JRを民営化の成功事例と考えられる方が多いということは、当局の宣伝が功を奏しているということかもしれません。良くなった部分と悪くなった部分、そして、国鉄清算事業団に移された債務(20兆円以上?)はいわゆる「飛ばし」だということ、などを認識する必要があります。そして、赤字ローカル線廃止(三セク化を含む)という名の地方切り捨ての横行も軽視すべきではありません。
大局的な交通政策の中で、車を過剰に優遇し、鉄道を中心とした公共交通機関に冷たい政策を貫いたことなども考慮した、総合判断が必要だと思います。
特定郵便局について述べたのは、彼等の言い分を理解した上で政治的な落としどころを模索すべきだということを表現したものです。明治政府(戦前の政府)の約束がどこまで有効かという問題はありますが、そのことを含めて納得のいく解決が必要だということです。
花形さんのような公務員は、一代限りの(個人の契約)、しかも、「期間を定めない契約」で雇われている労働者です。明治政府の下で、自らの資本を提供して、今までなかった制度を創設したいという政府の言葉(雲を掴むような話)を信じて近代国家経営に協力した方々とは異なる立場だと思います。
(公務員の皆さんをけなしているのではありません。国が一生涯雇うという約束があって公務員になられたのでしょうか?思い出してみて下さい。少なくとも、一部の特定郵便局長は、曾爺さんか、曾曾爺さんが国と約束したのではないでしょうか。)
公務員は、本来労働基本権を付与され、労働基本権でもって自らの権利を守るべき存在です。このことが看過されてきたことも問題です。
郵便の民営化を実施するのであれば、民間と対等な条件で、しかも株式会社として行われるべきものです。そうなると、過疎地・島嶼部のサービス切り捨てが行われます。そのような地域は国営として残すべきです。残りの地域は、それぞれが自由競争でサービスを競えばいいのです。民営化+ユニバーサルサービスの義務化ということになると、民営化の足を引っ張ります。国営部分の超過コストを民間企業各社で負担しても(業績で案分して引き受ける方法もあり)、各社がユニバーサルサービスを義務化されるより安上がりだという場合には、その方法が有効です。
もちろん、ユニバーサルサービスを行うことを社是として掲げる企業が表れ(この場合は国営部分への負担金なし)、その企業が勝ち残るのであれば、それは祝福すべきことです。
|