まだ早い
(迷ってしまった……)
◇ ◇ ◇
どれくらい歩いただろう。いちいち思い出すのも億劫なくらい歩いた頃、ようやく変化が現れた。周囲の景色は相変わらずだったが、前方から人の声が聞こえてきた。どうやら言い争いをしているらしい。私は気配を殺して近付くことにした。
◇ ◇ ◇
「あの技は、自分も吹っ飛ばされるのが難点なのだ」
私は心の中で一人ごちた。もしかしたら口に出してしまっていたかも知れないが、辺りに人影はない。どちらでも大差ないだろう。
私の両側を、鬱蒼と茂る森が埋め尽くしている。後ろには今まで私が辿ってきた道があるし、前にはこれから私が辿るであろう道はある。しかしそれらが私の望む場所へと続いている保証はどこにもない。
それ以前に、私は一体どこを目指しているのだろう? 組織を離れ、故郷を離れ、今の私には寄る辺など一つもない。野垂れ死のうにも、己の不死が恨めしい。
考えると気が滅入ってくるから、仕方なく私は歩く。体を動かしていれば、少なくとも何も考えずに済む。
「いいから金目のものを出せっつってんだよ!」
「そんな要求、力一杯願い下げなのだ」
物取り、だろうか。髭面の男が一人の少女の胸ぐらを掴んでいる。少女は、年の頃なら十代前半だろうか、随分と小柄で、掴まれているせいで両足は地面についていない。それでも一向にたじろぐ気配はなく、強い調子で言い返している。
「まったく、久しぶりに下界に降りてみれば、とんだ阿呆に出くわしてしまったのだ」
「こん餓鬼──」
男は空いた方の手で小刀を振りかぶった。私は一直線に飛び出し、男を斬って捨てた。
「大丈夫ですか?」
「……」少女は、私と倒れている男を交互に見比べて、言った。「殺したのか?」
少女の言う通り、男はすでに事切れていた。おそらく即死だろう。
「この男は、あなたを殺そうとしていました」
私が言うと、少女は不服そうに首をすくめた。妙に達観した態度だ。死体を見ても驚いたり怯えたりしないし、人殺しである私に対してもそう。だいたい、なぜこんな少女がこんな人気のない場所に一人でいるのだろう?
「不死者」
私は呟き、なるほど合点がいった。この少女もまた不死者なのだろう。であれば、外見年齢は必ずしも実際のそれと比例しない。しかし猫のような大きな耳をつけているのは、それとは関係ないだろう。
「ほんとはこんなんになりたくなかったのだ。しかし色々と事情は込み入っていてだな、一筋縄はあざなえる縄の如しなのだ」
よく判らない格言めいたことを言って、少女は衣服に付いた埃をぱんぱんとはたいた。それから地面に落ちていた杖らしきものを拾い上げる。
「とまれ、助けてくれたことには礼を言うのだ。サンキューなのだ」
「礼を言うのは早いですよ」
私は先刻から周囲に満ち満ちている殺気にため息をついた。おそらく彼らも足下に転がる男と同様、不死者ではないのだろう。不死者にあらざるものが不死者にかなうはずなどないのに。
私が得物に手をかけようとすると、少女が制止した。
「まあ、ここは私に任せるのだ」
そう言って、先程拾い上げた杖──自分の身長よりも長い──を立てて、何事か呟き始めた。
「てめぇ! よくも仲間をやってくれたな!」
男達は、たぶん十人は下らなかった。それぞれに短剣を構え、なだれ込んできた。
と、少女が杖から手を離す。けれども杖は倒れない。それどころか微かに浮き上がり、光さえも放ち始める。
「!」
気配を察して、私はとっさに地面へ伏せた。その私の頭上を激しい爆風が通り過ぎていく。
爆風が収まると、私はそっと立ち上がった。男達は一人残らず吹き飛ばされていたが、時折呻き声が聞こえるから、息はあるのだろう。
しかし少女の姿が見あたらない。注意深く茂みを覗き込むと、土中に頭から突き刺さっている少女を発見した。引っぱり出すと、少女は口の中に入った土をぺっぺっと吐き出した。
「あいつらが起きてきたら面倒なのだ。とにかくこの場を離れるのだ」
約一名、永遠に起きあがらない者はいるが。
別に聞きたそうな顔をしていたつもりはないが、少女は勝手に語りだした。
「しかしまあ、五月蠅い連中を黙らせるのには重宝するのだ」
少女の持つ杖は、不死者だけが持つという特殊な武具なのだろう。そのような力を持つ武具の話は、どこかで聞いたことがある。
「……ところで」一通り勝手に喋ってから、少女はそう切り出した。「おまえ、これからどこへ行くつもりなのだ?」
問われたからには答えねばならぬ。私は答えを考えようとしたが、やはり気が滅入ってきた。
「……わからない」
何かすべきことがあるような気はする。しかしそれが何なのかは皆目見当がつかない。
私が言うと、少女はコホンとわざとらしい咳払いをして見せた。
「うむ、ならば助けてくれた礼に、あたしが導きを与えてやるのだ」
「導き?」
聞き返す私などお構いなしに、少女は再び杖を地面に突き立てた。何事か呟きながら、手を離す。また爆発かと身構えたが、そんなことはなく、杖は重力に従い、パタンと倒れた。倒れた先を見つめ、少女は一人うなずいている。
「答えが出たぞ。あちらの方向なのだ」
と、杖が倒れた先を力強く指差した。空は白み始めていたが、そちらに何かがあるようには見えない。
胡乱なものを見る目で少女を眺める。と、少女は顔を真っ赤に上気させ熱弁を振るい始めた。
「こ、これはきちんと根拠のあるものなのだぞ! 実際あたしはこの方法で……」
声は尻すぼみになっていったので、後ろの方はもにょもにょとしか聞こえなかったが、とにかく少女はムキになってこの「導き」の正当性を訴えた。
「……わかりました。そちらに行ってみます」
「つまり仏の顔も三度目の正直というわけで……今なんと?」
「あなたの『導き』に従います、と言ったのです」
私は繰り返した。あてもなしに彷徨うよりは、この少女の「導き」にでも従った方がいくらかましだろう。
「それがよいのだ。きっとお前はそこでお前の望むものを見つけられるのだ」
少女は誇らしげに胸を張った。
「望む、もの」
私は呟いた。一体私は何を望んでいるというのだろう? 考えるとやはり気が滅入る。だから私は歩き出した。
「ありがとうございました」
「礼を言うのはまだ早いのだ」
さっきの私の言葉を真似て、少女はにやりと笑った。