づけられたクリベイ。という場所。結婚したてのころは、シュレもそこの基地に住んでいたことも・・・聞き覚えのある地名の由来に
「へぇ〜〜〜クリベイって栗林さんから取ったな名前なのね〜」
と一人で感心してました。(^^)
時間はそろそろ4時ごろ。でも私の腹時計はブリスベン時間の6時。いつもご飯を食べ終わる時間!不思議なものでやっぱりその時間になるとおなかがすくもの。
ビジターセンターで取ってきた”ガイドブック”を見ながら行きたい場所を印つけ。今日はレンタカーを借りてないし歩ける範囲で探し〜〜〜いいバーを見つけた。
マングローブホテルにある”The Tides” ここからの海の眺めは最高!マングローブの林の上にあるバーだから、風のないときはサンフライに注意ね。でも私はサンフライにやられても痒いだけ腫れたりしないんでいいんだけど、皮膚の弱い人は腫れて病院に行かなくてはいけなかったりするのでココは要注意かも・・・(^^;)
”マドォ〜リアンレモネード”(ミドリを使ったメロンフィズ)と”チリガーリック風味のエビの前菜”をオーダー。まったりと海を眺めながらの午後酒?爆。
こんな色の海を見るのは久しぶり・・・この景色、ダーウィンにそっくり!爆。パッと写真を見せられたら・・・間違いそうや・・・(^^;)
ここで食べたのはコレだけ。実はもうひとつ行きたい場所があってね・・・でた!はしご。笑!お次はこのホテルから歩いて3分ほどの場所にある
”Matso’s” ココは元・松本商店だった建物を使ったお店で歴史的な建物。シュレは”松”と呼んでるわ。OZがなんて発音するのかは不明!今はビールの醸造&レストランになってます。最近では別棟にてインド人のカレー屋ができたりして、インド人の作るインドカレーが好きな私にとってなかなか興味のあるお店。
トレードマークは『生』・・・ビールが生ってことかしら? ホップが生きてる?とか・・・(^^) 生生しいおいしさ?爆。
この日は軽めのエールを頂きました。思ったより・・・美味しくなかった。。。。というかここの名物のジンジャービアーが混じってたかも・・・・なんか変に甘かった。笑
同じ敷地内にはこの旅の第二の目的である”アートギャラリー”もあった。↑・・・とてもいい感じの絵があってね・・・食指が動きかけたけど、た・高い。。。気に入った絵は$10000近かったよ。。。玉砕。。。
夕飯にカレーを食べよう!と思ってたのに・・・カレーだけ。というメニューはなく$20でビーフカレーにタンドリーチキンやエビが付いたセットしかなく、エビを先に食べてておなかが少々いっぱいだったこともありそんなに食べれないので断念。またの機会に〜〜
またまた歩きでシティーまで歩き。日暮れが近かったので怖いし、さっさと小腹が減ったときのための夜食と水を買い出して宿へ。きたないシャワー場で
「どうやってこの濡れて、汚い場所でパンツを汚すことなく履くべ!?」
などと考えながらシャワーも無事にすませて、小腹が減ったので買って来た”マッシュルームリゾット”をチンして食べた。そのときに知り合ったOZの女の子からサラダをおすそ分けしてもらったり、スウェーデンから来た男の子と一緒にちょっとおしゃべり。その女の子は次の日にダーウィンに行くということでお勧めスポットを教えてあげたりして楽しい夜をすごしました。
2日目ーーーー
やっぱり時差の関係か・・・いつも起きてる朝6時頃に目があく。ブルーム時間は朝の4時よ。爆!しばらくウトウトしたりごろごろして朝7時からケロッグ2種とコーヒーか紅茶の朝食が付いてたので、食べに行って早めの行動・・・実は腹が減ってた。だって腹時計は朝9時なんだもん。(^m^;)
今日はレンタカーを借りる予定だったので、8時前に宿を出て〜〜まずは警察署へ。
一応JPを見つけたけど、Gさまだし・・・もしものことがあってもいけないので、警察署にJPがいないかと思って行ってみた。警官が出てきて〜〜
「ここにはJP資格を持った警官はいないよ。申し訳ないね。でも・・・」
「JPはJPでもジャスティスofポリスならいっぱいいるけどね。僕もそうさ!えっへん。」
なぁ〜〜んて冗談はいらん!さすがはOZポリス。ジョーク好きが多いようで・・・(^^;)
そしてやっぱりその兄ちゃん
「前のコートハウスに行くJPはいるけど〜今日は日曜日だし、明日にならないと開かないしね。電話帳で調べてみる?」
というので、JPのリストはすでに持っていたので、お礼を言って警察署を後にする。そしてそのコートハウスへ行ってみると・・・マーケットをやってた。
これ↑がコートハウス。元駅舎の建物でとても歴史を感じる建物です。現在は簡易裁判所になっているようです。
そのコートハウスの広場で毎週、土・日曜日に開かれるマーケット。クラフトや屋台が出ます。この雰囲気もダーウィンのパラップのマーケットにそっくり。もちろんアートなお店もあってね、いろいろとおしゃべりしたり冷やかしたりしながら遊んでました。
そして8時が過ぎたので、昨日予約を入れておいた”格安レンタカー屋”へ直行。手続きを済ませて、いざ車に乗ってガァ〜〜ン!!
「ま・・・まにゅあるぅ〜〜〜っすか!?」
実は私、マニュアル車の動かし方は知ってるし免許もマニュアル車も運転できるものなんだけど・・・自動車学校以来マニュアルなんて運転したこともなく・・・すぐに店に飛び込んで、オートマがないか聞いてみるものの、さすがに格安を売りにするお店ね・・・1台だけあるけど空いてない!とのこと。・・でキャンセルして仕方がないので、近くにあるAVISへ。
ここでも全部出ちゃってて・・・今ブルームは観光シーズンですごくたくさんの観光客であふれています。AVISのお姉さんが
「空港になら大手のカウンターがあるから行ってみたらどうかしら?どこかにあるわよ」
といわれ、また空港へ歩いて1分。笑!なんとかオートマのカローラを借りることが出来ました。あ〜こんなことなら先にネットで予約すれば良かったよ。。。(--) 大手のレンタカー屋よりも小さくやってる現地レンタカー屋のほうが安いので、いつも現地についてから借りてるので今回もそうしたけどあてが外れた・・・
事故ったときの自己負担を減らす保険も掛けて1日$100.うぅ〜〜ん高いぞ!でも背に腹は変えられない。今日と明日の夜まではどうしても車がないと過ごごせないしね〜あ〜大失敗!!
10時でないと車が帰ってこない。ということで宿へいったん帰る。もちろん歩いて5分。爆
その間にーーー今晩泊まるお宿を検索。シュレが泊まれるのかがいまいちはっきりしないからホテルは予約しなかったのと、観光シーズンでどこのホテルも空いてなかった。ってのもバックパッカーに泊まった理由でもあったのよね。
でももし”外泊可。”ってことになってバックパッカーで。。。って訳にも行かないから一応どこかホテルはないかと電話を掛けてみるも、お高いホテルは全部満室!あれぇ〜???高いところだと空いてると思っていいところをより選んだんだけどな・・・この分だと安いところはもっと空いてないかも・・・と不安になりながら、安いホテルへ電話すると・・・空いてた。(^^;)
OZたち。最近のバブルに浮かれてるのか、面白い現象やね・・・せっかくリッチなホテルに泊まろうともくろんでたのに。。。涙。でも今度、ブルームに来たら絶対に泊まりたいホテルができたので、次回は抜かりなく安くネットから予約するわ!
さてさてホテルも決まったことだし、まだチェックアウトまで時間もあったので、今日チェックアウトすることを受付に言いに行ったら〜〜〜
「今日チェックアウトですね。はいどうぞ!あ、でも先払いしてもらってるお金は返せませんよ!あしからず!」
といわれた。ガビィ〜〜〜ン!!面倒くさいから2日分払っちゃったのよね・・・でも壁を見るとちゃんとそのことを書いて張ってあった。そこで教訓!!
『バックパッカーのお宿では日払いをすべし!!』
$20損した。。。腹が立つからレンタカーを借りる時間までベッドで休んで、荷物も置いておいた!ちっちぇ〜〜〜。苦笑
10時前にレンタカー屋に行った。これから1日半お付き合いすることになったカローラちゃん。まだ走行距離は5000キロほど。新車だったのね。なかなか乗り心地のいい車でした。
車が出来たらもうこっちのもん!笑。ビジターセンターでもらったガイドブックに乗ってる地図だけでも運転できるこの地理力に感謝!・・・ってかブルームの道、簡単すぎぃ〜。爆
そして今日は綿密に計画を立てて行動!
まずは日本人墓地→JPの家を確認→アートギャラリーめぐり→ケーブルビーチ→お気に入りのマングローブホテルのバーで休憩→シティー界隈→港の道確認→ケーブルビーチで夕日鑑賞→シュレちゃんを迎えにいってサインをもらう→おしゃれな夕食→ホテルへ
こんな感じで〜〜〜笑
まずは『日本人墓地』
この日本人墓地は1983年、日本船舶振興会の笹川良一氏と参議院議員の玉置和郎氏によって設立されたもので、最古の墓石には1896年のものがある。
この墓地には真珠ダイバーの職業病である”潜水病”で命を落とした人たちだけでなく、1887年・1908年・1935年のサイクロンでなくなった300名近くの名前の載った方尖塔もあった。
長年の間に墓石の痛みも激しく、新しい墓石はたぶん子孫が立て直したんだろうか・・・中には、子供や女性の名前もある。家族で移り住んだ人も多かったのだろう・・・でも無縁墓も多くて、この場所に立っていると
「異国で一人で死ぬ寂しさやつらさ。どれほど日本に帰りたかったであろう・・・」
という思いがこみ上げてきて不覚にも涙がこぼれた。もっとじっくり見たかったのだけど、あまりにも感傷的になってきたので早めに引き揚げた。
この墓石は故郷・日本の方角に向いているという・・・みなさん、安らかにお眠りください。
JPの家は日本人墓地から少し言った場所にあって、すぐに確認が出来た。一応、ちゃんと話が通っているかも確認したくて家を訪ねてみた。
すごくやさしそうな典型的OZのおじいちゃま。でも空港の現役検疫官っちゅーことは・・・まだ50代?60台前半なのかも・・・そうは見えないのだけど・・・OZも日本人の年齢がわからないように私もOZの年がわからん。(^m^;)
また夜に出直すことを約束して、おじいちゃまとさよなら!ホントはお礼はいらないんだけど、時間外に快くやってくれるのでお酒でも持ってこよう。(^^)
そして次。『アートギャラリー』
ブルームはアボリジナルアートも含めて、町の規模からするとギャラリーの多い場所。やっぱり題材は海が多くてね。私の大好きな藤色や赤紫色を使った海の風景画に心を動かされる。でもやっぱりどこも高いのね〜〜〜ちょっと安い。と思ったら印刷だったりして・・・安いものでも$3000・高いものは$10000に届くようなものまで、絵に何十万もはよう出さないな〜と断念!
実は私も小さいころに油絵をたしなんでてね。全国コンクールの小学生の部で『特選』を取ったこともあったりして・・・京都国立美術館に飾られました。(^^)・・・なので、油絵に関しては素人でもないし、風景画はお得意の分野なので自分で書いてみることに決めた!笑。
エンジンのかかりがとても遅い私だから、いつになるかはわからんけどブルームの海の風景を描いてみたいと思っています。
そして・・・『ケーブルビーチ』
ここは22Kmも続く白砂のビーチ。夕日鑑賞のメッカで、近くにはリッチなホテルやおしゃれなバーやカフェも多く、現地の人も観光客もお気に入りの場所となっています。この芝生でOZのようにスーパーで買ってきた”サラダとヨーグルト”で軽くお昼ご飯。
またこのビーチには夕日の時間に来ることにして、次。
暑いときはキレイな海を見ながら・・・やっぱりビール。ちゅーことで〜〜昼間からまた飲んでしまった。笑・・・もちろん場所はマングローブホテルのバー。このホテルも予約いっぱいで取れなかったのよね・・・
今日はちょっと写真のショットを変えて〜〜〜前にある小さな島をとってみました。ちょっと潮が引いてるので海の色が違ってます。
このバーには”でかいチェス”があって・・・おにいちゃんが遊んでいるところをパチっ!でかくて動かすのが大変そう。笑
ゆっくりまったりして次!『シティー観光』へ
ブルームのチャイナタウン界隈を散策。おみやげもの屋さんを見たりして、でも小さい町なのですぐに見終わり、次。
『デイープウォーーター港』へ
その途中で久しぶりに”ドナドナトラック発見”!!このドナドナトラックってのは、ダーウィンでは毎日見かけていた2〜3連のトレーラーで、食肉にされる牛さんたちがずらずらと乗ってるの。かわいそ〜命をありがと! (^m^;)
そしてコレもダーウィンと見間違いそうな道。ダーウィン郊外のスチュワートハイウェイみたい。。。(^m^)
この先に港があります。写真を撮りわすれました。涙!
道の確認も終わって、いざ『夕日鑑賞』へ
地元の人たちもこんな風にイスやテーブル、ワインやチーズなどを持ってきてピクニック。この手前の方たちはとてもおしゃれな感じのおじいちゃま&おばあちゃまだったので写真に撮っちゃった。ワイン片手に夕日鑑賞のこんなおされ〜な生活のできる老後っていいなぁ〜〜〜ビバ!ブルーム!!(^^)
夕日鑑賞クルーズ船も帆船型で雰囲気があっていいね〜〜次回はクルーズも試してみたい!!そして下が今回の夕日のベストショット。この赤紫の色が大好きなのよね!!この色が絵の具で出せるといいなぁ〜〜〜〜
この夕日が沈むのを待ってる間、メルボルンからブルームへご主人の仕事の関係で引っ越してきたOZ家族連れとおしゃべり。ちょうど私が座っていたテーブルへ相席したことから話が弾み・・・夕日が沈みかけるまでしゃべってました。
途中からご主人も合流。
「貸しスクーターも楽しいよ!!スクーターにも乗ってみたら!」
と薦められるが・・・スクーターも乗れない私。爆!そこで、恥ずかしい『マニュアル車キャンセル話』をして大笑いさせてあげたわ。ちょうどそんなころシュレから電話が・・・
陸の近くに着たので携帯のアンテナがたったみたいね。
ちょうど私が見てる夕日のあたりを1隻の大きなクルーザーの船影が見えたのでそれがそうだったみたい。あと1時間ほどで港に着くということで・・・すべて計画通り!家族連れに
「いつかどこかでまた会いましょう!!」
といってお別れ。さぁ〜次!最後の大仕事へ。
とっぷりと暮れた港への道をひた走り・・・港へ到着!港の前にあるシーフードレストランで夕食を。と思っていたのに
”ガスが故障したので営業中止!すまん!!”
の張り紙が・・・(TT) そうこうしてる間にシュレ登場!やっぱりいつものごとく・・・肥えてるわね〜〜(^^;)
車に乗せてひとしきり”シュレの手落ち”をなじッたあとにJPのGさまの家へ到着。
無事にサインを頂いて〜〜〜お礼のワインを手渡し、ハグハグと両ほほキスでお別れ!はぁ〜〜やっと第一の目的が完了した!あとはこの書類をしっかりとブリにまで持って帰ることが私の任務ね。
すべて終了したので、気持ちよくお食事へ。
ケーブルビーチ前のバー&レストランがいっぱいだったので、その隣のケーブルビーチホテルのレストランへ。このホテルも予約がいっぱいで取れなかった。今度はリベンジよ!!(--)
船を下りる前に「ラーメンを食ってしまった。」というシュレ。あほやな〜〜〜せっかく美味しいものを食べるというのに・・・私も余りおなかが減ってなかったので軽く”イカ炒めのせサラダ”と”サラミピザ”をオーダー。
ここのピザ。めちゃ美味ぁ〜〜〜!!ちゃんと石釜で焼いた本格ピザで、おなかがいっぱいなはずのシュレもバクバク食べてた。だから太るのよん。笑!
そこで今回のいろいろな騒動を報告。ホテルのお泊りについてはシュレ自身も心配だったらしく「帰りは明日か?」と聞く同僚に「わからん。」と答えたそう。爆!
もし今夜すぐに帰らせたら・・・
「やっぱりあの夫婦仲が悪いんだぁ〜。」
なんて言われてるわね。と二人で大爆笑!あ〜ホテル予約しておいてよかった。(^m^;) いろいろと喋っているうちに夜は更けてーーー何があったかは想像におまかせ!うふふ〜
最終日。
朝8時出港。ということで7時半までには船に帰らないといけないので、ちょっと早いけど7時前にホテルを出発。途中でシュレの携帯が鳴る。今どこにいるのか?を聞いてきたらしいが・・・結局、誰からだったのかわからず大笑い。
そして港。自動開閉の門が開かないので乗り越えようと試みるシュレちゃん。でも体が重く1m50cmほどの門が超えられない。情けねぇ〜(^^;) 仕方がないから、下から押してやろう。と思って行きかけたら、埠頭から走ってくる車が1台。わざわざ船長がシュレちゃんを迎えに来てくれたらしい。
シュレちゃんは親切な車に拾われて仕事に戻っていきました。元気にいってらっしゃい!
さぁ〜〜〜これから飛行機の出発する夜8時までまたまた観光よ!まずはホテルに戻ってちょっとテレビを見ながら休憩。10時にチェックアウトして、まずは
『博物館』へ
この博物館は、ブルームの歴史や真珠の話や昔の生活器具が展示されていたりしてとても興味深いところでした。なかでも心に残ったのが
『SAYONARA NAKAMURA』
という歌になっているナカムラくんの話。彼は21歳になる前に潜水病でなくなった沖縄出身の青年。
<故郷に帰るときに最愛の恋人に贈るため美しい真珠を取ろうとして海に潜り、運悪くストームが来たために急激に引き揚げられて潜水病に罹患。マレー人の友達の腕の中でなすすべもなく死んでいった。そしてそれからもナカムラのように死んでいったダイバーがたくさんいる。故郷に帰れずにブルームに眠る>
というような歌詞。もぅ〜〜ここでも涙が・・・また感傷的になってきたので違うコーナーへ。
この博物館は、とても古い建物でボランティアによって運営されています。戦争に関係したことも多くあり、ブルームのいろいろなことを知るには絶好の場所です。
そして次。
『タウンビーチ』
ここは満月のときに”月の階段”を見ることが出来る有名な場所。
この写真はちょっと拝借してきたものだけど、満月になるとこの”月の階段”を見ることができるそう。次回に期待!!(^^)
さぁ〜て、その絶好の場所になるタウンビーチは、博物館のほん近く。昼間はこんな感じのこじんまりしたビーチで、海水浴にはぴったりかも。
なぜか赤い鳥居が・・・(^^)昔の日本人たちはここで盆踊りでも楽しんだのかしら?
私が写ってるたった1枚の写真。爆!買った帽子とかばんとサンダルはいてます。後ろに見える船のところが港です。この写真は3人連れの観光客に撮ってもらったもので、反対側のがけのほうから撮ってもらったのだけど、おっちゃんいいアングルにするため後ろも見ずに下がるので思わず
「後ろ、危険ですよ!」
と声をかけると、すかさず一緒に来てたおばちゃんが
「そうよ!クーパーピディー(オパール鉱山で有名な町)でも観光客が後ろ見ずに写真を撮っていて、鉱山の縦穴に落ちて死んだ!ッてい言うニュースがあったわよ。後ろはちゃんと見なくちゃ!!」
ほぅ〜そんなニュースがあったのか・・・足元が危険な場所では写真撮影は要注意!って教訓ね。
これは・・・バオバブの木かな?ちょっと形が面白いの撮ったりして〜タウンビーチで時間をつぶした後は、また「Matos’s」へ
今度は違うビール「ダークビター」をオーダー。ちょっと黒目のビールですっきりとしててこれは美味しかった!!(^^) そして昼ごはんに”エビとイカのサティー。ガーリッククリームジャスミンライス添え”を食べた。これも美味しかったよ〜〜〜。ガーリック臭もきつくなく、コクがあるクリームとご飯がなんともいえんハーモ二ー。はぁ〜至福の時だわ・・・
甲殻類好きでごめん!ブルームにいた間、はっきり言って肉気はゼロ。イカ&エビ三昧でございました。(^0^)
そして昼もまったりと終わっていき〜〜〜時間も余ったのでちょっと”ネットカフェ初体験”1時間ほどネットをして、次。
時間もアフタヌーンティーの時間になっていたので美味しいコーヒー。ということでケーブルビーチの近くにある「The Old Zoo Cafe」でカフェラッテでまったり。ラッテの上の泡に”Zoo Cafe”文字が・・・なかなかおしゃれ。
そのZoo Cafeでゆっくりとコーヒータイムをしていたら・・こんな光景が・・・らくだの出勤風景。爆!!
ケーブルビーチではらくだに乗ることが出来て、特に夕暮れ時にはツアー客でいっぱいになります。らくだは前にエアーズロックに行った時に乗ったことがあるので今回はパス。今度子供たちと来たときに乗せてあげようと思ってます。
こうやってちゃんとすわってお客さんを待ちます。うちの前に飼ってた犬よりえらいぞ!!ぷぷっ(^m^;)
そして2回目の夕日鑑賞。
今日は砂浜にて鑑賞会。やっぱりキレイやわぁ〜〜〜(^^)
今日の予定はコレで全部終了。空港には7時ごろに行っても十分だけど、もう行く場所もないのでスーパーで夕食を買い込んでで空港へ。おなかがあまり減ってなかったのでサラダとパンの質素な夕食でした。
そして少々遅れてブルームを出発。そしてパースで乗り換えてブリスベンに6時前に到着。仕方なく文句ブリブリで行ったブルームだけど、すごく楽しく充実した旅行になりました。
次は、今回泊まれなかったケーブルビーチホテルかシーシェルズホテルに宿泊して「恐竜の足跡」や「ブッダ・サンクチュアリー」や「月の階段」などを見にいくつもりです。
ダーウィンと同じくらいブルームが大好きになったみっちゃんでした。この美しい海と夕日をぜひ見に行ってみてくださいね。
― 完 ―