☆願望や期待の促進(思い入れ)、情緒のうねり(2004 Nov.)(2005.Apr.小改造)
恋愛や男女交際に際して発生する様々な感情や願望は、暴走するとろくなことが
無く、しばしばその恋愛や男女交際を破綻させてしまうか軌道をねじ曲げてしまう
暴れ馬のような存在である。しかし、男女間の交際が抑制・我慢・打算・理性だけで
進められるものかというと、これもまた多分そうではない。殊に、“恋愛”と呼び得る
関係に関しては。
確かに、男女交際の目的が単純な性的快感の獲得にある場合やビジネスライクな
共同活動にある場合、対象への様々な思い入れや願望、情緒的なうねり等は邪魔な
だけだろう。この場合は、適度な情緒的信号を対象異性に送りつつも自分は完全に
醒めていることこそが、目的に見合った結果を出す為に最も効率的で、間違えが
少ない。仮に対象異性があなたに情熱を期待している場合にも、あなたはそれ相応の
情緒的信号を直接働きかける技術を通して送ってやればいいわけで(勿論それ相応
の技術は要求される)。せいぜい、対象異性に夢中になっているふりをしながら、
計画通りに行動し密かな目的を達成すれば良いろう。愛情だの情念だの熱中だのは
邪魔なだけだ。
しかしそうでない場合、つまり自分が情緒的なうねりや恋愛特有の酩酊状態を大切
なものと捉えている場合や望んでいる場合は話が変わってくる。対象異性との交際が、
単なる性的接触や何らかの取引関係を超えたなにかを含んだものでありたいと願う
なら、完全に醒めきった状態では不都合がある。いわゆる恋愛が恋愛であって、
単なる男女の交際だのコミュニケーションとは違ったニュアンスを含んでいるから
には、多かれ少なかれ情緒的な諸々の感情を含んでいなければ恋愛とは言えない※1。
適度な(何をもって“適度”というかはともかくとして)感情のゆらぎは、恋愛が恋愛らしく
ある為には完全に捨ててしまうわけにはいかない。対象異性との交際に何を期待する
のかによって必要にも不要にもなり得る要素だが、例えば私が『恋愛』と呼称する
ような男女交際を望むなら、この揺らぎが要請される。たといあなたがこの揺らぎを
なかなか感じない人だとしても!である。
『情緒のゆらぎなんてむしろ過剰なことが多くてどこが必要スキルなんだ』『関係の
冷静な構築に邪魔なだけじゃん』と言いたくなる人もいるだろうし、言い分は解る。
だが逆に、これが無い状況の男女交際がどれほど淡泊でドキドキしないものなのかも
思い出して頂きたい。情緒のゆらぎや恋愛に発生しがちな強い情動は、醒めていて
は期待できないし、対象異性に対する(スタンダールの言う所の)結晶作用も働き
難い。そして、そういう男女は意外と世の中にいたりする。強い情動が生まれつき
発生しにくい人や、こすっ辛い男女交際の果てに失ってしまった人は結構沢山いる。
特に、男女交際についての知識・経験・技術が蓄積してくると、このような情緒の
ゆらぎは『交際を戦略的に進める為には寧ろ邪魔なことが多い』ことが解ってしまう
ため、慣れれば慣れるほど情緒のゆらぎや恋愛特有の酩酊状態を感じ取ることが
難しくなる人もいる。適切な制御を求められるのは分かるのだが、それがゼロになる
と、男女交際は実に淡泊なものになる事は避けられない。血中コレステロールの如く、
多すぎては毒だが少なすぎるとそれもまた問題、といった所だろうか。情緒のゆらぎや
情動・願望・期待が無くても別にあなたが死んでしまうわけでもないし、対象異性との
交際関係が即座に終了するわけでもない。だが、情緒のゆらぎや情動・願望・期待が
無くなればあなたと対象異性の恋愛は、死を迎える。交際できるか否かではなく、
あなたが恋愛を恋愛として感じられるか否かは、情緒にかかっている事は忘れては
ならない。
最後に付け加えておくが、このテキストでは恋愛における情緒的なゆらぎや強い
願望の重要性を書いておいたが、多くの恋愛においては、特に、不器用だったり
その他のコミュニケーションスキル上の問題が浮き彫りになる場合は、むしろこの
情念の揺らぎが制御しきれず、対象に対する理想化や過剰期待による障害や
問題ばかりがクローズアップされることが多い。恋愛や男女交際において技術面で
問題になるのは、情緒のうねりや願望の促進でない事のほうが遙かに多いことは
忘れてはならない。多くの場合、むしろ情動や願望や過剰な期待を抑制する方向で
舵取りをしたほうがいいという事は付記しておく。また、男女交際の全てが必ずしも
『恋愛』でなければならないわけでもないことも、付け加えておく。
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