☆嘘の重要性と危険性(2005 Jul.)


  人間は、少なくとも現生人類は、自分自身の適応を向上させる為の一手段
 として、自分以外の人間(と自分自身)に対して間違った情報を与えることが
 出来る。この偽情報の提示は、より一般的には“嘘”という言葉で呼称される。
 今回のテキストでは、自分自身に対して間違った情報を信じ込ませる行動は
 抜きにし、男女交際の場面において異性に対して偽情報を提示する事に
 ついてちょっと書いてみる。

  男女交際においては、自分自身の問題点や秘められた目的を隠す為に、
 或いは無いはずの長所をあると思わせる為に、様々な嘘が使用され得る。
 昨今の男女交際の場面では、嘘をついてはいけない、という道徳上の提案は
 通常は二の次とされる為、大抵は様々な形の嘘や欺瞞が飛び交う事となる。
 この傾向は、これまでも、そしてこれからも変わることはないのだろう。嘘が
 作動した後に、「ああ、悪いことしちゃったなぁ」と思ったとて、昨今の男女交際
 の一般的傾向としては、そんな事後的な罪悪感すら長続きしない人が殆ど
 だからである。

  このため、(良い意味でも悪い意味でも)嘘の混じらない恋愛は希有と相場が
 決まっており、殆どの男女交際には多かれ少なかれ偽情報が行き来している
 という前提が要請されがちである。嘘が沈殿する事によって苦しくなるという事
 (こちらもどうぞ→)、嘘をつかれた側の反撃・復讐、信用問題等もあって、下手
 に嘘をつく事が適応をむしろ低下させる危険性は高いものの、それらの諸条件
 をクリアしうる環境においては、嘘は比較的少ないコストで高い成果を挙げる
 “ルアー”や“デコイ”として機能しうる。時には、嘘をつくことによって嘘をつく
 当人だけでなく交際相手の適応を長期的に向上させうる嘘も存在するので、
 “偽の情報を与える”という行動の全てが交際相手を搾取する方便だと断罪
 するのは早計だ。しかし、交際対象を搾取して自らの利益を高めるタイプの
 嘘が殆どなので、倫理的に嘘が断罪されがちでもこれは致し方ないところ
 だろう。

  嘘の巧みさは嘘をつく人間の能力によって様々であり、このうちの何割かは
 スキルと呼ぶに値する、能力・修練・経験の複合体からなる高度な営みと
 考えられる。いかにバレにくいか・いかに“釣り餌”としての効果が高いか・
 いかに嘘を忘れず記憶し、整合性を維持するか等は、明らかに高いポテン
 シャルを要求するものであり、小さな子や嘘の下手な人、頭の悪い人には
 こういった嘘を紡ぎ出す事は難しい。馬鹿は嘘をつかない、なんて言う人が
 いるが、あれは違う。馬鹿は嘘がつけないのだ。つきたくても無理なのだ。
 少なくとも、嘘が嘘として長期間きっちり機能するような効果的な嘘は。

  また、嘘を探知する能力も同様で、いかに発見するか・いかに“釣り餌”の
 不自然さを見抜くか・いかに体系的な嘘の整合性の粗を見つけるかといった
 活動は非常に高度な脳の活動を要求されると考えられる。逆に言えば、嘘を
 見抜くという事は、(特にコミュニケーションや対人場面に関する)ある程度以上
 の知的能力を要求され、故に一定のスペックと経験を満たさない者は騙される
 事を殆ど避けられない、とも言える。だからこそ、男女交際の世界でも嘘や
 詐欺の類は永遠になくなりはしない。素養という意味でのスペックと経験とを
 かけあわせた積が極端に劣る者・極端に優れた者は、下の世代から絶えず
 生まれてくる。テクノロジーが進歩しても、それ故に嘘の有効性は簡単には
 消えないだろう。嘘を巡っての攻防は、世代や性別を超えて、これからも
 普遍的に残存する可能性が高い。道徳や宗教、各政治システムや科学は、
 これまでのところ、こういった嘘を人間関係から除外する事に成功していない。


  さて、嘘はつくのも見抜くのも大変な技術だという当たり前の事を指摘した
 わけだが、それなら技術さえあれば、可能なフィールド・状況でさえあれば
 嘘は常に適応促進的なのだろうか?言い換えると、嘘はついたほうが得しそう
 で、なおかつ長期的にみて嘘に関連した分野で障害が生じにくいな場合には、
 出来るだけ嘘を使用したほうがいいのだろうか?たぶん、そんな事は無い
 だろう。通常の人間の人格・情動を逸脱したサイコパスなら、たぶん嘘をつく
 事は常に適応促進的(というより嘘を最大限に利用する事が彼らにとって唯一
 の選択となる)と思われるし、極短期のつき合いを求めての女漁り&男漁り
 ならば、嘘にまつわるコストが少なく、仮に自分自身に良心があったとて
 さほど痛む可能性が少ない。

  しかし、大抵の人間にとって、中〜長期的期間にわたる男女交際において
 ひたすら嘘を利用していくのは苦行の道となる可能性がある。嘘は、たとい
 隠し通せるものであってもコストを内包している。単に隠し通す為のコストだけ
 ではない。ひとつひとつの嘘は、もしバレた時に交際相手の信用を失うという
 ハイコストを背負っている。時には交際相手のみならず、交際相手と自分との
 間に挟まっている全ての人間関係や社会的関係にもダメージを与えかねない
 幾ら確率が低いとはいえ、このダメージの大きさは目もくらむばかりといった
 ところで、崖っぷちに立っているようなプレッシャーを感じ続けることになるやも
 しれない。万が一発覚した場合に信頼・人間関係といった己のリソースに
 ダメージを与えそうな嘘は、大抵の場合、発覚時に実際にどれぐらいの被害が
 出てくるのか見積もりきれるものではない。バレた時のリスクを低く見積もった
 為に完膚無きまでに破滅した男女の、いかに多いことか。

  さらに、嘘によって得られるメリットとは何か、という問題にも私は注意を喚起
 する。嘘によって得られたメリットは、所詮は嘘で得られたメリットに過ぎない
 という欠点を持つ。そのメリットは、嘘が発覚した際にたちどころに霧消して
 しまうだろうし、メリット継続中も、嘘が発覚しないように常に警戒しなければ
 ならない。警戒に要するコストが高ければ、いつかメリットの総和がデメリット
 の総和を上回る日すら来るかもしれないのだ。こうなると、バレる事でやって
 くる破滅を回避する為に、メリットが失効した後も嘘を突き続ける羽目になる
 事すらあり得るのだ。交際が長期化しそうな場合、この「嘘で得られたメリット
 が嘘で得られたメリットでしか無い」という問題があなたを束縛するかもしれず、
 交際の長期化が考えられる相手への嘘は極力避けたほうが良さそうに思える。
 また、警戒コストを差し引いても、(上手く表現出来ないが)心の奥底に汚物が
 沈殿する可能性もある。嘘をついた相手に対する執着が強く、にも関わらず
 あなたがサイコパス的な冷酷さを持ち合わせない生身の人間ならば、一つの
 嘘は良心の呵責という名の副作用を死ぬまで残してしまうかもしれない。
 心理学的用語を用いるならば、超自我と嘘との間の葛藤、という表現が近い
 ような気がするが、ただの葛藤と呼ぶにしては後まで尾を引くような印象だ。
 
  まして、あなたの適応上のポリシー・所属する社会的ニッチが嘘を嫌いモラル
 を重視するものだった場合、嘘は強烈なバックファイアをもたらし、遂に精神を
 蝕むことすらあるかもしれない。この場合、嘘は発覚という形で外側から
 ダメージをもたらすのではなく、嘘によって歪みが生じたあなたの内側から
 ダメージをもたらすこととなるだろう。嘘に対する生来の耐性・ポリシー・所属
 する社会的ニッチによっては、嘘は内側から自分自身を痛めつける毒となる
 可能性がある事に留意されたい。そして願わくは、このテキストを読んでいる
 そこのあなたが、そういった人である事を願う(これは実に儚い願いだ!)

  また、嘘をつかない異性がいいなぁと思っている場合には、自分自身が嘘を
 ついているとなかなか困った事になるかもしれない。嘘をつかない異性を騙す
 のは、嘘をよくつく異性を騙すよりも遙かに苦しいものがある。あなたの交際
 相手が誠実で嘘を嫌う人物だったりするなら、嘘はきっと高くつく。あなたに
 良心が欠片も残っていないなら別だが、後できっと苦しむ事になる。ここでは
 「嘘はお互い様」といった心理的な言い訳は通用しない。嘘をつかない異性を
 望み、そして交際し始めた場合、あなたが性悪のどうしようもないクズでない
 限り、対象異性を嘘で破滅させるのはやめたほうがいいだろう。後になって
 夢見が悪くなろうが神経衰弱になろうが、俺は知らないよ

  余談だが、私個人は、自分が好きだと思う異性・自分が幸せにしたいと思う
 異性を騙してまで己の利得を追究するような営為は、恋愛とは呼称しない。
 このテキスト群が“恋愛の”とは書かず“男女交際の”と書いているのは、
 こういった私の個人的ポリシーを踏まえてのものである。我利我利亡者の
 男女交際には、別の呼び方が相応と考えている。



 なお、嘘をつく事に対する耐性と、嘘をつかない事によって開かれるメリットなどについては、別のテキストで採りあげる
  予定です。モラルとの絡みとかも。


 補足:よくある嘘の実例をちょっとだけ。

 ・「君(あなた)だけが好き」
 ・俺の年収○○万、などといった地位や財産に関する嘘
 ・「浮気なんてしないよ」
 ・「私にはあなただけ」
 ・「愛があればいいの。他には何にも要らない」
 ・表情の数々、特に笑顔が使われやすい
 ・年齢の偽称(特に女性)
 ・性的遍歴の詐称

  また、広義には煌びやかな装い・化粧・ファッションが嘘となり得ない事も無い。
 それらは対象異性に対して「俺はスノッブな人間だ」「私はおしとやかなんです」
 「紳士・淑女的」という印象操作を行うには便利なので、腹黒い野心や卑しい
 性質をマスクする為の補助技術として機能しがちである。嘘をつく側と嘘を
 つかれる側は、服飾がもたらす視覚的バイアスに留意すべきだろう。


 ・嘘は本当に女性のほうが巧みなのか

  男性は一般に嘘をつくのも嘘を見抜くのも女性に比較して下手だとされて
 いる。嘘を見抜くのが下手なのは間違いないような気がするが、手練れの
 嘘つきは実に巧妙に嘘をつくのでやっぱり全然油断出来ない。対して女性は、
 平均をみると嘘を見抜くのもつくのも男性以上に上手な傾向にあるとされて
 いるが、馬鹿な女性はアヒルよりも馬鹿なので、恐ろしく騙されやすい女性も
 存在している事はお忘れなく(勿論、男性のなかにもアヒルより騙しやすい奴
 がたくさん混じっている。結局、性別による一般的傾向などというものは、
 目の前にいる異性を信用できるかを分析する材料とはなり得ない。男であれ
 女であれ、信頼するに値するかは人それぞれだし、騙しやすいかどうかも
 人それぞれ(騙す価値があるのかも人それぞれだ、とも言えるか)であるとしか
 言いようがないと思う。



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