議論の概要は知っていますが、「知っている」という段階にないと思っています。
日中戦争当時の南京であっても、何十万人もの人が虐殺されたということには疑問を持ちます。しかし、何もなかったということが言えるかも疑問です。
「大虐殺」の定義如何を問題にすることにも空しさを覚えます。 現在の日本で10人殺せば「大虐殺」ですから。
「大虐殺はなかった」と論評している人物が眉唾なので、どうもその気になりにくいところがあります。
政治家は政治・歴史全てについて勉強せよと言うのは無理です。その点でマイナス評価をされるのは御自由。
大部の書籍を指し示し、これを読んでないのに議論するなと言わんばかりの態度で臨む方がいます。議論はそこで終わってしまいます。
「政治家はもっと勉強すべし」という御意見を提示される方が、どういうものか(人柄のよい)ボンクラ政治家よりも議論をよくする政治家に低い採点をされる傾向があります。「雉も鳴かなければ撃たれない」ということでしょうか。
東京裁判で連合国側が示した「正義」を前提とした議論は卒業すべきです。我が国できちんと議論して、「正義」の中身を詰めていくべきでしょう。
古代漢帝国の時代、中国西南部に小国が多数あり、その中では相対的には大きな「夜郎」という国がありました。夜郎の王は漢帝国の広大なことを知らず、自らを強大であると思い、漢帝国の使者に「漢は大きい国だと言うが、広大な我が国と比べどちらが大きいか」と尋ねたと言います。そこから、世間知らずで自分の力量を過大評価して尊大に構えることを「夜郎自大」と言います。
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