・侮蔑されるようなオタクが変化しない理由
――侮蔑されるオタクになった人間の、不幸なホメオスタシス――
ここでは、被差別オタクが現状を維持・継続させてしまう原因となるような
諸ファクターについて考えてみよう。即ち、オタクが侮蔑されようがコケに
されようが現状にしがみつきざるを得なくする諸要因や、被差別オタクを
やめる事を強力に阻害する諸要因を考えてみようと思う。
「他者から侮蔑されやすいオタクをやっている」という状態は、本人にとっては
「せめて侮蔑されないようになったほうが色々と望ましい」にも関わらず
なかなか改善し得ず、悪い意味でホメオスタシスが維持されやすい。
この現状維持の要因についてそれぞれ考察を試みたい。
☆例によって、ここでも取り扱う対象はオタク趣味に携わる全員というわけ
ではない。陰口叩かれて侮蔑されるような、コミュニケーションスキルに
問題のあるオタクだけに対象を限定している。
A.オタクを掴んで離すまいとする、各企業の営業努力
世の中の流れだろうか、世間でオタクと呼ばれうる趣味範囲の中には、
かなりの市場規模に成長し、企業や同人業者がオタク達を飽きさせないように
次から次へと製品を繰り出してくる分野が存在する。ゲーム・アニメ・マンガの
複合販売戦略(メディアミックス)を代表例として、80年代や90年代前半には
考えられなかったほど様々な商品や同人が生産され流通するようになった。
少々マイナーなゲームやアニメでさえ関連商品が生産されるほどに、近頃の
オタク達を食い物とした商業活動や同人活動は活発である。2000年代に入ると
美少女ゲーム(ギャルゲー)の勢いが若干衰え、家庭用ゲームも厳しい情勢に
なってきてはいるが、それでもなお秋葉原や池袋にはオタク向け新商品が
供給され続けている。また、仮に商業ベースでは十分にグッズが出てなくても、
同人活動がそれをいくらかのレベルまで補っている。マーケット自体は縮小
傾向とて、現時点ではオタク相手の商業活動はまだまだ盛んだし、女性向け
分野が今なお堅調なのも事実だ。
人間なら誰しも、面白いことに惹きつけられるとその他の面白くない事が
おろそかになりがちである。オタク趣味とて無論例外ではない。ハマれば他が
疎かになる。快を求めて不快を避けようとする習性を人が持つ以上、これは
別段不思議なことではない。まして意志が弱く、オタク的知識集積以外には
人に誇れるような長所が無いと自己評価しているようなオタクの場合は、
オタク趣味を離れるというのは個人のアイデンティティの揺らぎに直結する
可能性が高いので尚更である(注:そうじゃないオタクもいっぱいいますよ)。
もしもアニメやマンガがもっとつまらないものであるなら、或いはゲームに
何の進化も革新も見られずに次々と新作や新機軸(例えば最近ではMMO、
古くはビジュアルノベル等)が生み出されていなければ、アニメやマンガに
固執したまま身動きがとれなくなる人間はそれほど多くは生まれないだろう。
逆に、眼前の楽しさが大きく、新奇なものが次々に生み出されるほど、オタク
趣味以外を疎かにしてでもそればかり追求する確率は高くなるだろう。
実際は、オタク関連企業はこれからオタク間でブームになりそうな商品を
提供しようと躍起であり、多くの無策なオタク達は目の前のオタクメディアや
オタク情報を追いかけ続けてこれからも走り続ける可能性が高い。
そうして、オタク趣味だけを何年にも渡って摂取し続け、他分野への投資を
怠り続けたオタクは、数年後、同年代のそうでない人達に比べてコミュニ
ケーションスキルが遙かに隔たってしまった事に気付く羽目となる。服装も
話術も何もかも、他の人は変化したのに自分は変化していないという事実に。
こうなると、今更オタクメディアと距離をとって他趣味・他の付き合いを
始めたいと思っても、コミュニケーションスキルの問題が存在するために
非常にやりにくく、結果としていつまでもオタクメディアにしがみつかざるを
得なくなる(可能性が高い)。法的には自由でも、能力の問題で社会生活上の
選択肢が大幅に制限されたオタクの誕生である。
先に触れた通り、オタク市場は様々なニッチを狙った商品を機関銃の如く
提供するものだから(同人マーケットの存在が悪しき触媒となっている)、
オタク達はわざわざ他の趣味に目を向けずとも新たな快楽を得る事は可能――
逆に言えばオタクはオタク趣味以外に目を向ける機会を奪われているとも言える
――なので、ひたすら同じ界隈でオタク趣味だけを貪り続ける事が出来る。
幾らかの不満はあれ、それでもまあ幾らかは楽しいのだ。新しい遊びや
ゲームなんかも、次々に出てはくるわけだし。そして、ぬるま湯のような
楽しみと引き替えに、オタク趣味の多くは莫大な金銭と時間を消耗していく。
それらは有限で、二度と帰ってこないものなのだが。
なかにはオタク趣味を突き進みすぎて嗜好が変化してしまったがゆえに、
非オタク趣味の世界を忘れてしまった者や、自らの社会適応力と願望の
ギャップから防衛機制的に非オタク趣味世界を考えから追い出してしまった
強者も見受けられる。それらは極端な例としても、成長盛りの思春期に単一の
pleasureだけをひたすら貪り続けた場合、他の愉しみに目を向ける能力や
意志は自然と退化してしまうと推定される。いや、他の愉しみに目を向ける
意志は失わなくとも、能力は確実に失うだろう。
勿論、オタクメディアの販売者達は、非オタク趣味への移行が次第に困難に
なっていく危険性などいちいち教えてはくれない。むしろ、ブロッコリーなり
アリスソフトなりにとっては、オタク世界の愉しみしか享受できないような客が
どんどん増えたほうがありがたいわけで、むしろそちらの方向の営業努力は
あって然るべきだろう(当然、新しいブロイラーの捕獲にも彼らは熱心だ)。
このため、侮蔑されるようなオタク達は、現状維持に危機感を覚える機会という
ものを(オタク界隈に住んでいる限り)なかなか与えられにくいし、企業の側は
むしろ問題意識をそれとなくマスクしているか茶化しているように見受けられる。
さすがにクリスマスやバレンタインの時は被差別オタク達も多かれ少なかれ
危機感を抱くようだが、しかし普段はたくさんの新製品に溺れていて危機感は
麻痺しがちのようだ。
ゆえに、未来の見える少数のオタク以外は、与えられる餌をただひたすら
摂取し、これからもずっとオタク企業にお金を払い続けるブロイラーに成長
しやすいのではないか?実際、商品に群がる年老いたオタク達を我々は
秋葉原で沢山見る事が出来るが、彼らの服飾や会話を観察する限り、
そのコミュニケーションスキルはオタク界隈以外で人間関係を構築していく
には不十分と思われる。彼らがオタク界隈の外とのコンタクトを諦めているか、
興味を失っていることが推定される。
このようなオタクメディアの商業主義的に真っ当な営為は、(企業の商業活動の
常として)消費者をなかなか手放さない意図があると思われる。当然のことながら、
その傾向は消費者たるオタクを還らずの悪循環へと誘う傾向を持っており、
侮蔑されるオタクを最早同じ世界でしか生きられない人間にしてしまう要因の
ひとつとして勘定しなければならないものだと考えられる。
‥‥ちなみに、妹やインターネットがもたらす沢山のオタク情報を眺めている
限りでは、オタクメディアも玉石混淆(石多し)の模様で、なかには安いオタクや
妙な収集癖のあるオタク・壊れたオタクぐらいしか引っかからないような
どうにもならない作品も沢山あるようだ。それでも表紙だけを見て富士見
ファンタジア文庫を購入してしまうようなオタク達は案外世の中に沢山いて、
(制作費を抑えまくった)いい加減なものを売りつけてもそこそこ商売に
なっているのかもしれない。もちろんそんなことのないオタクのほうが割合
としては遙かに多いだろうが、とんでもない御仁も混じっているようである。
彼らには、どのような未来が待っているのだろうか?
B.パーソナリティの問題
いったん侮蔑的なニュアンスでオタクと呼ばれてしまう立場に立たされた時、
さてどうするのか。そこからはい上がるのか。それとも現状に満足するのか。
不満足で、はい上がろうと思いながらも行動に移せないままに諦めていくのか。
或いは外部の評価や接触は度外視して、我が道を突き進んでいくのか。
いったん侮蔑的に評価されるようなオタクになってしまった後、どういう態度で
今後の自分に臨むのかは全く本人の問題であり、性格傾向や行動上の特性に
よって様々な態度決定が想定される。被差別オタクの立場を獲得してしまうと、
そこからはい上がる事は齢を重ねれば重ねるほど難しいだろうが、仮に若い
オタクであったとて、蔑まれやすい状況を挽回するのは大変な難作業であり、
実際に脱出するには強い願望と意志を持ち合わせていなければならないだろう。
深く生ぬるいオタク井戸から脱出ロケットを打ち上げるには、強い推進力を
長期間必要とすることだろう。恥をかきまくる・金銭的時間的投資を強いられる
等々を考慮すると、強い動機と長続きする意志を得ない限り、侮蔑される
オタクをやめて異なった立場に移行することは難しい。仮に、侮蔑されやすさを
改善して恋愛を始めたいとかそういう動機があろうとも、意志薄弱の者が
初心を貫徹するのは極めて難しいだろうし、オタクの中には自分自身のコミュニ
ケーションスキルに劣等感を持っていたり、実際問題として児童期の段階から
相当コミュニケーションが下手だったがゆえにオタクとならざるを得なかった
一群も存在しており、このような背景を持っているオタクは性格や性能が災い
してなかなか自己改造しづらいことだろう。→こちらも参照
特に、コミュニケーションが下手なので仕方なく侮蔑されるオタクに甘んじている
パッシブな被差別オタクの場合、コミュニケーションが出来ないから仕方なく
オタク界隈に流れ込んできたわけで、このような逃避型のパーソナリティと
コーピングの持ち主がコミュニケーションスキルを能動的に改善させることは
殆ど期待できない。このような、現在の性格傾向が被差別オタクとしての
ホメオスタシス維持に強い影響を与えている例は枚挙にいとまが無く、2chの
あちこちの板でもそれらしいコメントを目撃することができる。
なお、オタク脱出に望ましいと思われる性格は、「辛くても諦めないタフさ・
上昇志向」などであろうか。これが強い動機と結びついて始めて、オタク重力を
脱する推進力を強く長く維持する事が出来る。後述するが、歳を取れば取るほど
コミュニケーションスキルの差は大きくなり、長年自分をbrush upしなかった
自分自身に対する自信も失っていくのだから、歳を取るほど以上のような
性格傾向が強く要求される事だろう※1。
逆に、オタク脱出を阻む性格要素としては、「諦めやすく楽なほうに流され
やすい・劣等感が強く引っ込み思案・自己中心的で傷つきやすい人・向上心が
無い・自分に対する言い訳大好き人間」などだろうか?これらはいずれも改善
や変革には不向きな傾向ばかりだが、よくよく考えると、オタクか否かを抜きに
して人間としてもかなり駄目っぽい傾向ばかりである。このようなパーソナリティ
上の特徴を有している場合、トライアルから脱落しやすいか、そもそも挑戦せず
諦める可能性が高そうだ。また一部のプライドが高くて幾らか言語性IQも高い
ようなオタクのなかには、プライドゆえにオタクの外の世界に飛び出して恥を
かくのがイヤで、しかも言語性IQの高さゆえに上手く言い訳をして恥への恐れ
を否定※2し、現状を打開しないタイプも含まれている。
加えて、現状に満足しやすい性格特性も、被差別オタクからの脱出を阻む事が
あるかもしれない。たといコミュニケーションスキルを確保する手段と潜在力を
持っていても、現状(非オタクコミュニティからの手厳しい視線にさらされている
現状、である)に大きな不満がなければコミュニケーションスキルをわざわざ
改善しようとは誰も思わない。これでは動機が発生しづらい、というわけである。
いずれにせよ被差別オタク脱出(必ずしもオタク趣味の放棄とイコールでない
点に注意)というのはコミュニケーションスキルにおける大きな劣勢を挽回する
事とほぼ同義なので、ある程度の能力や決意がなければダメであろう。
劣勢挽回に要求される努力や能力の要求水準は比較的高いことが予想され、
コミュニケーションスキルの遅れの度合いがひどいほど、さらに要求水準が
高くなることだろう。まだ思春期に入って間もない遅れが少ないうちに決心した
なら性格に少々難があっても何とかなりそうな気がする一方、現在20代も
半ばにさしかかり、既に諦念の域に達していて且つ小汚いオタク達は、
おそらくまだ若い時期に自己改革する意志と能力(もしくはそのどちらか)を
得る機会が欠如していたため、抜け出す事が極めて困難な重力の井戸に
落ちてしまっていると推測する。もし、18歳頃から何とかしたいと願いながら
結局何とも出来なかったオタクは、その当時の性格・根性・能力・環境などを
考慮すると、おそらく20代も半ばにさしかかった今、なおさら挽回が困難な状況
にあると考えて間違いないと考えられる。
具体的脱出方法については改善法の項を参考にしてほしいが、いったん
侮蔑されやすいオタク認定をされやすくなった後では、結局の所、どういう
性格をしていたとしても状態を変えていくのは相当しんどいことだろう(というか
ホントにしんどいです。苦しいよ!)。ひきこもりの一歩手前ぐらい、変えていく
のが大変なんではないだろうか。なお、周囲を気にする性格もあったほうが、
どれほど自分が惨めに馬鹿にされているのかはっきりしていい教訓になると
考える人もいるが、逆に自意識過剰のあまり身動きがとれなくなってヒッキー
一直線の人もいるのでプラスに働くとは一概には言い難い。
どうあれ、いったん侮蔑されるオタクとなってしまった時、それを改善したい
と思うなら意志や決意を維持できる性格が多かれ少なかれ要請され、そんな
性格が無い場合は侮蔑されるオタクを続けてしまう可能性が高いと思われる。
本人が望んでいようが望んでいまいが、である。特に性格的問題が酷い場合
は、性格自体が侮蔑されるオタクを続ける主要な原動力となっていることだろう。
そして、性格が大きなファクターを占めるケースの場合、性格がどうこうならない
限りは改善は期しがたい。性格をどうこうする事の難しさは…いや、もう言うまい。
C.何とかしなければならないという動機に乏しい環境
どんなオタクだって、損得ぐらいは考えようとする人間である。侮蔑される
ようなオタクをやめたいと思うようなメリット・動機がなければ、わざわざオタク
コミュニティという名の狭くて暖かいビニールハウスから出ようとは思うまい。
侮蔑されやすいオタクをやめたいという動機を得る確率が低い者は、実際に
侮蔑されやすいオタクをやめようと行動する確率も下がるはずだから、オタクの
ままでいる可能性が高いだろう。
例えば口うるさく「もうちょっとその格好何とかしろよ」と言ってくれる仲間が
いるかどうか。或いは侮蔑される機会の多寡、など。もしも誰も何も言わない、
或いは言ってくれない環境にそのオタクがいるならば、問題意識を持つ可能性
は低いだろう。(皆が匙を投げた可能性も含めて)誰も何も言ってくれない
状況は、動機を得ることが難しい状態と言える。まずいという自覚を強化される
機会が、これではなかなか得られない。
或いは、何らかの理由で格好や話法を気にしなければならない地位・職業に
就いているかどうかも機会の多寡に影響しそうだ。例えば接客業や営業職に
就いていれば、自分のコミュニケーション能力は仕事の業績に直接影響する
だろうから、そちらの方向から動機を得る可能性が期待できる。
場合によっては、限定的ながらコミュニケーションスキルそのものを職種から
得る事も出来るかもしれない。この点、機械と向き合うだけの職業とか、0と1
だけを相手にするような某業種などは、コミュニケーション能力が直接は
業績に影響しにくく、何とかしようという動機を得る機会は相対的に低い。
さらに、恋愛という劇薬を飲んで、死に物狂いで侮蔑されないようになろうと
藻掻く確率は……異性との接触確率の高低によって規定されることだろう。
このため、そのオタクが暮らしている環境で異性との出会いがどれぐらいある
のかも、考慮する価値があると思われる。異性に好かれたいという願望に
よってファッションなどに気を向けるという現象はむしろ女性に多いとされて
いるが、男性にだってかなりの度合いで影響する。例えば、寝癖頭で風呂にも
入らずに初デートに出かけるなんて、殆どの男にとって悪夢のような状況だし、
コミュニケーション上の諸問題から好きな異性に何のアプローチも出来ない
ような事態は是が非でも避けたいに違いない。今日日の女性は、男性の
見た目や服飾などについて、かなりの注意と要求を行ってくるのだから。
こんな風に、恋愛が脱キショオタの動機になるとしても、動機を得られるか
どうかは環境因によってかなり規定される。出会いの多寡は、所属サークル、
大学の学部や男女比、地域、バイトなどの外のつながりがあるか否か、性格、
運、などによって左右されることだろう。
これらの要因を鑑みると、高校理系・オタク系の部活か帰宅部→理系大学・
オタク系の趣味とバイト→プログラマや工場従業員・研究者 などといった
生活歴を持っている者にオタクが多いのは全くもって当然のことのように思える。
このような履歴の持ち主は、全員がそうでは無いにしても、コミュニケーション
スキルをどうしても発達させなければならないような動機付けがなかなか
得られない環境に暮らしている確率が高そうだし、実際に彼らの多くは
コミュニケーションスキルをそれほど発達させていない場合が多いように見える。
そのような生活歴の持ち主は、突然訪れた恋愛などに狼狽させられるその日
までは、勉強や仕事や趣味だけを追いかけてしまう確率が高いように思われる。
最後に敢えて付け加えておくが、動機を得る確率の高低について限定して
ここでは話しているのであって、、動機が成功に至る確率の高低などについて
は触れていない。いくら動機がたくさんあっても、他の要素(性格他)に問題が
あれば、いつになっても上手くいかないだろう。それについては他項目を
じっくり参照して頂きたい。
D.年齢
当然の事だが、高ければ高いほどまずい。年齢が高いほど脳の可塑性や
学習効果・新規の環境への適応力は下がるし、これまでの習慣を是正しよう
にもすっかり身についてしまっているので新しい事をはじめるまでの努力が
いやますというものである。
18〜25歳までを孤独なアニメオタクとして過ごし、25〜35歳まで嫌悪され
まくるタイプの美少女ゲームオタクとして過ごしてきた中年オタクは、一体
どうやってファッションや人並みの話術やマナーを身につけるというのか?
どうやって実物の他コミュニティの人々との話し方を学ぶのか?さすがに
そこまで逝ってしまっている人は、非常に難しいことだろう。加えて、年齢が
重なると変化を嫌ってこれまでと同じ事を志向する傾向が強くなる。早い話が
保守的になるわけで、自己改革に対する意志を喪い、現状を維持したがる
堅物へと変化していく傾向にある(歳をくっても柔軟性と可塑性の高いような
人物は、そもそも侮蔑されるようなオタクに固着しにくい)。
しかし13〜15歳までどっぷりと『ギャラクシーエンジェル』なり『FF11』なりに
耽溺していただけの若さなら、まだこれを何とかできる可能性があるかもしれ
ない。若いほど周囲の同年代とのコミュニケーションスキルの格差がまだ小さい
と思われ、また失敗する事で蒙る恥のダメージも小さくて済むからである。
順応性も、まだ高い。
実際の所、十代で女の子と喋れない男の子なんて幾らでもいるし、そういった
彼らも色々な方法でバーバル/ノンバーバルなコミュニケーションの技量と
経験を重ねていくチャンスはまだまだ前途に転がっている。子供は無限とまで
いかなくても相当のの可能性を持っているのだ。しかし三十代になっても未だ
モゴモゴとしか口を利けないオタクの場合、これはもうどうしたらいいのか分から
ない。まして、硬くなった性格傾向を変えようなどと思うことは三十代以降には
殆ど夢物語である。精神科を受診したって駄目だ。精神科は病気を治す治療を
行う所であって、性格を治す魔法をかける場所ではない。ずっと長いこと小汚い
オタクを続けてきた人がそれを改善させる場合、年齢やこれまでの積み重ねが
大きな足枷となるだろう。
E.経済的時間的ハンディによる影響
例えば見た目に関する限り、小汚いオタクをやめられない要因はファッション・
衛生技術に時間的・金銭的投資が為されていないことが直接要因となってくる。
また、見た目に限らず、その他のコミュニケーションスキルの獲得に関しても、
それなりの時間的・金銭的(そして精神的)投資が必要なのは言うまでもない。
これらの時間的・金銭的ソースの確保が脱侮蔑オタクには必須であることを
考えれば、経済的・時間的事情の明暗もまた、オタク脱出の難しさを規定する
重要な一因子として着目せざるを得ない。オタクの生活というのは、求道者的
オタク以外でも趣味に資金を投入する事が多く、衣食住に対する資本投下を
惜しむ傾向にある。もちろん衣食住にも資本投下するオタクも存在するが、
彼らは資金が潤沢であったり、衣服やファッションに投資する事の様々なメリット
を期待しているような少数派であり、そもそもこのページで問題になるような
コミュニケーションスキルの問題を抱えたオタクではない可能性が高い。
多くのオタク達の衣食住に対する根本的な資本投下の少なさは、多かれ
少なかれオタクから足を洗う際に障害となるだろう。オタクコミュニティだけの
生活をやめて外の世界の人との交流を取り入れていく事は、精神的・物質的
エネルギーを消耗する事業である。気合いで何とか出来る人や能力の高さで
何とかする人もいるだろうが、金銭的/時間的コストを割く事でこれらの
苦労を減じたり、成功確率を高めたりすることは期待できる。
例えば、やっとの思いで非オタク分野との交流を深める機会を得たオタクが
いたとして‥‥いつもの秋葉原ファッションで出かけるのか、それとも
ある程度マシな身なりで出かけるのか‥‥これは些細な差かもしれないが、
しかしそこに厳然とした差が存在するのも事実である。オタクを脱出するのに
かけるコストの多寡は当然トライアルの成功率にも関わってくるだろうし、
動機を得られるかどうかにも関わってくるだろう。そういう意味で、経済的
状況や時間的余裕はオタクの予後に相当関係していると思われる。
やんぬるかな、世の中には資金的にどうしようもないために侮蔑されるような
オタクの地位から離れられないような気の毒な人も幾らか存在する筈である。
しかし、世の中は厳しく無慈悲なので、そのようなオタクを助けてくれる機関など
存在しない。また、時間的余裕が無ければ違った事を始めるチャンスなど掴め
よう筈もないので、仕事が極端に忙しいなどの時間的に厳しい状況下では、
一度汚いオタクになったとてそれを改善させる事は大変難しいと考えられる。
F.現代の(或いは現代人間社会全般の)文化的特徴
さて、これは被差別オタク個人のホメオスタシスに影響するものとして扱って
良いものなのだろうか?オタク文化全体を切り取って、その島宇宙の特徴を
捉えるには各種オタク文化論を引用するのが手っ取り早そうに思える(少なく
とも、現代思想だの社会学だのを意識したその文章には興味がある)。
侮蔑されるようなオタクが属している文化的側面・文化的特徴が、彼らの
脱オタクを大いに阻害している可能性は十分に考えられる。或いは、現代
そのものの文化的特徴や社会病理の影響によって被侮蔑オタクがなかなか
他の住処に移行できないという可能性も常に考慮されるべきだろう。
しかし、「じゃあシロクマよ、どんな影響があるっていうんだ?あん?」と
問われると、悲しいかな、これに上手く答えることが出来ない。私の勉強と
脳味噌がそこまでついていかないからだ。残念ながら、オタク文化論を援用
したうえで侮蔑されるオタク達をアナライズするには日が浅い(or能力が足り
ないか向いていない)。このサイトの眼目である個々のオタクのコミュニケー
ションスキル・ソーシャルスキルという視点を離れ、文化的視点・現代哲学的
視点から被差別オタクという文化集団を切り取ってみても、何か面白い特徴が
捉えられるような気がする。少なくとも、これまで読んだオタク文化論を思い
出す限りそういう予感がする。だが、彼らの論はオタク文化全般を俯瞰した
ものが中心であって、コミュニケーションスキルの乏しいオタクに関して問題
提起しているものはまだみたことがない(今後出会えるかもしれない)。
また、個々の論者によってかなり食い違いがあったり、オタクという言葉に込めた
定義にも相当の違いがあったりするため、それらを統合してこのサイトで
問題としているようなオタクに援用するには相当の研究が必要と思われる。
この、現代の文化的特徴に関した問題は、今の私では残念ながら何も書く
自信が無い。何らかの収穫がありそうには思える、だが、このサイトの視点に
取り込むにはかなりのコストがかかりそうだ。もし機会があって可能ならば、
いずれ考えを自分なりにまとめてみたいのだが。しかし、(現代思想一般の
性質上仕方なさそうだが)この手の巨視的な説明は被差別オタクを説明する
こと・解釈することはできるかもしれない一方で、個々の被差別オタクが差別
脱出に動くための処方箋を提供してくれるかどうかにはやや疑問が残る。とは
いえ、無視するわけにもいかないので、もし可能ならばこの章で取り扱って
いかなければならない。
以上、侮蔑されるようなオタクがオタクをやめられずに同じ定常状態を
続けている原因について考えてみた。オタクを続けてしまう理由には、年齢や
性格、経済的時間的制約などの本人の要因と、オタクメディアの持つ要因、
そしておそらくは現代という時代が持っている諸要因といった問題が複数に
絡み合っているものと推測される。ここで書いた事の多くは当たり前の事で、
全く新奇さが無い。わざわざ指摘するだけ時間の無駄というかもしれないが、
しかしここで原因についてまとめておく事は、これから治療方法を検討するに
あたって有用と考えてここでまとめる事とした。
★今後、重要な要因として挙げられるものがあれば追加していく予定です。
また、気が向いたら加筆修正なども行っていきます。
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