Word of magic that brings luck


 

「不良少女の家庭教師」 

 

僕は宮城県内の中学校を出たあと、同じ県内にある高専(国立の工業高等専門学校)に入学しました。
最初から、ひとりでアパート住まいをしまして、けっこう自由で楽しかったんですが、洗濯や食事の用意は面倒でしたね。
洗濯が面倒なもんですから、下着や靴下以外は近くのクリーニング屋さんに全部持っていきましてね。だからほとんど毎日通っていました。そこのクリーニング屋のおばさん、良い人でね。
僕が行くといつも、「五日市君、いつも来てくれてありがとう。おにぎり一個余っているんだけど食べない? このみかん、ちょっと腐りかけているけど、どう?」とかね。温かいおばさんでね。
僕が高専二年のある日、そのおばさんが真剣な顔して、

「五日市君、お願いがあるの。家庭教師やってくれない?」
「そんな、僕、人の勉強なんてみたことないし、自分の勉強だけで精一杯だよ」
「中三になったぱかりの女の子なんだけどね」
とおぱさんが言ったもんですから、ビビッときまして、
「はい、やりま〜す!」
という具合で、決まり。そりゃ〜それまで女の子には縁がありませんでしたから、ワクワクドキドキ。
断るわけないですよね。それでまずは、その子のお母さんと喫茶店で会うことにしました。
話をいろいろ伺って分かったのですが、実はその子というのは、筋金入りの不良少女なんですね。
それまで埼玉県のある市に住んでいて、中学二年の終わりまでに、煙草、シンナー、窃盗、恐喝などなど、落ちるところまで落ちていって。
今でこそ茶髪は当たり前な風潮ですけど、当時彼女は、はるかにその上をいく真っ赤なヘアーで超クルクルパーマだったんですね。
中学一、二年なのに。ほとんど学校に行ってなくて、暴走族の連中と遊びまわり、売春で補導されたこともあったそうです。
それらが原因で少年院を何度か往復した子なんですね。
大きな間題が起こるたびに中学校を転々として、もうこれ以上行くところがな〜い、という特殊な事情で宮城県にお母さんと一緒にやって来たのです。
お母さんは、クリーニング屋のおぱさんと昔からの知り合いだったらしく、そのおぱさんを頼って、わらにもすがる思いで宮城県に来たようなんですね。
二人は小さい借家を借りて、もう一度ゼロからの出発。お父さんはもちろん仕事があるから、埼玉の家に残って単身赴任みたいな形になっちゃったんですね。
僕はそのおかあさんに言われました。
「うちの娘は高校に入れないのは分かっています。一人っ子ですし、良い友達もまだいませんので、どうか話し相手になってくれませんか」
何が何でも成績を上げて高校に入れてほしいと言われるんじゃないかなと思っていただけに、気が少し楽になりましたね。
その子ね。会ってみると、とっても良い子なんですよ。
僕には妹がいないせいか、本当の妹のような感じでね。歳は二つ違い。
僕は高専の二年生、彼女は中学三年生。僕にとっては本当に良い子なんですよ。
僕の言うことは大低きいてくれました。
例えぱ、彼女、ラジオの深夜放送をよく聴いていたんですけど、
「深夜放送はあまり良くないぞ。受験生だからなあ、夜遅くまでラジオを聴くのはできるだけやめよう、ね」
と言うと、「そうだね」と言ってすぐにやめるしね。
漫画本もよく読んでいましたが、「あのさ、漫画本を読んでもかまわないけど、少しずつ減らしていこうか。
宿題とか、いろいろやることあるもんな」と言うと、「は〜い」と言ってそのうち全く読まなくなったんですね。
そう言った僕は思いっきり読んでいましたけど。
僕にはとっても素直で良い子なんですね。
でも、なかなか直らないクセのようなものがあったんですね。
何かというと、万引きなんですよ。ある日、僕が彼女の部屋に入ると、彼女は机の上にかぱんを置いて、中から化粧品をパカパカ取り出しましてね。
「これね、今日の収穫よ」
「おまえ、またやったのか!」
「はいっ、これ、牛革の財布。先生へのプレゼント」
「困った奴だな〜。今度やったら、承知しないぞ」
と言いながら、財布をチャッカリ頂いちゃいました。
前から欲しかったんだ、ラッキー! いやはや僕も同罪ですね。
万引きはその後、徐々にやらなくなりました。
彼女は勉強するにも予備知識がほとんど何もないので、宿題を出しても全くできないんですよ。

宮城に来る前は、あまり学校へ行っていなかったからしょうがないですよね。
僕と一緒のときしか勉強が進まない状況でした。
例えぱ、数学の勉強のときにね。「2-1」は分かるんです。だけど、これが「-1+2」になると分からない。答えは同じでしょう。
これを分からせるのに時間がかかりましたね。それから、理科の天体。彼女は自信を持って、
「太陽はね、北から昇って南に沈むの」と言うのですが、
「それはちょっと違うんじゃないかな?」
と僕が言うと、
「あっ、そうそう、天才バカボンの歌であったわね。
♪西から昇ったお日様が、東に沈〜む♪」
という具合です。別に彼女はふざけているわけではなくて、本当に知らないのです。その時点での知識レベルは、恐らく小学生の低学年くらいかもしれません。
だけど、唯一救われたのは、彼女と僕はウマが合っていた、ということです。
夏休みが来ました。夏休みというのは、受験生にとっては一つの分岐点なんですね。良い方向にも悪い方向にも行く大事な時ですよね。彼女は、どんな友人にも結構気持ちを左右されやすい性格なのです。

幸いにも、彼女が転校した学校の環境はとても良くて、あまり道を外れた生徒はいなかったんですね。彼女は転校と同時に髪を(赤パーマから)自然な黒のストレートに戻していましたから、外観上も普通の女の子と変わりなく、特に目立っことはありませんでした。成績がビリという点では目立っていたかもしれませんね。とにかく、夏休みということで、何かと心配だったものですから、彼女の家にはできるだけ頻繁に通いました。
それだけ「彼女をもっと良い方向に導きたい」という気持ちが強かったわけです。
いつもは、夕方におじゃまし、まず夕食をご馳走になって、その後彼女の勉強をみて、だいたい夜十時頃に帰るというパターンでした。
夏休みのある日、こんなことがありました。勉強をみていて、ハッとして時計を見たら夜中の二時を回っていたんですよ。
「うわ〜、お母さん、ごめんなさい、こんなに遅くなっちゃって。じゃあ僕、帰ります!」
と言うと、お母さんが、
「先生も夏休みでしょう。今晩泊まっていったらどうです?」
と言うので、
「ん〜、そうですね。じゃあ、今日は泊めてもらいますか」
ということで、泊めていただくことになりました。
お風呂をいただきまして、さて寝ようかなあと思いましたら、お母さんが気を利かせて、彼女のベッドの隣に布団を敷いてくれてたんですね。さすがにドキッ!としました。
彼女と僕はそれぞれベッドと布団の中に入って、電気を消したんですが、お互いなかなか眠れません。勉強を教える時はいつも二人きりではありますが、こんな変な緊張をしたことなんてなかったですね。しばらく、ちょっとドキドキしていました。

 

すると、彼女も眠れないので僕にいろんなことを言ってくるんですね。
「あのね、中一のときにね、こんな事があったんだ」
「少年院という所はね、こういう所なんだよ」
「中二のときに、学校の女子トイレでこういうリンチを受けたんだ。悔しかった。誰も助けてくれなかった」
「宮城に来る前はね、こんな男性と付き合ってたの」
さらに先に進むと、
「こういう人と深い関係になっちゃったの」
何もかもびっくりする話ぱかり。僕の体は石みたいにガチガチになって、彼女に対して相づちしか打てませんでした。皆さん、「はひふへほの相づち」って知つていますか?「は〜、ひえ〜、ふ〜、へ〜、ほ〜」それしか言えなかったんですね。中でも一番驚いた話は、
「○○○という偉い人とも…したの」ということなんですよ。
「そ、そんなこと、あるわけないだろう!何かの間違いだろう」
と言いましたら、
「いつもは、暴走族の仲間にお客を紹介されて、モーテルに行くのね。ある日、お金を支払わずに逃げたお客がいてね、とっても悔しい思いをしたの。それでね、
その次のお客の時なんだけどね。お客がお風呂に入っている間に背広のポケットから財布を取って、逃げられてもいいようにと一万円引き抜いたんだ。その時、財布の中に同じ名刺がたくさんあったの。あ〜、この人の名刺なんだな〜と思って、何気なく一枚取ってね。
次の日、自宅に帰った後に、しげしげ見てみたら、そういう肩書きがあったのよ」
彼女は淡々と僕に語ってくれました。でも、こうした話、誰にでも言えるようなことではありません。僕は、彼女の話を聞いて「この世の中、いったいどうなっているんだ」と真剣に悩みましたね。
考えてみると、僕たちだって人に話せないことを自分の心の中に閉じ込めてしまうことってありますよね。それがどんどん蓄積されて限界に近づくと、悶々として頭がおかしくなってくる。そんなとき、信頼できる人に話すことによって「救われる」ことがあるじゃないですか。ご主人に言って、あるいは兄弟に言って、「あ〜そう。分かるよ、お前の気持ち」と言われただけで、救われるもんですよね。彼女にはね、そんな話を聞いてくれる相手がず〜っといなかったんじゃないかな。親にはこんな話言えないでしょう。兄弟はいないし、友達だつて、ろくな友達はいなかった。学校の先生にだって言えない。だから、僕しかいなかったのでしょうね。僕にいろいろ言ってスカッとしたと思い
ますよ。結局、朝まで話していました。彼女は、それからというもの、すご〜く生き生きしちゃってね。まるで生まれ変わったみたいでした。
九月に入って二学期が始まると、すぐに実力試験がありました。その結果が数日後に出て、彼女の点数は五教科五〇〇点満点中で一〇〇点ちょっと。だから、一教科の平均が二〇点くらい。周りと比較すれば、相変わらずビリですよ。ビリだけども、それまで五〇〇点満点中、一〇点か二〇点くらいしか取れなかった彼女が、自分の力で、一〇〇点ちょっと取れたわけですよ。
「お前、やればできるじやないか!」  

 

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「うんっ!」
と彼女はと〜っても大喜び、本当に嬉しそうでした。
そりゃ〜確かにそれでも彼女はビリです。でも、人との比較なんてどうだっていいじやないですか。『本人がどれだけ成長したか』が何より大事ですよね。そうでしょ。それが一番大事。それから彼女はますます変わりましたね。もう〜勉強が楽しくなっちゃって。夏休みまでは、僕と一緒のときしか勉強できなかったのに、白分一人でがむしゃらにやるようになりました。
「英語の単語、頑張って覚えるぞ!」
と言って、新聞の広告紙の裏に一所懸命単語を書いて、家の壁のあちこちに貼りまくりましてね。トイレにまで貼って、「おしっこ一回する間に単語一つ覚えるぞ!」と意気込みがスゴイ。本当にすごいんですよ。
日曜日なんて、御飯を食べている時間以外はほとんど勉強するようになりました。まいりましたね。人間、ここまで変わるものなんでしょうか。恐らく、彼女の成績は、十一月から十二月にかけて一番伸びたのではと思います。
冬休みが来ました。僕は毎日彼女の家に行きましたね。これが本当の二人三脚っていうのかな、なんて思いたくなるくらい、息が合っていましたね。そして、冬休みが明け、中学生活最後の実力試験があったんですね。それは、宮城県内の中学三年生が全員受ける民間業者の模擬試験なんです。何万人と受けて、自分のその時点での実力を確認する試験なのです。その試験結果が二週間後に出ました。ねえ皆さん、その試験で彼女は何点取ったと思いますか?僕はいまだに覚えているんですけど、(500点満点中)468点取ったんです。信じられます?当時、業者の試験は本当
に難しかったんですよ。400点取るだけでも至難の業。それを468点も。彼女の学校はマンモス校
なんですが、男女合わせてナントニ番。県内でも女子の部門でベスト50の中に入りました。ウソみたいでしょう。でも本当なんです。こりゃ〜彼女、ムチャクチャ喜ぶだろうなと思うじゃないですか。ところが、彼女はしくしく泣いていましてね。
「誰も信じてくれないの」
それもそのはずでして、困ったことにその業者の試験というのは土日にあって、つまり、土曜日に受けた学校と日曜日に受けた学校があったわけです。彼女の学校は日曜日だったものですから。
「お前、土曜日受けた学校の連中に聞いたんだろう」
と何人かのクラスメートに言われたそうですね。おまけに、学校の教頭先生も家に電話をかけてきまして、「お母さん、いったいこれはどういうことですか。こんなこと、あるわけないでしょう」
と最初から疑って、お叱りの電話です。そんなアホな。
それでも教育者か。なんで彼女を信用しないんだ。彼女はね、白分の力でその点数を取ったんです。最近の彼女を見ていれぱ分かるでしょう。どうしてそんなことが分からないのかなあ。と思いましてね。
「もう泣くなよ。こうなったら難関の学校に合格しちやってさ。みんなを見返してやろうぜ!」
と彼女に言ったんです。
当時の宮城県の中学生は、できれば公立高校に入りたいと思っていたんですね。授業料も安いしね。入試のシステムとしては、私立高校の試験が先にあって、その後しばらくしてから公立高校の入試があります。公立高校が本命でも、必ず私立を受験して合格を確かめてから公立を受ける生徒がほとんどなんですね。そこでまず、私立に願書を出す時期になりまして、お母さんと話をしていると、「うちの娘は、私立の高校を受けてもムダだと言われまして」
「はあ?どうしてですか?」と聞くと、「学校の担任がそう言いました」
こりゃあいったい、どういうことなのだろうと思い、僕は彼女の中学校まで自転車で吹っ飛んで行きました。そして担任の先生をつかまえて、
「どういうことなんですか?」
と聞いたんですね。するとその先生は、「あの子はね。過去に相当間題を起こしているでしょ
う。実は・・・」と話し出しました。その先生は、はっきりと言いませんでしたが、どうやら、県内のいくつかの私立高校では受験生に対するブラックリストが作成されてあるようでして、過去に大きな問題を起こした生徒を受け付けないか、それに近い処置をとる工夫をしているとのことでした。だから、たとえ担任の先生が内申書を良く書いても、その内申書はそのままゴミ箱行きになってしまうだろう、とのことです。だから、入試は受けさせてもらえるけど、絶対に受からない。
「じゃー、いったいどうすればいいのですか?彼女は一生懸命勉強して、ここまで這い上がって来たんですよ。どん底から立ち直ったんですよ!」
「そうだね。ぜひ何とかしたいね。・・・ひとつ道があるとすれぱ、公立の中でも一番レベルが高い学校、宮城第一女子高等学校(通称、宮城一女)。ここを受験してはどうかな。この学校は、ほとんど一発勝負。内申書をあまり考慮しないはず。どうかな?」
宮城一女というと、女子が受験する高校の中では、当時県内のみならず東北でもトップ。こんな学校、はたして彼女が受かるんだろうか?でも、ここしかない、ということであれば挑戦するしかない。
そして三月に入り、入試がやって来ました。その日、僕はアパートにいましたが、朝からずっとそわそわ。落ち着かなかったですね。夕方、入試が終わり、ようやく彼女から僕のところに電話がかかってきました。
すると、電話の向こうで彼女は・・・泣いていました。
「どうだった?」
と聞いても泣くぱかり。
「どうだったんだよ」
と静かに聞くと、彼女はポツリと、「ダメだった」と言うのです。
「どうしてなんだ。あれほど勉強したじやないか。どうしてなんだよ」と彼女に言うと、
「分かる間題も出たけど、・・・ダメだった」
彼女はね、試験会場に着くと、張り詰めた雰囲気にすっかり飲み込まれてしまったようなんですね。自分の席の周りを見てみると、どの子も頭の良さそうな子ばかり。「なんで私みたいなバカが、こんなところに座っているのかしら」と何度も思ったそうです。しかも、その会場にいる受験生は、みんなそれぞれ私立の学校を受けて合格していて、いざというときの行き先を確保してこの試験に臨んでいる。でも、彼女には何もない。まさしく背水の陣ですよね。
「ああ、落ちたら・・・・私どうするんだろう。定時制に行くのかなあ。浪人するのかなあ。それとも就職して働くのかなあ。どれも自信ないな〜。だけど、こんなすごい学校、受かるわけないんだよなあ…」そう思えぱ思うほど震えが止らなくなって、頭が真っ白になって、はっと気が付いたら、試験はもう終わっていた、と言うのです。
「でも大丈夫だよ。合格発表は五日後だろう。受かるよ、絶対に」と慰めても、「全然なにも書かなかつたのに、受かるわけないじゃないの」と言って大声で泣くしね。まあ、僕なりに彼女を力づ
けて受話器を置いたんですが、置いた途端に力が抜けて、その場にうずくまってしまって、三時間くらい起き上がれなかったんですね。
そのとき、それまで彼女と歩んできた一年間の思い出が頭をスーとよぎりましてね。短い期間だったけど、彼女はすっかり立ち直つてくれて、こんなすごい高校を受験できる水準にまで到達できて。そんなこと、当初は想像すらできませんでしたけど、そりや〜頑張ったもんな。だけど、たった一回だけの試験で、彼女の努力が報われないなんて、やり切れないよなあ。と思いました。思えば思うほど、悔し涙が出てきて・・・・。
合格発表までの数日間、地獄のような目々でしたね。
毎日僕は、彼女に会いに行くのですが、出てくるのはお母さんぱかり。本人はショックで落ち込み、部屋に閉じこもって食事すら満足に取っていない状態でした。
合格発表の日が来ました。その日は大雨でした。彼女は友達に誘われたらしいのですが、自分一人で電車に乗って、そっと隠れるようにして結果を見に行ったんですね。午後3時に合格発表があって、3時10分頃でしたか、電話が鳴ったんですね。電話の向こうはひどく泣いてる声。すぐに彼女だと分かりました。「どうだった?」と聞いても、泣く一方なんですね。ずっとその状態で、きりがないなあと思って。それでね、こんな時に彼女に言おうと思って準備してきた言葉をそっと伝えたん
ですね。
「来年、もう一度、一緒に挑戦しようか」ってね。

そしたら彼女、泣きながら、「私の番号があったの。受かってたよ!」
(五日市氏は涙ぐむ)
すみません、思い出しちゃいました。彼女ね、家に帰らないで、雨の中、直接僕のところに来ましてね。まだ泣いているんですよ。もう、抱き合って喜びましたね。
それからが結構大変。彼女のお父さんがもう狂ったように喜びましてね。埼玉から僕の汚いアパートまで飛んで来まして、土下座して、おでこを床にくっつけまして、「先生、本当にありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。・・・・・・・」
「そんな、お父さん。頭上げてくださいよ」
もう、すごく喜びましてね。ところで、後で分かったことなんですが、彼女ね、入試、ビリだったんですよ。つまり、ビリのグループに入っていて、もう1点足りなけれぱ落ちていたんですね。すれすれセーフ。でも、いいじゃないですか。ビリだってトップだって合格には変わりないですよね。
彼女はその後、勉強一筋。よく勉強しましたよ。高校二年生くらいから成績が上位のグループに安定しまして、思い切って地元の国立大学を受験したんですね。
もちろん、現役で合格しました。すごいですね。その後、大学院の修士課程に進学し、修了後は宮城県内の市立中学校の杜会科の先生になりました。生徒や父兄から人気があり、生き生きと生徒の指導を行っているんですね。
ところで、彼女が高校を卒業する頃、僕も五年間の高専生活をちょうど終えましてね。高専の上には技術科学大学という国立の大学が全国に二校(豊橋と長岡)ありまして、僕は豊橋の大学の三年生に推薦で編入することになっていました。それで、仙台を離れる日、新幹線のプラットホームまで彼女は見送りに来てくれたんですが、もう、彼女、泣いてね。ず〜っと泣いてる。「泣くなよ」と言っても泣くんですね。その時の彼女の表情が、いまだに僕の脳裏に焼き付いています。
それから豊橋の大学の寮に入りまして、彼女はしょっちゅう電話や手紙をくれるんですね。電話をくれるということは、僕からも電話をしなければならないのですが、長距離ですから結構お金、かかりますよね。僕にはそんなにお金がないし、手紙を書く暇もない。結構、勉強がきつかったんですね。だからある時、彼女に、「もう電話は止めよう、手紙も止めよう。その代わり、年に一度、豊橘においで。それまでの一年間、お互いどんなことがあったのか、とことん語り合おうじやないか」と言いまして、毎年九月に彼女が豊橋に来ることになったんです。僕は、八年間、豊橋にいま
してね。途中、二年ほどアメリカに留学しましたので、その期間を除いては毎年豊橋へ来てくれました。
あの白い箱を開けた日は、僕の二十七歳の誕生日だったんですね。その時、僕はふと思いました。「俺って、もう二十七だよなあ。彼女は二十五か。お互い、いい歳だよなあ」
いつだったか、僕は彼女に、彼女と同じ大学に進学した後輩を、「こいつは良い奴だから付き合ってみたら」と紹介したことがあるんですね。だけど、彼女は彼に関して一切何も言わない。だから、うまくいかなかったのかなぁと思っていました。

「そうか、彼女はもしかして、僕を待っていてくれてるんじゃないかなあ。」
僕は二十七、八まで学生をやっていまして、その時もまだ学生でしたからね。「そうか、僕からのプロポーズを待っているんだよ。そうだよ。きっとそうだ。」
なんて、勝手に自分ひとりで決め付けちゃいましてね。
「よし、今度来たら、彼女にプロポーズしよう!」と思ったんですね。それに、いつもは彼女に安い旅館に泊まってもらっていたんですけど、今回は僕のアパートに泊まってもらおうと思いました。ただ、四畳半の汚いアパートに寝泊まりしていましたからね。いくら何でもまずいかな、と思いまして、ちょっとお金がかかりましたが、三部屋ある借家に移りました。彼女に寝てもらう部屋がこれで確保できました。彼女の布団も買って、これでオーケー。
いよいよ、待ちに待った九月。いつもと違った気分で彼女を迎えに豊橋駅へ行きました。
「よく来たね。今回はね、僕のところに泊まってもらうよ」
「ええ、いいわよ」
僕の借家に着くと、まず、いつもの儀式を行いました。必ず最初に二人で行う儀式。じゃんけんです。
「じゃんけんぽん!」
とやって、勝った方がそれまでの一年間、どういうことがあったのかを一方的に話すわけです。だつてお互い、自分のことを話したくってうずうずしてるんですからね。勝った方から、まるで機関銃のようにしゃべりまくるんです。早速、「じゃんけんぽん!」とやりましたら、彼女が勝ちましてね。さて、何を言うのかなあと思いましたら、彼女はニコッと笑って、
「私ね。来年結婚するの」とびっくりするようなことを言いました。
「えっ?だ、誰と?」
と聞きましたら、僕が以前に紹介した後輩だったんですね。彼はある大手の製鉄会杜に入杜し、イギリスヘ五年間の出向を命じられたそうなんですね。それで、「俺と一緒に行ってくれないかなあ」とプロポーズされたそうです。
「いいわよ、学校の先生辞めることになつちやうけど、梅いはないわ・・・って言ったの」
彼女、とても嬉しそうでしたね。
「そうか。よかったね。幸せになれよ」
次に僕がしゃべる番となりましたが、言おうと思っていたことが一言えなくなっちゃってね。何を言おうかなと思いましたが、「もしよかったら、これからも今まで通り、年に一回俺のところに来てくれるかなあ。だけど今度からは旦那と一緒だぞ」てね。
最初に開けた大きい白い箱、空でしたよね。大きいけれど空だったということは、どう考えても彼女と僕との歴史だったような気がするんですね。だけど、開けたら空だった。後から開けた箱は、小さかったのですが、中身があった。今の妻には、会つてから二回目でプロポーズして、すぐ結婚しましてね。結婚して五年ちょっと経っんですけど、未だに今日お話した女の子ほど、妻についての知識はないんですよ。変な話ですよね。まあ、仕事とはいえ、本当に出張が多くてね。
一緒に生活できたのは、五年のうち半分もないのですよ。子供は三人いるんですけどね。妻について、あまりよく分かっていないのです。それが黒い箱の小さなサイズを象徴しているのですかね。
お話した女の子には、今会ったとして、たとえ何もしゃべらなくたって、表情を見れぱ何を考えているのかくらい分かりますよ。それだけ長い二人の歴史があるんです。だけど、開けたら空だった。・・・・おぱあさんは確かに僕にこう言いました。
「運命というのは、あるのよ。最初から決まっているのよ」
最近いろんな人がこのようなことを言っていますね。「人間、生まれてくる前に白分の人生設計を行い、そしてその通り演じ、スケジュール通りに生きていく」という。おぱあさんもそんな類のことを言ったもんだから、何かそんなことを僕に伝えたかったのかな・・・・。
だから、僕が最初に黒い箱を開けることなんてありえない。あるいは、じゃんけんして僕が彼女に勝つなんてこともありえない。「もし」なんてありえない。
最初からそうなっていたんでしょうかね。
 


松下幸之助 に続く

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