怪奇体験集







 








1,火の玉
 。。。。。。2,父の導き     3、宇宙人

我々は知性と常識、固定観念の奴隷とならず、清浄さわや
かな心、
超自我で一切の根源と超次元性を謙虚に見つめね
ばならない。その時初めて
超常現象、怪奇現象が何であるのか見えてくる。

 



崖下から工事現場へ飛んだ火の玉
   

昭和60年の夏、盆踊りの練習を終えて庭のベンチで夕涼みをしていたとき、50bほど離れた左方の崖下から突然青白い火の玉がゆっくりと舞い上がった。大きさはバレーボール大で透きとおるような鮮やかな輝きであった。泡盛を飲んでいた十数人の隣近所の旦那達は騒然となり悲鳴を上げる者もいた。

 火の玉は弧を描いて前方上空を飛び、沖縄電力の構内へ吸い込まれるように消えた。翌日、その構内の工事現場からおびただしい数の遺骨が出てきた。一帯は埋め立て地で、戦時中、日本軍が海から奇襲..攻撃をかけて米軍の反撃にあい、大勢が死んだ所である。場所は浦添市牧港941番地、沖電の高い煙突が立っ.ている所です。遺骨は浦添市役所が葬った。あの火の玉は一体何だったのか、今でも不思議でたまらない。

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父の導き


 
そのいじめ子は長さ1b余の棒を持って私を追い回した。3年生でありながら6年生以上の体格の持ち主なので誰も喧嘩でかなうものがいなかった。一方、私は逆に小柄で貧弱な体であったため下級生からもいじめられる有様であった。私は教室の中を懸命に逃げ回った。

  「パンパンの子ー、おまえはクソだー、殺してやる。待てー」 いじめっ子はそう叫びながら執拗に追いかける。当時の教室は床が無くて地肌、校舎の屋根はカヤ葺きで、松の木を切ってそれ を柱にしただけのものだった。さらに机はソーメンの木箱に木の枝をくっつけたものであった。逃げ回っているうち、何処でどう間違ったのか私は黒板の前でそのいじめっ子と鉢合わせとなってしまった。

 逃げられない、絶体絶命、そう思ったとき、心の中に訳の分からない熱いものが込み上がってきた。 私はいじめっ子の棒を奪い取り、それで滅茶苦茶に殴り続けた。相手はたちまち悲鳴を上げて泣き叫んだが、私は容赦なく執拗に攻撃を続けた。何がどうなっているのか訳が分からなかった。  

 我に返ったとき、相手は血に染まって倒れていた。そこへ担任の男の先生が飛び込んで来て私から棒を奪い取って思いっきり拳骨を食らわせた。ぐわーんという衝撃とともに目から火花が出て私は気を失った。  

 気がついてみると私は職員室の茣蓙の上に寝かされていた。あたりは真っ暗闇で誰もいない。おそらく8時を過ぎていたと思う。起きた私は外に飛び出した。家までは十キロ程ある。電気のない当時は途中に街灯などあろう筈もなく、漆黒の闇が何処までも続いていたのである。

 しかも、途中は亀甲墓が続き、奇怪な形の岩が妖怪のように立ち並ぶところであった。昔、間引きで殺された赤子達が埋められた岩場や、シャーラ(古墳墓)もあって昼間でさえも一人歩きは恐ろしいところであった。 錯覚とは思うが殺された赤子の泣き声を集団下校の途中でみんなと一緒に聞いたことが何度もある。

 私は懸命に駆けた。肩から下げた鞄がお尻の方で激しく跳ね上がり、空弁当箱が音を立てる。履き物もなく裸足なので、岩角に足をぶっつけて爪がめくれ、激痛が走る。着るものも夏冬を問わず半袖一枚であった。激しい呼吸と共に喉から奇妙な音が出る。そして、途中で私は立ち止まった。

 前方左には葬式を終えて1日しか経っていない墓がある。花輪らしきものがまだ残っていて、それが海風に揺れている。どこからか蜥蜴の鳴き声がけたたましく上がる。私は思わず悲鳴を上げた。しかし、戻るに戻れず、パニック状態となった。  
 
  その状態が続けば恐らく私は発狂したに違いない。極限状態に落ちて頭がボーとなりかけたとき、突然、前方右側のキビ畑から一人の大男が現れて部落の方へと歩き出した。地獄に仏、私はほっとし大男の後を追った。大男は肩を怒らせて歩く。それが頼もしく、おかげで墓の前を通り過ぎるときも平気であった。

 ところが不思議なことに、どんなに走っても大男との差は縮まらない。そして部落の明かりが見えたとき大男は立ち止まって振り返った。どこかで見たような顔であった。大男はにやりと笑ったあと煙のようにすーっと消えた。しかしどういう訳か恐怖心が沸き上がってこない。私は首を傾げながら家に辿り着いた。遅く帰った私は叔母夫婦から徹底的にお仕置きを受けた。

 母が必ず迎えに来てくれる、そう自分に言い聞かせながら私は泣きながら寝た。……そしてあの大男、遺影を見て初めて戦死した父であることが分かった。  

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宇宙人

 1953年の夏(昭和28年)、叔父の命令で夜遅くから4`ほど離れた隣部落へ酒を買いに行った。その帰り、前方の丘陵の斜面を青白い光球が猛スピードで流れるのをみた。それは海に出るとUターンして丘陵の頂上に戻り、稜線上を再び流れる。 それが何度も繰り返されるのを私は総毛立って見つめた。

 長老達の話によると、火の玉は昔から数年間隔で丘陵に現れているという。それを見たら絶対に声をかけたり、オーイなどと呼んではならない。そんなことをするとさらわれて、あの世へ連れて行かれるという言い伝えがあった。

  その火の玉を「マーザが火(ピー)」と呼んで部落の人々は怖れていた。マーザというのは恐らく宮古島の古語で魔物、魔性の意味だと思う。今でも魔物のことを「マズムヌ」と呼んでいる。

 12歳だった私は動けなくなり、パニック状態に陥ってその場に立ちつくしていた。夜遅くから酒を買いに行かせた叔父が恨めしく思えたりした。

 火の玉は丘陵の斜面を流れるように飛んで海上に出ると、星空高く舞い上がって丘陵の頂上に戻る。まるでスピード競技を楽しんでいるかのようでもあった。そのうち斜面の中程で急にぴたりと止まって動かなくなった。

 全身を異様な衝撃が走った。それは痺れのようでもあるし、痛いような痛くないような訳の分からない刺激で、念波のフォースであったと思う。

  しばらくすると火の玉はふわりと浮き上がり、ゆっくりと私の方へ近づいてきた。恐怖心は絶頂に達した。逃げたくても体が金縛りにあって動けづ、声も出ない。火の玉は徐々にスピードを上げて迫ってくる。

 よく見るとそれはバレーボールよりも一回り大きく、青白く透き通っていた。中に人間と同じ顔があった。男か女か定かではなかったが目鼻立ちが整って美しいと思った。しかし頭だけで胴体や手足はなく、全体から青白い炎を湯気のように放っていた。

 火の玉は私の眼前2bほどで止まり、夜の闇を燃やすかのように浮かんだままじっと私を見つめ続ける。張りつめていた脳神経が異常をきたしたのか恐怖心が消えた。私は唯、茫洋と闇に浮かぶその顔を凝視した。

 そのうち、その目が白く光りだした。それは次第に輝きを増し、まぶしく私の目を射はじめる。何かされる、私は本能的に感じた。 しかしそれは危機感を与えるものではなく、あらゆる苦しみから解放されるような安堵感を与えた。 「満たされる」 なぜか私はそのように感じた。

 突然、背後から激しい犬の吠え声がした。家で飼っている白い大きな雌犬でチクだった。チクは弾みをつけて跳ね上がり、猛然と火の玉に飛びかかった。火の玉は鞭がしなるような鋭い音を上げて稲妻のように舞い上がるや、星空にあっという間に消えてしまった。

  私はチクを抱きしめてお礼を言った。チクは尻尾を振り、満天の星空に向かって激しく吠え続けた。

 あれは一体何だったのだろうか....................?  今考えると宇宙人としか思えない


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