ハンニチの国〜韓国紀行〜

平成18年8月23〜26日


第四日


 朝起きて、風呂に入り、荷物をまとめ、ホテルのロビーへ。荷物を預け、朝食を食べに外へ出る。ホテルの目の前の「シンソンソルロンタン」という、これもやはり事前にネットでチェック済みの、薬膳粥の店に行ったら、満員で、すぐには入れない状態だったので、もう一軒の、やはり調べておいた薬膳粥の店に行く。味は普通。
 その後、やはりホテルの目と鼻の先の、明洞聖堂(100年以上の歴史があるという、キリスト教会)に行く。煉瓦造りの、茶色っぽくくすんだ建物が、そこだけ高台となっている場所に聳えている。日本の京都などの有名寺院などとは違って、観光化はあまり進んでいないらしく、拝観料などというけちくさいものはない。そのためもあってか、観光客よりも、信者とみられる人の方が遥かに多い。

明洞聖堂 その敷地内にあった妙な石灯籠 二頭の獅子がいかがわしいことをしているように見える、エロいデザイン

 観光的なものとしては売店があり、100ウォン程度の名刺大の聖人イラストから、ウン百万ウォンのブロンズ像まで、様々な宗教グッズが売られていた。その中で、パレスチナっぽい街並を遠景に、木の下で憂いをたたえた表情で座るキリストのイラストと、19世紀頃と思われる、李氏朝鮮時代の服装をした聖人(名前も経歴も知らないが、恐らく殉教者なのではないか?)のイラストを選んで買った。しめて250ウォン也。前者は、2000年前に彼が感じた憂いが、現在の彼の地でも続いていることをキリストが知ったとしたら、諸行無常を感じずにはいられないだろうという理由で、後者は、韓国らしいものということで購入。

多分キリスト。
膝下の辺りに街並みが。
人物名不詳。
知っている人いたら教えて下さい。

 売り子の若い娘は、控え目で優しげな笑顔で応対してくれ、好感を持った。
 その後、一旦ホテルに取って返した。ホテル前発空港行送迎バスの発車時刻が10時半だと思っていた為であったが、10時半を過ぎてもバスが来ないので、改めて旅行日程を確認したら2時半だった。

 いずれにしても、万一のことを考えたら、そう遠くに行くわけにも行かないので、時間まで明洞の繁華街をうろつく。で、一人の若い女性と目が合い、話しかけられた。韓国語は分からないと手を振ると英語で話しかけてきた。フィリピン人だという。あなたはジーザス(=キリスト)を信じますか?そう、宣教師だった。「Not only ジーザス」(=神はイエス只一人ではない)と言ったら、けだものでも見るような目つきに変わり、「You'll go to hell!」(=地獄に堕ちるぞ!)と言われた。こんな輩がいるから未だに世界中で宗教紛争がなくならない訳だと思った。
 それにしても何故彼女はこんなにも排他的に信じているのだろう?別にイエスキリスト=神を否定したわけではなく、「只一人の神ではない(=多くの神々のうちの一人)」と、含みを持たせただけなのに。
 恐らく彼女は、俺のことを哀れな愚か者と思ったのであろうが、逆に俺は彼女の方こそ哀れと思った。何故なら、もともと16世紀にフィリピンを侵略したスペイン人が持ち込んだというか、侵略の口実として使われたのがキリスト教だったが、その、侵略者が押し付けた宗教を、うわべだけならともかく、心の底から信じているからだ。押し付けられたものをありがたがるという神経が、ちょっと考えただけでは、我々日本人にはまるで理解できない。が、恐らく、スペイン人の侵略に対し、当時「神風」が吹かず、当時の土着宗教が何の防禦にもならなかったことで、彼等自身で土着の宗教を見限ってしまったのだろう。現に、南米の旧インカではそうだ。そうだとしたら何と寂しいことだろうか。スペイン人以前の祖先の営みを全否定してしまっているのだから。
宣教師が掲げていた看板
有難い?事に日英中韓4ヶ国語表記

 さて、出発前に昼飯を食べる。サッパリ系の「冷麺」。昨夜と同じ店で、昨日とは別の「フェ」という、えいの刺身が乗っている奴を頼む。「刺身」と表現したが、実体は、明太子のように、唐辛子で真っ赤になっているものであり、昨日食べたものの方が美味しかった。
 他に、土産物と日用品を売っている雑貨屋みたいな店で、着替え用のTシャツと、ちょっとした土産物を買って、ホテルに戻った。午後2時半、今度こそ空港連絡バスがホテル前に到着。私を含めて15人くらいの日本人一行が乗り込んだ。

漢江南岸から都心方向を望む。 空港行バスの車中から。青瓦台。

 途中、バスは、外国人専用の土産物屋に立ち寄った・・・というか、立ち寄らされた。一流の商品が一流の価格で、試食付きでという代物。日本でも売られているものもあるし、私以外の日本人も、あらかた土産物を買っているので、更にここで土産物を買う人は少なく、15人余りのうち、1人か2人しかかっていなかった。これでこの土産物屋、採算取れているのかねえと、余計な心配をする程だった。
 無駄な30分の寄り道の後、再びバスは空港へ向けて走り出す。途中、車窓から、韓国版「臨空タウン」と思われる施設の前を通過した。建物の前に、直径50メートルくらいありそうなロータリーがあり、その中心の円形の芝生には、芝生の縁に沿ってポールが並んでおり、万国旗がはためいていた。さて「日の丸」はあるかな?と探してみたら、無事に見つけることが出来、ほっとした。

 空港には、出発予定自国の2時間以上前についた。思ったより早く出国手続きは済み、後は出発ロビーで待つばかり。機内への改札の案内が始まるまで一時間以上、ロビーで今回の旅行記を書きながら過ごした。
 飛行機は、離陸機の多さによる混雑の為にという理由で、7時半離陸の予定が8時離陸となった。この時点ではまだ気付かなかったが、実はこれは私にとって、致命的な遅れだった。
 帰りの便もアシアナ航空・・・つまり韓国の航空会社。機内の座席のパンフレットの地図を見ると、案の定、日本海は「東海」と記されている。で、対馬海峡のあたりには「南海」、黄海は「西海」と記されている。なんじゃこりゃ?
 韓国が、「日本海」の呼称に対してケチをつけて、国連に「東海」併記を求めているとのニュースが、しばらく前、ニュースでも報道された。その時の韓国側の主張というか言い訳は、「東海」とは「ユーラシア大陸の東の海」の意味であり、別に「韓国の東の海」という意味ではないという理屈だった筈だが、「南海」「西海」まで出てきてしまっては、最早、「東海」が「韓国の東の海」の意味であることをことを自ら立証しているようなものであり、あきれて物も言えない。
機内に乗り込む直前の時点では、
このようにまだ明るかった。

 午後10時、成田到着。単に到着したというより、「帰るべき祖国に帰ってきた」という言葉で表現したい。しかし午後10時。終電に間に合うのか?手荷物を受け取り、入国審査を終えると走って駅へ向かう。入国審査、ありがたいことに速攻で終わり10時10分に、京成とJRの改札が並ぶ切符売り場に到着。選択肢は二つ。京成かJRか。電光表示板には、京成線の次の発車は「10時14分発各駅停車」、各駅停車で日暮里までって、何時に着くんだよ?確か一時間半以上かかったような。それなら間に合わない。その後は30分も間があいて急行。30分も間があるんだったら先発の各駅停車を途中で追い越すことはありえない。つまり間に合わない。
 イチかバチかで10時21分発の、JRのエアポート快速を使うことにした。確かこれは東京駅まで70分くらい掛かった筈。東京駅での乗り換えとせず、錦糸町・御茶ノ水と乗り換えることで間に合うかもしれないと思った。錦糸町での乗り換えまでの間、携帯で終電時刻を検索したところ、既に終電は絶望的だということが分かった。何かの間違いということを期待しつつ、予定通り錦糸町で黄色い総武線に、御茶ノ水でオレンジの中央線に乗り換え、新宿駅に0時5分到着。終電は11時55分であり、10分遅れだった。
 新宿周辺は、カプセルホテルや雑魚寝ホテルなど、激安宿泊施設には事欠かないが、今日こそは自宅のベッドの上で寝たいと思い、途中駅「町田」止まりの列車に乗って、タクシーでということを覚悟する。普段乗らない「各駅停車」。最寄駅まで急行で一時間弱だが、同じ時間かかって、15キロも手前の「町田」に辿り着き、タクシーに乗った。およそ40分、5200円かかって最寄駅に到着。午前2時過ぎだった。
 深い安堵感と共に布団にくるまって、3泊4日の、波乱に富んだ一人旅は終わった。


追記
 一週間後、休日なので電車で新宿に遊びに出掛けた。車窓から見えた多摩川は、空の色を反射して青かった。


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