2.旧高島町の自然と文化
自然
と
文化
旧高島町の自然
旧高島町は滋賀県の西部高島市の南端に位置し、比良山系の最高峰武奈ヶ岳(1,214m)を水源とする鴨川(13km)が琵琶湖に注ぐ三角州を形成する地域にある人口7千人余りの小さな町です。
比良とは、険しい山というアイヌ語に由来するとの説もあるそうです。事実断層の急斜面が多い地層で形成され、花崗岩の崩壊しやすい山肌で大量の土砂が鴨川によって運び出され、武曽口付近を谷口とするゆるやかな傾斜を持った扇状の平野を形成していったほか、嶽山から流れる小田川や和田打川によって沖積が進められてきました。
旧高島町のこの平地も勝野の直ぐ南で湖岸にせり出した三尾山でせばめられています。
旧高島町の文化
以上のような地形から、陸上交通の要点として、また戦略上の要衝として重視され、勝野の港もおのずから水運交通の要として発展してきました。
古代には北陸道の駅家として三尾駅がおかれ、港は北陸諸国の乾物輸送で賑わい、防衛拠点として三尾城が造られ壬申の乱などの舞台になったのもそれなりの理由があったのであろう。といわれています。
奈良時代の創建とつたえられている音羽の長谷寺や、平安時代後期に開かれたといわれている長法寺、式内社の水尾神社、比良(白髭)明神の鎮座など考え合わせると歴史の古い町で、中世以降も北国街道によって京都と結ばれ文物の往来によって、当地の文化は予想外に早くから開かれていたものと思われています。 特に中世では、武士の出現とともに比叡山延暦寺の勢力の影響が大きく、勝野には比叡山三千坊の中でも有力寺院であったといわれる「高島七ヶ寺」のうち、長法寺と世喜寺(関寺)の両寺が開かれていた。町内にも天台宗と伝えられる寺も少なくないことからも、このことを推測することが出来ます。
以上のように歴史とのつながりの深いところで古くは万葉集にも詠われた地名も残っています。
また、近年では
ガリバー青少年旅行村
などのアウトドア施設や古い町家を改装したパブやお土産を販売する
「びれっじ」
などや音楽ホールを有するアイリッシュパークなどの公共施設の充実でより一層の文化の向上を図っている地域です。
今津から京都方向に望んでいます。
左にR161バイパス、中央に旧国道161、右に湖西線。
三尾山が琵琶湖になだれ込んでいます
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