☆性的行動の、コミュニケーション的側面(2004 Oct.)(2005.Apr.小改造)
世の中には、単に性的快感を味わうために性行為を行う男女が存在する
一方で、性行為を通して相手から様々の情緒的情報を入手する(或いは
メッセージを発する)男女も存在する。それなりに忙しい状況なので色々と
制約はつくが、いやだからこそ、性的接触は隠し事が比較的難しい情緒的
入力/出力であり、言語コミュニケーションや非言語コミュニケーションによる
擬態や嘘を許しにくい状況と考えられる。ゆえに、この濃密な一連の行動の
一つ一つは、対象異性の心境を把握したり対象異性が隠している性質を
類推するための、最も極端な方法としても機能し得る。進化生物学的視点
から言っても、人間のセックスは生殖だけを目的としたものではあり得ない※1。
セックスには、(良くも悪くも)男女がお互いのことを探り合い、理解し合い、
幻滅しあい、喜び合う性質があるという事はどうにも否定できなさそうだ。
同調的か、一方的か、自己中心的か、弱気か、等の様々な性質が閨房では
明らかにされる。もちろん、このような視点を持たなければ性的快感以外には
何も得られない。悲しいことに、比較的多くの男性と比較的少数の女性は
このような視点をいつになっても持つことができないらしく、視点を持ち得る
人であってもセックスへの慣れ/不慣れが視点の獲得や質に影響を与える
ようだ。なお、世間一般で考えられているところの狭義の『理解』(理性的
理解、とでも言えばいいのか)だけがコミュニケーションとしてのセックスの
能力獲得の証と考えるのは軽率である。多くの場合、このようなスキルは
言語化できない形式で身に付いているらしく、むしろ言語化出来る事例の
ほうが珍しいと考えて間違いはない。
上記のような相手と情報をやりとりするという意味だけでなく、性的快感を
共有するということが出来た場合、それ自体が肯定的なコンテキストの
コミュニケーションとして様々な効果をもたらす点も見逃してはならない。
もちろん、性的快感を共有しない・できない形での性的行動は、これとは逆に
対象異性との関係にあまり良くない影響を投げかけるだろう。まして、どちらか
の側(主として女性)が性的快感を『売りに出す』ような場合も、売りに出す側に
とって肯定的なコンテキストを形成するとは考えにくい――そもそもそんな気
なんて全く無いわけなんだから。
上記の快感共有に伴う肯定的効果を考慮すると、対象異性と性的快感を
共有するノウハウや、性行為に際して対象の様子を観察・把握するノウハウ・
自分の状態を伝えるノウハウも、恋愛技術の一端として考えていいのかも
しれない。ちなみに、世間一般で云々されているところの「性的テクニック」
とやらが、「パートナーとの快の共有」にどれだけ寄与し、相互のコミュニ
ケーションを促進するのかは私には分からない。少なくとも、非言語コミュニ
ケーションと表現できる一連の行動の総体――声音、表情、動き、間合い、
タイミングそのほか色々――のほうが、小手先のテクニックとやらより
コミュニケーションの文脈に色濃く影響するであろう事は、確信している。
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