【症例7:十代で脱オタを遂行した症例――脱オタというよりも、文化転向?】2006.07/23
(Gさん、男性、脱オタ開始時十代後半、現在十代後半)
前回とは対照的に、非常に若い方からの投稿があったので、今回ご報告したいと思います。Gさんは高校時代までを萌えオタ一直線に突き進みましたが、高校で出会った諸々を経て、“文化転向”し、現在に至っています。若年ということもさることながら、この“文化転向”と、脱オタとしての社会適応の変化について考えてみるのも良いかもしれません。では、早速ご覧ください。注意すべきは、
症例3さんと同様、少なくとも一時期においてクラス内カーストで比較的良いポジションを占めていたという点でしょうか。
※いつものように、以下の文章は殆ど原文ママとなっております
(アンダーラインなどはシロクマがつけてます)。文体がいつもの感じとはちょっと違いますが、ご本人さんが生で書いた文体を残すことを優先しました。
Gさん、貴重な経験談ありがとうございました。
シロクマ注:
Gさんはまだ年齢的には若く、様々な意味で可塑性の高い、そして未だ不安定でもある思春期の只中にあります。文章の様々な所から、私はその若さを感じたように思いました。Gさんは僅か三ヶ月で脱オタに成功しています。
このGさんのケースで特に印象的だった点を二点挙げてみます。
まず、Gさんが行った
“脱オタ”は、オタク趣味から音楽・ファッションへの文化的シフトを介して行われているという点、です。多くの脱オタ者がそうであるように、少なくとも脱オタ遂行時点においてはGさんはオタク文化に耽溺した日々から脱却し、オタクじゃない人とのコミュニケーションに供することの出来る(あるいはオタクじゃない人にも効果を発揮できるリソースと言い得る)文化圏にシフトしちゃっています。Gさんが心血を注いだ分野は、エロゲーなどのオタク分野に比べれば他人とのコミュニケーションに好影響を与えやすいものだと言えます。ファッションなどはその最たるものでしょう。理論上、オタク趣味に十分浸かりきりながらコミュニケーションや適応シーンを向上させることは無理ではないでしょう。しかし、
個人にとって限られた時間・お金・体力を考慮した場合、脱オタ革命を起こす時にはやはりオタク趣味よりも非オタクとのコミュニケーションを支えてくれそうな分野にエネルギーを注いだほうが効率的だと思われますし、事実Gさんはそうやっています。Gさんが高校進学時における不適応な状態から体勢を立て直すにあたって、この文化転向は十分な意味を持っていたんじゃないかと思われます。
もう一点は、Gさんのフットワークの軽さです
(おそらく若さだけでなく、中学校まではスクールカーストの中で比較的良い位置にあったことが要因でしょうけれど)。僅か三ヶ月間で、Gさんは極めて大きな文化転向を遂げて、Gさん個人の適応ポジションを大きく変えています。この素早さは、若さとエネルギー、十分な時間、運、などが無ければ到底達成出来るものではありません。若いということは、蓄積が無く移ろいやすいという不安定さを持つ一方で、まずい状態を何とか挽回するのにも向いています。これまで再三再四主張してきたように、
脱オタ者にとって若さは重要なpositive factorです。Gさんがあと十年先に同じことをやろうとしたとて、そんなに事は簡単ではなかったでしょう。ただし逆に、
Gさんの思春期はまだまだ続くでしょうから、今得られた適応上のポジションなりコミュニケーションスキルの技術力なりがいつアドバンテージを失うかわからない、とも言えます。Gさんは文化転向を通して見事なまでに適応上の問題を克服しましたが、Gさん個人の“戦い”はまだまだ続くのです。前途には、困難な状況や挫折すら待っていることでしょう。それでも、
“あの時、俺は短期間で脱オタしたんだ!”という成功体験は常に背中を押してくれるに違い有りません。ある程度成功した脱オタは、単に適応状況を変化させるだけでなく、“自分が困難な状況を克服出来た”という自信をも与えてくれます。確かに脱オタは色々大変ですし出来ない人には無理かもしれませんが、もし上手くいけば、得るものは決して少なくないと私は確信しています。
→オマケ:Gさんによって書かれた、二つのテキストを読んでみる
※本報告は、Gさんのご厚意により、掲載させて頂きました。今後、Gさんの御意向によっては、予告なく変更・削除される場合があります。ご了承下さい。