伝言板
[HOME] [掲示板]
1〜30 31〜60 61〜90 91〜120 121〜150 151〜180 181〜210 211〜240 241〜270 271〜300 301〜330 331〜360 361〜390 391〜420 421〜450 451〜480 481〜510 511〜540 541〜570 571〜600 601〜630 631〜660 661〜690 691〜720 721〜750 751〜780 781〜810 811〜840 841〜870 871〜900 901〜930 931〜960 961〜990 991〜1020 1021〜1050 1051〜1080 1081〜1110 1111〜1140 1141〜1170 1171〜1200 1201〜1230 1231〜1260 1261〜1290 1291〜1320 1321〜1350 1351〜1380 1381〜1410 1411〜1440 1441〜1470 1471〜1500 1501〜1530 1531〜1560 1561〜1590 1591〜1620 1621〜1650 1651〜1680 1681〜1710 1711〜1740 1741〜1770 1771〜1800 1801〜1830 1831〜1860 1861〜1890 1891〜1920 1921〜1950 1951〜1980 1981〜2010 2011〜2040 2041〜2070 2071〜2100 2101〜2130 2131〜2160 2161〜2190 2191〜2220 2221〜2250 2251〜2280 2281〜2310 2311〜2340 2341〜2370 2371〜2400 2401〜2430 2431〜2460 2461〜2490 2491〜2520 2521〜2550 2551〜2580 2581〜2610 2611〜2640 2641〜2670 2671〜2700 2701〜2730 2731〜2760 2761〜2790 2791〜2820 2821〜2850 2851〜2880 2881〜2910 2911〜2940 2941〜2970 2971〜3000 3001〜3030 3031〜3060 3061〜3072

Re:読売新聞の社説 お名前 玉井彰 2003/03/03(月) 10:35:36 [No 510]

なるほど、516課が必要か、という視点からみれば、縦割り行政の無駄があるのかも知れません。基礎自治体の仕事は、現場の生のニーズに対応するものですから、縦割り的発想は有害です。総合的な発想というべきものが必要だと思います。

読売の社説は読売のホームページの下の方にある「社説」をクリックしていくと、少なくとも過去何日かの分があります。下記を見て下さい。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20030226ig90.htm



続・読売新聞の社説 お名前 成層圏 2003/03/03(月) 12:49:44 [No 511]

読売新聞は、社説が下の方にあったのですね(^^)。
で、読んでみましたが、516というのは5〜6(5ないし6)の誤りですね。516も課があるのかと実は訝ったのですが、5または6ならうなずけます。これなら別に大した仕事量ではないでしょう。丁度良いくらいです。



Re:続・読売新聞の社説 お名前 玉井彰 2003/03/03(月) 17:49:41 [No 512]

御指摘ありがとうございます。間違っていました。不注意でした。書き込み欄は訂正すると何のことか分からなくなるのでそのままにします。

「一言」欄は謹んで訂正させていただきます。



又も総務省が缺陥制度を画策 お名前 安倍川餅 2003/03/03(月) 21:36:14 [No 513]

 総務省(自治省)が、「市」の下に、「区」のような新自治組織を設ける腹である。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20030303i101.htm
 勿論、「区」のような新自治体は、一定の事務を都市を通さずに処理する機関であり、又しても缺陥制度である。
 都市の下に、「区」のような中途半端な自治体を作ろうとは、コムーネ(基礎自治体)を何だと思ってるのだろうか?いやしくもコムーネを盛り上げたいのなら、「市」こそが主権者であらねばならない。
 何故なら、どこの国でも、どこの世界地図を見ても、必要とされる名称は都市名であって、断じて「区」ではないからである。リオのような大都市から、カンヌのような小都市に至るまで、これは同じである。台北も区役所を擁しているが、住所表記では「区」を必要とはしない。
 つまり、「コムーネ」「基礎自治体」「都市」は、いずれも同義語なのである。
 そんな世界の常識すら理解せず、コムーネの処刑に血道を上げ、缺陥制度を設けて恥じない。そんな総務省は、日本のコムーネと地方自治を侵す癌である。



楽しいです お名前 清水幸助 2003/03/03(月) 21:43:04 [No 514]

玉井さん、お久しぶりです。
再選後の一皮向けたような伝言板をいつも楽しみに、又伊予市民の皆さんがそれに呼応してくれているようで本当に嬉しい、伝言板です。
僕も真似がしたくてスタイルなどをいじってみたのですが、やはり経験と実績がないうちはダメだと自覚しています。
しかし皆さん凄いですね。そんな方たちとの付き合い、勉強にしています。
安倍川餅さんの嫌だったコムーネなどの形容の仕方も、だんだんに慣らされてしまいました。おもしろいものですね。僕ももう少し勉強できたら、是非参加させてください。



Re:又も総務省が缺陥制度を画策 お名前 玉井彰 2003/03/03(月) 23:00:56 [No 515]

居間、寝室、応接室、台所、風呂、トイレ、フルセットで一戸の家(基礎自治体=コムーネ=都市)と考えると、今回の自治省による「区」という提案は、法人格を有するということから、家の片隅に台所・トイレ付きの下宿を設けるようなものかなと思います。

政令指定都市の「区」は法人格を持たないので台所もトイレもない部屋という感じなのでしょうか。

台所やトイレを付けてやったのだから有り難く思えということなんでしょう。「鶏口となるも牛後となるなかれ」とは言いますが、要するに、牛のシッポなんですよね。



Re:楽しいです お名前 玉井彰 2003/03/03(月) 23:01:53 [No 516]

以前は、自分の言いたい放題でやっていたのですが、最近は鋭い人に見られている感じがして、緊張感があります。この緊張感をバネにホームページの質を上げていきたいと思います。

清水さんも県議選の応援頑張って下さい。



自然大好きさんへ お名前 玉井彰 2003/03/04(火) 23:40:01 [No 517]

公園の所管課に調べてもらっています。もう少しお待ち下さい。

私は、現場の状況を見た感想として木の切り株が危ないなと思いました。しかし、しばらくして、切り株の活用法はないのかなと考えました。切り株=危険→撤去=子供の安全、ということでいいのか疑問があります。切り株があったら切り株で遊べないのでしょうか?子供達や大人は切り株をそのままにしているのでしょうか?それで遊ばないのでしょうか?

子供は何でも遊び道具に出来ます。切り株を削ってオブジェをつくることも出来ます。切り株を土台にして椅子をつくることが出来るかも知れません。

行政に責任がある、行政が責任を果たせ、という筋道だけでしょうか?現在、行政の責任という観点で調べてもらっていますが、私自身は正直なところ迷っています。



成層圏さんへ お名前 玉井彰 2003/03/05(水) 17:46:52 [No 518]

毎月1日に鳴る伊予市のサイレンについて尋ねてみました。サイレンが鳴るかどうか、非常時に一連の動作(操作)が出来るかどうかの確認のために毎月行うものですから、サイレン自体を止めるわけにはいかないということです。

市民の皆さんがそれを知っているとは限らないので、広報紙、ホームページで趣旨が分かるようにしていただくようお願いしておきました。

なお、伊予市のホームページについてですが、「ばーちゃる伝言」板に書き込んでも伊予市からの「回答」は得られないようです。「市政への意見箱」あるいは「各課のホームページ」に意見を出すと返事が来るそうです(匿名可)。伝言板は自由な空間にするため行政はタッチしないそうです。伝言板だけを見た人にもその趣旨が分かるようにしてくださいとお願いしておきました。



小さくてもWく自治体フォーラム お名前 安倍川餅 2003/03/05(水) 23:12:37 [No 519]

 2月22日〜23日、「小さくてもWく自治体フォーラム」が、栄村(北信州)にて開かれた。内容を要約すると、西尾私案を断罪し、小さな村でも自治は可能であると主張する内容である。
 参加者の一つ・羽後町(北東北)の佐藤正一郎町長は、自治省をこう断罪する。「自治省は合併で市町村を画一的にしようとしている。しかし、市町村に個性が有り、違いが有ってこそ地方自治の発展も開かれて来るのだ。」
 又、白川村(合掌造りを擁する)の谷口尚村長も、こう断罪ずる。「リゾート法にしろ、画一的な施策は破産した。合併も同じだ。もう(中央による画一主義を)終えるべきだ。」
 全くだ。そもそも自治は、地域住民の手が及ぶ範囲でなければ運営できるものではない。従って、面積が巨大であったり、「区」に執着する状態では、自治は不可能なのである。況わんや、中央が、一律にコムーネを統制したり、処刑したりするような行為は、自治とは相容れない。
 小規模コムーネの処刑を企む西尾私案や、「区」に執着して、人口だけでコムーネを侮蔑する政令指定病は;いずれも中央による画一主義の産物であり、多様性や自律性や住民を侮蔑した発想である。
 今回のフォーラムは小規模コムーネが主人公であったが、自治の理念はどんなコムーネでも同じだと思う。「区」に執着して、易々と消されたがるようなコムーネに、自治を求めても無い物強請りである。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-02-23/01_01.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-02-24/03_01.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-02-24/02_01.html
小さくてもWく自治体フォーラム 新聞赤旗に詳報
http://www.janis.or.jp/s-live/
小さくてもWく自治体フォーラム 栄村版



Re:小さくてもWく自治体フォーラム お名前 玉井彰 2003/03/05(水) 23:33:52 [No 520]

このフォーラムには注目していました。ニセコ町長が辞任して不参加だったのは残念でした。

賞味期限切れの中央集権体制を維持し、中央官僚の職域を保全することが平成の市町村合併の本質です。小さな町村を官僚の職域確保のために踏みつぶそうとするアイデアです。地方公務員も餌食になります。

実は、最も無駄なものは中央官僚なのです。私は、この謀略の先手を打つために「道州制」を主張しています。道州制を先行させれば、中央官僚を「失業」に追い込めます。

彼等が「浪人」となり、地方に活路を見つけようとしたときがチャンスです。地方にとっても、彼等中央官僚にとっても。

彼等官僚は、「国益より省益」というくだらない人生からリタイアし、真の自己実現のチャンスに巡り会えるでしょう。



続・警報サイレン お名前 成層圏 2003/03/06(木) 00:07:50 [No 521]

玉井さん、ありがとうございました。

「市民をおどかすのはほどほどにしてよ」

これが私の主張です。市役所の旧掲示板のとき、同様の解答がありました。誰が始めたのか判りませんが、一度始まったものを変更することが如何に大変であることかが良く分かります。自治体合併くらいの機構変革がなければ見直しはされないでしょう。ほかにも変更の可能性が無いでもないのですが、ここには書けません。



Re:続・警報サイレン お名前 玉井彰 2003/03/06(木) 21:54:01 [No 522]

田舎者の感覚は困ったものだとの評論も可能であることを承知の上で、私なりに担当者の説明に納得しました。

防災活動に対しては、消防団はじめ多くの方々の献身的な努力があります。そのお陰で私たちは日々の安全を保障されています。これからは、そのことを意識し、感謝する機会として毎月1日のサイレンを聞きたいと思います。

サイレンの意味合いを市民の皆さんに知ってもらうことは当然必要ですし、広報活動をしていただきたいと思います。

なお、本日伊予市のホームページの「ばーちゃる伝言板」の注記事項が変わりました。担当の方が私の意見を聞いて注記事項を書いてくれました。



行政村史観 お名前 安倍川餅 2003/03/06(木) 22:22:14 [No 523]

 西尾私案や政令指定都市(区)や合併至上主義は、「行政村史観」に根差した発想である。「行政村史観」とは、保母武彦・島根大教授による定義で、コムーネ(基礎自治体)を、国家統治機構の末端として蔑む観念を指す。
 真なら、“コムーネ>国”の発想;即ち神社や城郭から共同体を発し、共同体から都市が生まれ、都市の集合体で国家が作られると云う発想が健常である。なんせ、「コムーネ」の原義は「共同体」である。
 しかし、西尾私案や政令指定都市(区)は、共同体の概念を蔑むから、コムーネを基礎自治体と見なさない。それが基で、“国>コムーネ”“区>コムーネ”の発想を抱き、「区」と云う缺陥制度を設けるのである。
 故に、行政村史観に、住民からの視点や基礎自治体の概念なんて、有るはずもない。これだから、「1万人未満の自治体は死刑だ、何が悪い。」と、行政村史観信奉者は敖(おご)るのである。

 「週刊金曜日」2003年2月14日号で、ジャーナリストの筑紫哲也はこう述べている。
「地域それぞれの多様性こそが、その国の個性と特徴を創る。(中略)均一・画一を求めるこの国の行政の下では多分、地域性に根差した町興しをして来た自治体は、生存を許されないであろう。
 吸収合併される多くの地域では、“自分の故郷はその程度の値打ちしか無いんだ”と云う“精神の萎え”が拡がっている。
 近代国家が形成される前、“くに”とは郷土の事だった。この国では“くに”が失われようとしている。」

<跋>「週刊金曜日」2003年2月14日号/第447号に、「町や村が消える!」特集が有りますので、お読み下さい。



Re:行政村史観 お名前 玉井彰 2003/03/06(木) 23:03:04 [No 524]

中央集権国家では全てが国の事務です。地方には「地方行政」があり、末端まで国の方針が貫徹するよう機能します。末端行政の単位を変更することは中央の都合で自由に出来ます。「自治」は現場で微調整をする自由を意味します。

筑紫哲也氏の「"くに"とは郷土のことだった」という言葉は意味深長です。多くの都会人(次男、三男達)は郷土の「シッポ」を持っていました。しかし、2世、3世にはシッポがありません。「進化」した彼等に郷愁はありません。

郷土の方はどうだったのでしょうか。残された「長男達」は争い事を好まず、長いものに巻かれることこそが「おこぼれ」にありつける最良の方法であることを「学習」し、中央依存のぶら下がり自治に安住しました。選挙では、候補者から金銭や飲食の施しを受け、自治を食い物にしました。その「付け」を「町」「村」の「お取りつぶし」という形で支払わされようとしています。

勿論、誇り高い自治を実践してきた自治体があります。彼等の足を引っ張り続ける卑しい自治体が数多くあることにも注目したいと思います。(なんか、怒ってる感じですが・・)



みんな一緒に お名前 成層圏 2003/03/10(月) 12:59:17 [No 525]

愛媛新聞Webニュースによると、県内16合併協議会のうち南宇和合併協議会以外の15協議会は、将来構想を民間コンサルタントに委託しているそうです。やはり、自らの必要性から合併が行われるのではなく、政府から人参をを鼻面に吊されたための人参欲しさの合併であることがよくわかります。
今私が知りたいのは、その委託されたコンサルタントはどこかということです。もしかして一社だったりして(^^)。まあその方が、地域の棲み分けが出来て愛媛県全体にとっては結構なことかも知れません。合併協議会としても、県におうかがいをたてるのが一番に良いと薄々気付いているかも知れませんが、あからさまに訪ねるのは協議会の誇りが許さないでしょうね。



Re:みんな一緒に お名前 玉井彰 2003/03/10(月) 23:33:56 [No 526]

強制合併ですから、自らの案が出ないのは当然だと思います。また、自主的に議論を積み上げていくと2年や3年では無理です。そもそも、まとまること自体に無理があるようなエリアを一括してビジョンを提示することは不可能を強いるものでもあります。

そういうことをさておいて(さておけるのかな?)合併問題を直視するとして、コンサルタントに委託することを、安易に「あんちょこ」に頼よっていると非難するような目で見る必要はないと思います。

私は、中学生あたりには「あんちょこ」学習をむしろ薦めたいと思っています。いくら考えても「休むに似たり」ということがあります。勘所をしっかり考え抜いておればいいのではないでしょうか。

コンサルタントをどう活用するかが問題です。コンサルタントが出してきた案を徹底的に叩き直し、練り直すことが出来れば、時間の節約になるだけではなく、自分達で考えるより高度なレベルで議論が出来ると思います。



成層圏さんへ お名前 玉井彰 2003/03/12(水) 00:05:24 [No 527]

4月1日午前7時のサイレンは従来と変わっている可能性があります。サイレンが鳴る前の状況を確認してみて下さい。



エイプリルフールに注目せよ お名前 成層圏 2003/03/12(水) 00:54:49 [No 528]

玉井さん、情報ありがとうございます。
一度だけ、狙って録音したことがあります。
今度の四月一日は火曜日ですので、覚えておれば録音をしてみましょう。



Re:エイプリルフールに注目せよ お名前 玉井彰 2003/03/12(水) 23:10:33 [No 529]

サイレン自体は従来と同じです。サイレンの前にお知らせをすると聞いています。もっとも、「くだらんことをするな。皆知っていることだ」という旧住民の反発があるかも知れません。



青函トンネル&瀬戸大橋15周年 お名前 安倍川餅 2003/03/13(木) 15:42:39 [No 530]

 本日は、青函トンネルの開通15周年に当たります。翌4月10日には、瀬戸大橋も開通15周年です。
「四国は橋を架け過ぎ」との声が聞かれますが、地元での評判はどうでしょうか?私は、「しまなみ海道」なんか、長い高速道路(一本橋)にしなくても、短い橋にすれば安上がりで済んだように思えますが…。



Re:青函トンネル&瀬戸大橋15周年 お名前 玉井彰 2003/03/13(木) 23:02:51 [No 531]

受益者としては批判的なことは言いづらいと思います。

しかし、四国4県の知事は内心先輩達が余計なことをしてくれたと思っているでしょう。橋は1つで良かったと思います。国の財政を考えてもそうですし、橋による「ストロー効果」の方が懸念されます。

「島」でいた方が良かったのかも知れません。海運業のことを考えると、その様な気がします。



地方自治法が妊む缺陥 T お名前 安倍川餅 2003/03/14(金) 23:05:10 [No 532]

 地方自治法が妊む最大の缺陥は、地方政府の単位(市、町、村、郡、都、道、府、県…)の定義が曖昧な点である。地方自治法には、「“市”の定義は、○○○の基礎自治体である」「“県”の定義は、基礎自治体を包括する□□□の中層自治体である」と云うような条文が無い。
 地方政府、殊にコムーネ(基礎自治体)の定義が曖昧だから、「区」の如き缺陥制度が作られ、「政令指定都市」の如き差別侮蔑制度が蔓延する。
 もう一つの缺陥は、強固な中央統制である。コムーネの合併や分割に関して、中央政府が過度に干渉する点である(第8条2節)。中央政府の命令で、府県中央の下請けとしてコムーネの合併パターンを示す暴挙は、これが根据となって行われている。
 従って、現行の地方自治法を白紙にして作り替えないと、中央統制や政令指定病を消す事はできない。地方政府(市、町、郡、都、府…)の定義を曖昧にしてる事自体、始めからコムーネを去勢しようとしか考えていない証ではないか。

 地方政府の種類と、その定義を明確にする事こそ、コムーネの自治には缺かせない。
1.「区」の全廃。即ち、政令指定都市のような都市差別制度や、「都」制度を廃止する。
2.コムーネの種類と定義を明確にする。尚、町内会の「町」と区別する為に、コムーネとしての「町」は、「鎮」※に改名した方が善い。
3.府県の廃止。「道」に一元化する。当然、県の分割も為されるべきである。

※「景徳鎮」の「鎮」は、コムーネとしての「まち」を意味する。それに基づく名称。



情けないのかなあ お名前 清水幸助 2003/03/15(土) 04:46:27 [No 533]

アメリカは軍需産業が大きな柱です。景気の沈滞打破を当然イラク戦争に向けたものだと思います。
湾岸戦争・パキスタンで蓄積した薀蓄は大量のバンカー爆弾やその他の新兵器を増産したことにより、在庫一掃処分しなくては景気の回復が望めません。
 イラク戦争が査察により延期となれば、その矛先は北に向くでしょう。戦争は好む好まざるに関わらず、経済・国益が優先します。そして日本は傍観しか出来ない、意思を失った愛国心すらない国になってしまっているのです。嫌な時代ですね。



Re:地方自治法が妊む缺陥 T お名前 玉井彰 2003/03/15(土) 20:23:46 [No 534]

私は、地方自治法は「地方自治規制法」であると考えています。地方自治の細目にまで、「親」の「子」に対するような感覚(パターナリズム)で口を出しています。

国の事務と地方の事務との棲み分けの基準が明確にされるべきだと思います。

趣旨に賛同しますが、「鎮」は響きがどうもなじめません。



Re:情けないのかなあ お名前 玉井彰 2003/03/15(土) 20:34:02 [No 535]

不純な動機による「ブッシュの戦争」という色合いが濃厚だと思います。

日本という国が、結局、日和見でしかなく、哲学を持たない国家であることを天下に示していることに対して、恥ずかしい思いがします。

社内の派閥抗争の中で独断専行型の社長派に属することにのみ存在価値があるお父さん。リストラを回避して家族を守ろうとする必死の思いを評価すべきなのか、1人の人間として筋を通せない弱さを責めるべきなのか。切ない思いがします。



自然大好きさんへ 続報 お名前 玉井彰 2003/03/19(水) 08:27:13 [No 536]

鳥ノ木の公園の所管は、企画人事課です(集会所の整備の関係で)。課の方から区長へは話が伝わっています。公園は自治会の管理にあり、市としては自治への干渉になるようなことが言いにくいようです。

区長としては、木の根っこを掘り起こすのは大変だなあと感じられているようです。

私は、所有者としての市が不法行為責任を負う可能性があることを前提に考えて下さいとお願いしています。



片手落ち(差別用語らしい)の反戦デモ お名前 成層圏 2003/03/20(木) 23:50:35 [No 537]

 アメリカのイラク攻撃が始まりました。戦争と平和というように戦争は平和に対立するように考えられがちですが、平和の反対は混乱であるとまず指摘しておきます。
 さて、今回の戦争までの経緯はイラクのクエート侵攻から今日までのイラクの政治姿勢があまりに国際世論無視、国連勧告無視であるため業を煮やしたアメリカが期限を切った要求を突きつけ、それが無視されたため攻撃を開始した。ただ、9月11日の同時多発テロの犯人と見られるビン・ラディン氏とアルカイダを拘束・殲滅することから、どうしてイラク攻撃に切り替わったかが、なかなかすんなりと腑に落ちないのは確かです。
 湾岸戦争終結後、速やかにイラクの武装解除を進めたならこんなことにはなってないのです。つまり、アメリカには戦後処理の誤算というか、優柔不断さがあって、それがイラクの増長を持続させたのです。
 今、各地で戦争反対デモが行われていますが、アメリカの強引なやり方に怒ることはあっても、サダム・フセインを非難することは無いようです。目に見える殺人(アメリカの攻撃)には反応しても、目に見えない静かな殺人(フセインのクルド人殺害等)には何の関心も示さない。アメリカは何に着けても非難しやすいですから、気楽にやれる。私は戦争は嫌いだし、アメリカの傲慢さも嫌いだけど、フセインが擁護される理由は無いと考えるのです。アメリカにだけ向かうデモは、怪しいのです。



平和とは お名前 英霊を守る会 2003/03/21(金) 00:20:01 [No 538]

玉井先生にお尋ねします。相手の先制攻撃に対して交戦権も無く、火急の事態の指揮命令系統さえ、はっきりしないこの国で、平和ぼけした人々が、訳も分からず戦争反対を唱えています。もし明日にでも北朝鮮が本気で日本に攻撃を仕掛けたとして、アメリカ以外に誰が守ってくれるのですか。持して死を待つという事も出来ず、降伏も出来ない。誰でも戦争の悲惨な事は知ってるし死ぬのもいやです。降りかかる火の粉を払うのと、昔の帝国主義による戦争を、同じ土俵でとらえるのは、無理だということを、そろそろ考える時期に来てるような気がします。もし今回のイラクへの戦争が終結し国連の判断のほうが間違っていたとしたら、どうなってしまうのでしょう?



Re:片手落ち(差別用語らしい)の反戦デモ お名前 玉井彰 2003/03/21(金) 18:11:43 [No 539]

どちらも「悪」として切って捨てると、勝手にやってくれということになりそうです。

アメリカに対する反対運動は気楽に見える面はあると思います。しかし、アメリカは唯一のスーパパワーとして、あらゆる批判に耐える義務はあるでしょう。

国家主権を尊重するということを前提とすると、フセインが如何なる独裁者であっても、急迫不正の侵害がないのに攻撃を加えるアメリカには全世界を納得させるだけの説得力が必要だと思います。