思い出の 手柄山

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姫路分校当時、学生が自分で先生を選び登録し、一人の教授の元に数人の学生が集う、「補導教官制度」がありました。
高校時代のゆる〜い担任の先生的な存在だったと思います。
このグループで、手柄山に行かれた方も多いのではないでしょうか?


手柄山(手柄山平和公園)



以前は1956年に建てられた太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔を中心にした、市民公園でした。

今は、1966年(昭和41年)に開催された姫路大博覧会の跡地を姫路市が整備し、文化・スポーツ施設が集中しています。
姫路大博覧会開催時から8年間市営モノレールが走っていましたけど、手柄山への交通手段が少なく不便との声が大きく
2026年2月 新しく 姫路駅と英賀保駅の間に手柄山平和公園駅ができました



名称も手柄山公園から手柄山平和公園になりました



1961年(昭和36年)の手柄山

芝生と木の自然豊かな大公園でした。

この写真は国土地理院の地図・空中写真サービスからダウンロードしました。


□ 太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔は今も昔のまま。

○ 休憩所 今、平和資料館が建っています。

☆ 野外音楽堂 和風庭園になってます。

□ 手柄山図書館(下から順に、1号館、2号館、3号館) 今はカスケードになっています。

○ ちぎり橋 手柄北山と南山を結ぶ橋は、昔のまま。

⇒ は手柄駅方向です。



1966年(昭和41年)の手柄山

姫路博が開催されました。

この写真はたるみ燐寸博物館の燐寸ラベルのコレクションから撮らせていただきました。



昔の面影が残る芝生広場






この芝生の広場の以前の姿が、
手柄山 今昔 のHP掲載の昔の手柄山のHPで見ることが出来ます。

姫路大博覧会開催事前の芝生の手柄山 ←をクリック


太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔

塔身、前室及び前垂を囲んで、戦災都市の側柱が建てられています。
広島の死没者数を見ると Sentimental Journey で訪れた広島の悲惨さが改めて思い起こされます。

慰霊塔参道階段は昭和31年(1956年)以降、中央に手すりが設置された以外、変わりないそうです。


姫路市|平和資料館(手柄山中央公園内)

以前は休暇所だったところに、姫路市の施設の一つ。

 姫路市平和資料館  があります。

太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔近くに、平成8年4月から開館しています。

一階の常設館では、姫路空襲による被災等に関する資料や映像などの展示。
戦後からの姫路市の様子が分かります。

二階は企画展示コーナーです。以前には姫高の特集もありました。





旧大同燐寸(山陽色素株式会社)

素晴らしい昔の大同燐寸工場
昔は手柄山から眺められたと思います。

ホームに張り付ける写真ありませんので、 綺麗な写真を載せてくださってるページにリンク張っておきます。

旧大同燐寸工場施設




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