・シロクマ注:
“女性の脱オタは進学や就職を期に進む”という話は、
こういう意見をはじめ色々聞かれるわけですが、Hさんにおいても例外ではなかった、ということでしょう。それにしても、
就職活動のスーツを使って服を買いに忍び込む、というのはまた考えましたね。服が揃っていないうちには、これはなかなか上手い戦術だと思います。脱オタに使えそうな服を売っている店は、しばしば独特の空気を漂わせていることが多く、オタク然とした恰好で行くと気後れしてしまいがちですが、男性大学生の脱オタケースの際も、リクルートスーツ着たまま帰りにパルコ等に寄っていけば案外やりやすいかもしれませんね。
ファッション面に投資し、所謂脱オタを推進したHさんは、服の購入や化粧について大幅なスキル向上を達成し、積年の遅れを一気に取り戻すことに成功しました。しかし、
脱オタは常に犠牲を伴うものです。もし、オタク趣味がHさんの楽しみであり、Hさんがストレス少なく適応できる避難場所であったとしたら、それを失い、しかも労力を要する新しい場に溶け込んでいくことは相当余裕のない事だったに違いありません。
脱オタによってHさんは社会に適応していく技術を沢山身につけましたが、神経の芯まで強化したわけではありません。まだ慣れぬ仕事を、避難場所抜きでサバイブしていくのは容易ではなかった筈ですし、事実Hさんの神経は破綻を来してしまったようです。…とはいえ、女性の場合は男性以上に、服飾やら化粧やらコミュニケーションやらのスキルを就職後に強制されがち
(それも、異性と付き合うか付き合わないか以前のレベルで!)なことを思うと、Hさんは遅かれ早かれこの試練に直面したのではないか?とも考えられます。ある種、女性オタクが新しいフィールドに出るたびに脱オタしちゃうのも無理ありません。新しい社会的状況に移行するたびに、女性は否応なく“見た目や非言語コミュニケーションを厳しく問われる”のですから。
男性オタのように、「特定の大学や特定の職種を選べば大丈夫」なんて事があまり無いのが女性オタク達の背負った宿命です。開き直った女性オタクに与えられる地位が“白鳥になれない醜いアヒルの子”である事を、彼女達は痛いほど知っています。現在日本のジェンダー的様相は、彼女達を
(よくある男性オタ達のように)開き直ったオタクとして生きる事を強力に拒みがちじゃないかと私は思っています。
脱オタ
(即ち、コミュニケーションスキル/スペック強化の為の試み)する事によって得られるもの・脱オタする事によって失われるもの・脱オタしてもあまり変わらないもの・そして脱オタせざるを得ない状況。Hさんのケースは、
“ただ脱オタしてスキルとスペックさえ磨けばいいじゃないか”というほど話が単純ではない事を教えてくれていると思います。とはいえ、やはりコミュニケーションにまつわるスキルやスペックは世渡りしていくうえでどうしても必要になる場面というのはあるわけで、Hさんが手に入れたものは無意味なものでも無駄なものでもないとは思います。ただし、メンタルのエネルギー配分上限界があった事を今回の発病が警告しているとするなら、それら折角手に入れた諸技術とコミュニケーションを使う際のエネルギーバランスや、息抜きの仕方については、再考しなければならないのかもしれません。
※本報告は、Hさんのご厚意により、掲載させて頂きました。今後、Hさんの御意向によっては、予告なく変更・削除される場合があります。ご了承下さい。