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Re:合併より福祉に予算を お名前 玉井彰 2003/02/07(金) 17:54:40 [No 450]

国民の将来不安をなくすことが消費喚起のために有効であるだけではなく、政治というものの本来の使命だと思います。

将来不安のために国民が貯蓄に励み、しかも、その貯蓄は怪しげな財政投融資と暴落する恐れのある国債に廻されているのですから悲惨です。

政治家には、落選恐怖症があります。目に見える確実な票が欲しいのです。その為にこの国の政治は大きく歪められています。官僚達には、国益より省益の方が数段大切です。太平洋戦争の最中でも海軍と陸軍は互いに自分達の組織の利益を主張して譲りませんでした。戦争の時ですらそうなのですから、「平時」においては絶対に国益など考えません。

この国を変えるには、責任を自覚する「市民」の層を厚くする必要があると思います。職域や地域等の利害やしがらみを越えて、一個人として、一市民として国や地域の将来に責任を感じる人が増えていかなければなりません。

ネット社会においては、その為の基盤が成立するかも知れないと期待しています。



合併至上主義=国土を軽視した自治体論 お名前 安倍川餅 2003/02/09(日) 13:10:08 [No 451]

 上野村(御巣鷹尾根を擁する)の黒沢丈夫村長は、合併至上主義や政令指定病をこう断罪する。「人口だけに拘泥して国土を軽視した自治体論は、人間生活を軽視した発想ではないか。」この発言こそ、合併至上主義の罪状を指摘した発言ではなかろうか。
 言わゆる「西尾勝私案」や「小沢一郎の300コムーネ構想」は、正に中央統制・新自由主義丸出しの発想で、人間生活や地方風土を軽視した発想である。中央政財界(強者)が、エゴイスチックに無辜の自治体(弱者)を大量処刑して、何が地方活性化なのか。「首都は効率が良いから、民間企業本社も転出させない。地方は多国籍大企業にとって邪魔者だ、消してやる!」これが西尾私案や小沢構想の要諦であろう。
 広過ぎる自治体では、地方の活気は削がれて、底辺の自治は困難になる。いわき市が良い例で、平の活気は10万都市程度に過ぎず、水戸や郡山に完敗している。住民の日常生活に関る事柄を、県庁延いては中央政府にやれと言っても無理な事と同じで、自治に要する面積には限度が有る。故に、合併にも限度が有る。
 白川村(合掌造りの)の谷口尚村長もこう断じる。「高山に何もかも寄せ集めれば行政効率は良いかもしれないが、地域の文化が消される。」行政効率一本槍でコムーネを消そうとする発想は、地方の利害を無視し、地方を敵視した態度の現れである。易々と刑場に送られるコムーネが、どうして活性化するのか。
 中央に呼応して合併至上主義を念佛する者は、ベッカムやボブ・サップで騒いで居直るミーハーと50歩100歩であり;何の主張も自信も無く、お上に媚びて自分の頚を絞めてるだけではないか。

http://www.sanson.or.jp/hanron.html
コムーネの大規模合併論に反駁する 黒沢丈夫・上野村長



この国のかたち お名前 淡路島の田舎モン 2003/02/09(日) 13:54:10 [No 452]

合併の裏にも利権有り。

北朝鮮支援米で現実にカネ儲けをしていると噂される政治家が大勢いる。真相はどうなのだろうか?
10月18日に招集された第155臨時国会。国会の開幕にはご存じのように天皇陛下が開会を宣言される。形式的なことではあるが、天皇陛下のご臨席を賜るという晴れがましい舞台である。ところがこの日、なぜか元総理大臣の橋本龍太郎がその場になかったのだ。元総理が、しかも日頃から皇室との関係を重視して憚らない橋龍が、なぜ臨時国会開会の場にいなかったのか?
 
橋本龍太郎はこの日、内密で米国ワシントンに出かけていたのだ。理由はなぜか?
米ブッシュ政権中枢から“お呼び出し"が掛かったからだ。何のお呼び出しか?
北朝鮮コメ支援に纏わる疑義について、直に尋問されたのだ。

かつて橋本龍太郎内閣の時代に、北朝鮮コメ支援に関して、「北朝鮮から謝礼のひと言くらいもらうべきではないか」との世論が巻き起こったことがある。日本から無償で北朝鮮に50万トンにも及ぶコメを渡しているのだから、「ありがとう」のひと言くらいあって当然だという声が起きたのだ。これに後押しされて、当時の政府は北朝鮮当局者に謝礼を求めたことがあった。ところがその時、北朝鮮側から返ってきた言葉は、「コメ支援で大儲けしているのは日本の政治家ではないか。われわれは感謝される側であって、謝意を表明する必要はない」……。
その時、北朝鮮側はわが国政府当局者に対し、コメ支援で儲けている政治家のリストと、その金額を提示したと伝えられている。そこには与党どころか野党の大物政治家の名がズラリと並んでいたという。

日本が北朝鮮に対して行ってきたコメ支援について精査した米ブッシュ政権は、日本のコメ支援が現実にはカネに代えられていること、そのカネのかなりの部分が日本の政治家にキックバックされていること、しかもキックバックのほぼ全部が橋本派議員のものである事実を掴んだ。そこで領袖である橋本龍太郎をワシントンに呼び寄せ、直に質したうえで怒りを爆発させたのだ。

では、北朝鮮コメ支援によって甘い汁を吸っている売国奴橋本派議員とは、いったい誰か?
その大物政治家の名は、不明である。しかし、橋本派の大物で北朝鮮コメ支援に関係して、しかもキックバックを受け取れる……となれば、そう多くは考えられない。野中広務を筆頭に、鈴木宗男、中山正暉……。

事業の裏に利権有り。合併前に予算を使い果たして公共事業をし、合併を契機として合併特例債を利用して大型の公共事業が行われ、気がつけば、莫大な借金だけが残り子孫が苦しむ。喜ぶのは、政治家とゼネコンだけ。

以前、司馬遼太郎の「この国のかたち」と言う文字を見聞きした事があります。
企業の合併とは自ずと違ってしかるべきで、経済性も大いに必要ですが、まず考える事は、「この国のかたち」にあるのではないかと私は思います。



Re:合併至上主義=国土を軽視した自治体論 お名前 玉井彰 2003/02/09(日) 21:48:53 [No 453]

平成の市町村合併は、中央集権体制の延命と中央官僚達の職域確保をその本質とするもので、「地方分権」という名の地方統治合理化策に過ぎません。

国の将来を真摯に見つめれば、中央集権体制は限界に来ています。地方主権ないし地域主権により、地方に財源、権限、人材をセットで渡し、国は外交、防衛等の権限を残すに留めるべきです。

これからは、小さな自治の可能性を追求していく時代であると考えます。広域合併により地域の人口減少に拍車が掛かります。人口を基準としているだけでは事態に追いつきません。小さな自治を可能にするにはどうすべきかの議論こそ必要だと思います。



Re:この国のかたち お名前 玉井彰 2003/02/09(日) 22:01:06 [No 454]

この国のかたちこそ議論すべきテーマであると考えます。

私は、市町村合併問題を市町村のあり方に矮小化すべきではなく、国のありかた、中間団体である県のあり方、市町村のあり方とが三位一体で議論されるべきであると思います。

利権の問題を書かれています。この国の政治家を論ずるにあたってやっかいなのは、彼等の利権が完全な私利私欲のためなら断罪が容易なのですけれども、他の国の政治家に比べて私的な流用が少なく、自己の勢力(派閥)の維持、選挙資金の補填等に充てられているため、公のための自己犠牲のような錯覚にはまっている為、罪の意識が乏しいということです。

派閥や自己の選挙資金に充当することを含めて全てが「腐敗」であり「罪」であると彼等に明確に意識させることがなければ、真の政治浄化はないと思います。



この国のかたち2 お名前 淡路島の田舎モン 2003/02/10(月) 14:32:41 [No 455]

古代ギリシアの哲学者プラトンは一国家の政治的在り方について「理性と知性が支配する国。無知と欲望が支配する国」の分類を行い、後者の悲劇と悲哀を説いた。

「父は子を造る。子は父を見習い、父に似る」これもまたプラトンの言葉であるが、政治は国民という子を作り続け、同時に子は政治という父親に従って国民性を構築していく。世界の国民の多くが、その父を見習って現在に至っている。

歴史を作るのは人間である。そしてまた、歴史を作るのは政治である。政治が歴史を作り伝統を作る。この法則の中では、中央・地方の区別 はない。いや、中央政治を造るのは本当は、生活感覚が息づく番地、丁目、町村から始まった政治認識を、都道府県レベル、国政レベルに――いわゆる「小から大に至る」政治認識に改めなければならない。
地方議員こそ、国家国民の政治形成の原子的存在にほかならない。
地方議員は、ただ単なる中央議会議員の下部組織で在ってはならない。
その認識が、今こそ必要だ。

現在のこういう国家、こういう政治で、日本という国が街が成り立つのか。

今こそ政治に対して考え訴え行動なければ未来は.........。



Re:この国のかたち2 お名前 玉井彰 2003/02/10(月) 22:04:43 [No 456]

地方→国、国→地方の双方向の指揮命令系統を考えるべきではないかと考えています(それぞれが一定領域において上位者である)。

個々人の生活領域から出発する発想と、国民の生命・財産を守る発想とのバランスが大切であると思います。

残念ながら、地方議員は徹底的に飼い慣らされています。自分達が上位者であるなどという発想はどこからも湧いてこないでしょう。この部分が変わることがこの国を変える大きなポイントです。国民1人1人についても同様です。



戦艦大和的時代錯誤 お名前 安倍川餅 2003/02/10(月) 23:18:21 [No 457]

 大浦合併、静清合併、湘南市大合併、新潟市の「政令指定都市化構想」、果ては佐渡島や対馬諸島の「1島1都市」のような、政令指定病や大規模合併は、戦艦大和的時代錯誤としか言いようが無い。こんな合併は、即刻白紙に返されるべきである。
 元々大きいコムーネ同士が合併すれば、益々活性化すると云う発想は、醜い誇大妄想ではないか。大きい者同士の数合わせで、形式だけ巨大になって、「区」で取り繕おうとして、どうして活性化・個性化するのか。そんなコムーネは風土や住民を軽視しており、とても「自治の基礎単位」と言える代物ではない。
 そして、新都心が中心市街地の潰滅を惹き起こし、野放図に巨大な面積によって周辺部も潰滅し、痒い所に手が到かない状態を惹き起こしてる。つまり、政令指定都市から180゜転換する施策が求められている。消されるべきは「区」であって、「市」ではない。
 にも関らず、政令指定都市に恋々として、人口と「区」で自慢する態度は、時代錯誤も甚しい。そして、「自治の基礎単位」を全く考えていない。
 佐渡島では、「1島1都市」に反対する町長が辞任に追い込まれたが、おかしい者は、「1島1都市」を念佛する行政や住民ではないか。「1島1都市」論者は、国土や生活圏や木目細かさを全く軽視したまま、中央の言いなりに、旧態依然とした戦艦大和主義を念佛してるだけに過ぎない。
 コムーネとは「自治の基礎単位」だから、痒い所に手が到く領域でなければならない。故に、都会と寒村を一緒にしたり、「1島1都市」にしたり、大きいコムーネ同士が合併しても、コムーネとして総まるはずがない。
 スノッブたちが人口と面積で自慢したい為に、コムーネを消して、何が我が街の発展か。政令指定病で大きいコムーネ同士が合併しても、野放図な合併で野放図に巨大化しても、そんなコムーネは、戦艦大和の如く無用裏に沈むであろう。



訂正 お名前 安倍川餅 2003/02/11(火) 01:20:58 [No 458]

(誤)「区」で取り繕おうとして →(正)「区」と新都心で取り繕おうとして
(誤)…恋々として、人口と「区」で自慢する…→(正)…恋々として、新都心を濫造して、人口と「区」で自慢する…



Re:戦艦大和的時代錯誤 お名前 玉井彰 2003/02/11(火) 09:58:40 [No 459]

「味噌も糞も一緒」という言葉があります。大都市の自治と小さな村の自治とでは、その有り様が違うはずです。自治の本質を異にすると言ってもいいと思います。その違いを無視して一括りにする発想の無神経さにはあきれます。日本海軍の最終段階で登場した戦艦大和のように、日本の政治も最終段階を迎えたのかも知れません。

旧自治省の役人は、小さな自治についての理解がありました。総務省になる少し前から、大蔵省(財務省)の論理に押し流されるようになりました。「変節」と言ってもよいでしょう。

官僚のセクト主義により大日本帝国は滅亡しました。その責任は一部「A級戦犯」に押し被せ、あるいは、「一億層懺悔」のキャンペーンに隠れて、無責任路線をひた走ってきました。彼等官僚の無責任さ、卑怯さを体現するのが今回の市町村合併推進路線です。



大都市論の根本的誤解 お名前 安倍川餅 2003/02/11(火) 21:41:26 [No 460]

>大都市の自治と小さな村の自治とでは、その有り様が違うはずです。自治の本質を異にすると言ってもいいと思います。その違いを無視して一括りにする発想の無神経さにはあきれます。

 単に人口が多いからと言って、大都市と見なしてはならない。大きい都市同士の合併による大都市は、本来の大都市とは似て非なるものである。
 「本来の大都市」と、「大都市同士の合併による大都市」の違いは何か。前者は、中心市街地が活気に満ちていて、元からの都市名を称してるのが特徴である。一方後者は「形式だけの大都市」であり、合併による数合わせに過ぎず、新都心や多極主義によって、中心市街地が潰滅してるのが特徴である。しかも、合併による醜悪な名称が作られている。
 面積が広過ぎるので絶対的賛成はできないが、横浜や神戸のように、中心市街地が活気に満ちていれば善い。本来、都市(や村)は、大であれ小であれ、中心市街地が個性的で活気に満ちてる者が健康なのである。故に、「新都心は栄えて、中心市街地は亡ぶ」とは本末転倒である。縦え合併して人口だけで数合わせしても、旧来の市街地を潰して、何が大都市なのか。
 極が多過ぎると、却(かえ)って中心市街地も周辺部も潰れる。大きい都市同士が合併したから大都市だ、“50+50=100”だ、と云う発想は大錯覚なのである。何故なら、合併しても、新都心や多極主義によって、中心市街地は取り残されるからである。
 人口が多いからと言って、単純に大都市だと言ってはならない。況してや、「大都市=善、中小都市=悪」と云う図式など時代錯誤である。合併で「形式だけの大都市」を造る位なら、合併せずに本来のままでいる方が個性的ではないか。



Re:大都市論の根本的誤解 お名前 玉井彰 2003/02/12(水) 08:50:41 [No 461]

都市の実力ないし魅力とは何でしょうか?

私は、都市機能の集積であると考えます。都市的なサービス(行政、金融、医療、交通、商業等のサービス)を提供する場が集約されていることが必要です。都市機能の集積・集約という考え方は、今後想定される超高齢社会において、どの地域にも必要とされるものです(歩いて暮らせるまちづくり)。

一般に、従来からある10万都市には、裁判所の支所、税務署の支所、法務局、県の機関等があり、それ以外の機能もそれなりに充実していました。しかし、これからの合併により足し算的に出来た「10万都市」には、そのような機能はなく、都市機能の集積の面で著しく見劣りすることになります。これは「似非10万都市」と言うべきでしょう。

単なる足し算的発想しかできない合併論者のイマジネーションの欠如(ないし、それを知っていて騙そうとする悪意)には、閉口します。



大都市論の根本的誤解(2) お名前 安倍川餅 2003/02/13(木) 13:08:26 [No 462]

 「本来の大都市」と「数合わせによる大都市」の例を挙げて見よう。前者の例は横浜であり、後者の例は大宮+浦和である。
 経済統計を見ると、人口や工業生産高や商業生産高などが載っているが、これは政令指定病と同じ“50+50=100”の発想であり、眉唾物の数字である。幾ら大規模に合併しても、単に人口が水脹れしただけであって、中心市街地の活気は元のまま、“50+50=50”なのである。
 さいたま市が良い例である。100万都市と言ってるが、“50+50=100”の発想で、大宮と浦和のような中核都市が合併しただけ(戦艦大和的時代錯誤だ)なので、大宮の活気は30万都市程度、浦和の活気は20万都市程度に過ぎない。川越や宇都宮の方が遥に活気が有る。
 いわき市も全く同じで、経済統計に則れば水戸や郡山を上回る数字であるが、実際は裏腹である。実際に平市街地に行った所、薄っぺらで、30万都市と言える代物ではない。
 故に、加算的発想の100万都市(大宮+浦和)は、本来の40万都市(宇都宮)や本来の30万都市(川越)に見劣りしており、とても100万都市とは言えない。にも関らず、機械的に“50+50=100”と考える、経済統計や政令指定病患者の発想は、薄っぺらで無神経である。



大都市論の根本的誤解(3) お名前 安倍川餅 2003/02/13(木) 13:48:29 [No 463]

 では、横浜が真に340万都市なのか、神戸が真に140万都市なのか、広島市が真に100万都市なのかと言えば、それは違う。何故なら、面積が広過ぎて、均斉が取れないからである。
 例えば、広島市は、周辺町村の吸収合併によって100万人を超えた。中心市街地が活気に満ちてる分、静岡市+清水、大宮+浦和、京都+大津みたいな「中都市同士の合併」よりはマシだが、それでも100万都市とは言えない。
 広島市の場合、中心部から20km離れた山間部(安佐)まで領域に収めている。そんな山間部は分割されるべきだし、分割して考えられるべきである。六甲山北麓(神戸市北区)や、横浜市と川崎市のR246沿線も同類である。例えば、六甲山北麓のように、「名目上は神戸だが、実質的には神戸じゃない」地域を、三宮(名実共に神戸)と一緒に扱うと錯覚を招く。
 中心市街地が活気に満ちてる事は健康であるが、人口や領域は、中心市街地の活気とは一致していない。面積や風土や交通网において、中心市街地と著しく異なる地域を、大都市の一角と見なすのは錯(まちが)いなのである。



合併特例債について お名前 淡路島の田舎モン 2003/02/13(木) 17:04:53 [No 464]

特例債の安易な活用は、国や地方自治をより危険にさらす可能性が大きい。

現在、失業やリストラが広がり、生活防衛に走らざる得ない環境になってきています。又、グローバルな国際経済の中では輸入関税もかけられず、企業進出による技術移転によって、安くて質のいい物が、流入する事は避けられない状況です。このような環境下では、現在のデフレ経済社会が回復するとは思えません。

私なら、当てもないのにローンは組みません。 しかしながら、全国何処もかしこも合併特例債に頼った計画で、税収みとうしが、はなはだあいまいななかでの町づくり計画に思えます。しかも、合併特例債を満額利用すると、私の住む三原郡の場合を例に挙げると、利息を含め100億以上の返済をしなければならなくなります。これらは税収で返済しなければならないと思います。ますます財政を圧迫する事にもなります。

地方分権の受け皿団体としての充実と言う一面も大事ですが、健全な財政運営の構築を確立する事こそ、今回の合併の意味があると思います。

過去半世紀の交付金に頼った公共事業のあり方が、制度疲労してきていることは周知の事実です。にもかかわらず今又、特例債に依存した計画の策定にいたっては、現状認識が甘すぎるのではないでしょうか。

今後 交付金の減額が予想され又、低成長化に地方税収の低下も伴い財政需要額に占める償還金の割合が上昇すれば、将来更に住民に対する行政サービスの低下と大増税をもたらす事になるでしょう。



Re:大都市論の根本的誤解(2)と(3) お名前 玉井彰 2003/02/13(木) 17:06:07 [No 465]

従来、我々国民は魅力ある都市についてのイメージが貧困であり、行政サイドは人口規模(=予算規模)への憧れがあり、都市の大規模化を願うという傾向に拍車が掛かったのでしょう。

昔の大名の石高○○万石というのを人口○○万人に置き換えると話がしやすくなります。人口3万人の市の市長は3万石の小大名、人口100万人の市の市長は100万石の大大名。こんな発想で自己イメージを形成しているのではないでしょうか。そこから、「大きくならなければ」という肥大化欲求が出てくるのでしょう。

相撲取りが体重増加に熱心であることにも似ています。確かに、体重が増加すれば勢いが増します。しかし、技や型が出来ていなければ大きくて弱い相撲取りになります。

大きくて魅力の乏しい「大都市」が生産されることに、大いなる危惧を感じます。



Re:合併特例債について お名前 玉井彰 2003/02/13(木) 17:22:59 [No 466]

平成の市町村合併における合併特例債の発想は、国が完全にモラルハザードに陥ったことを証明するものだと思います。もし、国が正気なら(あるいは地方への真心というものがあるのなら)、特例債の償還金の7割を負担してくれる代わりに、特例債で認められる枠の7割分を現金で与えることにより(半分でも良いでしょう)、多くの地方が合併した自治体を健全財政でスタートさせられるように誘導するでしょう。

「何かに使ったら7割補助してあげる」。この発想が地方を借金地獄に落としたのです。総務省はあくどい金貸しの手先のような者に成り下がっています。

多重債務者にありがちなこととして、例えば、20万円の借金を30万円に借り換えるときに出る差額10万円を博打や遊興費に使います。それと同じことが地方でも起こります。十分注意すべきでしょう。



区役所こそ缺陥制度だ(2) お名前 安倍川餅 2003/02/14(金) 16:04:04 [No 467]

 タマちゃんの住民登録が話題になっているが、タマちゃんの住民票が、「日刊スポーツ」関東本社版社会面に掲載された。
http://www.nikkansports.com/news/society/p-so-tp0-030213-02.html
 この住民票の特徴は、最上部の徽章が「横浜市」の徽章ではなく、「西区」の徽章である。転出・転入の提出先も区役所であり、最下部に記される名前は、「横浜市長 中田宏」ではなく、「横浜市西区長 君塚道之助」である。
 又、神戸市の場合、先ず市政府が在って、その下に区役所があり、果ては「区役所の支所」まで存在する(例:北区役所○○支所)。東京に至っては、区役所が网頁まで作っていて、そのURLが“http://www.city.区名.tokyo.jp”となっている。先ず都庁があり、その下に「区」が在り、そして「区役所の支所」が在る。
 一体、何の為に「区」が在るのだろうか?「市」や「区」の定義とは何であろうか?市政府が在って、区役所が在って、果てはその下に「区役所の支所」が在るとは、これ程のムダが在ろうか。一律に市政府で総めた方がスッキリするではないか。
 そもそも、コムーネ(comune<伊)とは「都市」「基礎自治体」と同義語である。イタリアでは、基礎自治体であれば村でも“comune”と記される。伊語で横浜市は“Comune di Yokohama”、伊予市は“Comune d'Iyo”と云う。誤っても、西区を“Comune di Nishi”とは云わない。
 イタリアの市政府のURLは、“http://www.comune.都市名.it”と一律になっているが、その方がスッキリする。例えば、パルマ市政府(人口20万人)のURLは、“http://www.comune.parma.it”である。しかし、パルマと同規模に当たる甲府の場合、市政府のURLは“http://www.city.kofu.yamanashi.jp”である。
 日本の市政府のURLも、“http://www.city.都市名.jp”と一律にすれば善い。伊予市政府のURLも、“http://www.city.iyo.jp”みたいに単純化すれば善い。
 「区」を設ける位なら、分割して新しいコムーネ(市)を設けるのが当然である。いっそのこと、自分のコムーネ(市)に自信を持つとか言うなら、始めに区役所(政令指定都市)を廃止して、市政府で済むような体制を作るべきである。その方が、コムーネの発展や個性化に至る。



Re:区役所こそ缺陥制度だ(2) お名前 玉井彰 2003/02/14(金) 17:58:26 [No 468]

私は東京に住んでいたことがあるので、東京都の「区」のイメージはあるつもりです。議員視察でも東京都の世田谷区、墨田区でお世話になりました。

東京都の「区」は基礎自治体ですけれども、その他の政令指定都市の「区」は基礎自治体内部の自治組織というべきなのか、行政組織内部の管轄に過ぎないのかよく分かりません。多分後者なのでしょう。この点は、誤解があるかも知れませんのでお教えいただきたいところです。

横浜市の場合、「ヨコハマ」ブランドの傘下にいたいという感覚はよく分かります。それ以外に地域のアイデンティティーを見出し難いのでしょう。

これとは対照的な例として、清水市の場合があります(静岡市との合併)。これほど名の通った都市が合併してどうするつもりなのか外部の人間にはよく分かりません。財政規模拡大→「利権」の図式しか思い当たりません。「さいたま市」も同類でしょうか?



自信家と刑死者 お名前 安倍川餅 2003/02/17(月) 16:20:26 [No 469]

>横浜と清水は対照的だ

 殊に横浜と清水は、全国のコムーネや人々から憧憬を惹いていた。その要因は魅力的ソフトである。
 では、魅力的ソフトとは何か。それは、ヒット曲や、俊れた人材であると考える。横浜が魅力を発揮した最大の要因は、「ブルーライトヨコハマ」のようなヒット曲と、横浜港(つまり中心市街地)の夜景がマッチした為であって、断じて区役所が在る為ではない。横浜は、良く言えば自信家、悪く言えば自意識過剰である。
 清水も同様で、サッカー界に多数の俊秀を輩出した事から、清水市政府には、「どうやって街興ししたんですか?」との質問が殺到したそうである。ところが、今の清水は、人々の関心・憧憬を惹いたにも関らず、それすら生かさずに刑場に行こうとしている。
 ソフトは侮れない。なんせ、横須賀と佐世保の明暗を分けた要素は、魅力的ソフトだと言って誤いない。「横須賀ストーリー」を輩出して以来、横須賀は青年を惹く街として鎮座している(暴走族のメッカになった事は惜しいが…)。
 縦え区役所が無くても、ヒット曲のような魅力的ソフトが在れば、ブランドを作れるのである。そこからコムーネへの自信が起こるのではなかろうか。故に、区役所を作らなければブランドを作れないと言うのは、誇大妄想ではないか。「特別区なら善い」なんて冗談じゃない。
 大きいくせに何の自信も無い誇大妄想家が、中央の人参に溺れて目隠しして、中央の言いなりに進んだら、絞殺台に吊るされて死んでいた。そんな刑死者が、静岡市や清水であり;40万都市でしかも交通の要衝同士の、大宮や浦和である。
 清水や浦和のような「刑死者」は、横浜やサンドニやカンヌのような「自信家」とは対蹠の位置に在る。カンヌは静岡市の姉妹都市であるが、静岡市とは対蹠的に、コムーネへの自信に満ちている。易々と消えて、中心市街地を蔑むコムーネ(や、その市街地)は、潰滅して人々を惹かなくなるであろう。



自信家と刑死者(補足) お名前 安倍川餅 2003/02/17(月) 16:39:35 [No 470]

 サンドニはパリ郊外のコムーネである。パリとヴェルサイユとサンドニを日本に置き換えたら:
 パリ…東京、京都。ヴェルサイユ…川越、奈良。サンドニ…浦和、大津
 と置き換えられる。
 1998年当時、サンドニの人口は12万人、浦和の人口は47万人であった。
 しかし、サンドニは小粒でも自信満々であり、大きいくせに易々と刑場に行く浦和とは対蹠的である。丁度、カンヌと静岡市の対蹠ぶりと非常に似ている。

http://www.cannes.fr/Francais/unefr.html
カンヌ市政府
http://www.ville-saint-denis.fr/choix.htm
サンドニ市政府
http://forum.nifty.com/fworld/fifa/st_deni.htm
サンドニの案内



自治体合併 お名前 成層圏 2003/02/18(火) 21:07:06 [No 471]

はじめまして。私は伊予市に在住するものです。
以前、伊予市役所ホームページ旧掲示板に「非常警報サイレンの吹鳴方法」について投稿した者です。当時、旧掲示板には体育館職員の態度についていろいろ論議がありましたが、私は「まあまあ」と宥めたい気分になっていました。ところが、その後投稿した私自身の「警報サイレン」についての反応が鈍いと申しましょうか、当事者になってみると分かってくるのが世の習いでありまして、お役所のガードの堅さに納得(何を^^)したのでした。

玉井さんはあの非常警報サイレンの吹鳴をどうお感じになりますか? 

私は数年間他県に住んでいまして久しぶりに帰郷した当時、あの傍若無人なサイレンを聞いて怒髪天を突く思いがしたのです。スピーカー直下に臨月に近い妊婦がいたらと気になったものです。

また、選挙の投票日などは開始時刻にこの警報サイレンを鳴らしています。懐中時計を持っている人が村の住民にひとりかふたりの時代ならいざ知らず、今や小学生もデジタルウオッチを持っているのです。サイレンを鳴らし且つ投票呼びかけのアナウンスも流すのならほんの少しは納得します。

実態をご存じでない方に、警報サイレンの吹鳴の様子を説明します。警報サイレンは、モーターサイレンではなく、拡声器による電子音サイレンです。

1.毎月1日(ついたち)、午前七時に『突然』吹鳴される。
2.一分間の連続吹鳴が三回繰り返される。
3.一分間の静寂。
4.アナウンス「市民の皆さん、本日は防災の日です。最近空気が乾燥し、火災が多く発生しています。火の取り扱いに注意しましょう」繰り返し「・・・」

以上です。アナウンスの内容は二、三のバージョンがあります。最近、さすがに元旦の吹鳴はなくなりました。

私は自治体合併には反対ですが、非常警報サイレン吹鳴が無くなるのであれば(異なる感受性、異なる価値観の移入があるのなら)合併も良いのではないかと思っております(^^;)。



横レス、です お名前 鈴木五郎 2003/02/20(木) 12:23:29 [No 472]

 成層圏さん、すみません。横レスさせて頂きます。
玉井さんは、今日まで観光旅行(ホントかよ?)に出かけいらっしゃる
とのこと、玉井さんがレスを書かれまでの、“繋ぎ”として読んで
くだされば幸いです。

 鹿児島県出水市という、人口4万人ほどの市に住んでいる者です。
この出水に流れ住んで6年が過ぎましたが、当初は、午後9時には“おやすみ(?)”のオルゴールが流れておりました。ところが、ある日を境
に止めたようです。誰かが、市役所に苦情を申し入れたと思います。

 伊予市役所のサイトの掲示板も拝見しました。「一市民」として書き
こみをされていらっしゃるのが、成層圏さんでしょうか?
 大変ツッケンドンなカキコとなってしまいますが、
 ここは正々堂々“正面攻撃”、なかなかお役所の執務時間にお暇が
できることないかもしれませんが、市役所に乗りこんで、相談されて
みてはいかがでしょうか・・・。
 役所の方も“普通の人間”です。



横レス 歓迎 お名前 成層圏 2003/02/20(木) 20:45:07 [No 473]

 鈴木五郎さん、初めまして。出水の方ですか。博多に住んで居たとき、鶴を見るためにバイクで出かけたことがあります。凍えて死にそうでした。私は九州が大好きで、毎年夏にはバイクツーリングに出かけています。昨年はちょっとさぼってクルマで五木村方面に出かけました。いずれ河辺川ダム湖に沈んでしまう集落を今の内に見ておきたかったからです。
 「一市民」は私です。名乗るにあたってあちらに失礼な事を書いてしまったなと反省しております。“正面突破”ですか。私は至って小心者のため、乗り込んで行くには勇気が百倍必要です(^^;) 。旧掲示板にくだんの苦情をバンバン書き込んだことがありますので、久しぶりの書き込みはハンドルネームを変えてみました。たぶん、分かる人には分かったと思います。
 あのサイレンを初めて聞いたときは、直接消防署へ電話しました。рノ出た署員は私の話している意味が理解できなかったようです。丁度アナウンスが流れているとき(受話器の向こうでもアナウンスが流れていた)にもした覚えがあります。苦情が来るなんて理解できない想像もつかない人たちなんだななと思いました。
 パソコンを手に入れてしばらく経って慣れてきたころ市役所のホームページを見つけまして様子を見た後、サイレン吹鳴について書き込みました。吹鳴の時刻とか吹鳴の手順とか改善することがあるでしょう、ということです。かなり強引で偉そうな書き方になっていたと思います。この様な手順を踏んで行えば少しは納得しますと、見本の手順も書いてみました。最初に優しいチャイムを流し、これからサイレン吹鳴を行いますとアナウンスをしなさい、等々。
 返事が一度ありました。装置の動作テストとしても今のやり方は変えられないとのことでした。

 もしアナウンスの声がうら若き美しい女性を彷彿とするものであれば多少は我慢もするのですが、実際は、何一つ人を(自分も)疑うことを知らない純朴なのんびりした中年男性の声に聞こえることが私の神経を逆撫でするのです。私は自分を斜に構えた変人であると認識しています(^^;)。



Re:自信家と刑死者(本文、補足) お名前 玉井彰 2003/02/20(木) 22:59:03 [No 474]

充分に有名でありソフトも充実している都市が、より大きな都市を目指して合併する動機は、ハードの整備にあるのだろうと思います。

しかし、そこにはその都市らしさの追求という視点は欠落していると思われます。

私たちは、個人として自分らしさを追求することがあります。それこそが人生の真の豊かさにも繋がるテーマかも知れません。

都市についても同じことが言えるのだと思います。言い換えれば、アイデンティティーの問題です。自分とは何か、我が街とは何か。このことへの問いを持たない皮相な自治体経営がまかり通る現状に対し異議申し立てをしたいと思います。



Re:自治体合併 お名前 玉井彰 2003/02/20(木) 23:13:00 [No 475]

伊予市の掲示板は、成層圏さんの御指摘をいただいて久しぶりに見ました。私も参加したいのですが、「売名」との誹りを受ける可能性があること、および、自分のホームページを持っていることから遠慮しています。

掲示板の責任者が誰かの問題がありますが、市に投げかけられた問題については何らかの返事は必要だと思います。この点は、担当課に聞いてみます。

毎月1日のサイレンは、知っていても毎回何事かと思ってしまいます。同感です。この点の対策についても、考慮時間を下さい。

同じ所にずっと住んでいると、外部の人がおかしいと感じていることに対しておかしいと思えなくなってくることがあります。Uターン者やIターン者、Jターン者の意見を真摯に聞くことが「旧住民」の責任だと思います。

政治の面では、どうしても新しい住民の方の意見が反映しにくい構造になっています。旧住民の方が顔も広く集票能力もあるので、選挙の時に力があります。その為、どうしても旧住民中心の自治になってしまうのが地方政治の実態です。

私が考えているのは、そのことを含めた政治風土の変革です。



Re:横レス、です お名前 玉井彰 2003/02/20(木) 23:35:15 [No 476]

鈴木さん、横レスありがとうございます。「返事」を書くのをノルマにしているので、一応書き込みをします。本日観光旅行から帰ってきました。

「横レス」という言葉を知らなかったのですが、意味は大体分かります。横レスに対しては、今後「読者」の立場を取った方がいいと思っています。

成層圏さんへ  一市民が行政に直接ものを言うのは難しいと思います。その為に議員が必要なのだと思います。

伊予市への書き込みで大合併を主張されていますね。小さな自治体を守ろうとすることがある種の「利権」のように見えるとすれば、それは自治が形骸化し、一部の有力者だけのものになっていることを意味すると思います。

私は、個々人が存在感をもって関わりを持ち合える範囲で自分達の生活領域における問題を解決することが自治の本質ではないかと考えています。その為には、小さな自治を大切にすべきであると思います。小さな自治が地域ボスに牛耳られやすいことは否定できません。それは住民が主体的に乗り越えていかなければならないテーマです。キーワードは「参加」です。



地方自治? お名前 成層圏 2003/02/21(金) 23:03:35 [No 477]

 地方分権の時代であるということと自治体合併は、私の頭の中で調和のとれない事柄です。これは、高齢化社会を控えて老人介護は誰がやるんだ人手が足りない、ということと、経済が不況に陥り構造改革のために人手が余っているがどうしたものか、ということが同時に語られていることと似ています(これも私の頭の中なんですが)。
 地方分権というと中央に対する地方という構図ですが、その地方は地方自治体の最小単位である市町村であると漠然と考えています。その市町村を合併して大きくしようというのはなんだか拡大思考で、分権という基本理念は一体何だろう、何処へ行ったのだろうと思うのです。私の認識に誤りがあると言われると・・すごすご・・なんですが。

 伊予市の掲示板で大合併を言っているのは、サイレンを止めたい一心です(^^;)。また、近在の同等の自治体と合併するのはバランス的には宜しいでしょうが、もし両者間に確執が存在するようであれば形だけの合併となり、様々な不具合が合併後噴出するでしょう。それくらいなら飲み込まれてしまった方がいいのではないかとも考えます。

 ところで、インターネット上の論議はなかなか一般化は難しいですね。これを見誤ると例の加藤紘一(漢字あってるかしら)氏のようになります。大分前に愛媛新聞のWeb・ヤング落書き帳で「愛媛は大嫌い、もうすぐここを出て都会に帰ります」という投稿がありました。落書き帳は暫く静かでしたがこれが紙面に載ったトタン大騒ぎになりました。丁度機が熟したからとは言え活字の威力に魂消ました。



Re:地方自治? お名前 玉井彰 2003/02/22(土) 00:00:20 [No 478]

私に言わせると、「地方分権」というのは、中央集権国家であることを前提とした地方統治の合理化のことです。

中央集権国家では全ての事柄が国の事務です。それを地方の名によって行わせようということが「地方分権」ということです(国の名によって行うより美しく聞こえるわけです)。要するに、地方自治体に仕事をアウトソーシング(下請けに出す)するのです。下請け機関である地方自治体は、全てのサービスを提供できる総合的な行政体でなければなりません。それを「基礎自治体」であると考えると、基礎自治体は大きな単位でなければならないことになります。

私は、住民がまとまって自分達で身近な事務を行おうとするものを自治体と呼ぶべきだと思います。全ての事項を監督できるだけの能力があれば基礎自治体と言えると思います。県や国に注文を出し、監督できる力があれば良いのです。それほど大きな自治体でなくても可能です。専門分野でなくても、監督することは出来ます。身近の事務に関しては、自治体が県や国の上位機関だと考えます。

こういう考え方もあることを分かっていただければ幸いです。



質問状 お名前 ヒカル 2003/02/24(月) 14:00:21 [No 479]

初めまして。
私は伊予市に住んでいる住民です。
玉井彰議員に質問があります。
1.今回の市議員選挙で公約を述べなかったのはなぜですか?
2.旧住民中心の選挙で集票をする選挙はいいですが今の選挙体制で
 将来的な展望があると思いですか?

 その他いろいろありますがとりあえずこの質問だけお答えをして
 頂きたいのですがよろしくお願いします。
本当に合併を反対でしたら数字的かつ現実的に説明をしてください。
いまだに議員の足並がそろわないのであれば砥部町や三崎町のように
住民投票をするのも手では無いのでしょうか?
よろしくお願いします。