人間模様


  

 2001年

目次
ネオン街の夜間工事  人生は厳しく・・・  謎のオナラ犯人
 
神様、吾に力を! 父を越えたセガレ   人間でよかった  あんたは偉い  人は顔ではない 

 変な松葉杖じじー  なぜビールはうまいか?  寛大なお方   謎の怪人  進化の原動力 

 挑発の女  酒はさわやかに  昔の人  定かでない出来事  爆煩悩  犬の説教  思いやりの心が大切


 

ネオン街の夜間工事 6月25日 月曜日 くもり

 夜勤が始まってから6日が過ぎたが、21日は雨で休み、24日は日曜日で、結局、実労は4日となる。しかし、それにしても夜勤は疲れる。体のリズムが狂いっぱなしで、夜の男にはなれそうもない。これから先1ヶ月間は夜勤が続くかと思うとぞっとする。

 今夜はマンホール(人孔蓋)を取り替える作業であった。鉄枠までの直径が62aのものと、82aの2種類をやった。アスファルト厚が25aから30aもあるのでそれの撤去が容易ではない。ブレーカーでばりばりやると付近住民からの苦情が来るのでそれはできない。仕方がないので大ハンマーでコンクリートのリングを割っていくのである。

 作業員は勿論、監督の山崎も疲れきった顔を隠せない。しかし、ここで弱音を出したのでは男ではない。私はこまめに動き回った。吉野と吉村が調整リングをユニックで吊って設置している。次ぎに必要なのはセメントの強い、柔らかめのモルタルである。私は一輪車を押して走る。砂、セメントを積んだ2トン車は百b先の一方通行の道である。

 バス通りの両側にはいろいろな店が建ち並び、ネオンが点滅している。街灯の下に2人の看護婦が立ってぺちゃくちゃ話している。白衣のしなやかな体付きが妖艶でもある。……? こんな所に病院があったはずはない。私は走るのを止め、偵察の6感を働かせながらユックリとその前を通り過ぎた。二人は私に蔑視を投げてきゃー、きゃー、ケラケラである。よく見るとそこは病院ではなくて、カラオケ喫茶であった。彼女たちはそこのホステスであったのだ。

  ”2000円で歌いほうだい飲みほうだい、セクシー、ナースがあなたに大サービス!”
 
という内容のネオンが二人の頭上で輝いていた。角を曲がると居酒屋が賑やかだ。酔った男の声が演歌を爆発させる。甲高い女の声が音程を狂わせながら響く。……日本はほんとに平和で幸せですね。人間には、大河の流れがたとえどうであろうと、いまこの一瞬が楽しければいいのかも……。

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人生は厳しく、悲しい 6月22日 金曜日 くもり 朝、時々小雨

 雨のため夜勤の中止が続いたが、20日、水曜日は決行した。作業内容は集水枡と下水道本管をつなぐ管の取り替えである。それが道路を横断しているために夜間工事となったわけである。交通の激しいところでは当然となる。

 アスファルトの厚さは25aで、つなぎ管が埋設されていると推定される方向に、幅1bで両側にカッターが入れられている。それをまず本管の方から道路中央までパワーショベルで撤去し、深さ約1b50aまで掘り下げていく。 ガードマン2人が交通整理し、片側通行にする。点滅灯、電光板、カラーコーン、投光器、矢印、等がぴかぴか光る。

 1b30aの所には道路中央近くにNTTのケーブル3本が埋設されている。それを切断すると五千万円の賠償金を取られ、大赤字となるので山崎監督は落ち着きがない。スコップとツルハシで慎重に探り出して、その位置を確認させる。

 ところが肝心なつなぎの陶管が出てこないのだ。深さ1b50、これ以上深いところにあるはずがない。なぜなら本管はその深さであるからだ。 右を掘っても左を掘っても出てこない。反対側の集水枡からミラーでその方向を確認しようとするが水がいっぱい溜まっていて奥が見えない。

 そのうち雨が降り出した。しかし中止するわけには行かない。仕方がないので本管に沿ってスコップで両サイドをえぐっていった。つなぎ口を探り出そうというわけである。悪戦苦闘の末、スコップが届くぎりぎりの所にそれがあった。これでは仕事にならない。カッターの入れ直しである。しかしそれは専門職でないとできない。したがって作業は中断である。

 埋め戻しと舗装の復旧が終わって、時計を見ると午前零時であった。これで帰れると思ったが人生そうは甘くはないのだ。次ぎに予定されている場所もカッター入れは当てにならない、という事で山崎監督はそれを確認する作業を命じた。

 照明関係や、保安機器の移動を30bほど離れたその場所に移動して作業開始。雨がざーざー、オナラがバー、バーで大忙しである。案の定そこも大きく方向を違えていた。正確な位置を確認した後、スプレーでマークし、埋め戻しと舗装の復旧作業を雨と汗にまみれた懸命にやった。終わったのが午前4時過ぎだった。

 帰り駅にたどり着くと、吉野がビールを買って待っていた。それを飲んで1番電車に乗った。彼は高田馬場へ、私は反対の所沢へと別れた。

 電車の中は空いているかと思ったが、以外と乗客がいた。しかし、酔っぱらいと疲れたようなご婦人方が多い。おそらくどこかのママさんといわれる方々であろう。一人の御婦人が私の側に座った。途端に化粧のすえた匂いと、酒の匂いが怒濤のように押し寄せてきた。

 私は慌てて下りるふりをして、別の車両へ移った。人生は厳しく、悲しいものであり、そして滑稽でもありますね。……みなさんはどう思われますか?
 
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オナラの犯人は誰か? 6月18日 月曜日 雲の多い晴れ

 月曜日の出勤電車内、ぎゅうぎゅう詰めで、みな絶望的な顔である。「また一週間働かねばならない、あー、あー、生きるということは、なぜこうも厳しいのだろうか……。」 という顔が多い。

 中には立ったまま居眠りをしている中年の御婦人もいらっした。その御婦人が突然悲鳴を上げた。居眠りし、熟睡に達したとき、がくんと膝を落としたのである。壁に膝がぐわーんと当たって激痛が爆発したのだ。周囲の人々はびいっくりしてきょろきょろと辺りを見回した。

 その御婦人は知らぬ顔をしてきょっとんとしている。真実を知っているのは私と、隣の2,3名だけだった。40代後半と思われる御婦人だが、髪を三つ編みにしている。大変よろしいではあっりませんか。人間どんなに年を取っても、精神年齢は若くないといけません。臭いオナラを出して、きょとんと知らぬ顔をしている御婦人よりはずっと偉大である。

 私はそのオナラで気絶しそうになり、慌てて途中の駅で下りたときがある。あの時のオナラの犯人は誰か、そんなことは今となってはどうでもいい。ぐわっはっはっははははー。

 今日は人孔の調整作業であった。舗装するとき人孔(汚水枡の鉄蓋。直径70a)が2%勾配より高くなってはいけないのである。それでその勾配の高さに枡蓋を合わすということである。ちなみに、7bの道路幅なら、2%勾配なので、センターで7センチ、水平より高くなければならない。水糸を張り、それに枡蓋を合わすのである。

 明日から夜勤が始まる。今日はビールは1缶にして寝ることにする。 ……ところがである、吉野と駅まで付き合う羽目になって、居酒屋に誘われてしたたか飲んでしまった。あー、何でこうなるの。

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神よ、私に力を! 6月12日 火曜日 くもり 夕方雨がぱらぱら

 往復1`余のL型ブロック取り替えが全て終了した。お隣の班はまだである(新青梅街道から富士街道の間)。我々に残されたのは、下水道と枡をつなぐ陶管の割れたものを取り替える作業と、人孔調整、アスファルト切削、アスファルト舗装となる。

  ここまで順調にこれたのは神様のご加護と導きがあったものと感謝する。お隣の班は怪我人がでたが、こちらは無傷であった。

 だが、実を申せば私は、右指の3本(人差し指、中指、薬指 )をもぎ取られてもおかしくない事態に陥ったことが一回ある。 コンクリートミキサーでセメントを練っていたときであった。下部の排出口が詰まりだしたので、手で掻き出していた。

 しかし、出が悪くてもどかしくなり、つい指をちょっと奥に突っ込んでしまった。途端に中で回転している鋼鉄の羽に指が巻き込まれた。綱坂の底と羽との隙間はほとんどない。 激痛が走り、手がぐいぐい引っ張られていく。私は懸命に手を引き抜こうとしたが、機械の力は凄まじい。力自慢の私であるがびくともしないのだ。

 私は、指は完全に切断されたと観念した。ミキサーの回転は止まっている。しかし、それは私がちょっとでも力を緩めれば、歯車の音を軋ませて動き出すのだ。指の感覚はなくなっている。周りの人は誰も気が付かない。助けを呼ぶ余裕などない事態である。

 「神よ! 私に力を……」

 私はそう祈りながら、渾身の力を振り絞って腕を引っ張った。手は抜けて、その反動で私は溝に落ちかかった。片足で側溝の上をけんけんしながら体制を整え、おそるおそるゴム手袋を脱いでみると指はちゃんと付いていた。その代わりゴム手袋はずたずたになり、3本の指は白くなって潰れたように平たくなっていた。痛みをこらえながら動かしてみるとちゃんと動いた。

  こんなはずはない、おかしい。後で調べてみると、羽の一部が欠けていて、ちょうどそこに指は填り込んでいたのである。それがなければ完全に切断されていたところであった。私はこれを神の助け、奇蹟と見なしている。

 神は存在する。だが、存在しないと思うものには存在しない。祈りと誠真実の心に現れてくる奇蹟が神である。

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父を越えたセガレ 6月8日 金曜日 晴れたり曇ったり

 監督の名前は山崎、新青梅街道から踏切までの(約5百b)工事の責任者である。一方、新青梅街道から富士街道までの工事の責任者は向井、いずれも30代の若さである。山崎のグループが我が吉村組、向井のが謎の男組。

  当然、そこには競争意識が激化する。しかし、互いに助け合うから素晴らしい。例えば、早く終わったところは時々応援に来たりするのである。それでいてそこには優越感と、敗北感が笑顔の奥で燃えるから厄介だ。

 こちらのメンバーは、吉村、横田、上、吉野、和田、松沢、葉山、山崎の父、そして私の9名となる。山崎の父は息子である監督に頭が上がらない。息子に命令されて素直に働くのである。

 「おやじ! 仲間さんがL型ブロックを積み込んだ4トン車を運転して世紀東急まで走ってくれ」

 その命令を受けて山崎の父は喜び勇んで4トン車に乗り込む。 そこには父親としての喜びしかない。

 「セガレよ、よくぞ父を越えてくれた!」

彼の目はそう言いながら喜びに輝いているのだ。私は素晴らしいと思った。彼こそ父親の鏡ではないのか……と。

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人間でよかった 6月7日 木曜日 曇り 夕立

 今日は上石神井7丁目、練馬タクシー前の特Lブロック設置工事であった。特Lとは 特殊L型ブロックの略である。まず、古い概設のL型ブロックをパワーショベルで取り除き、路床を49a下がりで決める。それから10a厚の砕石ベースを作り、その上に特Lブロックの基礎、コンクリートプレートを設置する(厚さ15a、長さ1,5bから2b)。

 その面にシキモルを流し広げて、特殊L型(五百`)をパワーショベルでつり上げて設置していく。そのジョイントは金具で締め付けて固定する。 それが終了すると、早強の生コンをその両サイドに打設する。その時一転にわかにかき曇り、雷鳴を轟かせて凄まじい夕立。たちまちのうちに道路は川のようになり、濁流が渦を巻いた。

 我々はびしょ濡れ、タクシー会社の軒下でしばらく雨宿りをした。しかし、止みそうにもないので作業開始。特Lの両サイドの流れの中にアスファルトをぶち込んでタンパで転圧した。雨粒が痛く感じるのはヒョウが混じっているからだ。

 終わったのが五時半だった。吉村と横山は、「じゃー、な」、と言って車で帰っていった。私は着替えたあと、駅に向かった。例によって、駅前の横のコンビニエンスストアーで缶ビールを買って、プラットフォームのベンチに座って優雅に飲んだ。このときのビール、うまいですねー。私はつくずく人間であって良かった、と神に感謝しています。

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あんたは偉い 5月28日 月曜日 晴れ

 26日の土曜日のことでした。重労働の作業を終わっての帰り、いつものように武蔵関駅の北口ベンチに座ってビールを飲んでいると、30代か、40代かはっきりしないやせ形の、青白い顔の男が私の側に立った。彼は私をじろじろ見たあと、強い口調で話しかけた。

 「このめちゃくちゃな放置自転車の山をどう思うか……? これでは駅には入れないじゃないか。全く常識のない人間が多い。あんたどう思う?」

 心理メカのどこかのネジが弾け飛んだか、あるいはシャフトに欠陥があるような感じの男である。 こういうタイプの人間は自己中心的で、客観的に自分を見つめることが出来ない。幼少の頃の精神環境に問題があり、弱者に対しては強気となり、強者に対しては逃げ腰となる。つまり自己卑下と劣等感に傷つきながら懸命にそれを否定して生きている男である。

 「……そうですね、全く困ったものですね」

 私はそうしか言えなかった。男は駅への入口を完全に塞いでいる自転車のバリケートを指さし、しきりに喚いたり怒鳴ったりしたあと 、駅への階段を上がっていった。私はやれやれという感じでビールを飲み直した。

 数分後、男が階段を下りてきた。今度は駅長を従えている。彼は放置自転車の山を指さして絶叫した。

 「 これでも駅には関係ないというんですか。駅への入口を完全に塞いでいるんだ。関係ないはないだろう!」

 駅長は頭を何度も下げながら 「すみません、申し訳ありません」 の連発であった。行き交う人々は何事か、と二人を見つめながら通り過ぎる。離れたところでキムチを売っているおねーさんが落ち着きなく視線を注ぐ。

 「私はね、何度も駅に申し入れた。これらの放置自転車を撤去してほしい、と……。だが、いつも駅には関係ない、と言われ続けてきた。だから、あんたをじかに呼んだ」

 「何ともはや、申し訳ありませんでした。直ちに対策を練りまして撤去いたします。貴重なご意見を有り難うございました」

 その時、目前の道路に入ってきたベンツが放置自転車に邪魔されて動けなくなった。すると中からパンチパーマの男がおりて来て、「このやろうー、くそったれ!」 と叫んで数台の自転車を脇へ投げ飛ばし、「ばかやろー」 と怒鳴って去っていった。その間、男と駅長は体を硬直させたまま無言であった。

 駅長が何度も頭を下げて去ったあと、男は再び私の側に立った。そこで私は一言……、

  「偉い! あなたのような勇気ある人がいると世の中は清められる」

 男は調子に乗ってまた講義と自己称賛の能書きを並べ立てた。そのうち私の指を見て急に黙った。

 「あんたの指すごいですね、こんな太い指は初めて見た。……何をしているんですか」
 「土方ですよ。踏切と接しているあの道路の改修工事をしているんです」
 
 しばらくして男は去っていった。私も立ち上がって階段を上がった。そして心の中で祈った。

 「世界中の人間が思いやりの心を持ち、互いに助け合ってさわやかな人間社会を築きますように……」

 工事は8月まで続く。またどういう人間と巡り会うのだろうか。

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人は顔ではない 5月19日 土曜日 晴れ 5時頃、夕立あり(現場の北関町)

 今日は元請け会社、岩城組の社長が参加した。大変失礼だが、真実を申し上げると怖ろしく人相が悪い。神に、もし失敗作があるとするなら彼の人相だろう、と思えるほどだ。北京原人とアウストラロピテックス、ネアンデルタール人をミックスして地獄の釜火で焼き上げて、修正加工して出来上がった人相とも言えそうである。

 その上声が凄まじい。塩からいがらがらの低音、ドスの効いた凄み。上半身はがっしりして短足、目つきは悪く、誰が見てもやくざの大親分といった顔である。

 その彼が私を睨んで近づいてきた。私はびっくりして身構えた。潜在下に蠢く防衛本能がさせる技であった。
 「お前が、仲間か! うちの山崎からお前のことは聞いている。いつもご苦労さん。これからも頑張ってくれ……」

 顔に似合わず心の優しい人である。やっぱり人は顔ではない。心、ハートなんだ。私は反省した。

 今日は早めに仕事が終わった。置き場で着替えて駅に向かおうとしたとき、一転してにわかに辺りが暗くなり、閃光と稲光の錯綜と同時に、雷鳴が轟き、大粒の雨が降り出した。私は慌てて横山と二人で4トン車の運転席に入った。これでは駅前でいつも楽しみにしているビールが飲めなくなる。がっかりしていると、横山がビニール袋をごそごそして500ミリリットルの缶ビールを出して私にくれた。

 来る途中でコンビニエンスで買ってきたという。フロントガラスに砕け散る無数の雨滴を見つめながら二人は冷たいビールで喉を潤し続けた。

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松葉杖の変なジーさん 5月18日 金曜日 晴れ

 昨日と今日はいい天気である。しかし、L型ブロックの加工切り物が多く、その上ベースが高いために、それをコンプレッサー削岩機で砕いて下げねばならない。撤去するブロックはだいたい45枚。1枚70`であるから、45X70=3150` 、つまり午前中で3トン余りの重量物をこの腕力で処理していることになる。

 さらに新品L型を同じ枚数だけ撤去したところへ配置せねばならない。この配置は応援する方々がいらっしゃるのでさほど重労働ではないが、それでもくたびれる。

 それから敷きモル錬りと運搬、ジェットセメント錬りとL型ブロック前の溝にそれを5a下がりで打設する。そしてその上にアスファルト舗装となる。仕事が終わったのが6時30分過ぎであった。

 いつものように武蔵関駅の北口のベンチに座ってビールを飲んでいると、松葉杖を横に置いた70前後の変なおじさんが声をかけてきた。

 「俺は松葉杖を持っているけど馬鹿には出来ない男だ。強いんだ。どんな野郎ーが来たって、こいつでぶん殴って片輪にしちゃうんだ。ひっひっひっひひひー」

 初対面の面識のない方から、こんなことを言われたのは初めてである。私は返答に困ってただ相づちを打ちながらビールを飲み続けた。変なおじさんはそれから次々と訳の分からないことを喋りまくった。

 「 2階のあの野郎が下りて来やがったので、来るなら来い、って言ってやったんだ。俺は石神寺警察の偉い人を皆知っている。馬鹿には出来ないぜ、いひっひっひひひひー」

 私はビールがまずくなったので変なおじさんに一礼してその場を離れた。家に帰って飲み直すことにする。

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ビールはなぜ旨いか 5月16日 水曜日 曇り、雨、曇り

 作業開始と同時に大雨が降った。しかし、中断するわけにはいかない。踏切の遮断機は上がったかと思うとすぐにキンコンキンコン鳴って下がる。交通渋滞の中での雨作業は困難を極めた。

 濡れたブロックは滑ってなかなか持ち上がらない。その上どろんこだらけとなり、突き出たブロックの鉄筋が新品のレインコートに穴を開けていく。 ビックサムで二千円で買ったものだ。

 汗と破れ穴から入ってくる雨水でびしょ濡れとなった。だが、こんなことで不平不満を言うようじゃ男ではない。私の父は激戦地で戦って死んだ。肉体の酷使の極限でお国のために戦い続けたのだ。その事を思えば道路工事などなんでもない。60歳といえどもまだ肉体は20歳である。道路工事といえども馬鹿にするんじゃない。立派なお国のためになっている。

 70`のブロックをショベルカーの受けに投げる。それが綺麗に積み上がっていくのだ。高度なテクニックである。さらにそれを4トン車まで運んで きちんと積み上げる。腕力と機転が利かねば出来ない仕事である。……私は別に自己称賛して、一人よがりしている訳ではない。自分の信念を貫いているだけである。

 仕事が終わったのが6時30分。雨は止んでいた。帰りはいつものように武蔵関駅の北口で、円形の石ベンチに座ってビールを飲んだ。うまい! ビールな何故うまいのか? ……それは、よく働いたからだ。   

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寛大なお方 5月15日 火曜日 晴れ

 今日の現場は障害物の多い場所であった。距離は25b程であるがベース高が合わずに削ったり、標識の支柱があって、それをサンダーで切ったり、雨桝の縁開なのに汚水升だったりで、予定がめちゃくちゃとなった。

 さらに、踏切の近くであり、お茶やさんの店の前でもあり、苦情が多かった。しかし、パチンコ屋の責任者みたいなお方は寛大にも、ご苦労様、と言って下さった。その上、さくがんきでががががー、どどどどー、とブロックを壊してその欠片が飛んでもお咎めなしだった。「どうーってことないよ、ぐわっはっはっはははははー」  こういう人物が日本人口の9割を占めれば、登校拒否、とか、閉じこもり、家庭内暴力は無くなると思うんですけど、神様はどう思うんでしょうか……。

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謎の怪人 5月14日 月曜日 晴れ

 きょうは朝寝したのでかなり遅い出勤となった。所沢で西武新宿線に乗り換えたのが7時42分。凄まじい混雑であった。しかし小平を過ぎるとかなり密度が薄くなった。途端に女子高生達の黄色いおしゃべりが爆発した。

 「例の謎の怪人が現れたのよー。私びっくりしちゃってさ、キャーッて叫んじゃった。きゃはははっはっはっはー」

 「謎の怪人って何人いるの、いったい?」

 「……私分かんない。でもどうでもいいじゃん、きゃはっはっはっはははー」

 全くばかばかしい。でもどうでもいいか……。

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進化の原動力 5月12日 土曜日 晴れ

 和田のおばさんの御主人が亡くなったという知らせが午後に来た。5年間植物人間だったとのことである。彼女の心労は大変なものだったと思う。吉村親方が皆から香典を集めることになった。

 生と死、それは生命体にとっては呼吸作用のようなものである。燃えて燃え尽きる。その繰り返しで生命は進化してきたのだ。死は恐怖を呼び、恐怖は知恵と工夫、自己改造を急き立て続ける。それが進化の根本である。

 大空を舞う鳥も、元はトカゲのようなただの爬虫類だった。それが必要に応じてジャンプ、スキップしているうちにいつの間にか身体が変化し、羽が生えて空を飛べるようになったのだ。

 これが自然進化の仕組みであるが、遺伝子が宇宙線等の外的影響を受けて突然変異を起こしたり、特殊細菌や科学物質などが原因で変化したりする。

 いずれにせよ、死は生命を進化発展させるために必要であるわけだが、人間が自らを鍛え、自主性と奇抜な発想によって進化発展できるようになれば 「死」 は必要でなくなる。

 しかし、そこに思いやり、すなわち愛と正義を見つめる心の広がりがなければ進化発展は出来ない。全ての人間の一人一人が生かされねば、人類という巨大な生命体は動きがとれなくなるからだ。 

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挑発の女 5月11日 金曜日、曇ったり晴れたり雨降ったり、のややこしい天気だった。
 
 きょうは全員揃った、と思ったら、午後から和田のおばさんが帰ってしまった。5年間入院している御主人の容体が悪化したらしい。彼女は男勝りの機敏さがある。その彼女が抜けたことは、やはり作業進行速度に影響がかなりある。しかしそれでも作業は順調に進んだ。

 作業終了後、私はぐったりとした体を休めながら、いつもの駅前の石ベンチに腰を下ろしてビールを飲んだ。すると隣に若い女がアイスクリームを貪りながら座った。

 派手な衣装で、派手なお化粧、そして細いサングラスをしている。胸の膨らみが特大で、セックスアピールが強烈である。 離れて座ればいいものを私にくっつくような至近距離である。漂うを雰囲気はアニマル的な繁殖本能がもたらす挑発である。

 幸いなことに私は煩悩を離脱しかかっている。釈尊が3人の美人魔女の誘惑を断ち切ったように、私もそういう誘惑には強くなっている。さらにその女の意図がはっきりと見える。

 神よ! 彼女の全てを救いたまえ。彼女が欲の自我と無知から解放され、人類繁栄に貢献できる人間となれますように。心の目を開き、宇宙の奇蹟と、無限の愛を感知できますように……。

 私は心の中でそう祈りながら、その場を離れた。

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酒はさわやかに 5月10日 木曜日 朝霧、曇り、夕方にわか雨

 きょうは横山と和田おばさんが休んだ。代わりに別の班から60歳前後の男が応援に来た。名前は知らない。保安帽に名前が書いてないのだ。その男が私に言った。「おめー酒強いだろう?」 何故そんなことを言ったのか私は理解に苦しんだ。おそらく、私の顔がそういう顔をしているのだろう。そこで雨に濡れながら答えた。

 「とんでもねー、全く弱い。酒どころか、俺は女にも弱いんだ。強いのは孤独と貧乏だけだ……」

 するとその男は大口を空に向けて品悪く笑った。しかし、能書きの割には仕事は遅い。それでも居ないよりはましである。彼は彼なりに真面目にやっているのだから。

 夕立に濡れて作業が終了したのが6時30分だった。帰るときは雨は止んでいた。いつものように武蔵関駅北口前の石ベンチに行くと、なんと下品な酔っぱらいおっさんがそこを占領して日本酒を飲んでいる。時々気勢を上げたりした。

 私は204円で買った発泡酒(ビール)をポケットに入れて階段を上がり、改札口をすり抜けた。そしてホームのベンチでそれを飲んだ。男たるもの、酒に飲まれてはならない。酒はさわやかに、優雅に飲むものである。

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昔の人 5月9日 水曜日 小雨後曇り

 きょうは小雨の中で作業が開始された。横山が休んだのでそのしわ寄せで苦労した。吉村組は上さん(推定年齢55歳)と、横山(推定年齢56歳)、私(真実年齢60歳)、そして吉村親方(60歳)の4人である。親会社の岩城組から吉野(推定60歳)、比嘉(推定35歳)、和田(60過ぎの小柄なおばさん)、松沢(推定25歳)の4人が来る。したがって8名のメンバー構成となっている。一人でもかけるとそのしわ寄せが全体にかかってくるのである。

 しかしそれでも私は寛大な心で奮闘した。L型ブロック積み込み、撤去、ジェットセメント調合打設、ショベル運転、シキモル調合運搬。その他いろいろでドタドタバタバタ。終わったのは6時半頃であった。以外と早めに終われたのは、別の班の高木(推定年齢54歳)、田中(推定年齢56歳)、高安監督(推定年齢40歳)が応援に来てくれたからであった。

 昼休み、スーパーで飲み物を買った。そこの60前後のレジ係のおばさんが保安帽のネームを見て言った。

 「仲間って珍しい名前ですね」

 「そうでござんすか……。仲間という単語は赤胴鈴之助の歌に出てきますよ、……♪♪ 頑張れ、強いぞ、僕らの仲間、赤胴ー鈴之助……♪♪」

 するとそのおばさんは月光仮面の曲をハミングした。そして、

「あんたって、昔の人なのねー」

 と言った。? なんか変な感じがした。

「♪♪どーこのだーれかはしーらないけれど……♪♪」

と言うのと

 「♪♪剣を取っては日本一で・・・、・・・僕らの仲間、赤胴鈴之助……♪♪」

 とでは大違いである。 まあ、どうでもいいか……。 

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定かでない 5月8日 火曜日 曇りのち雨

 今日は雨という昨夜の天気予報に、私は仕事は休みという決断を勝手に下してビールをしたたか飲んだ。これでもし明日雨が降らずに仕事となったなら 二日酔いの頭痛で重労働に従事せねばならない。これは地獄の苦しみとなる。過去の二日酔い頭痛重労働の記憶が生々しく蘇った。

 真夜中目覚めてベランダに出てみると、強風に流れる黒雲は一つもなく、半月が煌々と夜空に輝いていた。「これはだめだ。明日は雨は降らない」 私はそう判断して地獄の重労働を覚悟してベットに戻った。

 朝、5時に目覚めた。タイマーのテープレコーダがダカーポの牧場の歌をグワーン、と鳴らすからいやでも目覚める。外は風が強いが薄曇りで雨は降っていない。 私は朝の日課、英語の勉強をして出勤準備をすまし、6時30分に家を出た。

 電車に乗ると、若いやせ形の茶髪男が、若い女の顎を下から握ってじっと見つめている。女はメロドラマのヒロインのような悲哀の顔つきで男を見上げている。

 「な、なんだこの二人は……」

 私は見ないふりしながら二人を観察した。次の瞬間、二人は前歯を激突させてキッスをした。

  「な、なにー ……」

 そこのハレンチの二人、やめろー! 私は心の中で絶叫した。 次ぎにある不安と恐怖心が沸き上がった。もしかするとこの二人はそのまま横になって重なり合い、あれをするのではないか……。もしそうなったら大変なことになる。

  それは法律に違反する。確か刑法X条の第Y条に触れるはずである。近藤勇とティッシュは持っているのか? 持っていなかったら携帯ティッシュだけは分け与えようか?

 そうこうしているうちに武蔵関駅に着いた。私はまだもつれ合っている二人を横目で見ながら慌てふためいて電車を降りた。そのあと二人があれをやったかどうか定かではない。

 ところが現場には誰もいない。携帯電話で吉村親方に連絡を取ると、「きょうは午後から雨が降るので中止する」という返事であった。

 私は再び電車に乗った。あーよかった。二日酔いの地獄重労働から解放されたのだ。  

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爆煩悩 5月7日 月曜日 晴れ 風強し

 連休明けである。朝7時、電車に乗るとみなさんは疲れた顔をしていらっしゃる。眼がとろんとしているし、絶望的な顔つきだ。次の連休は盆休み、3ヶ月後である。それまでまた厳しい仕事に束縛されねばならない、という苦痛の顔、顔……。その中で私だけが輝いている。

  ぐわはっはっはっはー、仕事こそ男の命、明鏡止水、寛大無限、機略応変、自己抑制無欲、生命体の進化発展のため、宇宙の無限性と全知全能の神のためなら、金も名誉も女も要らぬ。要るのはコップ一杯の朝のコーヒーと、夜の晩酌のビール1リットルだけ。あとはすべて神まかせでござる。

 円覚寺は約700年前に、北条時宗が無学祖元のために建立したお寺である。元の14万の大群の襲来(1281年)を受けて、時宗は4万の兵で迎え撃った。博多湾の海岸に石垣を張り巡らして、そこから弓矢攻撃で元軍の上陸を阻止したのである。

 2ヶ月後、神風が吹き荒れて蒙古軍は全滅した。それは時宗が、無学祖元(南宋の禅僧)から悟された「莫煩悩」に帰依したからである。焦らず、迷わず、悩まず、怖れず。ただ一心不乱に精神を集中して、物事にあたることこそ人の道である。

 サラリーマンも同じ、思いやりの心を持ち、天地大自然に感謝して愛と正義のために働く、そこから喜びと生き甲斐とやる気が沸き上がってくるのである。そして家族を愛し、孤独を愛し、悟りを開いて人類を正しく進化発展させて、富み栄えさせていくのである。

 
きょうも激しい仕事であった。しかし、能率的に素早く動いたため、なんと4時前に終わってしまった。監督も、親方の吉村もにこにこ顔であった。仕事帰り、私は武蔵駅の北口の石ベンチに座ってビールを飲んだ。この世に生まれて良かった、とつくづく思ったのは、そのビールがあまりにもうまかったからだ。

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犬の説教 5月2日 水曜日 晴れ後曇り後雨 寒い一日

 朝8時45分、現場の道端で朝礼が始まる。監督の山崎が大きな声を上げた。

 「今日やるところは踏切までの30b。L型ブロック50枚と切り物がいっぱいある。電車ゴーゴーに、車プープーである。しかも消防車、救急車、パトカーがひっきりなしに通る。夕方には雨が降る。雨が降れば仕事は汚くなるし、風邪を引く。だから昼飯抜きでやる。その代わり残業を嫌というほどつけてやる。

  … … 最悪なことにきょうはL型ブロックを五百b離れた置き場からショベルで運ばねばならない。それを仲間さんにやってもらう。仲間さんは、外した古いフロックを積み込みながら新しいブロックを運び、現場に配置していくのがきょうの仕事である。

  明日からは連休である。そういうとき気がゆるんで怪我をする。絶対に怪我するな。怪我すると彼女とあれが出来なくなる。わかったかー、分かったら仕事にかかれー」

 仲間さんとは私のことである。私はその日、普段以上に懸命に働いた。手足の関節、肩の筋肉痛、腰骨の麻痺、それは決して60歳という年齢と老化のせいではない。これほどの重労働に従事すればたとえ20歳といえども体中の骨がバラバラになるはずである。私には老化はない。あるのは永遠の若さのみである。

 3時以降、雨が降り出した。冷たい雨である。世間の風以上に冷たい。それでも寛大無限、喜び勇んで働き続けた。

 ブロックを積み込みしているとき、側を派手なお化粧のおばさんが通り過ぎた。そのおばさん、なんと犬をおんぶしているではないか。おんぶされた犬はチワワという汚い犬であった。その犬が私をじろっと恨めしげに見た。

 「君は幸せではないのか?」

 私は思わず尋ねた。すると犬が答えた。

 「人間って困った動物ですな。現実を見つめていない。いつも虹の上に幻想の花園を築いている。しっかりしなさいよ、あなたも… … 」

 犬に説教されたのは初めてである。犬の反対は神である。dog→god  神の啓示として私は悟りを開いた。

帰りは雨がさらに強くなった。これでは駅前のベンチに座ってビールを飲むわけには行かない。今夜は家で飲むことにする。

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大切な思いやり 5月1日 火曜日 晴れ 風冷たし

 現場は西武新宿線、武蔵関駅の手前の踏切に接する道路。古いL型ブロックを取り除いて新品と取り替える作業である。重さ70`のブロックを持ち上げてショベルカーに積み込み、それを運転して、百b程離れた道路わきに止めてある4トン車に積み込むのが私の仕事である。

  それを誰もやりたがらないのは、力仕事の重労働の上に、交通量の激しい道路をショベル運転するのは凄まじい神経を使うからである。

 確かに終わった後はぐったりする。帰りに缶ビールを買って駅前の石ベンチに座って飲まねばストレスがたまっておかしくなる。しかしその時のビールは最高にうまい。

 午後2時頃である。踏切の近くでわめき声がしたのでそこに目を向けると、なんとねじり鉢巻きをした、よれよれの長ズボンの若い酔っぱらいが、お巡り二人を相手に大暴れだった。

 その酔っぱらいの強いのなんのって、警官二人は振り回さられてよろける始末。なんとまー情けない。外国ならこんな状況は絶対にない。日本の警察は甘いのだ。外国では警官に刃向かう者はそのまま拳銃でずどんである。中国では5百名が今年すでに死刑執行されている。ある意味では日本は素晴らしいかも……。

 
私は60歳だが、はっきり申し上げて土方である。つまり、肉体労働者、土木作業員ということになる。常識や偏見、自尊心、欲望の奴隷達からは軽蔑され、馬鹿にされて無視される存在となる。それでも新宿のホームレス達よりは少しは馬鹿にされないからましである。

 つくづく思うのですが人間はなぜ弱い者、不幸な者、落ちぶれた者達を馬鹿にするのでしょうかね……。それは、あいまいに申し上げて自分がそうなりたくないからであり、人間が弱肉強食の獣性をまだ引きずっているからだ。

 人は何故働き、己を鍛え、一歩一歩前進するための努力を絶えず試みるのか……? 我々は宇宙という制限の中で自由を与えられている。その自由が宇宙に反したとき、その者は滅亡する。宇宙が人に求めているのは、強くなって弱い者を助けよ、愛と正義をその強さで守れということなのであります。

 したがって、人間はホームレスであろうが、人食い人種であろうが、強い者は弱者、無知の者、悪い心の者達を正しく教え導き改造するのがその使命となる。そこに国、人種、宗教、思想などの壁が立ちはだかってはならず、執着と偏見を捨てて、寛大公平に愛と正義を守り通すのが最も大事である。

 なにがいいたいのか……? 要するに訳が分からないが、人間には思いやりの心が大切ということなのであります。そして世界中の人間が、国や、人種、宗教、主義、主張の違いを越えて、互いに思いやりの心を持って助けあい、地球、太陽、銀河系、そしてこの宇宙という一つの母体のもとでの兄弟姉妹であることを自覚することによって、神人和楽の陽気暮らしの世界を築き上げていくべきだ、と申し上げたいのであります。

 以上、2001年4月30日 月曜日 雨の日 。このコーナーでは現場での人間を観察し、心の完成を目指します。60歳にして若々しく働けるこの体、I'm very proud of myself . And I appriciate God The Parent ,TENRI O- no- MIKOTO !

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