このテキストは、こちらの続きです(症例5さん)。


 ・Eさんの大学時代


  大学には現役で進学した。都内の某大学理系である。ここで、6年ぶりに男女
 共学の環境を体験する(理系でも比較的女子の多い専攻だった)大変なストレス
 だった。まず、女の子とまったくしゃべれない。服も何を着たらよいかわからない
 その後は、いままで培ったパソコンの知識を活用し、パソコンの販売コーナーの
 バイトを勤めた。当時の服装を見ると、背筋が寒くなる。不必要に長い真っ黒な
 長い髪。うつむき加減の姿勢、虚ろなまなざし。こんな格好でよく外を歩けていた
 ものだと思う。もっと早く、気づくべきだったのだ。

  この頃にはエロゲーから完全に足を洗っていた。友人から勧められる事もあった
 が、バイトがそれなりに面白く勉強も忙しかったかったので、「あんな面倒くさいもの
 やってる暇はない」と思っていた。とはいえ、新しく進出したパソコン分野の知識や
 技能は、凡庸なオタクのレベルを出るものではなかった。“このままでいいのか?”
 現状に対する葛藤を抱えたまま、それでもバイトに明け暮れる日々を送っていた。

  また同じ頃、出会い系サイトの存在を知った。私は文字を解した会話は得意だった
 らしく、このころ何人かの女性と付き合う。肉体関係もあった。しかし、実際に会って
 拒否反応を示される例は多かった




 ・Eさんの大学院時代

  研究者を志望していた私は大学院に進学した。院に入った時、周囲の人間を
 反面教師として見た結果、脱オタの必要性を強く感じた。典型的なオタクキャラの
 先輩と研究生活を共にしていると、いくら彼らが優秀でも外見がアレでは偏りのある
 人生しかおくれないのではないかと感じたのだ。具体的には、よれよれのシャツ、
 ケミカルウォッシュのジーンズ、黒く無駄に長くて手入れしていない髪。口を開けば
 甲高いしゃべり声でアニメ・マンガに偏った話題etc…。同性からみても、あまり格好
 のよいものではないなと感じていた

  私は脱オタを開始した。まず、甲高く早口な自分の話し方を意識して改め、人に
 わかりやすくゆっくり話すよう心がけた。また姿勢が悪いと言われることが多かった
 ので、勤めて背筋を伸ばすようにし、腹筋の筋トレを始めた(筋トレの直後にはプロ
 テインを飲んでいた)。おしゃれや音楽は苦手分野であったため、取り敢えず後回し
 にした。

  その後、友人の紹介で知り合った女性と半年程つきあう機会があった。その過程
 でさらに脱オタを加速させた。「彼女が理解できないこと、ついてこれないことは一切
 すまい」、と決意し、逆に彼女との共通の話題やグルメ・文学関係の知識を深める
 ようにがんばった。音楽面でも、いままで隠れてアニソンを聞くだけだったものが
 ラテン系のワールドミュージックを聞くように変化した。それまででは考えられない事
 だったと思う。デートのコンサートで聴いた曲をこっそりメモして帰り、ツタヤでまとめて
 借りる、などしてお気に入りアーティストを少しづつ拡大させていた。こうして試行錯誤
 を重ねながら少しづつ脱オタを進めていった。




 ・その後のEさん

  就職後もいろいろあったが、まだ自分の中で整理がついていないためきちんと書く
 ことができない。ただ、あれから数年経った今、ほぼオタ属性から脱却したものと
 感じている。脱オタ直後〜成果が出て一年ぐらいは、自分に残るオタ属性の名残は
 忌むべきものであったが、いまでは古きよき伝統として、一般人に迷惑のかからない
 範囲内で残していこうと思っている。チャンスがあれば、ネット上などの匿名性の高い
 領域で小説を書くなど、生産的な活動に生かしていきたいとの思いもある。




 ・これから脱オタしようかと思っている人に、Eさんからひとこと

  「たまたま」でいいので一般人の彼女を作ることだと思います。実際の男女交際の
 なかには、「想定外」の事項が多々あり、面食らうことが多いと思います(がっかりする
 こともたくさんありますが)。しかし、その実践の中で自分にも意外と男性らしい部分が
 残っているのを発見したり、思いのほか脱オタのモチベーションがあがったりもします。
 “実践を通して、可能な限りデータを集めるべし”と言いたいです。彼女を作る、という
 プロセス自体が難しい、という方は大勢いらっしゃるかと思います。そのためには
 友人を大切にすることです。長年オタをやってきた人間がいきなり一般人に対して
 自分をアピール(異性として売り込む)しだすのは難しいと思います。それを、友人に
 間接的・偶発的にやってもらうのです。「あいつ、意外と面白いよ。いい人だよ。」この
 言葉を言ってもらえるまで、がんばるべきでしょう。人は、その人自身が発する言葉
 よりうわさとして第三者から聞く言葉のほうに信憑性を感じるものだと思います。
 そのためには、ファッションなどの外見もそうですが、ささいな物言いにも気をつける
 べきです。人の悪口は言わないこと、約束は守ること、他人を追い詰めないこと
 冷酷さ、過度の執拗さは禁物です。良識をもち、寛容でおだやかなキャラを保つよう
 にしました。





 Eさん、貴重な経験談ありがとうございました。

  Eさんのオタク趣味は大学時代にほぼ終焉を迎えていますが、一方脱オタ(コミュニ
 ケーションスキル・スペックを改善させる試み)は大学院に入ってから本格化しています。
 22〜23歳以降の脱オタ開始は、本症例集のなかでは遅いほうに位置するかもしれ
 ませんが、Eさんのご経験は少なくともその年代で脱オタを開始したとて挽回がきく
 可能性を示唆していると思います。二十代の前半においては逆転のチャンスはまだ
 多くあるのかもしれません、少なくとも三十路を越えた人よりは脳が柔らかいですし。

  しかしEさんの方策はなかなか基本を押さえているような気がします。オタク、という
 より対人コミュニケーションが不得手なオタクにおいては、「自分の都合や快適さには
 想像は及ぶけど、コミュニケーションの相手の都合や快適さを想像出来ない」という
 現象がよくみられます。Eさんにおいても当初はそうだったのでしょう。そこでEさんは
 「相手の都合を考える」「相手がどのように私自身を捉えるのか想像する」ところから
 脱オタを開始しています。即ち姿勢を正すとか、喋り方を相手に理解しやすいものに
 切り換えるとか、ささやかな事かもしれませんが、侮蔑されやすいオタクには決定的
 に欠けているポイントです。相手の思惑・快不快・都合・時間などに意識を回す事が
 出来ないというのは、オタクに限らず好かれにくいファクターでしょう。逆に言えば、
 それらを踏まえて行動するよう意識する&相手の快適さや都合を想像する癖をつけ
 れば、ただそれだけでもコミュニケーションにおいて一歩前進したと言えるのでは
 ないでしょうか。オタクを巡る言説のなかには「キモオタ共には他人が無い。あるのは
 一方的な自分の快楽と都合の押しつけだけだ」という極論もありますが、そんな風に
 周囲の人に思われてしまってはもう終わりでしょうから。ですから、Eさんの発想は
 間違ったものではないと思います。

  このようなセントラルドグマは、Eさんの交際や友人付き合いにも反映されていると
 思います。「彼女が理解できないこと、ついてこれないことは一切すまい」「彼女との
 共通の話題やグルメ・文学関係の知識を深めるようにがんばった」。自分の都合や
 気持ちだけに囚われていたり、周囲を怨むだけの状況ではなかなか出来ないこと
 かもしれませんが、しかしEさんはそれを指向したのです。己を曲げてでも女の子が
 少しでも快適な思いが出来るように&彼女が(と)楽しめるようにと藻掻く姿を、あなた
 は醜いと捉えますか?私は、これはこれで一つの美しい藻掻きだと思っています。
 少なくとも(下らない面子と引き替えに)女性が少しでも嫌な思いをしないように具体的
 努力をしている&実らせているという点で。中学校時代のEさんの異性交際には、
 この視点がきっと欠けていたのでしょうし、当時の苦い経験が、Eさんをそのような
 行動に導いたのかもしれませんね。

  “友達を大切にしなさい”というアドバイスも、なかなか含蓄のあるもののように思え
 ます。どこから因果が巡ってくるかわかったものじゃありません。別に利益だ何だを
 常に意識している必要はありませんが、交友関係においてみんなと楽しく思いやりを
 もって付き合っていくのは(オタ仲間か否かに関わらず)思わぬ良縁をもたらすもので
 はないでしょうか。因果応報の理に則り、逆に悪縁は悪縁をもたらすものではないか
 と、仏教スキーな私はついつい考えてしまいます。良いうわさ話を第三者に流して
 もらえるか否かなどは、日頃の行いがモロに出るところだと思います。周りのオタク
 仲間を搾取していたり、疎まれているような付き合い方をしているようでは、仲間に
 助けてもらうどころかサボタージュに遭いかねません。そうでなくても、そのような付き
 合いのパターンを繰り返していれば、自ずと日常の言動に滲み出て、“わかる人には
 わかってしまう”ものです。特に一定水準以上の聡明さを持った女性にはてきめんに
 わかってしまいます(勿論彼女達は身勝手な搾取野郎よりは友人思いの男性を好む
 ものですし、まずい男を嗅ぎ分ける嗅覚にも優れています。くだらない女ほど、この
 嗅覚に乏しいように思えます)

  だとすれば、非オタクにやたら媚びへつらうのが脱オタだと思いこむのは間違いと
 いう事になりますよね。オタク仲間達に対しても、非オタクに対して働かせるような
 配慮・想像力はあって然るべきですし、オタクだからとかオタクじゃないからとかで
 差別するような雰囲気は、どこかであなたの笑顔を卑しくするに違いないのです。
 間違いなく勘のいい大人に感知されます。Eさんのご経験とアドバイスは、技術に
 溺れた脱オタではなく、オタク/非オタクに限らず相手の立場・気持ち・都合・理解
 に配慮したおつきあいが大切だという事を教えてくれていると思います。そしてまた、
 脱オタ前にはそういった想像力が欠如している場合が応々にしてあり、脱オタを
 通してそのような“想像力と配慮”を身につけていくのだなと思います。逆に言えば、
 ファッションだけ整備したところで、誰とでもコミュニケーション出来て良い仲間に
 恵まれることはあり得ないと言えると思います――相手を思いやり、相手に合わ
 せてコミュニケーションをとる姿勢と学習がなければ――。例えば異性なんてまさに
 異なる生物なんですから、付き合うにあたってこうした姿勢・学習が必要不可欠に
 なるでしょう。それが無ければ不可能です。このようなコミュニケーションスキル/
 スペックの向上は、非オタクとの交流を促進するばかりでなく、オタク仲間を慈しむ
 うえでも有用でしょうし、仲間や周囲の人への気遣いは、巡り巡って自分自身に
 対する周囲の評価にも影響することでしょう(勿論、そうなれば自分自身の気分にも
 影響があるわけです)。もちろん過剰適応してしまって自分を押し殺していてはいずれ
 破綻してしまいますが、自分が保つ範囲で“想像力と配慮”を巡らせる習慣&技術は、
 脱オタにおいて重要なのだと私は再確認させられました。

  やはり、脱オタというのは見た目や口先だけでなく“他者と向かい合う姿勢と想像力”
 を精錬することも重要ではないでしょうか?また、本当の意味でコミュニケーションの
 魅力を高めるには、me-ismやルサンチマンや恨み辛みに溺れるのではなく、仲間や
 コミュニケーションの相手を慈しみ敬意を払い配慮しそれを実践する為のスキル・
 資源を用意しておくことなのではないでしょうか(所謂空気を読む、とも通じますよね)
 本症例を拝見して、私はその事を改めて痛感させられた次第です。

 ※本報告は、Eさんのご厚意により、掲載させて頂きました。今後、
 Eさんの御意向によっては、予告なく変更・削除される場合があります。
 ご了承下さい。


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