寺田寅彦

『柿の種』(岩波文庫「柿の種」 1996年4月16日 第一版発行)
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ひとりごと
 中学3年のころ、学校の図書室で見つけた、「墨流し」や「ひまわり」についての科学的な随筆集を読んだのが、寺田寅彦との最初の出会いです。小説から離れて、好んで歴史や科学の本を読み始めた最初のころの事でした。身近な問題に関する観察記録集といったそれは題材が身近だった分、中学生には難しい表現もあったはずなのに、とても面白く読めてしまいました。高校から大学にかけて、随筆集や岩波新書が読書の大事なジャンルになっていった、きっかけの一つが寺田寅彦です。
 『柿の種』は、高校の図書館にあった「寺田寅彦全集」で読んだのが最初です。このとき始めて、彼が夏目漱石の弟子のひとりだと知りました。そして、『柿の種』の短文の中にかいま見える、作者の優しさや人間観察の鋭さにひかれて、愛読書のひとつになりました。当時(大正〜昭和初期)の人々も現在の我々も、日本人は、根本の所で良くも悪くも変わらない。そんなことを、改めて感じさせてくれる本でもあります。
 『柿の種』の自序の最後には、「なるべく心の忙しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい」という、読者への願いが書かれています。そんなふうにゆったりと、余裕をもった時間にこそふさわしい本なのかもしれません。


寺田寅彦について
  • 物理学者、随筆家。随筆家としての筆名は吉村冬彦。
  • 1878(明治11)年に東京で生まれる。
  • 五高時代に夏目漱石に学ぶ。東京帝国大学物理学科を卒業後、1909(明治42)年に東大助教授となり、2年間のドイツ留学を経て1919(大正8)年に東大教授となる。
  • 理化学研究所、航空研究所、地震研究所の各所員などを兼任し、物理、地球物理、気象、地震、海洋物理、応用物理学など多方面を研究し、X線回折のラウエ斑点の研究方法の改良により1917(大正6)年に学士院賞を受賞。1935(昭和10)年没。
  • 漱石門下として多くの随筆・俳句を発表し、著書に「冬彦集」「藪柑子集」などがある。科学と文学を巧みに調和させた随筆を多く書いた。


『柿の種』『栃の実』について
  • 『柿の種』は1933(昭和8)年、『栃の実』は1936(昭和11)年に小山書店から刊行された随筆集。
  • もともとは、友人であった松根東洋城の俳句雑誌「渋柿」の巻頭言として書いた短い文章を随筆集としてまとめたもので、著者自身が『柿の種』の自序に「書簡集か、あるいは日記の断片のようなもの」と書いている。寺田寅彦の独語録ともいえ作品である。
  • 底本にした岩波文庫版の『柿の種』は、本来の『柿の種』の内容を「自序」と「短章 その一」とし、『栃の実』の内容を「短章 その二」として収めている。

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