ハンニチの国〜韓国紀行〜

平成18年8月23〜26日


第二日(中)


 体が汗ばんでいたので一風呂浴び、Tシャツを着替えて再外出。歩いて「昌徳宮」に行くことに。手持ちの無料地図で見ると、30分位の距離らしい。
 途中、清渓川に差し掛かる。川の真上を通っていた高速道路を撤去して、1キロ以上にわたって水辺の空間を取り戻したというのが日本でもつい1、2年前新聞で報じらた、ソウルの新名所だ。全体が親水公園として整備されており、ところどころ階段状になっている護岸を降りてせせらぎと触れ合えるようになっており、季節柄、沢山の親子連れが川べりを歩いたり、膝まで水に浸かって遊んでいるのが橋から見えた。
 さて、遅くなったが昼飯を食べる。候補として考えていたのは「牛の内臓と血の入ったスープの店」と、「精進料理の店」の二つだったが、先程の「強制途中下車」の一件のせいで、食事に時間がかかるであろう「精進料理」は断念することにし、「牛の内臓と血のスープ」に決定。繁華街とも下町ともつかに中途半端な市街地にたたずむ、大衆食堂然とした感じの店。ランチタイムを当に過ぎていた為、店の客は俺も含めて2組程。プリントアウトしておいた店の案内を広げ、片仮名発音で目当ての料理を頼む。七千ウォン。
 血と脂でドロドロしているのかと思ったがそんなことはなく、期待?通り美味しかった。店員もわりと好意的で、ツマとして出てきたキムチカクテキは、何も言わなくてもお代わりを持ってきてくれた。会計の際、英語で「Good taste soup and good taste kimchikakuteki.Thank you.」と言って店を出た。

左:清渓川
上:牛の内臓と血のスープ

 さて、目指す昌徳宮、通常は「強制的にガイドがつく」のだが、本日は「ガイドなしデー」とのことで、苑内を自由に見て回れる代わりに、入場料がガイドつきデーの5倍、1万5000ウォンする。「ガイドなしデー」とは「ガイドあり」と「ガイドなし」のどちらか好きな方を選べる日だとばかり思っていた。ガイドマップで「日本語ガイド」が案内する時間にちょうど良い時間になるように来たのに、その努力が水泡に帰した上、入場料5倍。たまらない。

昌徳宮の主要部全景(入場券を撮影したもの)
ちなみに、上方の大きな建物が仁政殿。


 幸い、入苑してすぐに、日本人観光客十人程が、ツアーガイドの現地人に説明を受けているのを見つけ、飛び入り参加させてもらった。おやじ3人程と、若い女性の2人組、おばちゃん3人、子供も2人くらいいたと思う。
 宮殿の建物の並びは、南から北に一直線にメインの建物が並ぶ中華歴代王朝のそれと違い、不規則。
 メインの建物「仁政殿」、ここは、中華皇帝によって歴代の朝鮮王が「任命される」という、イベントの舞台となった場所の筈だが、4ヶ国語(ハングルの他、日英中の3言語で併記されている)で記されている案内板にはそんな事実は書かれておらず、単に「外国の使節を迎えた」とだけ斯かれており、またガイドもそのようにしか説明していなかった。

仁政殿(中華皇帝に朝鮮王を任命してもらうための施設)

 意外に知られていないが、朝鮮もまた、江戸時代の日本と同時期に鎖国をしていた。特に日本に対しては、秀吉の朝鮮征伐(差別的用語とお叱りを受けるかもしれないが、半島人自身がこの戦争を「壬申倭乱」という差別語を使ってはばからないので、敢えて使わせてもらう。)以降、警戒感を強め、江戸期の国交回復以降も、貿易港は釜山一港に限定された。それも、「出島」のような完全隔離された居留地に押し込められ、そこから外に出ることはたとえ将軍の使節であろうと厳禁だった(必要な時は朝鮮側が「出島」に出向いたらしい。)ため、日本の使節がこの宮殿に呼ばれたことは一度としてなかった筈である。
 欧米諸国に対しては、日本と同様、キリスト教を禁止していたので、明治初期の1875年までのほぼ300年間、この宮殿は、中華王朝の使節を迎える為だけに存在していたことになる。
 仁政殿の中庭には一品から九品まで、その身分の官吏の、儀式の際の席順を示した目印がついていたが、これはひょっとして、三国志の時代の「九品中正法」に基く位階では?
 まさか、1700年前の大陸の官吏の位階制度を、後生大事に、つい100年ちょっと前まで伝えてきたのだろうか?

官吏の階級ごとの席順を示した石 王が乗ったキャデラック

 しばらく行くと、儀式の為の空間は終わり、王の一族のプライベートな空間に至る。「長寿門」という、2メートル余りの石造の門。その門をくぐると、長生き出来るという言い伝えだそうだが、建てた本人は、一体どれだけの長生きが出来たのだろうか?
 長寿門をくぐってしばらく歩いた先には、民家風のつくりの建物。ガイドの説明によると、「王族専用の、『庶民の暮らしが疑似体験出来るテーマパーク』の役割を持っていた。何故なら王族は、基本的には、宮殿の外に出ることは一生なかったから」とのことである。いいのか王族、そんなんで。
 一旦元の道に戻った後、更に奥に進む。雑木林然とした木立の中に、不規則な形をした池。案内板によると、「日帝時代に池の形が変えられた」との、毎度お馴染み恨み節。
 その後、敷地の一番奥、ガイドマップによれば、王が茶宴を開いた場所という一角に足を伸ばした。いくつかの小さい東屋と小さな建物があり、岩を穹いて作った溝を、湧き水が流れていた。ガイドマップでは、「現地の水は生では飲むな」と書かれていたが、王が飲んで大丈夫な水だから、きっと大丈夫だろうと考え、流れている生水を手で掬ってそのまま飲んだ。勿論、後から腹が痛くなるようなことはなかった。

恨み節 泉の水が流れる石造りの水路 王が茶宴を開いた泉

 めぼしい建物は殆ど回ったので、そのまま敷地を反時計回りに出入口に向かう。途中、大きな猿梨の蔓があり、「樹齢600年」と案内板が立っていた。実があるか探したが、残念ながらひとつも実っていなかった。後でガイドマップを読み直してみたら、雄木ということだった。その場所に親子連れの韓国人がやってきて、韓国語で俺に何か話しかけた。反射的に両手を振って、「分からない」と伝えたが、恐らくその父親は俺に、「どの樹木が猿梨なんですか?」ということを聞いてきたのだと思う。樹木それ自体に記名版はついていなくて、地面から立札が立っていただけだから、猿梨を知らない人はどの植物が「猿梨」なんだか多分分からないだろうから。指差して「This tree is dwarf kiwifruit.」でも教えてあげればよかったと、直後に後悔した。
 そのまま出口付近まで歩くと、ほぼ午後5時の閉苑時刻。歩いた距離が長かった為か、それとも日頃の運動不足がたたったのか、この頃には既に、足がくたくたになっていた。
 出入口の脇に、ひなびた感じの食堂が併設された、売店があった。アイスでもと思ったが、好奇心を満たしてくれそうなアイスはなかったので結局買わなかった。螺鈿(貝殻の真珠質のかけらを埋め込んだ工芸品)の手鏡とか小箱で、わりと品質も良いものが良心的な値段で売られていて、割と愛想の良い店員に勧められたが、プレゼントする相手がいないので、結局買わなかった。

 そのまま歩いて「東大門市場」に向かうことにする。昌徳宮とその南隣にある庭園(宗廟)とを隔てる太い道。道路の由来を書いた説明版があり、それを読むと、「日帝が、朝鮮王の権威を冒涜する悪意を持って、もともとひとつの敷地だったところを分断して道を開削した」と書かれていた。だったら今からでもこの道路、閉鎖すれば?
 ガイドマップには「徒歩20分」と書いてあったが、疲れて足取りが重かったせいか、小一時間以上かかった。既に夕方6時なのに、歩道上にビニールシートが敷かれ、その上に、生ごみの入った半透明ビニール袋が積み上げられ、臭気を発していた。何故この時間に、収集されずに放置されているのか理解不能だった。烏とか寄ってこないのだろうか?ひょっとして、辛い物好きの韓国人の残飯は、烏の口には合わないのだろうか?そういえば韓国に来てから、烏の姿を見ていない。

(補足:ビニール袋自体が赤っぽい色をしていたことから、ひょっとするとカプサイシン(唐辛子の辛味成分。残飯をあさる動物や鳥に対しての忌避剤になるとして、製造段階でそれを原料に混ぜ込んだビニール袋が、日本でも注目を浴びている)をビニールに仕込んでいるのかもしれない。)

上:「日本が悪意をもって開削した」道路
右:午後6時。ごみ集積場?

 ひなびた個人商店が立ち並び、道の両側にガラクタが積み上げられた、ちょうど日本の横浜の寿町や、大阪の西成区界隈のような、場末な地区を通り過ぎ、辺りが薄暗くなりかけた午後7時頃、「東大門」が見えた。怪しげなパクリもん商品でもないかと期待して来たのだが、おおかたの店は、店じまいモード。
 疲れもあり、それ以上歩く気も失せ、まあ、「東大門」が見られたことで良しとして、何も買わずに地下鉄で「南大門市場」に向かうことにした。

左・中:道路が恒常的に私物で占拠されている
上:東大門

 で、ここで問題発生。券売機が分からない。さっき一度乗ったから分かっていいようなもの だが。スチール製の巨大業務用冷蔵庫のような姿をしたものに、申し訳程度に3つ4つボタンが付いていて、切符の取り出し口と思われるものがある。人は多いのに、利用する者はいない。小銭を入れると何故か機械の中を素通りし、釣銭取り出し口から出てきてしまう。機械が壊れているのか、それともラッシュ時以外は稼動していなくて、有人券売機を利用して下さいと いうことなのか、どちらかだと思い、仕方なく有人窓口で切符を買う。駅員はぶっきらぼうで 、切符を投げてよこして来た。だから券売機を利用したかったのに・・・。  やっぱり腑に落ちないものを感じて、券売機をもう一度観察したら、ちょうど切符を買っている人を発見。最初に金額ボタンを押して、後から小銭を投入していた。そういう仕組だったのかと思った。しかし何で券売機、図体ばかりデカくて低機能なんだろう。赤字ローカル線の 駅の券売機ならいざ知らず、首都の地下鉄の、利用客も多い駅なのに。

第二日(下)へ