【汎用性の高さがコミュニケーションを制する時代――昨今注目の高まる“コミュニ
ケーションスキル”と、ポストモダン的状況の関係についての一考察(3)】2006.01/24
このテキストは、こちらの続きです。未読の方は(1・文化ニッチ編)から順にどうぞ。
現代社会のような文化ニッチ細切れの状況においては、人は、手助けしてくれる
共通基盤や共通理解が乏しいままにコミュニケーションを行わざるを得ないことが
多い。よってそうした共通項が乏しい状態でも通用しやすいようなスキル・スペックが
今まで以上にコミュニケーションの可否を左右する要素として重要になると先のテキ
ストで述べた。では、共通項が乏しい状態でも通用するスキルやスペックは一体どの
ようなもので、どういう条件を満たすスキルやスペックこそが“コミュニケーションスキル
/スペック”という名に相応しいと言えるのだろうか?このテキストでは、そこに焦点を
あててみたいと思う。その後、幾つかの補足を付け加えたうえで、いったんテキストを
区切ろうと思う。
【“コミュニケーションの基軸通貨”たる条件を満たすもの】
コミュニケーションスキル/スペックは、その性質上、文化的ニッチの如何に関係なく
二者の間をとりもちコミュニケーションの円滑化・最適化を助けるものでなければなら
ない。どのような対象であれ、自分がコンタクトをとりたいと思う対象に対して『出来る
だけ好ましい印象を与え、出来るだけ伝えたい情報を的確に伝え』、『出来るだけ
不信感や不快感を与えず、出来るだけおかしな情報伝えないようにする』機能を果た
さなければならない。アニメオタクには有効でも、公園デビューする若奥様に通じない
ようなスキルやスペックは、基軸通貨としての条件を満たしているとはとても言えない。
よって、コミュニケーションスキル/スペックと呼ぶからには、コミュニケーションを
とろうと思う対象すべてに対して有効に機能するような情報伝達形式や情報そのもの
でなければならない。また、異なる文化ニッチに属する対象から誤解や不快感を被る
ことを極力回避できるものでなければならない。例えば“清潔感の提示”などは、貧弱
ながらもコミュニケーションスキル/スペックとしての要件を十分満たしていると言える
だろう。なぜなら清潔感は、世代や性別や文化に関係なく万人が求めるものであり、
それが阻害されると殆どの場合疎まれやすくなるからである(初対面時は特に決定的)。
対して、“釣りの上手さ”はコミュニケーションスキル/スペックと呼ぶことは出来ない。
なぜなら、現代においては魚釣りの上手さは釣りマニア以外の多くの人にとっては
割とどうでもよい事であり、マニアやプロ(漁師・あるいは漁村の人達)だけが評価軸
として用い得るものだからである。
このような考えを極限まで延長すると、最も普遍的で汎用性の高いコミュニケーション
スキル/スペックはホモ・サピエンスという動物種に普遍的なものだろうという推測に
行き着く。文化や時代に関係なく流通し、共通基盤や共通理解の有無に関係なく
通用する非言語中心のプリミティブなコミュニケーションスキル/スペックなら(それ
こそ言葉の意味すら専門用語混じりで通じにくいポストモダン的状況下の)異文化間
のコミュニケーションにおいても常に有効で、故に重要視されるだろう。文化ニッチ
の細切れ化・人的流動性の拡大によって、会話内容、ことにセンテンスそのものの
内容だけに頼って相互理解や相互確証を持つことは益々困難になってきている今、
相手の所属文化ニッチの確認すら困難な状況下で、限られた時間・場面で有効な
“異文化コミュニケーション”を行おうとする場合、言語という“バイト数の少ない情報”
だけに頼っては、相手がどのような人間なのかや相手が何を考えているのかを把握
するのは非常に難しい。しかも、言語は文化ニッチ断絶の影響でどこまで通じるか
怪しいとすれば、身振りや表情などのプリミティブな非言語コミュニケーションが相互
の情報出入力を補完する手段として重要になってくるのも当然の成り行きではない
だろうか。
互いの表情や声音、姿勢、身なり、目つき、などの非言語コミュニケーションは、
その多くがホモ・サピエンス共通の“情報媒体”であり、国や地域や時代により若干の
違いこそあれど、基本的には全人類に共通のものである(ましてや現代日本に限れば
殆ど共通と言い切って構わないだろう)※1。プリミティブな非言語コミュニケーション
スキル/スペックは、文化ニッチ断絶の有無に影響されず、付き合いの長さにも関係
なく通用するし流通する。怒っている人を見て喜んでいると思う人はいないし、泣いて
いる人を見て爽快そうだと思う人もいない。共通理解や共通基盤の少ない相手との
コミュニケーションにおいて、流暢に非言語メッセージを入出力出来る人はそうでない
人に比べて大きなデータバスを確保して情報をやりとりすることが出来る※2し、その
単位時間あたりのデータ量(あるいはバイト数)たるや、センテンスだけに依った言語
コミュニケーションとは比較にならない。しかも、言語と違ってプリミティブな非言語の
データ出入力は文化ニッチ断絶の影響を殆ど受けないのである。付き合いが浅く
文化ニッチの異なる相手と、限られた時間でコミュニケーションをしなければならない
場面においては、通文化的な情報データバスを短時間で太くより精密に確保出来る
人間が優位に立ちやすいのは当たり前であり、そのためにはセンテンスとしての言語
の入出力技能だけでなく、様々な非言語コミュニケーションの能力が求められよう。
俗に「場の空気を読む」と呼ばれる一連の機敏も、純粋なセンテンスレベルの言語
コミュニケーションに依る部分よりも、それ以外の経路で入出力される非言語コミュニ
ケーションに依るところが大きい。そしてこの非言語コミュニケーションを読み切れない
者には「空気読めない奴」という称号が与えられ、意に介さない者には「天然」という
称号が贈られるのだ!
そして現代都市空間においては(ビジネスやオフ会などにみられるように)、付き合い
が浅く文化ニッチにズレのある他者と、短時間で出来る限りマシなコミュニケーションを
構築しなければならない場面があちこちで頻繁に発生するのである。都市化の進行と
携帯電話・インターネットなどのテクノロジー進歩はこうした機会をますます増加させて
おり、 “お互いの基軸通貨となり得る”コミュニケーションスキル/スペック抜きには
とてもじゃないけどコミュニケーションが円滑に進行しない状況が頻発するようになった。
文化ニッチのバラバラな者によって営まれるこの手のコミュニケーションシーンに
おいては、相手を選ばず親密さも問わない汎用性の高いコミュニケーション能力の
質と量が問われる。即ちホモ・サピエンスに普遍的なコミュニケーション能力――
多くは非言語コミュニケーションで占められ、短時間で情緒レベルでの距離を埋める
のに向いている――がどれだけ達者なのかが問われることになるのである。
頭が良い人も悪い人も、秋葉原のアニメオタクも六本木のお嬢さんも、初対面の人も
十回目の人も、人類共通の最もプリミティブなコミュニケーション能力は相手を問わず
必ず通用するし、通用するからこそポストモダン的状況においては非常に重宝する
ことになると思われるのだ。それを持つ者と持たざる者、富める者と貧しい者の機会
格差のなんと大きいことか!
【補足:そのほかの、コミュニケーションを補佐するスキルや機能について】
ちょっと脱線するが、最もプリミティブな人間共通の部分以外の機能・技能・知識に
ついても触れてみる。“標準基軸通貨”たるプリミティブなコミュニケーションスキル/
スペックほどの汎用性は望めないにしても、幅広い文化ニッチにまたがって有効な
様々な機能・技能・知識は、ポストモダン的状況下においてもある程度までコミュニ
ケーションを補佐してくれるだろう。例えば食・グルメに関する知識は相当広い文化
ニッチ所属者が関心を抱き得る分野なので、食・グルメの話題や知識は共感や理解
を短時間で促進する材料としやすいかもしれない※4。技能面でも、「さしすせそ(裁縫・
しつけ・炊事・洗濯・掃除)」などは汎用性が高いうえに多くの人が興味を抱き得るので、
比較的広い対象とのコミュニケーションにおいて潤滑油として機能しそうである※5。
食・グルメにせよ「さしすせそ」にせよ、あるいはネコや犬の話題にせよ、あらゆる
文化ニッチ所属者に絶対に通用するというわけではない。しかし他の多くの話題に
比べればこれらは幅広く通用する可能性を秘めており、よってコミュニケーションに
おける“準基軸通貨”としての利用価値があるかもしれない。
ファッションもまた、完全ではないにせよ自分の属する世代(時には全世代)に対して
汎用性の高いコミュニケーション補助効果をもたらすかもしれない、僅かではあっても。
流行と対立しないようなファッションは、そのファッションが有効な世代に対して流行に
対立しない期間だけ有効となる。もちろんファッションに関しても文化ニッチ細切れの
ポストモダン的状況はみられ、様々なブランドの乱立に象徴されるとおり万人にとって
最高のファッションというものは存在しない。だが、万人に対して「あれ、私の好きな
方向じゃないけどなんとなくいいなぁ」とか「少なくとも悪くない」という印象を与え得る
スタイルは存在するかもしれない※6。同世代の日本人なら誰が視てもそこそこ良い
印象を受ける(または悪い印象を回避しやすい)スタイルは、限られた少数に強烈な
印象を与えるには不向きかもしれないが、幅広い対象に対してそこそこの効果を得る
には向いている。限られた対象に対して強烈な効果を狙うのか?それとも汎用性の
高い服飾をとるか?これはケースバイケース&人それぞれだろうが、ファッションの
方向性のなかに文化ニッチを問わない(効果こそ微弱だろうが)汎用性の高い一群が
存在することには、着目する価値があると思う。
こんな感じで、広い文化ニッチにまたがって有効な機能・技能・知識は文化細切れ
状態下のコミュニケーションシーンにおいて役立つかもしれない。プリミティブな非言語
コミュニケーション能力に比べれば汎用性や柔軟性に欠けるかもしれないが、それら
の技能はある程度の範囲の文化ニッチにまたがって有効で、見知らぬ相手との会話
において話を合わせる具になるかもしれない。また、これらはプリミティブなコミュニ
ケーションスキル/スペックに比べて努力によって獲得しやすいという点でも着眼に
値する。コミュニケーションスキル/スペックが非言語コミュニケーションを多く含み、
(顔面の形態や認知機能の特性のように)先天的要素や幼少期の環境の影響を被る
とすれば、後天的学習によって十分獲得可能なこれらの“準基軸通貨”はコミュニ
ケーションスキル/スペックが不十分な人達がコミュニケーションの不得手をカバー
する一手段として精通する価値があるかもしれない。
【補足2:非言語コミュニケーションに求められる、即時性の問題】
付け加えるが、汎用性の高いコミュニケーションスキルがどうこうといったところで、
対象&自分の観察結果に合わせてリアルタイムに対応を変更するフレキシビリティ
がなければお話にならない事は付け加えておく。リアルタイムのコミュニケーション
シーンにおいては、中心話題、各人の気分や思惑、疲労の度合いなどは刻一刻と
変化する。特に情緒的で非言語レベルの交流や評価は、その時その瞬間の相手の
状態に即した情報出入力を行わなければ、橋渡しがなかなか成立しない(これは、
相手の呼吸に合わせる・周囲の空気に合わせるという極意に通ずるものだと思う)。
よって、特に情緒レベル・非言語レベルを介したコミュニケーションにおいては、
即時性を可能とする素早さ・フレキシビリティの有無が極めて重要になってくる事に
留意しなければならない。センテンスはともかく、感情や疲労などの次元においては
人間の状態(ステータス)はめまぐるしく変化する。それらに合致したコミュニケーションを
的確にこなすには、各人の状態や場の流れ(呼吸・空気)を素早く把握し自分の情報
入出力をフレキシブルに変化させる能力が要請されることだろう。実際私の知る限り、
コミュニケーション巧者はいずれも即応性に優れており、本を読むような速度でしか
対応出来ない人間がコミュニケーション巧者であった試しが無い。
面識が浅く文化ニッチが異なる人間とプリミティブな非言語コミュニケーションを
展開していくには、非言語コミュニケーションの速度に追従するための即応性を
セットで要請されることを付け加えておく。よって、現代都市空間におけるコミュニ
ケーション巧者は、情緒レベルの非言語コミュニケーションを扱い、場の空気や相手
の呼吸に対する即応性を持った人間が多くを占めると推測されるのだ※7。トロトロ
しているようで、現代コミュニケーションシーンの質と速度に応えきれないことだろう。
【総括】
以上、ポストモダン的状況といわれる文化ニッチ細切れ状態の進行と、それと同時
に起こっているコミュニケーションスキル/スペックへの着目の関係について書いて
みた。また、コミュニケーションスキル/スペックとして要請されているもののなかに
プリミティブな非言語コミュニケーションスキル/スペックが多く含まれる事とその理由
についても書いてみた。要旨をまとめると、以下のようになる。
1.現代都市空間のポストモダン的状況においては、文化ニッチが細切れ化・蛸壺化
している。地域社会の結びつきは希薄になり、他方、テクノロジーによって物理的距離
の問題は解消された。これらが相まって、共通基盤・共通理解を持たない対象と一から
コミュニケーションをこなさなければならない場面が増加している(それが無理な人間は
、文化ニッチの蛸壺に閉じこもることになる)。特にビジネスや男女交際などの分野に
おいてはこの傾向は顕著であり、文化ニッチの断絶を克服出来ない者は競争力の
大幅な低下を余儀なくされるだろう。
2.このような文化ニッチの細切れ化と物理的距離の解消を受けて、多様な文化ニッチ
住人の間を橋渡しするような“基軸通貨”がコミュニケーション場面において求められ
るようになる。初対面や未知の対面が増え、旧い付き合いが後退するこの状況では、
相手を問わず短時間で可能な限り親しく正確なコミュニケーションを営める能力が要請
され、昨今流行の“コミュニケーションスキル/スペック”はまさにこの要請を満たすもの
と期待されているれる。
3.限りなく細分化し、お互いの共通理解・共通基盤が希薄なポストモダン的状況に
おいて“基軸通貨”たりえるコミュニケーションスキル/スペックとは、あらゆる人間が
最低限の共通基盤として持っている(&期待されている)ホモ・サピエンスに普遍的な
非言語コミュニケーション・情緒的コミュニケーションと想定される。コミュニケーション
スキル/スペックと持て囃される“空気を読む力”なども、実際これに合致しており、
視覚・聴覚などの言語以外の情報経路も介した、多元的なアプローチによって
コミュニケーションは補佐されることになる(今後一層そうせざるを得なくなる)。
4.センテンスレベルの言語コミュニケーションに非言語コミュニケーションが加わる
ことによって、大きなデータバスをコミュニケーションの出入力に用いることが可能に
なり、コミュニケーションや対象評価を多角的に遂行することが可能になる。他方、
言語以外のチャンネルを情報出入力の手段とする能力には個人差があり、リアル
タイムで対象の状態や心境を把握・対応出来るだけの即時性やフレキシビリティも
同時に要請されることだろう。
以上の1.〜4.がある程度合っているとするなら、それらを様々な現象に当てはめて
みると面白い考察が出来るかもしれない。また、ポストモダン的状況が一層進行した
将来の展望も一部呈示出来るかもしれない。だが、このテキストはあまりに大きくなり
すぎてしまったため、各論的なdiscussionはまたの機会とし、いったん筆を置くことに
しよう。オタク研究サイトの手前、1.〜4.を踏まえて“文化ニッチに閉じこめられる
オタク達とその未来”についてテキストを書きたくてウズウズしているが、それも今度
の機会ということで。
汎用性の高さがコミュニケーションを制する時代、以上――2006.01/24
→(1・文化ニッチ編)
→(2・スキル編)
→(3・総括と補足):本テキスト
→adjustment studyのページへもどる
→汎用適応技術研究トップにもどる
★今後以下のようなdiscussioを計画していますが、力尽きたので後日にします★
【文化ニッチの檻に閉じこめられたオタク達】
【コミュニケーションスキル/スペックと性差、今後予測される相対的な男性の後退と女性の進出について】
【適応に要するコストの上昇と、過剰適応&適応障害の関係について】
【ポストモダン的状況と、それに伴うコミュニケーションスキル/スペックの台頭が
もたらす未来を展望してみよう】