被害者の立場より加害者の人権に傾きすぎているというのはその通りだと思います。
だから、真犯人かどうか分からないが、怪しいから犯人だということにしてしまえということにはならないと思います。
この問題は、自分が犯人だとされた場合を想定するかどうか、その想像力があるかどうかの問題になってきます。自分は絶対に犯人だと疑われることはないという前提に立って、安全地帯からものを言われると、どこまでいっても議論は平行線になります。
自分が無実の罪で警察・検察から犯人だとされ、取調室での孤独感から「私がやりました」と言えば解放されると思い、魔が差して「自白」してしまったとします。
その場合に、法律と弁護士の力を借りて無罪を勝ち取れるようにしておきたいと考えるならば、現行制度を概ね支持できるのではないでしょうか。
そこまでいったら仕方がない。無実でも疑われるだけのことをしたんだから腹をくくって刑罰に甘んじることにしようというのなら、それもひとつの立場ではあります。
しかし、そうなると、自白したことの責任を問われるということになってしまいます。自分は我慢できたとしても、他人にそれを強要するのはちょっと薄情だと思います。
被害者と加害者のバランスの取り方は、司法の永遠のテーマです。
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