・おまけ
(オタクに対する負のステロタイプさえ何とかなれば、自分はキモくなくなって、
同性や異性にも認めて貰えると思っている他力本願なオタク達へのメッセージ)
以下の文章は、このテキストがある程度の妥当性を持った推測だという
前提で書いたメッセージだ。このテキストは妥当性を持っていないという
考えの人は、読んでも全く意味がない代物だ。もし、オタクバッシングが
プチ萌え化の広がりを通して何とかなると考えている人にはな、以下に
書かれたメッセージは全くのお門違いということになる。
(以下、おまけメッセージ)
ああ、やっぱりこうなっちゃった。
『プチ萌え化』って言葉はいい響きだけど、突き詰めてに考えていくと、侮蔑
されるオタクがプチ萌え化(一般化)するわけじゃないんですよね。電車男が
平積みにされようが宮崎駿が海外で賞をとろうが、平積みされるのも賞を
取るのもオタク達じゃなくてコンテンツですよね、スポットライト浴びるのも
女の子に手にとっても貰えるのも、コンテンツなんですよね。
「あんたのその格好、なんとかならない」とか
「はっきり言って、お前キモいんだよね」とか
「漫画とかアニメとかゲームとかなら詳しいんだよ、こいつ」とか
そういう言葉をかけられているオタクさん達や、そういう言葉をかけられて
コンプレックスを持ってしまったオタクさん達には、一般ウケしそうな
オタクコンテンツがどれだけ一般ウケしたかなんて大して関係ないんですよね。
賞を貰った瞬間に、あなたの(或いは私の)好きなゲームや漫画が急に面白く
なるわけじゃないし、メディアが紹介したから電車男が急に面白くなったわけ
でもないし。綺麗なタレントさんがあなたの好きなゲームを紹介したからって、
あなたに恋人が出来たり恋愛スキルが上がったりするわけでもないし。
エヴァンゲリオンを知識人が云々したからって、エヴァファンが偉くなる
わけでもないし。
結局、オタクコンテンツが次から次へと日の当たる所に出ていったって、
個人個人のオタクが、特に侮蔑されるようなオタクが全員日の当たる所に
いけるわけじゃないんでしょ?侮蔑されるようなオタクは、オタクコンテンツ
がどーなろうが侮蔑されるし、侮蔑されないオタクは侮蔑されないんですよ。
何か差別的な扱いを感じている人は、オタクコンテンツがプチ萌え化していく
という事態にあぐらをかいて安住してるわけにはいかないでしょう――もしも
自分自身に対する侮蔑や差別、言われなき侮辱を回避したいと願うなら。
本来、オタクコンテンツの評価とともにオタクコンテンツのヘビーコンシューマ
たるあなたがたの識見も評価されていいのかもしれませんよ、ええ、ええ。
ですが、現実はそうじゃないらしいのです。オタクコンテンツが世界に
羽ばたこうがどうしようが、そんな事は個々のオタクに対する差別撤廃や
地位向上、識見の評価にはあんまり関係ないんですよ。せいぜい、その
オタクコンテンツを評価したと自称する、テレビの中の有名な人に
油揚げを持っていかれるのが関の山ですって。
私はこのサイトのnerd studyで、侮蔑されるようなタイプのオタクが
どうすれば侮蔑されないようになるのかを考えてきました。否、サイトを
立ち上げるよりずっと前から――中学生の時に「お前はオタクなんだよ!
キモい!近寄るな!」ってクラスの女子に言われて以来――ずっと考え続けて
きました。しかし、私が考えついて実行した方法は、副作用の強い、しかも
自己努力の継続が求められるものばかりでした。オタク趣味の隠蔽、半ば
強制的な非オタクコミュニティとの接触、オタク趣味に費やす時間もお金も
犠牲にしてのファッションや非オタク趣味の吸収、等々です。もちろん、こう
いったプロセスを経る事によって自分のオタク趣味の相対化を図ったり、
社会の中で自分のオタク趣味が占める立ち位置を理解したりすることは
できました。ですが、これらを実行して「脱キモオタ」しつつある私は、既に
オタクコンテンツのヘビーコンシューマではありません。私はシューティング
ゲームオタクでしたが、最早オタクを名乗るだけの技術も知識も持ち合わせて
いませんし、満足にゲームセンターに通うことも出来ない半端物のオタク
なのです。なぜなら、シューティングゲーム以外にも様々のことをしなければ、
私の現在の社会性や非オタクコミュニティとの疎通は維持されないからです。
もし、ここに書かれた方法をあなたが実行しようと思ったら、“オタク趣味の
削減”も含めた様々な対価を要求されることでしょう。それは辛くて苦しい
プロセスでしょう。しかも、確実に成功するという保障はどこにもないのです!
症例1さんや症例2さんは、幸運にも運、能力、運、努力、根性、性格、運、
運、などが揃っていたが為に(オタクとしてどうかはともかく)望んだ変化を
手に入れることが出来ましたが、全ての人に彼らのような素養と運がある
のか、疑問は残ります。ですから、オタク達みんなの被差別が削減される
ような方法論をきくと、私は耳をそばだててしまいます。…ですが、今回も
そうはいかなかったようです。結局、自力でコミュニケーションスキルを
どうこうするしかないんでしょうかね。
コミュニケーションスキルを向上させようとする試みは、凄まじい労力と
運と、おそらくは素養を要求されるんじゃないかと思います。実際、私の
サイトで書いたオタクの適応技術研究は、全ての被差別オタクに適用出来る
代物ではなく、コミュニケーションスキル向上の意志と可能性がある人を
対象にしたものに過ぎません。ましてや、個々のオタクではなく、オタク達全体
に対するステロタイプを訂正するものでは全くありません。今回の「プチ萌え化
する〜」でも再確認したのですが、メディアや偉い人やらの言及を待った所で、
オタク全体に対する負のステロタイプは多分変化しなさそうです。一方、多くの
オタク達自身が負のステロタイプを打破しようと頑張ってきましたが、その手の
試みは全て失敗に終わってきました。おそらく、これからも当面はこの傾向は
変わらないでしょう。一部のオタクコンテンツが評価されようがされまいが、
キモいものはキモい、コミュニケーションスキルが低いものは低いと一蹴される
だけです。キモいか否かの評価は、あなたがオタクとして高い趣味人か否かや、
プチ萌え化したオタクコンテンツを採用しているか否かではない所で為されて
いるようです。宮崎某以降つきまとってきた、オタクの負のステロタイプに
どれだけ近いかや、どれだけコミュニケーションスキルが低いかによって
キモいか否か・偏見の対象になるか否かが決定されるのです。
もっと突き詰めて言ってしまえば、オタク趣味愛好家に対する偏見がある日
突然なくなってしまったとしても、あなたと周囲の関係を巡る事態はそう
変わらないと思われるのです。あなたが“俯き加減でボソボソとしか話せず、
自分の趣味のことしか話せず、臭くて汚い格好で猫背”だったら、オタクか
否かとは無関係に差別されたりバカにされたりするリスクを背負ってしまう
でしょう。オタクじゃない人にもいるじゃないですか、異性からも同性からも
軽んじられる人って。あれと同じです。オタクとしての差別を受けなくなった
とて、コミュニケーション下手なままではキモいという評価は変わりません。
のざわ氏は、秋葉原でキモいオタクに沢山会ったと話しています。しかしもし、
のざわ氏が秋葉原ではなく代官山で全く同じ人達に出会ったとしても、やはり
「あの人キモいなぁ」と思ったことでしょう。オタクという記号が存在して
「キモオタ」と見なされた人からオタクという記号を除去してみたとて、
キモさは殆ど除去されません。キモいものはオタクだろうが何だろうがキモい
のです。結局、依然としてそこには「キモい人」が残ることでしょう。
逆に、キモくさえなければ、オタク趣味に傾倒していたとて「キモオタ」ではなく
「キモくないオタ」ができあがるだけです。キモくないオタは、オタクの負の
ステロタイプがどうあれ、キモいと言われて叩かれはしないでしょう。
「あの人オタク趣味だけどキモくないよね」で留まってしまいます。
ぶっちゃけ、オタクの負のステロタイプがこれからどうであろうと、あなたや
私個人の対人交流には大した影響は与えないと思います。ましてや、プチ萌え化
する日本なんて尚更です。ある一人のオタクが差別を受けるかは、その人が
どうであるかに準拠するのであって、オタクのステロタイプがどうだとか
オタクコンテンツの評価がどうだとかではないのです。オタク文化論でどんな
論評が行われているのかでもないのです。今、その場にいるあなたがキモい
か否か(即ち、コミュニケーションの相手としてどうであるか)が問われるのです。
オタクコンテンツの一般化に、自分自身の一般化を夢見てはいけません。
そんなの白昼夢です。もしあなたがキモオタ扱いされる可能性があるなら、
明るいスポットライトを浴びるべく変化しなければならないのはあなた自身で
あって、オタクコンテンツではありません。あなたが恋する妹はせつなくて
お兄ちゃんを想うとすぐHしちゃうののをやっているかどうかと、キモいと言われる
か否かは直接関係してないんです(いや、異性の前でこんなゲームやってます
なんて言ったら完全にアウトですけどね。誰の前で何をしゃべっていいのかを
判断する力も、コミュニケーションスキルと言えるでしょう)。オタクコンテンツの
ヘビーコンシューマか否かはさておき、あなた自身のコミュニケーションスキル
や社会性が周囲に受け入れられるものに変貌しなければ、あなた個人への
キモい/キモくないという評価は結局変わりません。その事から目をそらして
オタク論ばかりを玩んでいても、あなた個人への評価が変化しないという
事だけは、忘れないでいて欲しいものです。
こんな事を書いたのは、一部の人には噴飯ものかもしれません。なぜなら、
キモオタと言われていたりコンプレックスを持っていたりするオタクさんの
多くは、あるいはこんな事を薄々知っているんじゃないかとも思うからです。
目を逸らしたい現実や、どうにもならないから現実から逃げ回る為にオタク論を
振り回しているオタクだっているかもしれません…そんな人達にとって、こんな
現実を突きつけるよりは、「プチ萌え化とともに、段々俺達の状況だって楽に
なってくるさ」という理想を呈示したほうが、有用なのかもしれません(モルヒネ
としての有用性ですが)。しかし、実際はモルヒネばかりを求めるオタクさんばかり
でない事を私は知っています。辛くても実際の事情を踏まえたうえで、脱キモオタ
を試みる人も沢山いますし、キモオタと呼ばれることを忖度せずに自分の道を
歩み続ける求道者も沢山います。その人達にとって、私の文章が少しでも
役に立つか、お邪魔にならなければ幸いです。役に立たなかったり邪魔
だったら...ごめんなさいです。もちろん削除はしませんが、ごめんは言わせて
もらいます。
今、差別されているのも評価されているのも、オタクやオタクコンテンツでは
ありません。あなたなのです。キモいか否かを決定づける際、オタクという
記号はグリコのおまけ程度の意味しか持ちません。オタクだから差別されている
のではありません。あなたがキモい時(=コミュニケーションの相手として不適当・
対等ではないと判断されている時)に差別される可能性が発生するのです。
差別や評価が不当かどうかなんて、その際には全く考慮されません。人間は
こういう所はシビアな動物で、そのシビアな動物で世間は構成されています。
それでも、生きていかざるを得ないのでしょうし、自分の出来る範囲で自分の
出来ることをやっていくしかないと私は思います。個人個人のコミュニケーション
スキルがどれだけ改善できるものなのかや、そのコストはどれぐらいなのかは
まちまちでしょうし、到達できるコミュニケーションスキルの度合いにも
個人差があるでしょう。ですが自分に出来ることをやる他には、誰も助けては
くれません。メディアもオタクコンテンツも個々のオタク達を引き揚げて
くれない以上、自分で考えて、自分で見つめて、自分で何かを為すしかないと
私は考えています。これからも、そう考え続けるでしょう。たとい、私自身が
決定して選択出来ることがごく限られた、失敗確率に富んだ、周囲の環境に
影響されがちな事であったとしても、です。
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