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望ましいコムーネとは何か お名前 安倍川餅 2003/02/24(月) 14:07:30 [No 480]

 望ましいコムーネの像を整理したい。
 望ましいコムーネとは、政令指定都市の対蹠であり、人口が少なくても密度が高いコムーネである。
1.区役所から、市政府へ
2.巨大から、コンパクトへ
3.新都心から、旧都心(中心市街地)へ
4.差別・軽蔑から、反差別・尊重へ
5.茶坊主根性から、反骨精神へ
6.刑場(死)への道から、自信家(生)への道へ
7.大きいだけのスノッブから、小さくても辛い山椒へ
8.1個の100万都市より、2個の50万都市へ
9.横並びより、個性化へ

 上記に挙げた「望ましいコムーネの9要件」の到達地は、以下の2項の理念である。
1.紅(弱者:住民、労働者、地方etc)の擁護
2.風土感覚と地名感覚の健全化(←住所表記が簡潔になる)

 自治体論においても、誰の利害を代辯するかを根底に考えるべきである。紅(弱者:住民、地方、労働者…)なのか、白(強者:支配階級、中央、多国籍企業…)か。勿論、紅の利害を代辯する内容でなければならない。
 西尾私案や政令指定都市は、白の利害を代辯し、紅を軽蔑する自治体論である。白の代辯者が幕張新都心であり、紅の代辯者が千葉市街地と喩えれば解るであろう。
 白を擁護する地域は、高が多国籍大企業の草刈り場に過ぎず、人目を惹いても、定着力・還元性に乏しい。言わば「経済の為の人間」が特徴である。
 一方、紅を擁護する地域は、地元住民や中心市街地(地元商店街)が活気に満ちてる地域であり、風土や特性を重んじて、定着力・還元性・密度が高い地域である。言わば「人間の為の経済」が特徴である。



Re:質問状 お名前 玉井彰 2003/02/24(月) 19:27:54 [No 481]

一般論として、首長は公約を掲げなければならないし、当選すれば掲げた公約を実現することが出来ます。しかし、議員は、通常、理事者の提案に対して賛否を表明する立場であって、提案する立場ではありません。「公約」と言っても、議員としての姿勢というべきものになろうかと思います(無論、議員提案で可能な事柄もあります)。

今回の選挙に当たり私の支持者の方々が後援会活動に使った用紙には、
1.皆様の御意見を市政に反映するため、なお一層努力します。
2.高齢者が安心して快適に暮らせる伊予市を目指します。
3.地方の自立、経済の基盤確保のため、産業の振興にも取り組みます。
4.伊予市中心市街地の活性化、まちの魅力づくりに取り組みます。
ということを掲げています。

私の「活動報告」と「レポート」も12月、1月にお配りしました。この中に「公約」を掲げると、事前運動とみなされる余地があるとの判断から、掲載を見送りました。「活動報告」「レポート」には「選挙」ということは一切載せていません。通常の政治活動としてお配りしました。

合併反対論については、私の合併反対論ホームページを御覧下さい。過去の「一言」欄を見られても私の考えはある程度出ていると思います。

議会の意思は固まっています。前期の議員で賛否の判断を問うたときに、4人の反対意見がありましたが、残りは賛成でした。今期の議員で賛否を問うても、多分15対3で合併を可とすることになると予想されます。住民アンケートでも7割以上が合併賛成です。選挙もありましたので多数決的発想では決着が付いたとも言えます。私は合併には反対です。しかし、多数決には従うという立場です。現時点で合併反対と言っているのは、国策としての合併推進に反対しているのです。

有権者の中から住民投票をしろという御意見が出れば賛成します。

なお、選挙期間中350回街頭でお話をさせていただきました。そのほとんどの場合に、「地域の魅力が増す合併でなければならない。その為の提言をしていくつもりです。」と訴えました。

これだけやってもほとんど有権者の皆さんに私の考えが伝わらないと言うのが実態です。

旧住民中心の選挙で集票する・・・ということについては、それが選挙の実態ではありますが、肯定的に捉えているのではありません。ある自治体の例を挙げると、人口が増加し新住民が相当数いるにもかかわらず、旧住民の代表しか出て来ません。それではいけないと思います。公平に代表者が出られる自治を目指したいと考えています。伊予市の場合、18人の議員中10人が農業者です。偏りが大きいと思います。サラリーマンや女性から代表者が出られるようにしたいと思います。



Re:望ましいコムーネとは何か お名前 玉井彰 2003/02/24(月) 19:28:54 [No 482]

おっしゃることを私なりに整理すると、経済合理性を重視するのかコミュニティーを重視するのかという対立軸が見えます。個々人の顔が見え、それぞれの存在が認められる自治が望ましいと思います。

行政サービスの提供者の論理か、住民の論理・地域の論理かという切り口もあるでしょう。

意思決定の単位としての自治体は小さい方がいいと思います。



ゆとり教育 お名前 成層圏 2003/02/25(火) 00:09:47 [No 483]

「ゆとり教育」と言う言葉は、「勉強しなくてもいい」という気分を蔓延させたのが失敗ですね。それに、勉強してもしなくても結果は大して変わらないと、トップ20%以外、残りの80%に思わせていることです(この数字は私の当て推量^^)。テレビ番組は、NHK「プロジェクトX」のようなこつこつと努力しで成果を挙げた人々を称える番組はホンの一握りで、ほとんどは、タレントのない木偶の棒たちがわいわい騒いでいるばかりです。あれを見ていると、勉強などしなくても「いいやんか」となってしまいそうです。
十数年前、オーム真理教が勢力を拡大していたころ、オーム真理教の信者に理科系の者が多くいることに警戒感を示す論調があったことを覚えています。その論調の底には次のような心理が流れていたのではないかと考えています。それは、世の中を支えている生産部門や技術開発は地道な活動が大前提で日の目を見ることはあまりありません。所謂理科系の生活する領域もこの世界ですが、日本を世界の一等国にしたのは我々であるとの誇りを持っています。このことは、かの盛田昭夫が「我々は日本経済を世界一にまで育てたのに、君ら政治家のこの体たらくはなんなんだ」と当時の宮沢首相に言ったことに表れています。つまり、世の中を動かしているのは、方向付けるのは所謂文科系なのです。文科系は理科系の上にどっかと座っているのです。そして、文科系は性質の悪いことに、こつこつ努力することは大切であると承知はしているでしょうが、それ以上に良い面では発想力、悪い面ではコネに代表される口八丁手八丁がものを言う。このように文科系が席巻している機構に理科系のオーム真理教が対抗勢力として頭をもたげてきた。これを敏感に感じ取ったのが、先の「オーム真理教、警戒すべし」に表れていたように感じるのです。最近の若者はこの口八丁手八丁が地道な努力を上回っているのを感じ取っているのではないか。理科系と文科系は一言で上のように分類されるとは思いませんが、表面に現れている現象を見て、若者の心は「勉強よりも・・・を」、と為りがちなのではないかと考えるのです。
ゆとり教育は理科系の内容を狭めています。「こども科学電話相談室」に見られるように子供時代は科学に大変興味を持ちながら、なぜか大人になるにつれて科学は敬遠されるようになります。理科の副読本を作る動きがありますが、その危機感は良く分かります。



学校週5日制の課題と今後 お名前 伊予市の元気印 2003/02/25(火) 12:15:44 [No 484]

先週土曜日伊予市において生涯学習推進大会が実施されました。その中で学校週5日制における現状と課題!!という分科会に参加しました。学校・地域・家庭が教育機能を発揮して健やかな成長を促す!?のが趣旨らしいですが、日本の成長を支えてきた根本の基礎教育の低下につながるゆとり教育には大反対です!!
 小資源・小国の日本にとって、世界と渡り合うには”技術立国・教育大国”のみが生き残る唯一の道です。今後文部科学省??の大幅な方針転換を期待しつつ基礎教育のレベルアップを切に望みたいものです。



お忙しい中返事をありがとうございます。 お名前 ヒカル 2003/02/25(火) 12:32:36 [No 485]

さっそく返事を聞くことが出来て嬉しく思います。

確かに今回の選挙の中で事前運動になってはいけないから公約を記載しないのは分かります。
選挙違反になるからですね。

しかし、選挙ポスターに記載するのは公示日後になる為公約を公開しても良かったのではないのでしょうか?

一つどうしても気になる事がありますので玉井先生にお答え頂きたいのですがよろしくお願いします。

今回の選挙前に必ず開かれる立候補者説明会の事ですがどうして一般公開されなかったのですか?

以前私が選挙管理委員会に電話をして聞いてみると
「現役議員と各区長には連絡をします。」
との事でした。
つまり一般には公開しないという遠回り回答をしていたのですが
立候補は伊予市住民の25歳以上であれば立候補する事が出来る様に憲法で決まっているのではなかったのですか?
という事は裏を返せば地方自治体の責任により25歳以上の人には知らせる義務はあったのでは無いのでしょうか?

どうがこの事について先生から市の方にお話を聞いてみてもらえませんか?

私達のグループは今回の選挙で玉井先生と他の3名の方にそれぞれ200票ずつ分けて投票しました。
しかし、投票基準があまりにも少なく難航していたので有権者の一人として苦労しました。
私の考えは
地方行政は一番国民に近い行政活動です。
その中で私達有権者が投票する人は
有権者がこの人の考えなら私は賛成して一票を入れる。
というのが本来の選挙であると個人的に考えています

先生頑張って下さい。

追伸:成層圏さんオームではなくオウムですよ
(^^)



Ω お名前 成層圏 2003/02/25(火) 12:55:56 [No 486]

ヒカルさんへ

思わず(*^^*)となってしまいました。
オウムでしたか。間違えてしまいました。

読み返してみると、へんてこな文章になってしまっています。
文科系(と一括りにするのは良くないと思いますが)のふがいなさがここのところ目立つので、以前思っていたことを絡めて書いてみたのですが・・・・。



Re:ゆとり教育 お名前 玉井彰 2003/02/25(火) 18:19:45 [No 487]

理科系、文化系の発想については、思い当たることがあります。高校2年頃まで、私は自他共に理科系の人間と思われていました。しかし、考えてみると、法学部出身の者が上で威張っているのが社会の実態のような気がして理科系への意欲を失いました(と言うと聞こえがいいのですが、半分は怠けた結果です)。

これからは、文系、理系ということを画然と分けるべきではないと思います。大学の受験科目数の減少には問題があります。様々な分野を若い頭で吸収すべきではないでしょうか。



Re:学校週5日制の課題と今後 お名前 玉井彰 2003/02/25(火) 18:24:46 [No 488]

現在、堺屋太一氏の言われる「知価社会」に突入しています。工業社会型の画一的な人材育成から知価社会型の人材育成への変更が必要です。しかし、そのことを「ゆとり」ということで解決しようとすることは短絡的ではないかと思っています。

知識の習得なくして新たな発想はないと思います。



Re:お忙しい中返事をありがとうございます。 お名前 玉井彰 2003/02/25(火) 18:25:40 [No 489]

「先生」は勘弁して下さい。

立候補者説明会自体は公開されています。広報に期日・場所が書かれていないので、一般の方は問い合わせないと分かりません。立候補される方ならそのくらい調べるだろうということなのでしょう。また、説明会の案内を見たから立候補を思いつくという人がいることを想定していないのでしょう。

選挙管理委員会に電話一本かければ分かることではないか・・・というのが行政サービスの供給者サイドの発想ではないでしょうか。サービスの受け手の立場でものを考える習慣をつけることがこれからの自治体にとっての課題であると考えます。

選挙管理委員会(事務局)には、改善を求めました。説明会の日にち・場所を、広報の締め切りに間に合えば載せてもらいますし、ホームページにも載せてもらいます。後日、念を押しておきます。

選挙用ポスターには、「考えてみませんか 私たちのまち 伊予市の将来を!」というタイトルと、「皆様のお声を市政に反映します」ということを書きました(その為、顔写真は小さくしました)。これ以上書くと字が(顔写真も)小さくなりすぎて見えなくなるので諦めました。近づけば分かるような書き方もあるかも知れません。この程度書いただけでも、ゴチャゴチャ書くなと言われました。なかなか皆さんの気に入るようにはならないものです。



質問!土曜学校? お名前 鈴木五郎 2003/02/26(水) 12:18:06 [No 490]

 いつも「一言」欄、楽しみに読ませて頂いているので、感想を書かせ
て頂こうと思うのですが、飲んだくれているうちに、機を逸してしまっています。

 思いついたことで結構ですから、もう少し「NPO土曜学校」で何をしたい!等の構想を書いて頂けませんか。

 私、かつてしがない学習塾の塾講師で、食い扶持を頂いておりまし
た。そこでの衝撃、「今時のガキって、勉強したことあるのけ?」・・
・・・・でした。高校入試を目前にして、分数の計算は当然出来ない
・・・・・。
 失礼ですが、玉井さんの“立派な”経歴を拝見すると、現実とのギャ
ップの前になおさら失望してしまうのではないだろうか〜と、余計な
危惧をさせていただきます。



街並み お名前 めろりんきゅー 2003/02/26(水) 16:11:45 [No 491]

街並み協定はどこにありますか?よう探せません…
市が伊予市駅前に街の交流拠点を造るそうですが、どんな建物(構造)になるのですか?街並み協定に即したものにするのでしょうか?1階建てで屋上が駐車場と書いてあるのでどこにでもある箱物ができるだけでは魅力がないんじゃないかと思いまして書き込んだ次第です。



Re:質問!土曜学校? お名前 玉井彰 2003/02/26(水) 17:42:04 [No 492]

構想としては、保護者および教師志望のボランティアとともに、国語を基礎においた学習をしたいと考えています。

「声に出して読みたい日本語」の著者、齋藤孝氏が一連の著作で主張されているところを参考にしたいと思います。生涯の財産となるような本を読むことを基調に据え、朗読をしたり話し合ったりすることを想定しています。

「対価」を要求します。それは、海岸清掃等のボランティアです。地域通貨ということも考えていいと思います。授業料を親に出してもらうのではなく自分で稼いでもらいます。

これからは、一定年齢以上の子供は自分で授業料を払うようにすべきだと思います。「学習権」の観点から公が資金の貸し付けを行うべきです(+ボランティア)。塾等の民間教育機関にサービスを提供していただくことも真剣に考えるべきでしょう。



Re:街並み お名前 玉井彰 2003/02/26(水) 17:51:02 [No 493]

ネット上では、「協定」案をまだ載せることが出来ていません。まちづくり会社のホームページに載せられるよう努力します。

街の個性化を図るために、郡中らしい街並みを形成できるように民間の紳士協定を造りたいと考えています。行政に働きかけて、街並み協定が締結されている地域で建て替え、補修等があった場合に、基準にそったやり方の場合に補助金が出るようにしたいというのが関係者の希望です。

「街の交流拠点」の基本設計は3月議会に提出します。郡中の町家を象徴する建物になる予定です。

屋上に駐車場という案は、コンセプト検討委員会で検討する中で「廃案」となりました。



それは京都を凌ぐ お名前 成層圏 2003/02/26(水) 21:07:21 [No 494]

アトラス出版の「郡中・町家物語」というムックがあります。
この中には、郡中が日本に誇る町の構造があると書かれています。
この本は編集に市役所も関わっていて、「なかなか市役所もやるもんじゃ」と思いました。
本の内容で個人的に関心があったのは、伊丹万作を支えた人物(パトロンですね)の住居が近くにあったという記事です。
伊予市には削り節で有名な三社(最近では二社+α)がありますが、「日本砥石産業」という今は昔を思わせる会社があることを書いておきたい。



選挙管理委員会の怠慢? お名前 ヒカル(27歳) 2003/02/27(木) 04:56:01 [No 495]

玉井議員のポスターでも書き過ぎなのですか・・・・?
これは参りました。m(_ _)m
ほとほとあきれ返っています。
一度市民と議員の全員(もちろん市長と市役所幹部も含め)市民大討論をしてみたいですね。
そうすれば本当に伊予市を考えている議員かどうか一目瞭然になるのに・・。どうですか?

実は私は選挙管理委員会に電話をして立候補者説明会の日時を聞きました。
しかし選挙管理委員会は
「現役議員と区長の方々にはお伝えした」
との事!
電話をしても教えてくれませんでした。

この件について私個人の見解ですが権力を持つものと持たないものでは情報の平等化が行われていないのが今の伊予市の現状です。
選挙管理委員会と役場・そして現役議員の癒着が考えられてしまいます。
たしかに人間は大なり小なり手に入れた権力で甘い汁を吸っているものです。
しかし、不変で無くてはならないものは変えてはなりません。
幕末の志士である坂本竜馬や桂小五郎達は現在の伊予市議の状態を夢見て倒幕を実現したのでしょうか?
今回も某宗教団体が結託して宗教議員を輩出し2世議員が当選し選挙結果は尊重しますが・・
しかしスタートラインがあまりに不平等ではないですか?
私はアメリカの上院議員と個人的に親しくさせて頂いてますが彼と同じ意見なのですが「日本全体の議員選挙は名目だけで幕府時代から変わっていない。公的な情報を一般に排出する事が無いだけでなくしがらみで神輿を選びそして自分達が苦労する。」
選挙管理はとても大事なポジションです。このポジションが道理に反した事を今回あからさまにしたのを私は感じました。

私は議会の傍聴をした事があります。市民へ議会を傍聴して下さいと市役所は呼びかけていますが今の状態でははっきりいって傍聴をさせてはいけません。傍聴に行った人なら分かるのですが・・・。
玉井議員(呼び方はこれでいいですか?それともニックネームですか?(^^))はどの様にお考えですか。
問題点を挙げて貰えませんか?
そしてその解決方法はどうやりますか?
教えて下さい。
はっきり言って今の伊予市議会制度に対しかなりの不満をもっています。
>成層圏さんへ
 あまり文系をいじめないで下さい。
 私も文系なので・・・。(^^;)
 でも理系も得意だから当てはまらないかも・・。
 



Re:それは京都を凌ぐ お名前 玉井彰 2003/02/27(木) 16:14:01 [No 496]

「郡中町家物語」を読んでいただきありがとうございます。

郡中(ぐんちゅう)は寛永13年(1636年)宮内九右衛門、清兵衛兄弟が大洲藩の許可を得て私財を投じて開墾して町が出来たという明確な沿革を持つ町です。民間主導で商工業の拠点として繁栄した町の歴史を物語る町家が残されています。

先輩達の歴史に恥じないまちづくりを目指していきたいと思います。



Re:選挙管理委員会の怠慢? お名前 玉井彰 2003/02/27(木) 16:15:08 [No 497]

このホームページは議員だから運営しているのではなく、また議員を長くやる方針を持っていないので、「議員」ではなく一般的な呼び方で願います。

ビラ、チラシならかなり書けますけれども、ポスターの場合、普通は物理的にそれ程の字数が書けないのではないでしょうか。ビラがまければいいのですが、規制されています。

一般に、議員が市民の皆さんに情報提供できる手段が限られています。手足を縛った上で自由に泳ぎなさいというのが現在の公職選挙法です。しかも、選挙違反の限りを尽くせる人のほうが選挙には強いのです。

選挙前に、選挙で立合演説会が出来ないか先輩議員に聞いたところ、候補者が自分の支持者を動員し、「支持者」が他の候補の演説にヤジを飛ばす等の混乱があり、実のないものになる恐れが大きいことを指摘されました(過去の現実)。「大討論会」はやってみたいのですが、立合演説会同様の不毛さを覚悟する必要がありそうです。現在、他の議員と市民を交えての勉強会が出来ないか模索中です。

選管のことはNO.489でお答えした積もりでしたが、選管に再度問い合わせをしてみました。場所、日時はお答えしたそうです。日時が決まる前のお尋ねには、決まれば議員と区長に知らせる旨の回答をしたとのことです。その姿勢に問題があることは、NO.489に述べた通りです。

なお、立候補者説明会は別段参加しなくても資料をもらえば概ね手順は分かります。説明が分からなければ、後からでも事務局に行けば教えてくれます。説明会に欠席しても特別不利益はありません。説明会は書類をもらうことに意味があります。それと、候補者ごとに説明するのが大変だから説明会を開くのです。

政治を志す人にとっては不公平な社会だと思います。伊予市の場合、地縁、血縁、しがらみで有権者は雁字搦めです。「ムラ型選挙から都市型選挙へ」ということも訴えましたが、「岩盤」は分厚いものがあります。ボランティア議員を創り、若者枠を設定すればよいというのが私の意見です。しかし、「法律」が地方自治を極端に規制しています。

伊予市のホームページの書き込みに、「某立候補者が出るまで議員の間で人数調整が図られていたと推測される」旨ありましたので、この際意見を述べます。伊予市のような狭いところでは、立候補を考える人は、それなりに周囲の人に打診します。そして、自分がどの程度の支持があるのかを見極めます。18人の定数に19人いうような選挙は、落選した場合の辛さが想像を絶するものがあります(倍率の高い大学に落ちても精神的ダメージは少ないが、皆が受かる高校に行けないとダメージが極端に大きいというのに似ています)。その為、勝てると見極めるまで立候補をためらいます。そのことが、「調整」と受け取れるのでしょう。候補者から見ると、自分以外は全部敵なのですから、無投票かも知れないなどと考えていたら確実にやられます。しかも、ある程度運動をしたら、票を見てみないと気持ちがおさまらないのが当事者心理です。私も、当事者になる前は候補者間での談合ということを疑っていました。しかし、少なくとも今回は無投票にしようと働きかけた人はいなかったと思います。



私も同意見です お名前 ヒカル(27歳) 2003/02/27(木) 21:46:34 [No 498]

伊予市市民が「本当に市政がどのような状態なのか」「選挙の本質はどのようなものか」「一票を投じる意味は何か」基本的な考えを改めないと小さな政府へと移り変わらなくてはいけない分岐点である市町村合併後!
この時までに市民の選挙に対する意識・行政の情報の公開・など次世代に対して残せるスタイルを確立して行かなくては将来も今と同じ状態になります。
しかし、意識改革は言葉では簡単ですが実際の所はとても難しいのですよね・・・。
長い時間をかけてなんとか私達のグループでは選挙に対する意識が高くなりました。
でも一回りを超えた世代からは駄目な人が多いのですよね・・・。
遅くなりましたがお仕事が忙しい中選管に話をして頂きありがとうございます。
初めてカキコをさせて頂いたのですが生意気な事を言ったようですみませんでした。
しかし若者の中でも本当に市政のありかたなどに対し不満を持っている人は沢山います。
それらを一蹴して新たに市民一人一人が本当に信頼の置ける市政をつくる様に頑張って下さい。
期待しています。
最後に
個人的な提案
1.議会の質疑応答を土日にして一般の人が見やすいようにできないですか?(平日は傍聴に行けない人が多すぎる)
2.議会傍聴者に議員が見ている書類を渡す
(以前傍聴に行ったときページ数省略が多かったため内容がさっぱり見えなかった)
3.質疑応答などの議会内容をビデオに取り市民に貸し出す。
(実際に選ばれた市長や議員の勤務状態を世間に公開する。)
もしこれが実現すればある程度考え出すかも・・。
追伸
玉井さん(これでいいですか?)に個人的に面と向かってお話をしたくなりました。(^^)



Re:私も同意見です お名前 玉井彰 2003/02/28(金) 23:53:50 [No 499]

3つの御提案には同感です。これまで私も考えましたし、主張もしました。特に1については他の議員からも提案がなされています。実現の難しいテーマの1つです。これからのテーマとして取り組んでみます。

議会の問題は議会自体が取り組む必要があります。議会が意思決定するためには過半数の議員が賛成しなければなりません。

議員として自分の提案を実現しようとすると、他の議員に「貸し」をつくり、ここというときにお返しをしてもらう、というやり方を取るのが従来の政治のあり方です。「お前の主張だけを通すのはわがままだ」という感覚です。この貸し借りの世界で生きていると、何十年議員をやっても自分の理想の何分の一も出来ません。

かと言って、全てを実現しようとして突っ張り、味方が1人もいなくなった場合は、「ゼロ回答」になります。味方をつくろうとすると妥協の世界になります。ここらあたりが難しいところです。

一度議論してみたいものですね。



中央文部省と自治省の共通点 お名前 安倍川餅 2003/03/01(土) 09:01:47 [No 500]

>成層圏様、伊予市の元気印様

 真の教育改革には、中央文部省の廃止が絶対に缺かせない。
 全国一律に、職業上で無用な科目(9科目体制)を強いる統制教育こそ、酒鬼薔薇の凶行の直接的な引金ではないか。悪政を反省せず、酒鬼薔薇に賛同する青少年が続出しても、厚顔無恥に「総合的な学習の時間」(総合学習)で居直り、「生きる力」を念佛する。そんな中央文部省の神経には恐れ入る。
 「総合学習」でも、中央文部省の宮刑(去勢)手法が丸出しである。中央が地方を去勢して、中央が全国一律に「総合学習」をばら撒く。そんで、地方が右往左往してる事を後目に、「ホーラ、地方は何もできねえじゃないか」と言って、全国一律にマニュアルを出して、統制を強める。自治省の手法や発想は、そんな中央文部省と100%同じなのである。
 そもそも、自治省と中央文部省は、地方の死と住民の無力化を念願する機関である。中央に呼応して、地方都市潰し(合併躁病)を賛える者は、「総合学習」如きを賛える者と50歩100歩である。そんな連中は、中央に去勢されてるか、宮刑執行人の走狗に過ぎない。
 況わんや、物質的に裕な時世に、何もかも全国一律に統制しようとする中央文部省や自治省の存在は、時代錯誤も甚だしい。缺陥を妊んでるのは「ゆとり教育」ではなく、地方を去勢して、全国一律に職業上で無用な科目を強いる中央統制ではないか。



科目数の多寡について お名前 成層圏 2003/03/01(土) 11:21:40 [No 501]

安倍川餅 様
>全国一律に、職業上で無用な科目(9科目体制)を強いる統制教育こそ、酒鬼薔薇の凶行の直接的な引金ではないか。

私の経験で申しますと、教科は多い方が良いと思います。さらに、受験科目も多い方が良い。わたしはこれに助けられたと思っています。貴方は職業上無用なとおっしゃっていますけれど、読み書きそろばんで良いのだとのお考えでもないと推察します。
文部科学省のドタバタぶりは、官僚の想像力の欠如に他ならないと考えますが、戦後五十年の教育の成果がこれかもしれません。

しかし、私には九科目体制から酒鬼薔薇に跳ぶことは甚だ困難であります(^^;)。



(no.500、no.501へのお返事)安倍川餅さん、成層圏さんへ お名前 玉井彰 2003/03/01(土) 14:19:26 [No 502]

中央による統制に反対という意味では、安倍川餅さんに賛成します。科目数については、「無用の用」という言葉がありますが、裾野を広く学んでおくことが人生の可能性を広げるのではないかと思います。その意味では、成層圏さんに賛成です。

総得点主義(平均点主義)の問題を指摘したいと思います。各科目の得点を単純に足し算した結果としての総得点(およびその平均点)に重要な意義を見出すことには問題があります。工業社会での画一的人材育成には資するでしょうが、知価社会での基準たり得ないと思います。

数学100点、英語20点の生徒と、数学65点、英語65点の生徒のどちらに将来性があるでしょうか。

科目限定により負担減少を図るより、評価の多様性により人材発掘をする方が社会全体の水準を上げる効果が高いと同時に、個人のやる気を促し、かつバランス感覚を養成できるのではないでしょうか。様々な角度からの知見がバランス感覚を磨く上で有用だと思います。



自治体の適正規模は、400人? お名前 今井 幸輝 2003/03/01(土) 17:58:17 [No 503]

江戸時代の人口は2400万人で、これに対して6万の自然村がありました。
明治維新や戦後の大合併で、強制的に3300市町村にされてしまいました。
現在に日本では、人口400人の村を30万を作ることになります。
大きなマンションの、自治会といった感じですね。

国・地方税や社会保障費を合わせれば、日本人は1人当たり毎年110万円を収めています。
400人の村に、1人当たり毎年80万円を支給するのはどうでしょう。(3億2000万円)
この村で教育・医療・福祉や、身近な公共事業を行います。(1学年4人で、24人の寺子屋)
顔の見える、政治・予算になりますね。



私個人の意見ですが・・・。 お名前 ヒカル(27歳) 2003/03/01(土) 19:37:39 [No 504]

教育改革の事ですがあまり上を見上げている場合では無いと思います。
実際に教育をしているのは教師と親ですからそちらの意識改革を先に考えるべきで無いでしょうか。

私が学生の頃は(皆さんの中で一番最近かも・・・)はっきり言って学校の勉強は熱心ではありませんでした。
私が熱心に勉強していたのは中学の時は法律問題で高校の時は資格取得で大学では私が高校までで学んだ事の繰り返しだったため中退しました。
勉強は教師や親に教わる物ではなく生徒自身が学びたい事などを学ばせる事ではないのでしょうか?
必要最低限の知識は生活の中で親が教えなければいけません。
つまし挨拶や人を思いやる心などの人間社会で必要な心構えや最低限必要である計算力や読み書きなど生活に密着する知識などです。
教育とはそもそも実社会に胸を張って出せる生徒に育て教えていく事ではないでしょうか?
私は以前海外に住んで仕事をしボランティアで世界各国を回りスラムなど回って実情を知っていますが読み書きができない子供達をしっています。計算が出来ない子供達も見てきました。
しかし彼らは彼らからしては一介の外人の私にも普通に接してくれました。
なぜならば彼らは人間としての教育に対しては日本より進んでいるからです。
少し話がそれましたが子供達の人間形成は学業や中央組織が実際に作っている訳ではないと思います。
現場の人間(親や教師や地域の人々)が良識を持っていれば中央が悪政したとしても子供達は守れると私は思います。
たしかに中央集権状態であるし教科も多いと思います。
そして教科が丁度いいと思う人もいます。
それのどちらがいいのか選択するのは子供自身です。
彼らの選択肢の幅を広げて行くようは政策を地方から中央に発信する事が出来る現代です。
地方から発信するのを中央が反対を言ってきたらその時は住民署名や住民投票で戦う事が出来ます。
難しく考える前に当事者の目線で状態を考えてあげなくてはいけないと思います。
勉強に無駄は私自身無いと思います。
いろいろな知識の中から必要な情報を取り出し一つの答えを導き出すように「答えが見えないものでも答えを探す」{分からなければすぐに諦めない}この姿勢を教えるのが大事ではないでしょうか?
私はこの姿勢をある先生と近所のおじいさんに教わりました。
その先生と近所のおじいさんには本当に感謝しています。
先生とおじいさんが教えてくれたのは「勉強はやれば誰でも出来る様になるが人間性だけは幼い時からの心の教育しだいだ」と教えてくれました勉強以外の事を教える事が出来る環境を育てていけば酒鬼薔薇は現れなかったでしょう・・・。
学級崩壊の事でもその子供達は集団規律を守っているのです。
それは「ひとりだけ良い子にしていたら仲間はずれにされてしまう」など回りの子供達に合わせているから一人のリーダー格の子が悪い事をしたらつられてみんな悪いことをしてしまう。
逆に言えばリーダー格が良いことをするなり全員で一つの目標を立てて頑張ったり共通目的を持たせその達成の為に頑張る事をさせるなど小さな集団生活の規則を履き違えている彼らは正しく履き直す事ができると思います。
長々と書きましたがまだ若輩なので偉そうにいたとすれば申し訳ありません。
余談ですが
玉井さんの土曜学校への期待を寄せています。
できればその中に少し提案があります。
お金の使い方の教育をしてはどうでしょうか?
つまり社会にはいろいろな職種があります。
そのなかで子供達に小さな都市を作って貰いその中で物の物流や市政業務や銀行業務などmine life cityを一日だけ作って森の体育館ででも使用して簡単に言えば大きなお店屋さんごっこをしてみてはどうでしょうか?
生きる為に労働は欠かせないしその中ではお客様との信頼や物の価値観などをトータル的に教育でき学校では教えてくれない実社会の必要な分野だと思います。
今私達の仲間達はこの件で情報を集めて集約をしています。
もし玉井さんに興味があるのでしたらお力添えをお願いしたいのですが・・・。
長々とすみませんでした。m(_ _)m

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Re:自治体の適正規模は、400人? お名前 玉井彰 2003/03/01(土) 21:58:59 [No 505]

自治体の規模は、住民が決めるべきであるというのが私の結論です。この範囲でまとまって身の回りのサービス提供について意思決定しようと思える集団の規模を一律には決められないと思います。

分業が発達した現在では、多様なサービスへのニーズがあり、自治の単位の決め方は問題別に考えるべきかも知れません。本日の「一言」に書きかけたのですが、意思決定の単位とサービス提供の単位とは分けて考えたらどうかと思います。

加えて、行政サービスのほとんどは民間のサービスに変更可能だと思います。事務局的な機能を民間の会社が複数の自治体から請け負うことは十分に可能です。当然、守秘義務等の手当は必要です。

地理的条件等、考慮すべき事項は多々あると思いますが、400人の自治というのは充分成り立つ話だと思います。



Re:私個人の意見ですが・・・。 お名前 玉井彰 2003/03/01(土) 22:00:23 [No 506]

実社会で役に立つことは何かということから逆算して教育するという発想は大切だと思います。サラ金地獄に陥らないように金利について地に足がついた発想が出来るようにしておく、怪しげな宗教にマインドコントロールされないような自己確立・・・

教育には、それに留まらない理想があるようにも思います。無限の可能性を持つ人格の形成に携わる教育を実用主義の枠にはめ込むことには多少の躊躇もあります。

教育の分野はそれ程自信がないので、NPO土曜学校というのも模索中ということで御理解下さい。「お力添え」というのはよく分かりませんが・・



公園管理の件 お名前 自然大好き 2003/03/02(日) 10:32:17 [No 507]

以前に公園の木のことで投稿させて頂いた者です。市役所に確認しますとレスがありましたが、その後どうなったのですか?先日、子供が遊んでいて、実際に切り株に頭をぶつけ怪我をしました。大した怪我ではありませんでしたが、あと数センチずれていたら目を怪我したかもしれません。公園の管理が自治会の権限であるのなら、あなた達議員さんは何を管理する権限が与えられているのですか?そもそも公園は伊予市の物なのではないのですか?その公園に危険な物があると知っていながら、何の対処もしてもらえないなんて・・・。



Re:公園管理の件 お名前 玉井彰 2003/03/02(日) 17:39:10 [No 508]

実のところ、この件以外にもこの伝言板に書き込みいただいた事柄を含めて積み残しの案件を抱えています。選挙が終わるまで持ち越していた仕事があり、最近になって県議選に首を突っ込み、五色姫復活祭あり、議会ありで、混乱しています。この際、お返事が遅れている問題についてお詫びしたいと思います。

電話で確認すれば早く解決できます。しかし、事柄によっては足を運んで話を聞いた方が得心がいく問題もありますし、その方が微妙なニュアンスまで分かることがあります。また、電話では相手に高圧的な印象を与えるのではないかとの心配もあります。

公園の問題については、所管の課は分かりました。公園(の成り立ち)によって担当する課が違います。管理は地元自治会です。所有は伊予市だと思います。

事故が起きたときに伊予市が土地工作物の所有者としての責任を負担するのではないかとの疑問もあります。

ただ、この問題については、私自身の中で躊躇することがあり、そのことが行動を鈍らせています。

木の切り株が「危険物」なのかどうかということです。多分その範疇にはいるのだろうとは思うのですが、昔の子供だったら遊び道具にしたのでは、との思いもあります。

「公園は絶対に安全でなければならない」ということを出発点にすれば、切り株は取り除け、となります。事故が起きると市の責任が問題になるでしょう。だったら問題となりそうな切り株は速やかに撤去せよ、となります。

各地の公園で事故があると遊具が撤去されます。それでいいのかな、と首を傾げるケースもあります。ここで私が迷っているのです。「安全」最優先が絶対的な正義なのか?子供は危険な場所で遊ぶことによって危険感受性が磨かれるとは考えられないのか?

東京都世田谷区等でプレーパークという公園があります(視察に行きました)。子供が「自己責任」で遊べる公園です。木の幹に秘密基地があったりして、昔の子供が遊んだような環境になっています。一見危険に見える部分もあります。親の合意が必要ということで、納得できる保護者がいる子供に限って遊べるようになっています。その論理からすると、合意がない以上「危険物」として撤去するのが妥当ということになります。

2、3日お待ち下さい。考えをまとめます。所管課に何が出来るか、地元自治会の権限との関係はどうなのか、の問い合わせもしてみます。自分の考えが不十分だと何を聞けばいいのかがはっきりせず不得要領で終わるおそれがあります。私の場合、自分の考えを固めてから行動するので、よく「愚図」と言われます。



読売新聞の社説 お名前 成層圏 2003/03/02(日) 21:19:03 [No 509]

私は読売新聞を取っていませんし、読売新聞のホームページに社説は載っていませんので、玉井さんの一言を読んでの感想となります。

>曰く、「例えば、人口5千人未満の小規模町村をみると、都道府県庁の516の課に関係する仕事を、たった1人の職員が担当しているケースが少なくない。これでは、複雑かつ多様な行政需要に対応しきれない。」

完璧に対応しきれないながらも、516の課に関する案件を処理している。何故ならば、小規模自治体には、単純かつ少数の行政需要しかないのだ、と言うのは言い過ぎでしょうが、私などは、516の課が果たして必要なのか、官僚得意の膨張路線の結果では、などと思ってしまいます。