『草木塔』


種田山頭火


旅心


 
 
葦の穂風の行きたい方へ行く


 
 
身にちかく水のながれくる


 
 
どこからともなく雲が出て来て秋の雲


 
 
飯のうまさが青い青い空


 
 
ごろりと草に、ふんどしかわいた


 
 
をなごやは夜がまだ明けない葉柳並木


 
 
秋風、行きたい方へ行けるところまで


 
 
ビルとビルとのすきまから見えて山の青さよ


 
 
朝の雨の石をしめすほど


   行旅病死者
 
霜しろくころりと死んでゐる


   老ルンペンと共に
 
草をしいておべんたう分けて食べて右左


 
 
朝のひかりへ蒔いておいて旅立つ


 
 
ちよいと渡してもらふ早春のさざなみ


 
 
なんとうまさうなものばかりがシヨウヰンドウ


   宇平居
 
石に水を、春の夜にする


   福沢先生旧邸
 
その土蔵はそのままに青木の実


 
 
ひつそり蕗のとうここで休まう


 
 
人に逢はなくなりてより山のてふてふ


 
 
ふつとふるさとのことが山椒の芽


 
 
どこでも死ねるからだで春風


 
 
たたへて春の水としあふれる


 
 
水をへだててをとことをなごと話が尽きない


 
 
旅人わたしもしばしいつしよに貝掘らう


 
 
うらうら蝶は死んでゐる


 
 
さくらまんかいにして刑務所


   病院に多々桜君を見舞ふ
 
投げ挿しは白桃の蕾とくとくひらけ


   多々桜君の霊前にて
 
桃が実となり君すでに亡し


 
 
うららかにボタ山がボタ山に


   湯田名所
 
大橋小橋ほうたるほたる


 
 
このみちをたどるほかない草のふかくも


   妹の家
 
たまたまたづね来てその泰山木が咲いてゐて


 
 
泊ることにしてふるさとの葱坊主


 
 
ふるさとはちしやもみがうまいふるさとにゐる


 
 
うまれた家はあとかたもないほうたる


   温柔郷裏の井子居
 
きぬぎぬの金魚が死んで浮いてゐる


   華山山麓の友に
 
やうやくたづねあててかなかな



  ヽ ヽ
 孤寒といふ語は私としても好ましいとは思はないが、私はその
 
語が表現する限界を彷徨してゐる。私は早くさういふ句境から抜
 
け出したい。この関頭を透過しなければ、私の句作は無礙自在で
 
あり得ない。
  ヽ ヽ
(孤高といふやうな言葉は多くの場合に於て夜郎自大のシノニム
 
に過ぎない。)

 
 私の祖母はずゐぶん長生したが、長生したがためにかへつて没
                             ごふ
落転々の憂目を見た。祖母はいつも『業やれ業やれ』と呟いてゐ
 
た。私もこのごろになつて、句作するとき(恥かしいことには酒
                 ごふ
を飲むときも同様に)『業だな業だな』と考へるやうになつた。
      ヽ ヽ ヽ                            ヽ ヽ ヽ
祖母の業やれは悲しいあきらめであつたが、私の業だなは寂しい
 
白覚である。私はその業を甘受してゐる。むしろその業を悦楽し
 
てゐる。

 
    凩の日の丸二つ二人も出してゐる
 
    音は並んで日の丸はたたく
 
 二句とも同一の事変現象をうたつた作であるが(季は違つてゐ
 
たが)、前句は眼から心への、後句は耳から心への印象表現とし
 
て、どちらも残しておきたい。

 
    しみじみ食べる飯ばかりの飯である
 
    草にすわり飯ばかりの飯
 
 やうやくにして改作することが出来た。両句は十年あまりの歳
 
月を隔ててゐる。その間の生活過程を顧みると、私には感慨深い
 
ものがある。
(昭和十三年十月、其中庵にて、山頭火)



つづく
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