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紅葉の季節も過ぎ、すすきも枯れ、山々が冠雪し始めた頃、Sは再び入院してきた。
肺癌が再燃して、咳と息苦しさが強まってきていた。再入院の必要を告げた渚に、Sはうなずいたが、その表情は悲しげだった。
癌センターへの転院の時点において、すでにSはおそらく自分の病が不治のものであることを悟っていた。それでも、嘔気や全身倦怠や発熱などの苦しみに耐えて、放射線療法を受け、制癌剤治療を黙って受けてきたのは、それ以外に自分の生きる道がないこと、しかも、一日でも長く生きることが、妻や、まだ幼い子供らに対する自分の責任であることを、彼が考えていたからであったろう。
百姓一筋で生きてきた人だった。一般的な意味での学問や教養などは、乏しかったかもしれない。しかし、他者を思いやる心は深い人だった。妻や子供を深く愛していた。子供たちが母親とともに来て、自分の病床のかたわらで、遊んだり、争ったりしているのを、苦しい息をしながら、いつも深い、優しい目で見ていた。自分の生が、その短かすぎる歩みを終え、この愛する者たちと別れる日までの、残された「時」は、もうそう長くはないことを、彼は知っているようだった。その短い日々を、ただひたすらに、愛する者たちを愛することに使い果たしていこうと、思い定めているように見えた。
そして彼は、また、病気の正体を自分に告げえないままに、自分の介護をし、治療をし、空しい慰めや励ましの言葉をかけ続ける人々、……看護婦や医者たちに対しても、むしろ、深い同情を抱いていた。彼は、苦しみに耐え、微笑を絶やさなかった。
(私は、自分にとりついたものが何であるかは、知っている、そのことの責任など、誰にもないことを知っている、だからあなたたちは、そんなに苦しまないでいいのだよ)
と、彼の目は言っているようだった。……百姓仕事しか知らないんです、と笑う彼は、求道の人のように清洌であり、残されたこの世の「時」をはかりながら、深い慈悲の心に到達していた。しかし、すでに腐朽しているその肉体は、なお苦しみ、あがいていた。
渚は、癌センターの医師と連絡を取りながら、制癌剤の投与を試みたが、予想された通り、癌はすでに耐性を獲得しており、治療に抵抗した。一時的に、呼吸困難は改善したが、再びそれは強まっていた。今や、Sは、片肺呼吸であった。癌に占拠された側の肺を通る血流も障害され、心不全も発現していた。仰向いて寝ていることは困難になり、夜も昼も、ベッドを半ば起こした形でいるしかなかった。首のリンパ節は、巨大に膨れ上がり、自壊して、異臭を放っていた。Sは、自らの肉体の腐っていく臭いの中で生きていた。看護婦たちは、消臭剤を沢山置いたり、香料を置いたりしたが、効果はなく、ともかく頻繁にガーゼ交換をするほかになかった。そのわずかの間の体位の変換も、Sの呼吸困難を増強させた。酸素は片時も離せず、今や、酸素を最大限に与えても、苦しさは軽減されなかった。より高濃度の酸素を与えようと、酸素テントにしてもみたが、逆に、意識障害をきたしただけに終わった。喀痰の喀出が、困難になってきていた。吸引は絶えず行われていたが、もはや吸引によって取りうる部位まで痰を上げてくる力が、Sにはなくなってきていた。
麻薬の使用に踏みきってから、すでに日はたっていて、その注射の回数も日を追って増えてきていた。麻薬によって、Sはひと時の眠りを眠ることができたが、それは、医学的には、眠りというよりは、意識障害、昏睡すれすれの状態だった。……臨終において、人は正念を保ちうるか、……今やSの精神の牢獄でしかないように思われる、Sの肉体のもがきが、Sの澄んだ目を次第に濁らせ、血走らせていくのを悲しく見つめながら、渚は、無力な自分をほとんど憎んでさえいた。このまま、再び目覚めることなく眠って下さいと、渚はSの濁った眠りを見ながら思うのだった。それでも、Sはまた意識を取り戻し、自分を見守っている自分の妻や、渚を認めると、弱々しく微笑しようとするのだった。
子供たちは、もう少し前から、病院には連れてこられなくなっていた。Sが、妻に、連れてくるな、と厳命したのだった。その心の深奥は、計り知れなかったが、Sが、自分の朽ちていく姿、病に屈服していく姿を、子供たちに見せたくないと思っていることは推察された。それは、Sの虚栄ではなく、Sの悲しい愛情だったのだろう。Sは、子供たちの心に、優しい目をして微笑んでいた父の面影を残してやりたかったのだろう。五歳と三歳の子供たちに、Sが今、残せるものは、まさに、そういう自分の思い出でしかなかった。
この年は暮れようとしていた。
例年になく早く、一週間ほど前から、雪が舞い始めていた。この日は、特に朝から雪が降り続いていて、昼近くにはもう、一面の銀世界になっていた。
Sは、朝から昏朦状態で、血圧も低下してきていた。それでも、朝、渚が回診に行って、脈をみていると、うっすらと目を開け、ひび割れた唇で微笑もうとした。そして、その微笑を形づくり終えないうちに、また意識が混濁していった。
この日、Sの妻は、朝早くに一度子供たちのために帰り、まだ病院には戻ってきていなかった。渚は、今日が、Sの最後の日となる予感がした。主任の直井に、Sの家に電話をかけさせ、渚は、Sの妻に、御主人はいよいよなのかもしれない、早めに帰院してくれるように、と言った。彼女は、はい、と言い、少しの沈黙ののち、子供らにもう一度父親の息のあるうちに会わせたいが、と言った。渚には、何とも言いようがなかった。御主人の気持は、あなたが一番わかっていると思う、その、ご主人の気持と、あなたの気持によって決めて頂くしかない、と渚は言った。
渚が、外来をしている間に、Sの妻は病院へ戻ってきていた。彼女は、子供たちを連れてきていた。Sは、なお意識が混濁したままだったが、昼頃になって、Sは、ひととき意識を取り戻し、この時、子供らの顔を見た。Sは、苦しい息の下で、妻を叱った。なぜ、この子らを連れてきたのか、すぐに帰れ、と。……妻も、子供たちも、泣いて帰らなかった。Sは、もう何も言わなかった。ただ、妻の手を引き寄せ、握って、涙を流した。
渚は、遅い外来を終えて、病棟に上がると、まっさきにSの部屋へ行った。Sは、目をあけていた。そして、渚を認めると、唇をゆがませて、苦しい息で言った、
「出ていってくれ」と。渚は、自分の顔から、血が引いていくのがわかった。
「出ていってくれ」と、Sはもう一度言い、さらに、たえだえの息の、くぐもった声で、「もう、先生には、来てもらいたくない」と言った。そして、目を閉じ、再びあけようとはしなかった。その目尻から、涙が、伝い落ちていた。渚は、何も言わず、Sの顔をしばし見守ってから、Sの妻に頭を下げて部屋を出た。
看護婦室に戻り、何も言わずに上申を聞いて、渚は、全体の回診をした。Sの部屋をは、通り過ぎた。看護婦室に戻って、カルテを記載しながら、渚はSの「拒絶」の意味を考え続けていた。耐えに耐えてきたSの心が、最後に上げた、この世の「不条理」への抗議の叫び、……そして、ある深い意味で、その「不条理」の共犯者でありつづける医師の偽善への怒り、……渚は、自分の存在がゆらめき、限りなく沈んでいくのを感じていた。救いを求めるように見回す目に、勤務の終りの時間を忙しく立ち働いている看護婦たちの姿が見えたが、それらの姿が奇妙に白々と疎遠なものに思えた。
渚は、申し送りの続く看護婦室を出て、雪の積もった、夕闇迫る屋上に上がっていった。
(確かに、誰の「罪」というものではない。しかし、それゆえにこそ、Sには、いっそう救いがなかったのだ。「罪」であるのなら、「罰」も、「復讐」もありえようが、Sには、それさえも許されなかったのだ。……)
渚は、勤務を終え解放されて帰っていく看護婦たちのうしろ姿に向って、雪の玉を投げた。それは、渚の呻きのように、届かず、沈んでいった。
渚は、深い敗北感と、やりばのない憤りを胸に、また下へ下りてきた。そして、主任の直井と、佐和子の前で、自分の屈した心を言ってしまった。しかし、直井から、Sの肉体が、まさに生きながら腐っていたと聞かされた時、自分の悲哀や無力感など、生きる側の者の、何と贅沢な苦しみであろうか、とあらためて考えるのだった。
この夜ふけ、渚は、枕元の電話の音で、呼び起こされた。
佐和子の声が、Sの呼吸停止を告げていた。それが、佐和子の声であったために、渚の頭は、一瞬混乱し、告げられている事実を理解するのに、数秒かかった。それから、渚は、身支度をして、雪の中へ走り出た。
Sの部屋に入ると、そこに佐和子と、もうひとりの看護婦がいて、バッグを使っての人工呼吸と、心臓マッサージをしていた。Sの反応はなかった。瞳は、すでに大きく開いていた。渚は、身振りで、看護婦たちにすべての処置を止めさせた。Sの、死だった。
Sの妻は、渚が頭を下げると、立ち上がって、深々と頭を下げたが、もう涙は流していなかった。感情をなくしてしまったように、うつろな目をしていた。ドアの所で、もう一度、振り返り頭を下げた渚の目に、付き添い用の小さなベッドで、父の臨終をも知らず、抱き合うように眠っている、ふたりの子供の姿が見えた。
看護婦室で、カルテを書き、死亡診断書を書きながら、渚は今またひとつの生と死の記録が重ねられたことを考えていた。明日の朝までには、Sの遺体は家に運ばれていき、Sの病室の入り口に掛かっていたSの名札は、はずされることになる。しばらくは、誰もが、その部屋の前を通り、部屋の中に入る時、この部屋で数ケ月を生きたS、……この部屋と病院を「懐かしい」と言ったSのことを思い出すだろう、しかし、その思い出も薄れていき、この部屋に新しい患者が入ったその日から、Sは、忘却の彼方に消えていくだろう、自分にとっても、看護婦にとっても、どんな患者も「過ぎ去る」人々であり、自分たちの仕事は、どこまでも、止まらない「流れ」なのだ。……渚は、目を上げた。佐和子が、看護日誌を書いていたが、渚の視線を感じて目を上げた。その目が、赤くなっていた。ふたりは、一瞬、見つめ合った。たがいの悲しみも、空しさも、そして、生き残った者のひそかな「罪」の意識も、……わかり合っている視線だった。
渚は、また屋上への階段を上がっていった。見渡す限りの銀世界の上に、今は、星空が広がっていた。渚の、冷えた心の底から、この時、ひそやかな言葉が立ち昇ってきた、
《消え去らない心にとっては、何ものも、消え去らない》
《われは死せるにあらず、住居を変えたるのみ、
われを見て泣きたもうきみのうちに、今なおわれは生きてあり……》《各人は、順番に、幾世紀となく昔からある十字架の道をのぼっていく……》
(ジャン・クリストフ)
そうだ、消え去らない心にとっては、何ものも消え去らない、……Sも、……そして、真由美も。……忘却は罪ではない、その人々の死を、躓きの石とすることが罪なのだ、亡き人々の託していったものを担って、自らの十字架の道をのぼっていくこと、それが私たちの義務であり、引き継いだ闘いなのだ。……渚は、逝く人々への愛を、生き残った人々への愛に重ね合わせて生きていかなければと、誓いのように思った。……
年が明けてまもなく、渚は、院長に呼ばれて、離島の粟島への出張を依頼された。粟島は、この町のさらに北の町の港から、船で行かなければならない離島だった。もともと、島の診療所はこの県立病院に委託されており、保健婦がひとり常駐はしていたが、月に一度、日曜日に内科の医者が交替で診療に行っていた。しかし、ここ何年かの病院側の混乱で、それは、とぎれてしまっていて、茂手木がいなくなった夏からは、ひとりきりになった渚が行くことは現実には不可能になっていた。幸い大きな病人も出ずにいたが、せめて三ケ月に一度でも医師を送ってくれ、という要請が病院の直接的な管理責任者である県の病院局に島から文書で出され、局長から院長あてに要請がまわってきたのだった。院長は、もともとの内科の仕事として、渚にそれを伝えたというわけだった。
その、無造作に「伝える」という院長の態度に、渚は初めて公然と反撥した。
今、この病院の医師の現状がどうなっているかは、院長が一番よく知っているはずである。自分が、精神的にも、肉体的にも、限度を越えて働いていることも、院長が一番よく知っているはずである。島に行くことを拒むのではなく、何とか行ってやりたいと思うが、その件をただ「伝える」という院長の態度は、あまりにも無責任ではないか。内科の医師の補充の見通しはどうなっているのか。すでに五ケ月になろうとするのに、あれ以来、ひと言もそのことについて説明もないのはなぜか。黙っていれば、いつまでも、この状態が続くのか。……
院長は、予想外の渚の反撥に、考えこむわけでもなく、ただ、逆らうのか、という表情をした。事務長が、そこにいた。事務長は、明らかに狼狽して、渚に弁明を始めた。後任の医師の手配は、大学にも、病院局にも、お願いしてある、明日にでもまた、お願いに行ってくる、と言った。渚は、お願いしてあるというが、大学なり、病院局なりからの、見通しの返事は来ているのか、と聞いた。残念ながら、それはまだ、と事務長は、言った。先生の人脈ではどうですか、と渚は皮肉も込めて院長に言った。私は、外科だからね、と彼は言ったが、渚は、でも、先生は同窓会の会長なのだし、人脈は広いでしょう、と重ねて言った。これは、彼にとっては痛い所だった。しかし、院長自身にはこの皮肉は通じないで、事務長にだけは、痛烈に響いた。どこへ行って、どう頼んでも、あの院長の所ではねえ、と断られ続けてきた痛みは、まさに事務長こそが一番味わってきていた。
それゆえになお、事務長の狼狽は大きかった。この急所を、渚がなおも突いていけば、渚と院長との衝突は避けがたかった。その結果、また辞める人間が出るとすれば、それは、一番辞めて欲しい人間の方ではないことは確かだった。事務長は、懸命に渚に目配せをし、先生にはいろいろご説明申し上げなければならないことが多くあるが、それを怠っていた自分が悪いのだ、これから医局でお話し申し上げる、と、院長室から渚を引っ張り出した。
事務長は、一時間近くにわたり、くどくどと医者探しの経過報告をしたが、一番の障害が何であるかについては、触れなかった。渚は、黙って聞いていた。しかし、
「先生の大学の後輩の方などで、どなたかおられないでしょうか」
と彼が言った時、怒りがこみ上げた。
「自らが働く喜びを感じられないような所に、いったい誰を招くことができますか。……私が、毎朝、今日一日を精一杯にやるのみ、と自分に言い聞かせながら出てくる、心の重さがわかっていますか」
と、渚は厳しい口調で言った。事務長は、わかっています、申しわけなく思っています、また今日から自分も死んだ気になって努力するので、何とか、もう少しのあいだ頑張って下さい、この通りです、と、頭を下げ、最後に、病院局からは、私が事務長として力が足りないから、こういう始末になっているのだ、と叱られ通しなんです、この春の人事異動でも、私はもうどうなるかわかりません、と、うなだれて言った。
渚は、結局、粟島への出張を、三ケ月に一度、ということで引き受けた。その数日後、渚に「内科医長心得」を命ずるという辞令が交付された。事務長の、精一杯の、県と交渉しての土産なのだろうと、渚は複雑な思いで、この複雑な名称の役職の辞令を受け取った。
一月の半ば過ぎに、渚は、粟島へ渡った。
看護婦をひとりつけろ、という事務長の命で、主任の直井は、その日に休暇になっている何人かの看護婦の名を上げ、どの子をお望みですか、と少しからかうように言った。渚は、野木佐和子を指名した。直井の表情に、複雑な色が走ったが、渚は気がつかないふりをした。院長に対して反撥した余韻で、渚は、自分を目に見えず拘束しているさまざまなものに対して、挑戦的な気分になっていた。
その日、病院の車で送られて、渚と佐和子は、岩船の港へ行き、そこから船に乗った。最も寒気の厳しい頃で、幸い雪は降っていなかったが、岸壁も、船のデッキも、凍りついていた。まばらな乗客に顔見知りはなく、声をかけてくる者もない船室の片隅で、渚と佐和子は、ひっそりと肩を寄せ合っていた。船は、波頭を叩きながら、疾走していた。小さな船なので、エンジンの振動が、船全体に伝わっていた。しぶきの伝い落ちる窓の外は、海面から立ちのぼる蒸気の雲しか見えなかった。何かしら少し侘しい、小さな旅であったが、それでも渚は、今日一日を、佐和子とともに過ごせることが、素直にうれしかった。佐和子は、キルティングのスキー・ウェアを着て、膨れあがっていた。
「随分着てきたんだね、まるで雪だるまだ」
と渚が言うと、佐和子は、この日、初めての笑顔を見せた。
「そんなこと言って、あなたはジャンパーだけの軽装で、後悔しても知らないから、……寒い、なんて言っても貸して上げないんだから、……」
佐和子は、先生、とは言わず、あなた、と言った。それは、乗客たちの注意を引かないためであったろうが、渚は、うれしい気持で聞いた。島の船着き場には、コートに長靴の保健婦が迎えに出ていた。島全体が、海から立ちのぼる湯気のような蒸気に包まれていた。その日一日で三十人ばかりの患者を診て、次に来るまでの打ち合わせをして終わった。午後遅くの、帰りの船には、渚たちしか乗客がいなかった。保健婦は、埠頭に見送りにきて、大きな発泡スチロールの箱を渡し、患者のひとりが持ってきた寒ブリだ、と言った。こんな一匹ものをもらっても、私にはどうしようもない、と渚が当惑すると、保健婦は、給食科でさばいてもらいなさい、と言った。彼女は、いつまでも手を振って見送っていた。「いい人ね、……」と、佐和子は言った、そして、ふと、
「私、先生のために、何かを料理して上げられる日なんて、来るのかしら、……」
と、うつむきながら、淋しそうに言った。
「来るよ、もうすぐに、……春になれば」
と、渚は言った。佐和子は、目を大きく見開いて、渚を見た。
「どうして、……春になると、……」
「今は、言えない。……でも、私を信じて、元気を出してね」
佐和子は、渚の真正面に座り直し、渚の目をじっと見つめた。そして、急にその目に涙をあふれさせて、渚の胸に頭を押しつけてきた。
「春になれば、……春になれば、……」と佐和子は、渚の胸の中で、つぶやいた。次の日、病棟へ行くと、何となく看護婦たちの雰囲気が変わっていた。妙に皆よそよそしかった。渚にはすぐにわかった、これは、佐和子を連れていったことへの反応だな、と。渚は、無視して、やるべき仕事をした。佐和子は、深夜勤務で、一日会わなかった。
日勤の看護婦たちが引き上げたあと、渚がカルテを書いていると、主任の直井が、準夜勤の看護婦の検温に出ていくのを見計らって、隅のソファーから、
「先生、お茶を飲みましょ」
と言った。渚は、ペンを置いて、直井に向かい合って座った。彼女は、
「昨日は、お疲れさまでした」とまず言い、それから、一瞬のためらいののちに、
「先生、気にしないでいいんですよ」と言った、「女だけの職場だから、みんなの、焼き餅、……それも、先生が、一番選びそうな人を選んだから、……いわば、『本命』を、……だから、焼き餅と、加えて、一種の深刻さになってしまったのですよ。……先生は、正直だから、本当の気持で野木さんを選んだ、……私は、先生の選んだ人がやっぱりあの人だったことが、うれしかったけれど、でも、みんなには、複雑だったんでしょう」
それから、深刻さを振り払うように、わざと少し、はすっぱな言い方で言った、
「私だって、女だから、自分の立場を棚に上げて、少し焼き餅を焼いちゃったんだ」
渚は、苦笑した。
「で、……先生、楽しかった?」
「うん」
と渚は素直に答えた。感性の鋭い直井には、佐和子に対する自分の気持は、すでにかなり前から見ぬかれているとは思っていたし、その気持を直井が是としていることも感じていたから、問われれば、直井に対しては、何も隠す気はなかった。
「それは、よかった。……でも、先生、この次は、我慢して、違う人を選んでやってね。それから、……あの子を大事にしてやってね。あの子は、いろいろの悲しみを乗り越えて生きてきた子だから、傷つきやすいんです。……でも、きっと、先生の心をよくわかって受け止められる子ですよ。……先生に出会うためにあの子はきっとここに来たんですね。……私、昨日は、海が荒れないようにと祈りながら、そんなことを考えていました」
渚は、ありがとう、と言った。その冬の間、渚は、患者の落ちついている日曜日には、毎週、宿舎から車で走りだし、四十キロあまり離れた、水原の町へ行った。佐和子は、どこへ行っているの、と聞いたが、渚は、春までの内緒、と笑っていた。
渚は、水原町のはずれ、瓢湖のほとりの、少し道から外れた所のあのあばら家を、買い求めていた。すでに長年、無住になっていて、それでなくても古い家屋は、あらゆる所からすきま風が吹き込み、吹雪で雨戸は激しく鳴ったが、渚は、ひとりこつこつと修理を続けていた。買い求めるのも、わざと隣の市の業者を通して買っており、修理も、すべて自分でやっていたので、実家の者たちはもちろんのこと、町の顔見知りの人々にも会うことなく、この内緒ごとは、渚ひとりの胸の中のこととして、静かに進んでいった。さすがに、破れたガラスの入れかえや、畳の入れかえなどは、業者に頼んだが、それも隣の市の業者に頼んでいた。破れ果てていた襖や、障子は、すべて自分ひとりで張りかえた。しかし渚は、家の基本的な構造には、まったく手をつけなかった。下が貯蔵庫になっている、軋む床の台所も、古い浴室も、戸の一枚一枚も、……拭き掃除はし、戸車をかえたりはしたが、新品とは交換しなかった。家の中に置き捨てられていた古い整理箪笥、茶箪笥なども、拭き清めて、そのまま、その位置に置いた。古いカーテンなども、持ち帰って洗濯をし、あえてそのほころびかけたままのものを、もとの位置に掛けておいた。
その古い家のまわりの小さな空き地の雪の下から、蕗の薹が頭を持ち上げ始めた頃、渚のこの修理の仕事は大方終わっていた。家という物は、人とともにあってこそ生命を持つ物だった。荒れ果て、枯死していたかに見えたその家は、今、そこに愛着を持つ人間の心をえて、その消えかけていた生命を再び蘇らせていた。台所と浴室、ふたつの和室、そして軋む階段を上がっての、ふたつの和室、そのどこもが、古いままなりに清められ、今は、そこに来るべき人を待って息づいていた。二階の奥の部屋の窓をあけると、五頭・菱ケ嶽の連峰が、まばらな家なみと、まだ葉を落としたままの稲架掛けの木々の向こうに、白く、くっきりと稜線を描いていた。その部屋の押し入れに、二組の座布団と寝具をそっと隠すように入れて、渚の、辛く、そしてまた楽しくもあったこの冬の仕事は、終わった。……
その日、近づいてくる夕闇を、その窓べで見ながら、渚は、心の中で、ある人に、問うていた、(これで、いいですか、……これは、あなたの心にそむくことではないと、私は信じて働いてきたけれど、これでいいのですか、……)と。
答えは、渚の心の中の、言いようのない疼きのほかには、なかった。……ふっくらとした頬が、幾分しもぶくれに見せる白い顔に、その人の目は、いつも黒目がちに、きらきらと輝いていた。広めの額を、男のようでいやだと言って、いつもはらりと前髪で隠していた。何を答える時も、いつも、一瞬の微妙な間を置いて答える人だった。その意図しない微妙な間や沈黙が、語る渚の方に、いつもかすかな自制を促し続けた。中学時代は、背の低い方だったが、肉体的には何かが晩生だったのだろうか、高校に入ってからその人は背が伸びて、卒業の頃には、渚よりもわずかに低いだけになっていて、いつもうしろに無造作に結っている長い髪をほどくと、すらりとした姿に、急に大人びたものが漂うのだった。
中条真由美。……限りなく懐かしい人だった。渚の、精神の目覚めの時期において、この人は、精神的にはいつも渚の一歩前にいて、渚を優しく振り返って見てくれていた。渚は、この人の心を愛し、尊敬し、その心に近づくことを通して、自分の心を形作ってきたのだと言えた。彼女は、いつも、図書室で、ひっそりと本を読んでいた。渚が近づくと、不思議に思うほどすぐにそれを感じて、目を上げて微笑み、何も言わずに、読んでいる本をたたんで、何を読んでいたのかを、そっと渚に示した。真由美のあとを追って、渚は、多くの本に導かれていった。その後の渚の人生において、渚の人生観、生命観の原点となったもののほとんどは、この時期、真由美とともに学んだことの中にあった。
学校では、ほとんど語り合うことがなかった。集団の中にあって、ふたりの時を持ちえないということもあったが、それ以上に、愛する心の羞恥心が、口をきけなくしていた。その分、ふたりは、毎晩のようにたがいに手紙を書き合った。夜が白々と明けてくる頃まで、たがいに何十枚もの便箋に書き合っていた。
渚が、大学の受験に失敗して、二年の浪人生活を送っていたあいだ、ふたりはつつましい交際を続けた。瓢湖のほとりを歩き、五頭の山に登り、阿賀野川の岸辺で肩を並べて夕焼けを見た。自分の中に成熟してくる、大人びた情念に、たがいに怯え合いながら、それゆえに、それには決して触れずに、いっそう精神的な愛へとたがいを向け合っていた。渚が、ふっと、真由美に触れたい衝動に駆られる時も、彼女の黒い瞳は、澄んだまま渚に向けられて、渚を押しとどめた。
たがいの家を訪うことはなかった。たがいの家の貧しさはあっても、それを恥じてはいなかった。ただ、たがいの心以外のものによって、自分たちの絆が乱されること……強められること、弱められること……を、拒んでいた。たがいの家庭の中にある苦しみは、何年ものまじわりを通して、自分の家庭のことのようによく知り合っていた。ふたりは、痛いほどの同情を持って、私の心をあなたの家にしなさい、と慰め合っていた。
この日々の中で、渚は、ドイツのある哲学者であり医師である人の書にめぐりあった。渚は、医師になる決意をした。三度目の受験は、医学部だった。渚は合格し、東京に出た。それは渚にとっては新しい出発であったが、ふたりの愛にとっては、躓きの始まりだった。
渚の大学生活は、ある意味では豊饒だった。しかしそれは、多くのものに心を拡散させ、分散させていることでもあった。多くのもの、多くの人に出会いながら、渚は、その「量」の多さを、傲慢にも「質」の高さと混同していた。読書の領域も、真由美とは違ってきていた。もはや渚は、真由美のあとを追ってはいなかった。むしろ、自分のあとを追うことを、真由美に要求していた。左翼的な社会哲学と、唯物論的科学の中に、渚は、新しい自分の言語を見いだしていた。真由美の手紙は、「非論理的」で、あまりに情緒的に過ぎるように渚には思えた。渚は、そのことを、それとなく批判していた。真由美の手紙は、しだいに悲しみの色を濃くしていき、それが、ますます渚を苛立たせた。
夏の休暇、冬の休暇、そして春の休暇、……渚は、故郷の町に帰って真由美と会ったが、いつのまにかできてしまった心の溝を、どちらも、どう埋めていいのかわからなかった。 明日は東京へ戻る、という春の夕べ、連れだって歩いていた丘の麓で、渚は立ち止まり、発作的に、真由美の前にひざまずいて、真由美の両足を抱きしめた。真由美は、凍りついたように立ちすくみ、息をつめて動かなかった。やがて、渚の頭に真由美の手がおずおずと伸ばされたが、それは、そこで止まった。……どれくらいの時がたったのか、渚は、抱いていた手を離して立ち上がった。一瞬、真由美は、かすかに、悲しげな小さな叫びを上げたが、渚はその声を無視し、憤った足取りで歩きだした。真由美は、取り残されて、立ちすくんでいた。やがて、真由美は、小走りに渚を追ってきたが、何も言わなかった。渚もまた、何も言わなかった。渚の中には、屈折してしまった愛の情念と、その反動として、屈折をともに解いてくれなかった真由美への、恨みに似た感情があった。愛の稚拙さ、愛の不器用を責めるのなら、渚は、己れをこそ責めるべきであったのだろうが、渚の傲慢と、傷ついた情念が、真由美の本当には「待っている」切ない愛の思いを見えなくしていた。
東京に戻ってまもなく、渚は、真由美に、別れの手紙を書いた。投函してすぐに渚は悔いたが、渚は意固地になっていた。一方で、渚は、真由美が、自分の別れの手紙に、再びの愛を告げ直してくれることを身勝手に信じ、待っていた。しかし、真由美は、何も言ってこなかった。悲しみが、そして、徐々に、怒りに似たものが、渚を蝕んでいった。渚は、意固地に沈黙を守りつづけ、月日は、心の傷を癒すというよりも、重い塵埃のようなもので埋めながら、過ぎていった。渚と、真由美の、別れであった。……
二年後、渚は、真由美の手紙を受け取った。それは、今、渚への愛を告げ直していた。 ――私は、その愛を胸の底にしまいこんで、佐渡の島に嫁いできた。島から見える越後の山々を見ながら、この海峡の距離は、もう決して渡り戻ることのできない距離になったのだと思うと、絶望的になるが、その山々の空が、あなたの空につながり、私たちがともに見た、多くの空につながっているのだと、自分に言い聞かせ、再び会うことはなくとも、私たちは、やはりともに生きているのだと信じよう。私は、決して、あなたに別れは言わない。なぜなら、私たちには、別れがありえないからだ。これは、私の最初で最後の不貞の手紙だ。この不貞の心を私は胸の底にしまいこんで、明日からを生きていく。――
渚もまた、この真由美の手紙を、胸の底にしまいこんだ。そして、一年後、渚は、同じ東京に来ていた、遠縁の人と、学生結婚をした。幼なじみのその人と、今、この東京の精神的な砂漠の中で会ったことに、渚はすがるような気持を覚えた。それはそれなりに愛ではあり、ひととき、渚は安らかな月日を送った。しかし、渚の心の底で、何かが、これは違う、と叫んでいた。その安らかさが、自分の苦しみを忘れさせてくれると同時に、自分が決して投げ捨ててはならない問いの数々をも、いつのまにか忘れさせていることに気がついた時、渚は、この結婚の中で、自分が緩徐に精神的に滅んでいくのだ、と思った。
相手の人に、罪はなかった。彼女は、彼女なりの愛で、渚を愛していた。しかし、渚の心の深淵を見ることはなかった。渚が、深夜、スタンドの薄暗い明かりの中で、埋もれた言葉をひとつひとつ、積もった埃の下から堀り起こす作業をしている時、彼女は、布団の中で、安らかな寝息を立てていた。その寝顔を見ながら、渚は、見知らぬ人を見ているような感覚に襲われた。彼女の側に何の悪意も害意もないだけに、渚はいっそう苦しんだ。
渚が、別れを言いだした時の彼女の嘆きは深かった。私は、あなたを愛していると、くりかえし彼女は言い、遂に離婚を承諾することはなかった。すべては、渚自身が選んだ道であり、彼女をも、誰をも責めることはできなかった。出口のない「愛」の中で、渚の心は、自己破壊的に荒廃していった。
卒業の年に始まった、大学の闘争を、渚は異様なほど激しく闘った。封鎖した建物の中で、垢まみれになりながら渚は寝泊まりし、くる日も、くる日も、デモの隊列に入っていた。同級生たちは、それまでは、あまり授業にも出てこず、クラスの何の行事にも参加したことのない、目立たない存在だったこの渚の、豹変とも言うべき感情と行動の激しさに驚いたが、渚の中にある傷ついた心が、今、この闘争の中で、自分一個の破壊と再構築の、血を流す闘いをもしていることには気がつかなかった。
闘争は、国家権力の物理的介入で、終息せしめられた。……この闘争の中で、渚はひとりの女性を知り、一緒に暮らし始めた。彼女は、愛媛から東京に出てきて、大学の夜間の法学部に行きながら、一時期、ある左翼政党の党員になって、原水爆禁止の運動や、女性解放の闘争をしてきていた。渚は、彼女と暮らすことによって、自分ひとりでは突き抜けられなかった生活の転換を求めたかもしれなかった。しかし、それもまた、ひとつの逃避でしかなかった。同志的感情の共有と、愛の生活の成立とは、かならずしも自明のこととして横滑り的には成り立たない。思想以前の、生活のさまざまな小さなことでの、争いは絶えず、また、渚の先の結婚が法的に解消されえないことに対しての、彼女の鬱屈が募った。彼女の兄弟が、ある日、ふたりの暮すアパートに来て、渚に対して、彼女と別れることを強要した。渚は拒んだが、救いを求めるように見た彼女の表情は冷たく、凍っていた。
この直後、渚は、あるデモの最中に逮捕された。冬だった。渚は十日余りの勾留ののち、留置所を出たが、彼女は、この間、面会にも差し入れにもこず、検事に対して渚が言った自分の住所、すなわち彼女との部屋についての問い合わせに、渚のことは知らない、関係がない、と言っていた。渚は「住所不定」とされていた。それは、ずっと左翼政党にかかわっていた彼女の、自己防衛的な反応だけではなく、屈折した一種の報復のようだった。
渚は、二度と、彼女との生活には戻らなかった。権力によって転向はさせられなかったが、ともに生きようとした人に裏切られた思いで、渚は深い虚脱に陥っていた。渚は、今は、黙して、医者になった。捨てられぬ責任の感覚で、教授や、医局のスタッフたちに屈服しない姿勢をつらぬきながら、学び、働いていたが、渚は、心の深みで、医者になろうとしたあの若い日々の思いの原点に立ち返ろうと、考え続けていた。自分は、人間が好きで、人間とともにあることの中で、愛の意味、生命の神秘と限りない連鎖の意味を考えながら、生きていきたいと思ったはずだ、自らを含めて、人間に傷つき、人間に疲労した今、もういちど、すべての我執や怨念を捨てて、人間に立ち返り、生きることをしなければならない、と思った。もう一度だけ、自分をも含めて、人を信じて生きてみよう、と思った。どんな僻地に行ってでも、最低限の求められることには応えられる医者にならなければ、……渚は自分の専攻という考えを捨て、それからの月日を、可能な限りの多方面にわたることを学ぶことに費やした。生きる闘いをしている人間に奉仕できる自分になりたい、観念としてでなく、医者としての現実の知識と技術において、そうでありたいと渚は思った。この期間ほど、目的意識を持って日夜学んだことはなかった。やがて、自分との愛を自ら否定したその人が、また、渚を求めて接近してきた。彼女は、彼女なりの苦しみをへて、もういちど渚との愛の可能性を探してみたかったのだろう。しかし、渚は、拒んだ。そして、二人の人との「愛」の終りを確認し直すために、東京を去った。誰をも、もはや憎んでも、恨んでもいなかった。ただ、自分を、忘れて欲しいだけだった。
故郷に帰る時、渚は心の底で、自分を故郷につなぎ続けた人、自分の心の最良の部分をともに作ってくれた人のことを考えていた。……どの仰ぎ見る空も、ふたりで見た懐かしい空につながっている、たとえ再び会うことはなくとも、私たちはやはりともに生きているのだ、という真由美の最後の手紙は、どこで暮した時も、渚の日記の中にそっとはさまれていた。それを持って、渚は、この県北の町に来た。しかし、渚は、あの「海峡」を決して越えてはならないと思っていた。そして、運命の如くに、佐和子にめぐりあい、その人の妹とは知らぬままに、いつかしら深く、愛し始めていたのだった。
今、渚が買い求め、ひと冬をかけて住めるように直してきた家は、実はかつて、真由美の生まれ、育ち、生きた家であった。この家を渚は訪うたことはなかったが、路傍まで送って別れたことは幾度もあった。あそこが私の部屋、と指さした部屋が、今、渚が夕闇の中で窓べに寄りかかっている部屋であった。この窓べの机で、真由美は本を読み、渚への愛の手紙を書き続けたのだった。そして、ここから嫁いでいったのだった。振り向けば、もう闇は深く部屋の中に忍び入っていた。風は冷たくなってきていた。しかし、渚にだけは感じられた、この部屋に生きていた、ひとつの純一で、善良な魂が、今、静かに、語っていることが。――私たちは、たがいに裁き合うことはありません、是非も、善悪も、美醜も、そんな判断は誰かがするでしょう、私たちは、ただ、精一杯に生きてきた、そのことだけをたがいに認め合い、許し合えばいいのです、そして、いつでも新しい愛、新しい日々に対して、謙虚で、素直であればいいのです、あなたに、人を愛することがもう一度できるなら、それは私の喜びなのよ、あの子を、愛してやって、私の分までも――と。
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