中原中也

(新潮文庫「中原中也詩集」 2000年4月1日 発行)
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『在りし日の歌』QTView版

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ひとりごと
 はじめて読んだ中原中也の詩は、現代国語の教科書に載っていた「北の海」でした。授業では取り上げられなかったのですが、とにかく気になって、結局暗記をしてしまい、学校の図書室でこの詩が載っている詩集を借りるはめになりました。
 一読したときは、なんて甘ったるくて凡庸な詩だろうかと思ったのですが、何度か読み返すうちに、2連の凄まじさに気がつきました。海の波の永続的な動きは、空への「呪い」なのです。波と空が何の比喩かはわかりませんが、とにかく、自分の手の届かない物に対して、怒るでなく、挑むでなく、憧れるでなく、永遠に「呪う」というのです。そんな作者の感受性は、充分に背筋を凍らせるものがありました。
 そんなこんなで、高校時代に中原中也の『山羊の歌』と『在りし日の歌』は全部読みましたが、調和のある世界を望みつつ、それが満たされない悲哀のようなものを感じたので、整った詩の形ともあいまって、「サーカス」やら「生い立ちの歌」「骨」「お道化うた」「月夜の浜辺」等々、ずいぶん暗記をしたものです。
 時々は、甘ったるさやべたついた感じに反発を感じることもありましたが、今でもやはり、中原中也は好きな詩人のひとりです。10代の多感に時期に彼の詩を読めたことは、幸せなことだったと思います。もし、今頃になって突然読めと言われたら、ちょっと辛いだろうという気もしますから。


中原中也(なかはらちゅうや)[1907〜1937]について
  • 昭和期の詩人。山口県生まれ。1925年(大正14)上京し、小林秀雄、大岡昇平らと親交をむすび、ベルレーヌ、ランボーらフランス象徴派の詩人の影響をうけつつ、独自の詩風を確立する。
  • 1929年に大岡昇平らと「白痴群」を創刊、34年には第1詩集「山羊の歌」を出版した。「四季」「歴程」の同人になり、詩人としての声価も高まったが、長男の死後、心身の衰弱がはなはだしく、結核性脳膜炎により病没した。没後、詩集「在りし日の歌」が刊行された。


『山羊の歌』について
 中原中也の第1詩集。1934年(昭和9)に文圃社より刊行。詩作44編を集成。近代人の孤独や不安をとらえ、するどい感覚で自己の内面世界を形象化するとともに、口語の音楽性を追究して独自の詩風を形成した。
『在りし日の歌』について
 中原中也の第2詩集。詩作58編の収める。その死の翌年である1938年(昭和13)4月に創元社より刊行されたが、1937年9月頃までに作者自身によって編集を終えたと思われる。

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