Word of magic that brings luck


 

 

Word of magic that brings luck


この本のお話をされた五日市剛さんからの手紙この「Word of magic that brings luck」は、縁あって三年半ほど前に金沢の個人のお宅でお話させていただきました。あの時、僕の話を聴いていた十数人のうち何人かが手持ちのカセットテiブレコーダーで話を録音していました。
その後、それらのテープはどんどんダビングされたみたいで、さらにまたそれらのテープのコピーが全国を駆け巡り、コピーがコピーを生んで、本当に多くの方々が聴いてくれたようです。僕としては、あの場だけの話と思っていただけに、何とも複雑な心境でした。
東京の新宿に住む安田さん「当時、八十歳」というおじいさんもそのテーブを聴いたそうで、、ご本人は是非テープおこしして活字化したいと思ったそうです。
そこで、ある人を通じて僕に活字化しても良いかと聞いてきました。僕は、内容がかなりプライベートなこともあり、最初は断ろうかとも思いましたが、高齢の方のお願いとあって、しぷしぷオーケーしました。
その後、安田さんは数ヶ月かかって自分ひとりでテーブおこしを行い、講演録を作ってしまいました。この講演録はいろいろな方の手に渡り、どんどんコピーされ、多<の方々に広がっていったようです。
それからしばらくして、この安田さんという方は偶然にも仕事上お付き合いのある会社の創立者で、しかも前社長であることが分り、心底びっくりしました。世の中、こんなことって本当にあるんですね。

はじめに

昨年、あるプロのコンサルタントの講演を聴く機会がありました。
その方の話によりますと、日本で毎年新しく設立される会社は、だいたい8〜9万杜くらいあるそうです。
ところが、1年後にはそのうちの40%は倒産という形で消えてなくなるらしく、さらに5年経つと85%はなくなってしまうそうです。厳しい世の中ですね。
そこで、そのコンサルタントがそれぞれの杜長さんに、「勝因は何ですか?」「敗因は何ですか?」と聞いてみたそうです。
すると、生き残った杜長曰く「運が良かった」、倒産した杜長は「運が悪かった」。みな、運、運と言うのですね。
それでは運というのはいったい何なのでしょうか。
まあ、本質的なことは僕にはよく分からないんですけど、実は、本当に簡単なことでツキというのを手にすることができる。ツキっ放しになっちゃう。今日はそんな不思議な話をさせていただきたいと思います。

イスラエルのおばあさんとの出会い

僕は28歳まで学生生活を送っておりましたが、25歳くらいの時、あることがきっかけで中東間題に興味を持ちました。
理工系の学生なのに、イスラエルやアラブ諸国の諸間題、特に民族間題が気になりましてね、日に日にハマっていったわけです。
それで、どうしてもイスラエルに行きたいなぁ〜と思い始め、とうとう湾岸戦争が起こった年の冬に、イスラエルヘ行くことになったのです。
その時の経験がきっかけで、僕の人生がガラッと変わってしまいました。
ちょっと御伽話みたいな話なんですけど、本当にあった話なのでどうか聞いてください。

湾岸戦争があった年の冬、クリスマスの数日前に、日本を発ってイスラエルヘ向かいました。

一ヶ月間という長い旅行です。
大きなリュックを背偵い、ジーパン姿で向かいました。
イスラエルというと、とても暖かい国のように思うかもしれませんが、その年はなんと数10年に1回あるかないかという大寒波の年で、旅行中にドカ雪まで降りました。
そんなこと、現地へ行って初めて分かったので、本当にまいりました。薄着だったので、寒くて、毎日ぶるぶる状態でした。

クリスマスの日の夕方に、ハイファという港町に着きました。イスラエルの中では大きな都市でして、有名な港町です。
バスを降りた瞬間、「うわ〜寒いなあ〜」という感じで、まずホテルを探し始めました。
「早く、暖かい部屋でのんびりしたい!」ところが、あちこちホテルに行ってみたものの、どこへ行っても閉まっているんですね。
その港町にホテルやユースホステルはたくさんあるのに。どうしてだろう? 時間がどんどん過ぎていって、夜7時、8時、9時、・・・
外はものすごく寒いんですよ。ハイファには、誰も知っている人はいないし、一人旅だし、ひどく心細くなりましてね。
「俺って、もうここで終わりかな?」なんて、縁起でもないことを考えちゃいました。
できるだけ明るいにぎやかな通りを歩こうと思いながら、肩をガクッと落としてトボトボ歩いていました。
にぎやかな通りも、夜遅くなってくると灯りがだんだん消えてきましてね。本当に心細くなってね、本気で「もう〜駄目かなあ〜」と思ったその時に、
一人のニコニコしたおぱあさんが僕の方へ近づいて来たんです。

「どうしたんですか? 顔色が悪いですよ」と英語で話しかけてきました。
イスラエルのユダヤ人は英語がけっこう上手でしてね。
「日本から来た者なんですけど・・・。泊まるところがないんです」
それから五分くらい話をしたでしょうか。そのおばあさんは微笑んで、「よかったら、私の家へどうぞ」と言いました。
いや〜驚きました。僕たち、日本にいても、同じ日本人にだって、そんなこと言いませんよね。
だけど、そのおぱあさん、見ず知らずの外国人の僕に、私の家へどうぞって言うんですよ。僕もさすがにちょっと構えましてね。
すぐに「うん」と言わずに、「もうちょっとホテルを探してみます。それで、もし見つからなかつたらおじゃまするかもしれません。その時はよろしくお願いします」
と言って、紙に住所と簡単な地図を書いてもらい、その後タクシーに乗ってホテルを再び探し始めました。
でも、結局、どのホテルもみんな閉まっていて、営業しているホテルは見つからなかつたんですね。もう、おばあさんのところへ行くしかないなあ〜と思って、勇気を振り絞っておぱあさんの家に行ったんですね。

おばあさんの家を見て、唖然としました。その家は外壁の一部は草で覆われていましてね。
驚いたことに窓がないんですよ。(翌目、明るくなってからまた見たんですけど、確かに家の外には見かけ上、窓はあるのですが、家の中にはどこにも窓がないんですね。まるで棺桶みたいな家)
それで、玄関が少し高いところにあり、階段をちょっと上がるとドアがありました。
ドキドキしながら、「ピンポン」とボタンを押したんですね。
すると、押すや否や、すぐにドアが開いて、「お待ちしておりました」
とおぱあさんが出てきました。

ヒャー、心臓が飛び出るかと思いました、もう驚いちゃつて。
おばあさんはドアのところにいて、待っていたんでしょうかね。
「どうぞ、どうぞ。寒いでしょ。中へどうぞ」
「は、はい。お、おじゃまします」
外は本当に寒くて、手が凍えてね。でも家の中はとっても暖かい。驚きはしましたけど、救われた思いでいっぱいでした。
おぱあさんは、「スープがあるわよ、食卓へどうぞ」と言うので奥へ入ると、丸いテーブルがあり、スープが二皿盛ってありました。
おばあさんと僕の分なんですね。そのスープ、口に含むと熱いんですよ。とっても美味しいし。ということは、・・・・・
待てよ、おばあさんは一人暮らし。やはり事前に二人分つくって、二人分皿に盛って、その後玄関に行って僕を待っていたのかなあ? なんて考えていると夜も眠れなくなりますよね。
もう、そんなこと考えるのは止めようと思いました。
スープを飲みながら、おばあさんと二人でいろいろな話をしました。
といっても、僕はほとんど聞き役でしたね。
でも、知らない人を自分の家に泊めるんだから、普通なら僕のことをいろいろ聞きますよね。
僕は自分の名前と日本から来た大学院の学生と言っただけで、自分について他のことは何もしゃべりませんでした。
おばあさんはひたすらご自分のことぱかり話すわけです。
本当に穏やかな、ニコニコした方でしてね。
「私はね、ドイツから来たユダヤ人なのよ。だから、戦争中はけっこう大変だったの。
主人は大学で数学を教えていたの。3年前に亡くなってね。息子夫婦は、隣町に住んでいるのよ。私の趣味はね、…」
おばあさんは、僕の事は本当に何も聞かなくて、ただ、僕の目をじっと見つめながら話をするんです。
どうも時々、自分の心が見られている気がして、恥ずかしいというか、妙な気分でした。
だから、僕は時々、視線をそらしていました。
そんな不思議な雰囲気のおぱあさんでした。
家の中を見ると変わった飾りや絵が掛けてあって、ユダヤ教の影響かな、と思いました。
時計を見ると、もうだいぶおそくなっていまして、おぱあさんは、「今日はもうおそいですから、おやすみになって下さい。こちらの部屋にベッドメイキングしてありますから」
「おぱあさん、いろいろありがとう。それじゃ、おやすみなさい!」
ということで、ベッドのある部屋に入りました。ベッドの枕元には、一人の少女の絵が飾ってありました。その絵がとっても不思議で、目元がボア〜ンとぼやけていましてね。
見ていると魂が吸い込まれそうな、この世のものとは思えないような絵でしたね。そんな部屋に泊めていただきました。
 


 

おばあさんの贈り物」へ続く 

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