- 大溝祭は滋賀県の西部に位置する高島町の旧大溝地区(現勝野第二区)の氏神である日吉神社の「春の例大祭」として伝えられてきた湖西唯一の珍しい曳山祭です。5月3日(宵宮祭)5月4日(例大祭)と行われます。
- 起源は元和5年(1619)分部光信が移封され、100年程後に城下町の祭例行事に始めたものともいわれています。
- 山倉には、由緒を記した銘板がつけられており、巡行の通りには、旧町名の標識が建っています。昭和58年(1983)3月に滋賀県選択無形民俗文化財となりました。
- 曳山は「巴」(ともえ)「寳」(たから)「龍」(りょう)「勇」(いさみ)「湊」(みなと)の五基の曳山があり各曳山組町が保存管理しています。古式にのっとり、笛・太鼓・鉦の囃子で町内を巡行します。
- 巡行は先頭が「花山(一番山)」次に「二番山」「三番山」とつづき最後の「五番山」の組(町内)は「渡番」と呼ばれています。輪番制で毎年回り持ちで巡行の順番が決まっていて、渡番を終えると花山になります。
- 「渡番」組は神輿の総宰領を選出したり、祭礼全般の世話番を努めます。また、副宰領は「四番山」組より選出されます。
- 「花山」組になると餅撒きのお餅の準備や曳山巡行の取り仕切りをします。曳山巡行路は宵宮が若衆代表(青年会長)、本祭は組長が巡行路と時間の計画を作り神事寄合で決まります。
- 5月3日の宵宮は正午前に行われる湯立神事から始まります。夕方の宵宮祭では蝋燭の灯りが揺れるなか、厳かな神事が執り行われます。市街では青年会の手で飾られた提灯を揺らしながら、曳山が街中をゆったりと曳かれていきます。
- 午後十一時に近くなると曳山が山倉に納められ、宵宮太鼓が街中に響きます。各組曳山とお神輿は一晩中、各組青年会と宮元衆で見守られ、5月4日の本祭を迎えます。
- 5月4日の本祭には早朝より、曳山や日吉神社拝殿周辺は、各組青年会や曳山保存会、宮元衆の方々の手で衣装替えが行われます。その後曳山は、その昔お殿様の謁見場所であった惣門(総門)に集まり、花山組長の挨拶で神社へ向かいます。(この時囃子方は下山で奏でます。)
- 一方同じころ、日吉神社では例大祭の神事が執り行われています。神事が終われば、出席者の人々は曳山の到着を社務所で待っています。曳山が到着すると二人の神社係(組長)は総代等の待つ社務所で「曳山到着の報告」を行い祭はいよいよクライマックスへと近づきます。
- 神輿舁人の前で宰領が挨拶をします。神輿舁きについての注意をして神輿の安置してある拝殿に向かいます。宰領は御本社に賽銭を投げ入れ神輿渡御の無事をお祈りし、宮元組長に神輿をお借りする旨の挨拶をしてから、神輿舁人を采配して神輿の出発です。拝殿を三回回って石段を下がっていきます。
- 神輿が馬場渡御後、町内巡行に出ると、花山より餅撒きがあります。その後曳山は町内巡行に向かい、花山町で曳分かれ(解散)です。(お神輿が出発すると囃子方は上山へ上がることが許され上山で囃子を奏でます。)
- 一方お神輿は、日吉神社を出た後、御旅所で神事、昼食・休憩を挟みその後萩の浜で浜組子供神輿とともに神事が執り行われます。宰領、副宰領によって餅撒きが行われ、その後再び町内を巡り日吉神社に向かいます。
- 夕方、曳山が山倉に納まると各曳山組みから神輿舁人がぞくぞくと神社に集まります。二度目のクライマックス、「御神輿還御」です。最後の力を振り絞り百余段の石段を一段一段神輿を担ぎ上げていきます。渡御の場合とは逆回り(反時計回り)に拝殿を三回回り、一気に神輿倉に神輿を納め、祭は終宴に向かいます。
- 5月5日は後宴祭です。昔は祭りの間各家庭ではお客さんの接待に追われ、神社に参拝できない奥さん等のために神事が行われていたようです。現在、社務所では後始末の後各役員の労いがあります。各町内では、昔は祭が無事に終わったことを互いに労う宴が催されていましたが、現在は祭の後始末と御縁勘定(会計決算)が行われています。
★詳細は「祭礼の諸準備」「祭礼の行事」で詳しく解説しています。
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